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その音が止まるまで  作者: 神永瞬子
四章 居場所
14/17

14.まねくひと

 境。全ての線の上。どこにも属せない、こっちと、あっちの、間。

 神隠しの本質。迷子、自殺、逃亡、誘拐。そのどれも、居場所を失って起きるもの。神様は、万全な人間を招かない。どこか自分に似ている人間を招くのだ。

 不思議な空間。そこに当然のように居て、何でも知っていて、でも、街にはいない、誰も知らない、不思議な存在。


「あーー! 何言ってんのかさっぱり分かんねぇよ! 龍樹が神様!? なんだそれ!! もっと、こう、なんかあるだろ!!」


「それが日本の神様の怖いところってねー」


 自分の動揺と衝撃を、へらへらと笑って受け流されるのは、良い気がしない。ただ、それよりも気になることが他にもあった。


「……で、どこに向かってんの?」


 コンビニで八鶴と介と離れて、貴虎と二人でただただ西に向かって歩く。夕陽は熟れて、そろそろ山の向こうへ落っこちそうだ。すたすたと歩きながら貴虎はその問いに答える。


「異界だってさ」


「は?」


「山の向こう、西方、境界の反対側……。龍樹の場所ってのは、所謂、そんな場所」


「だって……この道、俺」


 と、言いかけて、はっとした。この道の先には、自分が目覚めたあの場所、棄てられた神社があるのに気づく。神社。全てが繋がるようで、すこし、うすら寒い。


「……怖いか?」


「バカいうな」


 にやりと笑ってそう尋ねる貴虎に、ムキになってそう返す。ずんずん道を進む。進めば進むほど、ただでさえない家も、うんざりするほど広がる田畑も見なくなっていく。木々が増えていって、アスファルトだった地面が、踏み固められた土になる。

 そして、山のふもと、石畳の階段の元へ辿りついた。ただただ、ぽっかりと口を開けるように、光のない口のような、それこそ、トンネルのような入り口が目の前にあった。


「……残念だけど、オレが行けるのは、多分ここまでだ」


「はぁ!?」


 声を荒げて貴虎の方を見る。しかしすぐにリンは彼の表情をみて、その発言が自分をからかっているのではなく、本気の物だと分かった。


「オレは、多分お呼びじゃないのさ。元々逃げ込んでここに来た身だ。問題が解決すりゃ、もう用済み」


 あともう死ぬほど疲れたし。と、軽く付け足して、そして寂し気に微笑んだ。それが何だか気になって、リンが、なんだよ。と、口を開く前に、貴虎が先に話し始めた。


「前に、お前、オレに聞いて来たことあったよな。自分が、あの楽譜に居ても良いのか、って」


 そんな事、確かにあった。リンは神妙な面持ちで頷いた。すると、うん、と貴虎は伸びをして、はぁ、とため息をついて、


「あの時は誤魔化しちまったけど、今なら分かるよ」


 そう言って、リンに向き直った。そして、若干遠回りをするように、また、別の話を始める。


「なぁ、リン。どうしてオレら、音楽なんてやってんだろうな」


「は? なんだよ、急に」


 話の脈絡が見えず、眉をひそめてそう尋ねる。貴虎は、まるで何かを隠すように、くるりとリンに背中を向けて、続ける。


「お勉強、あるいはお仕事。時間を無駄にしないような、もっと大切で、高尚な時間の使い方があるんじゃねーのか。特別なことしなくたって、ボタン一つで作曲も、演奏もできるような時代に、どうしてオレらは、わざわざ紙や、インクや、電気も、時間も無駄にして、音楽にかじりついてんだ?」


 貴虎から投げかけられた、考えたことのない途方のない問いに、思わずリンは言葉に詰まった。困って、逃げるように視線を上に上げると、景色が見えた。

 黄昏時。沈みゆく夕陽を背に受けて、自分の、貴虎の、家の、電柱に、木々の、あらゆる影が東に延びる。山の向こうを望んでみれば、夜の紫がやってきている。人のものでも、異類のものでもない、ただただ泣きたくなるような、静謐な時間。


「だとしたらおかしな話だよな、音楽を教えるだなんて。まるで人を不幸の渦に巻き込む悪魔みてぇな所業だろ。音楽に身を投じても、ただボロボロになるだけの可能性の方が高い。価値、意味、みんなに認められるそんなものを手に入れられるのは一握り。そんで、そうやって手に入れた価値も、意味も、先延ばしにした問題の前には、巨大な悲劇の前には、大して役に立たなかったりする」


 貴虎はそう言った。リンは何も言えなかった。その言葉は正しくて、でも、違うと叫びたくて、でも、どんな風に叫べばいいかなんて、さっぱり分からなかった。

 しかし、そんな事実を口にする貴虎の口調は妙に軽やかで、そしてどこか、楽しげでもあった。


「でもさ、リン」


 貴虎が振り返った。笑っていた。夕陽を浴びたその笑みは、しかし、いつもの人を小ばかにしたような露悪的な笑みでも、自嘲的な笑みでもなかった。ただただ明るい少年のような笑みに、リンは固まった。


「オレは、お前に音楽を教えてよかったと思ってる。だって、分かるのは楽しかったろ? 出来るようになるのは嬉しかったろ?」


 貴虎は何かを抱きしめるように両手を広げた。彼の影も同じく、大きく両手を広げる。


「人に何かを教えるってことは、自分の一部を相手に食わせるようなもんさ。お前の中には、ちゃんと息づいているはずだ。例の先生一部が、ちゃんと。教えるってことは、一人じゃできねー。禄でもない関係でもできねぇ。そうじゃねぇんだろ、お前と先生は」


「……うん」


「なら、行って――」


 と、貴虎が言い切るよりも前に、何かが力強く、リンの背中を引っ張った。後ろには階段。ぶつかる! と思って、体を動かそうとしても、動かない。そのまま、リンは闇の中に呑まれていた。



 弦の震える音が、幾重にも重なって暖かい音色を作る。時に軽やかに、時に重く響くそれが、絡み合いながら一つの曲を形作る。

 初めてギターを触らしてもらった時、思ったよりもずっと軽くて、けど、ずっと大きくて、そのままバランスを崩しそうになった。手は届かないし、指先は擦れてピリピリした。でも、初めて弦に触れて、思うように音が出た時、初めて自分は、声を出せたような気がしたのだ。

 丘の上から見下ろす世界は、自分を閉じ込めて無視をする場所より何倍にも広がっていた。弦は止まり、音は空気に溶けて消える。自分はここに居ると、確かに、そう思えた。

 その日から、独りで居ることが怖くなくなった。家にいる時、家中の誰からも無視されても。学校の誰もが自分を避けて歩いても、少しは傷ついたけれど、それでも、前よりもずっと、痛くなくなった。

 それから、音を頼りに日々を過ごした。自分でも時間を数えるのが億劫になるくらいには、ギターと一緒に過ごした。あの人の演奏を聞いて、あの人の演奏を真似して、一緒に菓子パンを分けながら沈む夕日を見た。梅を見て、桜を見て、蛍を見て、銀杏を見て、雪を見た。


 ある日、いつものようにあの人のいる場所へ向かうと、そこにはギターと楽譜が置いてあった。忘れ物かな、と思って、その日は夜になるまでずっとそこにいた。帰る時、ギターを持って帰ろうか悩んだけれど、無理だと思って、後ろ髪が引かれる思いだった。

 翌日、またあの場所へ向かった。ギターは、いつものまま、いつもの場所に置いてあった。その日も夜になるまで待って、誰も来なかった。

 そのまた次の日、雨の予報がでた。ギターが濡れないように、ビニール袋を買ってかぶせて、木陰に置いた。

 次の日も、次の日も、そのまた次の日も、ただ待った。あの人がこのギターを持って帰る日を、ただただ待ち続けた。

 そうした日々を過ごしている内に、やがて、あの人の格好が思い出せなくなった。

 あの人の顔を思い出せなくなった。

 あの人の仕草を思い出せなくなった。

 あの人の声を思い出せなくなった。

 怖くなった。いつ、あの人の演奏が思い出せなくなってしまうのか。

 なにか、何とかしなければ。けれど、周りは信用できない。そこには自分の居場所もない。早くしなければ、時間が、全てを摩耗させて、あの人の輪郭が全て溶け切ってしまう前に、早く……!

 リンはギターを手に取った。そしてすぐに駆け出した。行く当ては当然ない。ただ、ここから離れたかった。



 水……、雨に、打たれている。背中の感触、雨が地面を打つ音と同時に聞こえる、繰り返す波の音。

 リンはふらふらと、しかしはっきりとした意識のまま立ち上がる。瞬く間に全身が濡れる。濡れた肌に、砂が張り付いた。

 がらくたの海岸。いつか龍樹が言っていた、使われなかったものたちの流れ着く場。波にもまれ、飛沫にあてられ、くたびれているであろう彼らにも、容赦なく雨は降る。鈍い雲と、空の色。

 リンは、ただ前に進んだ。砂は水を吸って重く、足にまとわりつく。足がとられぬよう、注意深く、前へ。

 見慣れた日本家屋が現れた。龍樹の家だ。そして、玄関の前で傘をさして、いる。龍樹がいる。上手い言葉など思い浮かぶはずもなく、ただただ歩き、そして、隣に立つ。


「……雨ですね」


 そう、話しかけられる。リンは頷いた。


「雨、だな」


 ふふっと、龍樹は笑う。


「リンさんほど警戒心が高いのに丸め込みやすい人、初めてでした」


「……今でも、よく分かんないことだらけだよ。バカだから、騙されやすいのかな」


 傘をさす龍樹とは対照的に、リンはただただ雨に打たれて濡れていく。互いに、それを気にしたりなどしなかった。


「……では、そんな愚かなリンさんに質問です」


 リンは龍樹に向き直る。傘で、表情の全てはうかがえない。けれど、そこに笑みはないような気がする。


「見られない、読まれない、聞かれない。その存在すら忘れ去られたものたちに、価値は、意味は、ありますか?」


 もっと問いを広げてみましょうか? 傘越しに空を見上げながら、龍樹は問う。


「時代は、常に残酷です。良いものがただただ純粋に生き残るなんて、そんなことはありえない。どれほど素晴らしいものを作ろうと、戦火によって灰になり、災害によって破損し、人によって抹消される。逆に、愚にもつかないものが、単なる幸運で残ってしまうこともある、

 今あなたたちの手元にあるそれは、何も必然としてそこにあるわけじゃない。全ては、偶然。もし、必然を感じるのだとするのなら、それはあなたたちが勝手にそれを見出しているだけに過ぎない」


 残らなきゃ、その手元にも来れないんです。いつの間にか、龍樹は傘を持つ手とは反対の手に、本を持っていた。目を凝らして題を見てみるも、見たことも、聞いたこともない題名だった。


「ねぇ、リンさん。それって、とてつもなく途方なくて、そして無駄に感じませんか?」


 傘の下から、視線が覗く。それを見て、全身に鳥肌が立った。一言で言うのなら、異物感。初めて龍樹と出会った時に感じた、それ。目の前にいるのは、あるのは、人の形をした、もっと別のもの。そう感じる。


「貴方が大切にしている楽譜もそうです。貴方にとって、それがどれほど大切なものなのか、もう充分わかりました。……でも、もう充分です。それもまた、波に消えていく数多の作品のうちの一つにすぎません。何を悲しむ必要があるんですか? 何を、怖がる必要があるんですか?」


 目を閉じて考えた。頭頂部に、肩に、雨がうちつける。ひとつ、呼吸をする。そして、見据える。目の前にいるのは、なんでもない。ただの龍樹だと、そう言い聞かせて。


「……そんなの、つまんないよ。龍樹」


 手を握りこむ。手のひらに、ギターケースの感触がよみがえる。


「消えるか消えないか、それは運だから諦めるなんて、そんなつまらないこと、僕には出来ないよ。……でも、じゃあ何が消えるか、消えないのかを管理することも、多分、出来ないんだと思う」


 肩を竦める。雨が顔をつたう。


「でもね、龍樹。あの楽譜は、僕の居場所だったんだよ。誰にも聞かれなかったその曲が、あの人が書いたその曲が、間違いなく僕の居場所だったんだ。……これが、確かにみんなにとって価値のあるものか、意味のあるものかは、わからないけど」


 まぁ、小さな声で補足するように続ける。


「あの人が僕の為に作ったかどうかは、分からない。でも少なくとも、僕は、ここに居場所を見出したんだ。ここに居て良いのかなって、そう悩むくらいには」


 雨で荒れる波に視線をやった。今は、ただただ途方もなく、うごめく波が見える。


「価値はあるのか。だっけ。ないよ、多分。意味もない。僕はきっとこれからも、貴重な時間を、そんなワケの分からないものに費やしていくんだと思う」


 なんだかおかしくって、思わず龍樹に笑いかけた。


「でも、()()を生み出せるのは僕だけなんだ。誰も代わりに作ってはくれない。僕は、居る。どうしようもなく、ただそこに、ひたすらに居るんだよ。居場所は、自分が作らないといけないんだ。

 ……苦しいけど。辛いけど、独りで」


 龍樹から離れて、ぐるっと大きめに海岸を歩いて見せる。この自分の足元に、どれほどの作品が眠っているか、リンには分からない。でもそれらは今、確かにリンを支えている。リンを立てせている。


「作り出せるのは僕だけで、その居場所を作れるのも僕だけで……。けど、もしそういう人がたくさんいるのだとしたら、それって、寂しくないと思うんだ。

 苦しくて、辛くて、けど、確かに楽しくて、嬉しい道のりを、一緒に歩むであろう、歩んだであろう人が、たくさんいる。

 名前は残らないかもしれないし、世界が求めるような、価値も、意味も示せないかもしれないけれど、そう言ったものの一部にはなれると思う」


「……悔しくなりませんか? 悲しく、なりませんか?」


「うん。悔しいし、悲しくもなると思う。でも、少なくとも僕が居る。今は、それで十分だと思うしかない。だって、もし僕が居場所を作るのを諦めてしまったら、それこそ本当に悔しくて、悲しい事だと思うから。そこに無いものは、有るのに無視されるものよりも、もっと無いから」


 自分で言ってて、リンはなんだか思わずうーんと唸った。そして、気になって肩を竦めて龍樹に尋ねた。


「……これ、ちゃんと答えになってる?」


「…………」


 龍樹は、ただただ沈黙する。雨の打つ音が、二人の間に響く。


「……じゃあ、今度は俺が質問する番」


 リンは、真っすぐ向き直って、龍樹に問うた。


「どうして、俺の事をまねいたんだ?」


 その質問は、すぐに帰って来た。


「……ただの、気まぐれですよ」


 リンは思わず噴き出した。なんだか初めて、龍樹の感情に触れた気がした。


「ホント? 別に、そこまで龍樹の暇つぶしになれたとは思わないけど」


 一歩、リンは歩み寄る。


「……寂しかったって、言っていいんだよ」


 一歩、龍樹は後ずさる。


「……独りで苦しんでた僕に、縁をくれてありがとう。八鶴とも、貴虎とも、介とも、まず龍樹が居なかったら、全部なかったものだから」


 龍樹はまた一歩後ずさりながら、首を強く、横に振った。


「違います……! 寂しくなんか、そんな……」


 一歩、またリンは龍樹に近づく。


「僕はもう、大丈夫。独りは辛く、寂しさは苦しいって分かったから、大丈夫。誰かといるのは、楽しくて、嬉しいことだってわかったから、大丈夫」


 龍樹は一歩、リンから離れようとして、出来ずに詰まる。いつの間にか、家の壁まで追い詰められていた。ただ、傘を立てにして、龍樹を拒む。


「今日からちゃんと、他人を見ます。他人と話し合います。他人を……、理解しようとします。きっと傷つくこともあるし、孤独な日もあるかもしれないけれど、それが癒えたら、またそうします」


 リンは、龍樹の前、傘を目の前にして立ち止まった。顔は見えない。


「人の事を攫って、でも、ずっとは居れずに離れてしまう」


 龍樹。そう呼び掛けた。


「ホントは、寂しいんだろ。流れてしまうものたちを見るのが、悲しかったんだろ」


 リンは続けた。


「きっとこれからも、居場所のないものたちは流れてしまう。もしそれが、悲しくて、寂しいのなら……」


 と、そこで自分で言って、なんだか偉そうに感じて、辞めた。

 違う。そんなカッコつけたみたいな言い方じゃなくて、もっとちゃんとしたのが、他にある。

 リンはとっさに一歩、龍樹から離れた。雨でぬれてびしょびしょの自分の服を、何とか整える。そして、息を整えて、手を差し出して、そのまま、頭を下げた。


「俺と一緒に、音楽してください!!」


「寂しいなら、一緒に音楽をやろう! 俺たちの居場所を作ろう! 誰にも見られず、読まれず、聞かれないものたちを見るのが苦しいのなら、一緒に、そいつらの居場所も作ろう!」


「俺たちの営みは、時間が流れたら無駄になってしまうかもしれない。忘れ去られてしまうかもしれない。でも、それがまた、いつかの、誰かの居場所になるのなら、きっと……!」


「……俺は、お前と、音楽がしたいよ!」



 日が暮れた。毒々しいコンビニの白い蛍光灯と、有るのか無いのかすら判断のつかない街頭だけが、この夜道の明るさを保っている。


「……落ち着かないか?」


「あぁ!? なんだって!?」


「落ち着きが無さすぎるだろ……」


 八鶴の問いかけに、半ばキレ気味に答える貴虎を、介が半ば呆れ気味に抑える。


「あったりめぇだろ……。色々、色々なぁ……!」


「めんどくせ。今朝の潔さどこいったよ」


 ため息交じりにそう罵倒されて、言葉にならない声を上げて貴虎は介に飛びかかる。それを片手で何となく制していた八鶴は、闇の奥に人影が見えたような気がして、一瞬、手が止まった。

 その静止が、もみくちゃになりかけている二人も静止させる。そして、自然と八鶴が視線をやったそっちを見た。

 人影だ。動いている。じっ、とそれを見守っていると、ふと、そこの真上の街頭が、チラッと光った。


「リンと、それに、龍樹……!?」


 目を丸くして言ったのは、誰だったか。言うが早いか、三人は思わずリンと龍樹に歩み寄った。


「えっと……何事?」


 貴虎にそう聞かれたリンは、少し恥ずかしそうに笑いながら答えた。


「詳しいことは後で話すけど……。龍樹が、一緒にバンド、してくれることになったんだ」


 残りの三人が三人、思い思いに驚いて言葉を取り落とした。しかし、リンは龍樹が協力してくれる喜びか、それに気づかず、トントン拍子で話を進める。


「……それで、八鶴と、貴虎と、介。三人にもお願いしたくて」


 んん。と小さく咳払いして、リンは三人に頭を下げた。


「俺、あの人の曲を完成させて、演奏したいです……!

 完成させたら、もうあの人に会えないかもしれない。演奏したとしても、もしかしたらその不出来に打ちのめされるかもしれない。……それが怖くて、逃げてた! 本当に、ごめん……!」


 顔を上げる。三人にぞれぞれ視線をよこして、リンは続ける。


「……でも、そうだとしても、受け入れたいんだ。可能性に逃げるのは、もうやめる。これは、あの人の曲で、でも、それと同時に俺の居場所でもあるから……。

 俺が、完成させて、手放してあげたいんだ……!」


 お願いします! と、そうやってまた、リンに頭を下げられた。

 突然のこと、唐突さで言葉を失っていたが、やがて、最初に貴虎が口を開いた。


「……お前を焚きつけたのはオレだぜ。その責任くらいはちゃんととるさ。……オレも、あの楽譜の先が見たい」


 貴虎が、リンの隣に立つ。その様子を見ていた介も、ひとつ、自分を落ち着かせるようにため息をついて、そちらへ歩く。


「乗った。……どうせ暇だしな」


 そして、最後に残ったのは八鶴だった。四人の視線が、いっぺんに八鶴に注がれる。

 八鶴は、しばらく考え込むようにして黙っていたが、やがて、ひとつ大きなため息をついて、リンに尋ねた。


「……おれはズブの素人だぞ。介みたいに楽器に詳しいわけでもない。お前の、そしてその先生の曲を、そんなおれに託すのか」


 リンは力強く答える。


「この五人が良いんだ。……この五人で、やりたいんだ」


「また人ひとり集めるのもめんどーだろ。ぴったし五人。それでオーケーだろ?」


 貴虎がそう脇から付け加える。しかし、それでも難しい顔をする八鶴に、リンが尋ねた。


「……前に、約束した事、覚えてます?」


「……約束?」


 そう聞き返して、少し考えて、そして、あ、と八鶴にしては珍しくマヌケな声が飛び出した。


「俺の演奏、最前線で聞いてくれる、って約束でしたよね……?」


「絶ッッ対にそういう意味じゃねーだろうけどな。ご愁傷様。死ぬ気で教えるから、オレからも頼むわ」


「……俺だって、演奏っつったら素人ですよ」


 八鶴はそう言われて、思わず肩を落とした。何が転がっているか、本当に分からない所まで、いつの間にか来てしまったものだ。


「……わかった。おれも、参加する。色々と世話になるな」


 そう言って、八鶴はリンに笑いかけた。


「……よっしゃ、これで五人だな」


 明らかに浮足だったように、貴虎が口を出す。


「で、どーするよ、リン。パート。オレはキーボード、お前はギター確定として」


 と、そこまで言われて、リンは慌てて話し始めた。


「じ、実は、もう決めてるんだ。……ほとんど、直感みたいなものなんだけど」


 そして、ひとりひとり指さして楽器の名前を言っていく。


「八鶴は、ベース」


「介は、メインギター」


 そして、といって、向き直る。これまでの会話で、黙って気配を消していた彼に、リンは指を指して言った。


「龍樹が、ドラム。……これでいいか?」


「分かった」


「了解」


「…………」


 しかし、しばらく龍樹は黙っていた。四人が四人、見て分かった。いじけている。リン以外の三人は、何があったと若干気後れする。

 この、四人の沈黙に、龍樹はしばらく耐えていたが、やがて、観念したように、ぼそりと、小さく言った。


「……わかりましたよ」


 その応答の大人げなさと、以前までの印象のギャップで、四人は、


「いっ……、いやっ…………、その、すまない……」


「マジか…………、コレが、あのっ……」


「ガキ…………、ガキがいる……」


「ごめ……、やっぱり……」


 やがて、誰かが噴き出したのをきっかけに、そのまま爆笑の渦が出来上がった。龍樹は笑われたことに一瞬怒って何かを言おうとしたが、やがて諦めて、罰の悪そうに肩を竦めるだけだった。


〈続く〉

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