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その音が止まるまで  作者: 神永瞬子
一章 弦と鶴
2/17

2.巣へ

 八鶴に連れられて、夕方の畑道をしばらく歩いてたどり着いた家は、街を見下ろすかのような丘だった所に建っていた。ここに来るまでに見て来た家たちに漏れず、瓦やブロック塀、白い壁など、和風の様式をしている、二階建ての家だった。


「少し歩いたが……、大丈夫か?」


「……全、然。大丈夫、です。……ハイ」


 玄関前で八鶴に尋ねられる。正直ここまで歩くとは思わなかった。普段なら大丈夫だが、食事も摂っていなかったし、昨日の今日のことだ。痛む足を何となくいたわりながら、リンは答えた。

 そんなくたびれた様子のリンにに、八鶴は苦笑しながら冗談めかすように言った。


「うちに来るまでにこんな様子じゃ、そのままとり殺されるぞ」


「とり、なんだって?」


「入ればわかる。……ただいまー」


 と、八鶴が玄関を開けて声をかけたその瞬間の出来事だった。


「にぃちゃんおかえりーー!!」


 と、明るい声と共に、何か白い塊が、ものすごい速さで八鶴に飛び込んできた。……ように、リンには見えた。


「あぁ、ただいま」


 その飛び込んできた白い塊を八鶴は余裕で受け止めて、勢いを殺すようにくるりと回ると、それを地面に下した。ぴた、と、それはリンと目が合うと少し止まって、不思議そうに八鶴を見上げて尋ねた。


「にぃちゃんこの人誰ー?」


「めじろ。ごあいさつ。お父さんのお客さん」


 めじろ、と呼ばれたその白い塊は、白いシャツを着た六、七歳ほどの子供だった。ぱっちりと開かれた瞳には、見慣れない人物への好奇の色が滲んでいる。


「つみたにめじろ! いちねんせい!」


「……夏芽、リン」


「りん。ね! りょうかい!」


 その存在全体から溢れ出る快活さに気圧されながら、リンもつられて自分の名前を名乗った。めじろ、と名乗ったその子は、日に焼けたのか小麦色の肌と、ぱっちりとした瞳、肉付きの良い身体と、健康が人の形をしているような子供であった。

 めじろは、突然やってきた客人に目を輝かせていたが、ふと、目を輝かせながらリンの背後、背負っていたギターケースが気になったらしい。興味津々と言った様子でリンに尋ねてきた。


「ところで、それなぁに?」


「これ? ギター、だけど……」


「初めて見た!! ね、ね! 触って良い?」


「えっ? いや――」


 と、言うと同時にぬっと小さな手が伸びてきた。反射的にリンはそれを庇うように後ずさった。そして、後ずさった後に気付く。何を、自分はそんな怖がっているのだろうか。


「んー?」


 そんなリンの行動に、めじろも不思議そうに首を傾げていたが、その中、こつん、と八鶴のげんこつが優しくめじろの頭に乗っかった。


「こら。聞く前にそうやって人のものに手を出さない。……にぃちゃんはこれからお父さんの所行くから。夜ご飯はちょっと待ってて」


「はーい! ねーねー! つばめーー!! しらないひときたーー!!」


 さして八鶴の注意を気にする様子もなく、そういってめじろは物凄い速さで家の中へと消えていった。

 リンは、もはや人かも判別がつかないほどのエネルギーの塊に半ば唖然としてた。もはや、可愛いとか、自己紹介ありがとうとか、そんな気の利いた言葉など全く出てこず、なにか凄いことが起きたとしか言えないような、そんな一瞬だった。


「すまなかった。あとでもう一度言い聞かせるから……。……あの子が、めじろ。双子の姉」


「は、はぁ。双子の」


「さっき呼んでいたつばめが双子の弟だ。食事の時にもう一回話そう。……おれの言っていたことがよくわかったろ?」


 と、自分にそう説明する八鶴の横顔が、リンにとってはより印象的だった。八鶴は、自分よりもずっと背が高く、一言一言が決して柔らかいわけでもないから、リンは変に委縮していた。けれど、家族についてリンに語るその顔は、心の底から、芯の部分まで優しさで溢れているような、暖かい表情をしていた。

 家族を、そんな風に優しく見る人間を、リンは今まで見たことがなかった。


「……さて、嵐も去ったことだし、貴文さんの所へ案内しようか。リン、君も知りたいことがあるだろう?」


「えっ、あっ、はい! 助かります」


「さ、入って」


 言われるがまま、玄関から家に入る。八鶴はまず、持っていたバスケットボールを靴箱の上に置いて、くたびれたスニーカーを隅にやった。リンもそれに倣うように、履いてきた靴を隅に置く。

 その家、雀鷹谷(つみたに)家はその外装とは裏腹に、床はフローリングで、リンは若干面食らった。廊下の壁には、例の双子が描いたのか、落書きや絵が数枚ほど飾られており、少し通った所に、台所と食卓があった。

 洗面所で手を洗ったあと、リンは妙に静かな二階へと案内された。

 ふと、そのまま二階に足を踏み入れた途端、妙に濃い消毒液の匂いと、どこからともなく、定期的な電子音が聞こえて来た。なにか予感めいたものがして、


「……その、」


 と、リンが口を開けた瞬間、八鶴は何かを押し殺すように、真顔で、そして早口にかぶせるように言った。


「数年前に持病が悪化してな。こんな田舎だから、病院に通い続ける訳にもいかないし、在宅医療なんだ。……貴文さんは根っからの学者なんだ。気にせず、色々と聞いて、話してほしい」


 そう、先に言われてしまった以上、リンはこれ以上何か気を遣うのもなんだか失礼な気がして、案内されるがまま、二階の奥の部屋、匂いと、電子音の大本へと向かった。

 部屋に入る前、八鶴は扉をノックして、その部屋の主である貴文に声をかけた。


「……貴文さん、おれです。開けますよ」


「いいよ、八鶴。入っておいで」


 戸の向こうでくぐもった、落ち着いた、優し気な低い声音がそう返す。八鶴が扉を開けた。


「こんな時間だけど、おはよう、八鶴。……それと、君がまねかれさま、かな?」


 部屋は、混沌という表現がふさわしい有様をしていた。まず、床や棚に本や紙束が散乱して、ぎゅうぎゅうに詰められている。それだけで気圧されるというのに、その部屋の真ん中に、無機質な白いベッドが鎮座して、そこに上体だけを気だるげに起こした、貴文という人物はいた。

 顔を見ただけでも、げっそりと痩せているのが分かった。リンよりも、より細い腕から延びる管が痛ましく映る。しかし、心は病に負けていないと言いたげに、その瞳の目力はそこらの人と遜色ない、むしろ、より強く映った。

 ベッドの脇には、おそらく医療機器であろう、これまた白の機械がずらりと並んでいる。そしてその部屋に差し込む、一筋の橙色の夕陽。リンは少しめまいがしそうだった。


「えっ、あっ、はい。夏芽リンです」


「ようこそ。散らかってて悪いね……。八鶴、椅子を。それと、もう大丈夫だからね」


「はい。……薬、飲むのを忘れないでくださいね。じゃあ、リン。話が終わったら、食卓に来てくれ。場所はわかるか? それと、ギターは?」


「ギターは、大丈夫ですけど……、えっ?」


 急に知らない大人と二人きりにされるのは予想していなかったので、リンはたじろいで八鶴を見上げた。そんな、失礼とも言われかねない状態でも、貴文と呼ばれた男は茶化すように笑って言った。


「大丈夫。別にとって食べたりはしないさ。混乱するのも無理はないけどね」


「えっ、あ、スンマ、セン……?」


 リンがそう受け答えをしている間に、八鶴はてきぱきとリンの分の椅子を用意して、そしてあっさり立ち去ってしまった。そんな、色々急な展開に、リンは少しの間、ただただ居場所を定めることが出来ず、棒立ちしていた。

 その間も、なんだが人をじっくり見るのも悪い気がして、ちらちらと散乱している紙束やら、本の表紙やら、医療機器やらに目を逃がしてしまう。


「気になるかい?」


「あ、いや。そんな」


「何度も言うが、緊張しなくていい。……そう言っても、逆効果かな? まぁ、ひとまず座って。楽にしていい」


 貴文に促されるまま、リンは用意されたベッド脇の椅子に座る。未だ緊張が抜けきらないリンの様子を慮ってか、貴文は少し笑って言った。


「先に、君の疑問を解消しておこうか?」


「えっ、いいんですか?」


「落ち着かないと、そう顔に書いてあるよ」


「す、すんません……」


 いいんだ、いいんだ。とまた、貴文はほぐれた笑みでそう言った。リンも、なんだか必要以上の固さは取れたような気がした。

 疑問。……すこし、多すぎて整理がつかない気がするが、まず、気になった単語について尋ねることにした。


「まねかれさま、ってなんですか?」


「……突然響に現れては、ふとした瞬間に去ってしまう人のこと。まれびと、とは少し違うだろうね。あれは神性を持って、本来見えないものだ。君は、どこかから来た、ちゃんとした人間、だろう?」


 コクコクと、その質問にリンは黙ってうなずく。


「神隠し、にしては、それはそれで不思議だ。もちろん神隠しにも、本人が神隠しにあったと主張するケースもあるけれど……。この状態は、まるで、どこかから人間を連れ去った神が、響に()()()()をしているかのよう――」


 質問、から飛んで貴文の話が広がって、追いつけなくなったリンは目を白黒させながら、質問を投げかけた。


「あの……、それってつまり、なんですか?」


 貴文は、はた、と話すのを辞めて、情けなさそうに肩を竦めて笑った。


「あぁ、すまない。……とにかく、ここ響に出られている時点であまり実感はないだろうけれど、神隠し、という認識で問題ないと思うよ」


「神隠し……」


 文字通り、不思議な感覚。何度も神隠しにあったとそう言われても、実感は全く湧いてこない。むしろ、その実感のないまま、そういうもんか、という奇妙な納得のようなものばかりが積み重なる……。


「帰りたいのかい?」


 ふと、思考の渦に呑まれそうになったリンに、貴文がそんな言葉を投げかけた。きょとん、とするリンに、貴文は続ける。


「これも、私の研究の一環だと思って、ね? どうなんだい」


 帰りたいか。そう投げかけられて、正直に出た言葉は、


「……分かりません」


 という、淡白な言葉。

 しかし、貴文はそんなリンの様子を見て、怒ったり落胆したりはせず、ただ笑った。


「そっか……。実は、かつて君と同じように、響に突然やってきて、また去っていった男の話が残っている。彼は、神に和歌を捧げた所、無事に帰れたらしいけどね。……これは、一種の歌徳説話だろうが、参考と理解のために」


「それは……、俺が、ギターを持っているから話したんですか?」


 どんな反応をすれば良いか分からない貴文の話に、リンは戸惑いつつそう尋ねた。


「まぁ、一応ね。手ぶらで返すのは何か悪いし、君にだって、帰りを待つ親御さんくらいいるだろう?」


 リンは一応、目を伏せながらも返事をした。


「えぇ……、まぁ、はい」



 頭をぽりぽり搔きながら、階段を降りると、ふと、卵焼きの甘い匂いがした。

 貴文の質問は、リンにとってよく分からない質問ばかりだったが、正直に答えた。出身地や、家族の事も。ただ、龍樹の話だけは、勝手にペラペラと話すのもためらわれたので、少しぼかして答えた。

 質問に答えている間、リンはふと龍樹との約束の事を思い出して、少しだけ冷や冷やしたが、まだ、外の様子を窓からのぞく限り、時間は大丈夫そうだ。


(ごちそうになるの、悪いけど……、代わりって言ってたし、腹、減ったしな……)


 と、半ば投げやりになりなら、匂いの元である食卓へ向かおうとした、その時だった。


「あの」


「うおっ」


 誰かに声をかけられる。声の主は、通りかかった洗面所の奥、目線の下にいた。


「……あー、えっと、つ、つばめ…………?」


 その子は、玄関先で出会っためじろと、顔は鏡映しのようにそっくりであったが、その立ち居振る舞いが、あまりにも対照的すぎて、初対面のリンでも誰だかわかることができた。

 具体的には、つばめは洗面所の棚の物陰、それも結構遠くから、こちらを警戒し、覗き込むようにして視線を飛ばしていた。


「……その、にぃちゃんと、ねぇちゃんが」


「兄ちゃんと、姉ちゃん……八鶴と、めじろ?」


 リンがそう尋ねると、つばめは首を横振る。


「ちがう……、やつる、にいちゃんと、みつるねぇが、」


 と、つばめが言い切る前に、


「だからどうして部活を辞めたの!?」


 聞いたことのない女性の怒号が、家中に響き渡った。


「は? 何事?」


 思わず言葉が小声に口から漏れ出した。声は、八鶴が待っていると言っていた食卓から聞こえてくる。とっさにそっと、息を殺して耳を澄ませる。


「別に辞めたわけじゃない。引退したんだ。才能も無かったからな」


「学年上がりたての三年生が引退? それも県大会の決勝まで行ったチームのエースが?」


「チームの問題は解決してる。それに、別に不思議なことでもないだろう」


「就職組でも進学組でも夏までは部活をするのがうちの学校では普通でしょ。……適当なこと言わないで」


「なら、夕飯の時間を伸ばしてまで、わざわざ分かりきってる事を聞くな。ふたりを待たせているし、今日はお客さんも来ている」


「分かりきっている事を聞くなって……! うちの状態なら私も痛いほど分かってるわよ!! 今聞いてるのは、それでなんであんたが部活を辞めなきゃいけないってことでしょ!?」


「……それをここで言わせるつもりか?」


 言葉は帰ってこず、代わりに、ゴッ、という鈍い音がした。状況が飲み込めずに廊下でそのまま突っ立っていると、食卓の方から、八鶴と同い年くらいの少女が、眉間にしわを寄せて、赤くなった右の拳を握ったまま速足でこちらに向かってきた。

 おそらく彼女がみつるねぇ、だろう。きっとした目じりの上に、黒縁の眼鏡を掛けている。背丈は、若干リンよりも高いくらい。どこか面影にめじろとつばめに似たものがあり、そして、貴文にもよく似ていた。


「あっ……っす…………」


 コクコクと鶏のように首を振りながら会釈して、その少女に道を譲ると、彼女はリンを一瞥して、その明らかに不機嫌そうな表情のまま、


「……ごめんなさい」


 と、全然そう思ってなさそうな声音でそう言うと廊下の奥へと消えていった。

 

「…………」


 言葉を失ってただ固まっているリンに、つばめはぼそり、と小さな声で言った。


「やつるにぃとみつるねぇ、最近いっつも喧嘩してる。めじろは、無視してれば良いっていうけど……、ごめんなさい。リン、さん、まねかれさまなのに」


「は、はぁ……。別に、俺は大丈夫っつーか……、いやぁ……」


 と、自分よりも幼い相手に気を遣わせて申し訳なく思いながらも、気の利いた言葉などリンには思いつくはずもなく、もごもごとしていると、


「悪かった、つばめ。それと……、聞かれてしまったか……。リン。申し訳ない。居づらかっただろう?」


 と、つばめを呼びに来た八鶴と、リンは顔を合わせて、そして、またもや言葉に詰まってしまった。

 左頬が、腫れて真っ赤に染まっている。さっき、みつるねぇに思いきり殴られたその跡だろう。だが、本人はそれを痛がる素振りをするどころか、ただただ申し訳なさそうに表情を歪めるだけだった。


「い、いや、まぁ……」


「……ここから食事、という訳にもいかないな。少し歩けば、コンビニがある。奢るから、すまない。今日は帰ってくれないか?」


「分かり、ました……」


 リンとしても、この空気で食事をするのはどうしたって居心地が悪いし、部外者の自分が長々居座るわけにもいかないというのを肌で感じていたので、その提案を受け入れた。


「にぃちゃん……」


「つばめ。……悪いけど、めじろと三鶴を呼んで、先に夜ご飯、食べてくれ」


 優しい手つきと表情で、怯えているつばめの頭を八鶴は優しくなでて、そう言い聞かせた。


「……じゃあ、行こう。少しある歩くから、気を付けて」


「あ、えっと、つばめ。……じゃあね」


「うん。リンも、じゃあね」


 リンは、八鶴に連れられて、雀鷹谷家を後にした。


〈続く〉

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