17.その音が消えるまで
別に、死ぬつもりじゃなかったんだけどなー……。
児童福祉担当のカウンセラーと話す度に、俺は内心苦々しい思いで、そう吐露したくなる。でも、言っても信じてもらえなさそうだから、黙っている。
まぁ、俺がもし、そっちの立場だったら信じないと思う。数か月間失踪した家出少年が、ライブをした後、屋上から飛び降りるなんて、それはもう、そういう案件そのものじゃないか。
聞くところによれば何でも、俺はどうやらはしゃぎすぎて、演奏を終えると同時に、そのまま屋上から足を踏み外して落ちてしまったらしい。
……らしい、というのは、俺にはほとんどの演奏中の記憶がないから。上手く弾けたのか、周囲の反応はどうだったか、そんなに覚えていない。結果として、記憶はあやふやのまま、確かに体は全身打撲に、色んな所を骨折という不思議な状態になってしまった。
それで始まった初めての入院生活は、ギターが無いうえ暇で暇でしょうがなく、食事だっておいしくない。それに加えて「自殺しようとした」という前提ありきのカウンセリング……。気が遠くなる、とはまさにこの事かもしれない。
入院している間、先に来たのは家族ではなく警察だった。難しい顔をした、のりでパツっとした制服で身を包んだ大人と話すのはちょっとびびった。親切な人に助けられたこと、そこで一旗揚げようとしたこととか、あっているのか、間違っているのかよく分からない話をしたら、あっさりと事件性はないと判断された。
結局、家族は俺に会いに来なかった。でも、俺がのほほんと入院できている、ということは、そういうことなのだろう。別に、そこまで気にならない。
灼熱の外と比べて、冷房の効いた涼しい部屋で、最近はぬぼーっと、窓から見える景色を眺めている。
少し前に、暇つぶしとして看護師の人から読書を進められたので、本を読み始めようとした。白い紙に、黒いインクで書かれた記号。なもに、楽譜と違ってどうしてか、読み始めると眠くなってしまうから、諦めた。
そうやって一日の大半をぼーっとして過ごしていると、なんだか、あの日響でライブをしたことが、さらに、数か月間響で過ごしてきたことが、何か嘘の事のように感じる瞬間がある。
そうなるたびに、頭に焼き付いたあの人の、そして自分が作った曲を思い起こして、やっぱりギターが無いことに辟易する。ギターがあれば、少しはこの生活がましになるってのに。
そうして、病院の中で日々を過ごしていた。
ある日、カウンセラーの人からこんな話を聞いた。十字路で悪魔に魂を売ったとされる、ギタリストの話。彼は、とんでもない名声の代わりに、27歳の若さで死んでしまったらしい。
君もそう言うのに憧れたの?
そう聞かれたので、素直に答えた。
いや……、別に?
しっかし、十字路で悪魔に魂を売った、というフレーズはなんだか印象に残るな。さしずめ俺は、田舎の辻で神様に誘拐された。みたいなものか。うん。全然対応してない。やっぱダサいからやめておこう。
別の日の事。その日もまた、うんざりするような晴れ。何か起きないかなーとか、適当な事を考えて居たら、それは突然来た。
「おっすー……。うわ、マジじゃん。ホントに入院してら」
貴虎がやってきた。手にはなにやら大きめの紙袋を持っている。
「…………」
「なんだよ。なんでずっと黙ってんの?」
でも、最初、貴虎が来たことがなんとなく受け入れられなくて、思わず呆けてしまった。夢なのかな、とか思って頬をつねったりもしてみた。
「それやる奴いるんだ。初めて見たわ」
呆れたような貴虎の言葉で、ようやく安心して言葉が出てきた。
「夢じゃないんだ……」
「こっちはもう散々だったってのに元凶が夢うつつな状態なのホントムカつく」
それから、ぽつぽつと互いの話をした。
自分が気を失っている間、事故の処理から、取り調べ、注意など、貴虎たちにやはりとんでもない迷惑をかけてしまっていたらしい。それを考えて、思わず肩を落としていると、呆れたように貴虎にため息をつかれた。
「……お前が本当に自殺するつもりだったら、オレがその前にぶっ殺してたさ」
えっ、と思わず顔を上げた。
「まぁ、ちっとは疑ったけど、今日お前と会って、やっぱり違うって思ったよ。良かった良かった」
「え、いや、ぶっ殺すって……」
「あたりめぇだろ。気取って自殺するギタリストだなんて化石みたいなクソつまんねぇマネするような事、オレが許すわけねぇだろタコ」
「あ、有名なんだその話」
「有名も有名。クラシックとかピアノにも、文学、絵画、彫刻……、そういう奴ゴロゴロいる。ホント死ねよな。くだらねぇ」
「死んでるんだよ……」
ケラケラと笑った後、そのまま貴虎は俺を見て、意地悪そうに付け加えた。
「つまんねぇ奴よりも、マヌケな奴の方が何倍もマシだぜ。屋上で足を踏み外すマヌケの方が」
「う……」
反論できずに言葉に詰まった。
「八鶴とかもう頭抱えて、おれがもっと注意していれば……! って。つーか、学校全体の問題にまで発展したんじゃねーのか?」
「やば……」
「ま、柵ない方もアレだし、それを場所に寄こすのもアレだしな」
あーあー、大変。と、他人事のようにヘラヘラと話す貴虎に、ふと、疑問が浮かんで尋ねた。
「そう言えば、他のみんなは来てるのか?」
「あー、来週末みんなで金出しあって、ここまで来るってさ」
「なんでお前は?」
そこで貴虎は、あれ、と首を傾げつつ言った。
「お前には言ってなかったっけ。オレ、東京住みだよ」
「俺、横浜……」
「まぁ、横浜市の病院に突っ込まれている時点で、なんとなく察してたけど……、近いな。毎日来てやろうか?」
いや、いい……、と、その提案を拒否しそうになった所で、ある事を思い出す。
「そう言えば、俺のギターは?」
と、そう尋ねた途端、あー、と、貴虎が急に歯切れ悪くなる。
「な、なんだよ……」
なんだか怖くなってくる。貴虎はしばらく悩んだあと、困ったように首を掻きながら、叱られるのを嫌がる子どもみたいな表情で、持って来た紙袋を手渡してきた。
そういえば、なんなんだこれ。そう思って、袋の中を覗き込んで、思わず言葉を失った。
紙袋の中に入っていたのは、ぐしゃぐしゃに潰れたギターだった。
ネックは折れて、弦は吹っ飛び、ボディは陥没し、別のところに穴が開いている。素人目に見ても、これはもう治らないとすぐに分った。
「……介のヤツが、色々と手を探したんだが、やっぱり、ダメでな」
苦々しい顔をして、貴虎が口を開く。
「お前と一緒に落ちたんだ。そりゃ、まぁそうなる。……でも、何もナシにそのまま地面と激突するよかマシだったんじゃって……いや、なんでもねぇ」
「…………」
貴虎の言葉は、そこまで気にならない。
不思議な気持ちだった。あれだけ一緒に時間を過ごしたものが、あの人の形見が、こんなにも無惨に砕け散って、ショックを受ける気持ちはあるのに。悲しいって気持ちも、確かにあるのに。
「なんでだろう。思ったより、なんか、平気」
「……そうか。別に、お前の代わりに、とか、そんなこと言う訳じゃねーんだけど……」
「分かってるって。大丈夫」
珍しくしおれて言い訳がましく言葉を続ける貴虎を嗜めながら、紙袋からひとつ、手のひらくらいの大きさの破片を取り上げた。
どこの部分かどうかは、分からない。でも、見慣れた模様。慣れた手触り。
「うん。……これさえあれば、あとは平気。もう、大丈夫」
「そっか。……そうかよ」
貴虎は優しく笑って、そう言った。
しばらく駄弁っていたが、やがて時間が来て、貴虎は去っていった。来週末、みんなと会えるのが、少し待ち遠しくなって。一人の病院が、また少し、寂しくなる。
取り上げたギターの破片に、もう一度視線を落とした。これから、新しいギターを弾くことにはなるだろうけれど、新しい曲を作ることになるだろうけれど、それでも、もう大丈夫。もう迷わない、もう投げ出さない。もう逃げない。
懲りることなく、またギターを弾き続けて、曲を作り続けて、音楽をし続ける。自分の居場所を求めて、作るために。それがまた、誰かの居場所になればいいと、祈りを込めて。
それに満足することは、多分、無いかもしれない。死ぬその直前まで、分からないことと戦って、苦しんで、楽しみ続けると思う。それが良い。それが、一番素敵だと思う。
生き続けよう。その音が止まって、その音が消えるまで。
明日は、どんな曲を作ろうかな。そう思って窓を見る。不思議だ。あれだけうんざりするほどの濃い夏に、向こうの秋が、そっと見えた。
〈終わり〉




