16.役立たずどもの、役に立たない音楽
必死に駆けずり回って、だが、何もできずにベンチに下げられる。言い訳はできない。俺とあれだけ駆けずり回ったってのに、未だ、羽が生えたように、兎が野原を飛び回るように、自由にコートを走り回れる人間がいるから。俺に、ただ能力が無かっただけ。ただ、それだけ。
差を見せつけられて、けれど、視界に逃げ場などない。あのようにはなれないと、どこかで察して、また、どこかでそれを否定する。
夏は嫌いだ。くそったれの青空。一日中の練習のなかで、いったいどれだけ差を見せつけられて、それを否定するために走らなければならなくなるのか。
こんな経験を、人生のどこかで消化できるとは思えない。頑張ったんだね、とか、青春だね、とか言われたら、自分でもどうなるか分からない。殺してやりたくなる、かもしれない。
他人に勝手に、自分の苦しみを美化される。想像しただけで、暑いはずなのに鳥肌が立った。苦しみは、どうあっても苦しみのままだ。
今は、休んでいるだけ。ただ暇つぶしをしているだけ。治れば、いつか……。
いつか、どうなるってんだ?
履きなれたスニーカーの靴ひもを結ぶ。脇に置いてあるのは、タオルと水筒の入ったエナメルバックではなく、自分で直した元ガラクタのギター。
壊れて、でも直ってコイツは自分の役割を果たしている。膝は、治りつつある。その先は、想像したくなかった。
祭りを目前にして、街が、学校が色めき立つ。響魂祭のスケジュールは、午前中は文化祭、午後は地元のお祭り、らしい。らしいってのは、自分はそう言った行事に参加したことが無かったから。その時間も、ひとりで練習していたから、知らない。
生まれてからずっとこの街で生活しているのに、高校二年生にもなって、地元の祭りの実情を知らないなんて、それもそれで情けない話だ。
いつも通過する校庭は、それはそれは凄いことになっている。生徒の立てる屋台がひしめき合う。いつもは土色の校庭が、今日だけは彩られている。色鮮やかな屋台の天幕、制服を着崩して祭りを満喫する同級生や先輩、後輩。
この街にこんなに人が居たっけな、と、思わず考えたくなるほど騒々しい。人の話し声、歓声、どこかで流されている音楽、物の動く音、何かの焼かれる音。蝉にも負けない、人の営みの音。
そんな空間に、ふざけた青さをした空に悠々と浮かぶ太陽から、容赦なく光が降りそそぐ、あらゆる色の彩度を一つ上げているように。この場合、輝度、か?
自分がこれだけぬぼーっとしているのは、それはそれで浮いている気がして、なんだか居心地が悪い。楽しみ方とか、知らないし、習っていない。習っているとしても、忘れてしまっている。
人の流れから逃げるように動いて、どうにか、校庭の隅に落ち着いた。合流場所は、機材の置いてある階段の踊り場、でいいいんだっけ。時間はまだ少しある。俺や先輩はともかくとして、アイツら不思議の三人組は大丈夫かよ。
そう考えて居ると、スマホが鳴った。非通知。一応出てみると、見知った声がした。
「もしもし、聞こえるか、介?」
「先輩? 携帯、持ってないんじゃないんですか?」
「あ、あぁ……。これは、公衆電話からなんだ」
「いい加減スマホ買ったらどうすっか。リンと龍樹が失踪した時もめんどくさかったですし」
「ば、バイト代が貯まったら……」
「はい。来年っすね」
「そう……、あっ、違う! 伝えたいことがあるんだ!」
「なんすか」
そう尋ねると、先輩が時間に詰め込むよう、早口で言った。
「屋上の鍵の事なんだが、ちょっと三鶴のクラスの企画を急遽手伝うことになってな。鍵を取りに行けるか怪しいんだ。代わりに頼みたい。集合時間には間に合わせるから。もし、間を縫えたら自分も――」
そこで、電話が切れる。ケチって少額入れたな、と、すぐに分った。鍵の要件は了解した。時間が来たら、そうしよう。
……と言っても、やることはない。時間もあったので、少しぐるっと学校を一周してから鍵を取りに向かうことにした。
焼きそば、射的、ヨーヨー釣り。校舎に入れば、お化け屋敷、輪投げ、ピッチング体験……。まぁ、特に目を引く意外性のある企画も無ければ、興味をそそられるものも無い。フツーのお祭り。
少しだけ、同じような運動部の人間が、祭りを楽しんでいる姿をみると、胸が痛んだ。お前らのそういう時間、人間関係、全部犠牲にしたのに、ダメだった。そんな事実がのしかかってきた。
才能のある人間は、そういう事を楽しみながらも結果を出す。ない人間は、そういう事を全て犠牲にしても、何もない。
祭りを楽しんでいる彼らに、嫉妬や蔑視が無いと言ったらウソになる。けれど、そういった楽しみをしっかり楽しめた道には、また別の、そしてそれなりの価値があることも、同時に分かっていた。
何事にも根本にある、楽しさ。けれど、楽しめる、それだけにも覚悟や素養が必要だ。背負ったギターを思わず確認した。
親父の仕事を見ていたから、修理のイロハは理解しているつもりだし、実際複雑と言われる楽器やアンプ類の修理が出来たのだから、まぁ、それなりと言ってもいいだろう。
でも、楽しくはなかった。
命を吹き返した楽器を見て、役割を取り戻す機材たちをみて、達成感がなかった言ったらウソになるが、それこそ、無邪気にボールを追っていた時のような、あの楽しさは感じなかった。
じゃあ、ギターは?
自問して、答えに窮した。分かりたくなかった。考えたくなかった。これはただの療養中の暇つぶし、ただ暇だから付き合っているだけ。そういった建前だけが、流れを押しとどめるダムみたいになっているのは、理由がある。分かっていた。
つっかかり。誰に対しての?
言われた通り、楽しいを追求して曲を完成させたリン?
その才覚と知識で自分らを教えて導いた貴虎?
それとも、よーいどんで楽器を始めたのに、あっさりとドラムを演奏して見せた龍樹?
違う。分かっていた。……時間だ。鍵を取りに行こう。
職員室周りとその中は、祭りのどんちゃん騒ぎとは対照的に静寂に満ちていた。言われた通りに鍵をとる。文化祭、楽しんでと言われた。空っぽの返事しかできなかった。
職員室を後にする。と、それと同時に、
「介! あ、先にやってくれたか、ありがとう」
先輩がやってきた。相変わらず、まぶしい人だ。こんな田舎の高校にはもったいないくらいの人。
「はい。先に、機材とか準備しとくんで、ごゆっくり」
「ありがとう。助かる。それじゃ――」
「先輩」
呼び止められて、驚いたように眉を上げてこちらを見る。乾いた唇を舐めた。
「俺、やっぱりあなたの事が嫌いです」
自分の発した言葉が、静かな廊下に響いて消える。
「才能があったのに、関係ないように別のものに夢中になれるあなたが嫌いです。葛藤があったはずなのに、新しいものをすぐに見つけたあなたが嫌いです。それで、何事も無いように幸せなあなたが、嫌いです」
そうやって、かもな、みたいに肩を竦める仕草も嫌いだ。
「あなたはしがみつくべきだった。たとえ、それがあなたの本意じゃなくなったとしても。俺たちのために、あなたは破滅しながらでも、不幸になってでも、バスケにしがみついて欲しかった。その輝きで……、あなたが見えなくなってしまえばよかった。あなたのことを知りたくなかった。俺たちを、殺してほしかった。諦めさせてほしかった……」
先輩は、悲しそうに眉を下げながら、情けなく笑った。自分に向けられた憐みの笑みではなく、本当に、心の底から自分の不出来を恥じるような、そんな笑みだった。
嫌だ。この人は、どうして、こうも完璧にみえるのか。
先輩は、困ったように悩んで唸った後、優しい声音で言った。
「家族の将来を捧げて、家族と共に過ごせる時間を捧げて、あるだけの金を捧げて、本当に、おれの全てと言う全てを捧げたとして……、そうして得たものって言うのは、どれくらいの価値があるんだろうな。
それは、家族を見切って背を向ける苦しみに、あらゆるものを手放す時の痛みに、そして、別の選択の、その先にあったはずの幸せに、本当に見合うだけのものなのだろうか。
……もちろん、正確にわかるはずがない。苦痛も未来も比べようがない。もしかしたら、おれの選択はとんでもなく愚かなのかもしれない。別の、最善の選択肢があったかもしれない。でも、それだって結局分かりっこないだろう?
おれは、家族と過ごす時間を選んだ。ただそれだけの話だ。才能を発揮するのが幸せだ、上手くいくのが幸せだ、身を立てるのが幸せだ……。それは、他の幸せをあまりに軽視し過ぎていると思う。今ここにある幸せを抱きしめたって、間違いじゃないんだ。……正解だってないんだから」
「…………」
「……すまん! 話過ぎたな! 時間も……、あ、まずい。一旦、戻るよ。ごめん! また、屋上で!」
そう言って、忙しそうに走って消えていったあの人の背中を、じっと見ていた。
……確かに、時間も迫っている。きっとあの三人も、集合場所にいるだろう。急がないと、だな。
「急がないと、か」
自分で思い浮かんで、自分で言って、思わず自分で笑ってしまった。まさか、そんな風に思うとは。そこまで優先順位が高いとは。
屋上への階段に向かう。ここからだと、四階分の階段。
膝を曲げてみる。まぁ、動く。走れる。
深く息を吸う。そして、校舎の床を思い切り蹴って、駆け出した。一段飛ばしで、跳ねながら、走りながら階段を駆け上がる。
息が上がる。そんなのどうでもいい。膝が痛む。それもどうでもいい。揺れるギターも、握ってる鍵も、全部無視して、階段を駆け上がった。
「おーっす……って、そんな走るほど!? どうした!? 何をそんなに!?」
貴虎が驚いて叫ぶ。都合がいい。俺は貴虎の肩を両手で思いきり掴んだ。
「……なぁ貴虎、……賭け、しようぜ」
「は、はぁ? なんだよ、突然」
「十年だ。……十年後も、俺がギターを続けてるかどうか。俺は、続いてる方に賭ける」
「それ……」
「お前は? どっちに賭ける?」
そう聞くと、貴虎は少しだけ考えたあと、呆れたようにため息をついて、
「賭けになんねーよ」
そう言って笑った。
「お前の知らねぇ技法、未だに出来ねぇ技法。出会った事ない音楽、山ほどあるんだ。人生全部突っ込んでも足りるワケねぇだろバーカ。十年後どころか、百年後だって続けれるさ」
「はっ、言っとけ」
そう吐き捨てて貴虎から手を放す。未だに状況が飲み込めないリンと龍樹の二人を抜かして、屋上の扉に立つ。
「待たせたな」
そう言って、鍵を回して扉を開けた。
目の前いっぱいに、今にも手が届きそうな空が広がっていた。
◇
柵のない屋上の、申し訳程度の高さのへりに足をのせて、真下をのぞき込む。リンはなんだか不思議な気持ちで、足元の校庭でうごめく人々の流れを眺めていた。
「……どうしました? 高い場所、そんなに気になりますか?」
「ん、いいや。そーゆーのじゃないんだ」
龍樹に話しかけられるのに焦って、リンは慌ててそう答える。
機材の設置が終わって、今はそれぞれが、それぞれの楽器を調節している時間。いち早くギターのチューニングやらを終わらせたリンと、前日の準備が効いたドラムの龍樹の二人が、一番最初に暇になった。
空に近く、立っているだけで頭と肩が焼けそうになるのに、リンはやけに落ち着いていた。実感がない、あれだけあくせく動いていたのに、不思議な話だ。
「……これだけのお祭りで」
ふと、龍樹が口を開いた。
「リンさんの演奏を真面目に聞いてくれる人は、一体何人くらいいるんでしょうね。百人? 十人? もしかしたら、一桁居ればいい方なのかも」
「……しつこいぞ。それで良いって、何回も言ったじゃんか」
呆れ気味にそう龍樹に釘をさすと、そうじゃなくて、と、首を横に振りながら龍樹は言った。
「その中の一人に、リンさんにギターを教えた、あの人が居るかも、って、考えたりしませんか?」
「…………」
予想だにしていなかった質問に、一瞬戸惑う。世界は広いが、世間は狭いと言うらしいし、もし、何かの偶然で、何の巡り合わせで、あの人が、この祭りにいるとしたら。リンは少し考えて、素直な自分の考えを口にした。
「うーん……。なんだろう? 別に、どうでもいいかも」
「そうですか?」
意外そうにそう尋ねる龍樹に、リンは首肯する。
「そりゃ、居て、聞いてくれたら嬉しいだろうけど……。でも別に、居なくてもがっかりしないよ。居ないことが前提、ってのもあるかもしれないけど……、どうだろう……」
「そりゃ、お前が独り立ちしたってことだろ」
リンに、貴虎がそう言葉を投げかけた。そう? と、リンは首を傾げた。
「先生から教えてもらったギターの技術と、貰った作りかけの楽譜。そいつら全部と向き合って、受け入れて、自分のモノにしたんだよ」
うーん? なんだか、分かるような、分からないような気がして、リンはもっと悩んだ。
「それって、なんだか寂しいような気がする、か?」
続いて八鶴が、リンにそう尋ねた。その質問に、リンは頷く。
「でも、あの人のこと、忘れたってワケじゃないし……。あの人のモノはあの人のモノだし……」
「めんどくせー。別に、それこそ無理に考える必要ねぇだろ。そうなれた。それでおしまい」
呆れたように介が無理やりそうまとめる。いつの間にか五人が、もうそれぞれ揃っていた。
「あれ、もうそんな時間?」
「まぁ、まだちょっと早いけど」
スマホを見て貴虎がそう答えた。そして、しばしの静寂。
「…………」
「………その」
「なんか……」
「あのー……」
「え、何?」
何か言いたげな四人の沈黙に、リンはたじろぐ。その反応に、それぞれが呆れたように、らしいなというように、ため息をついた。
「こういう時、なにか言うのがリーダーの仕事だろ」
貴虎がそう言うのを、残りの三人が頷いて肯定する。
「えっ、そうなの? そんな突然言われても……」
「ほら、前に私に言ったみたいにカッコいいこと言ってください」
「無理にとは言わないが、おれからも頼む」
「無いなら無いでいいから。さっさと始めろ」
「えぇ……、えっと…………」
少し、考える。振り返れば振り返るほど、なにかが溢れてきそうで、そんななにかを、頑張って言葉にする。
「……ありがとう。僕を助けてくれて。僕と、一緒に居てくれて」
「はい。どういたしまして。こちらこそありがとう」
八鶴は笑ってそう答えて、
「決まらねぇー……」
呆れたように貴虎は肩を落とし、
「いい転機になった。どうも」
介はさっぱりした顔でそう言った。
「……感謝したいのはこっちの方です」
最後に、龍樹が泣きそうな顔でそう返す。
「じゃあ、始めようか」
リンは笑って、息を吸った。
〈続く〉




