カガンの崩御
天を衝く戦鼓が遠雷のように近づく。土煙を巻き上げ、狼に跨ったオークの軍勢が殺到してきた。決戦はまさに一触即発。その重圧に、息が詰まりそうだ。
羅刹がかつて呟いたように、奴隷文明に千年も縛られてきたこの土地が育むものは、尽きることのない血と涙だけだ。虐げられた者の呻き、屠られた者の絶望は、音もなくこの大地を暗く沈んだ赭色に染め上げた。風が通るだけで、鉄錆と血の混じった匂いが立ち込める。足下のガル・マラカの地は、一寸ごとに千年も乾かぬ血の垢に浸り、死の気配が濃厚に実体をなし、喉を締め付けてくる。
意識が戻った瞬間、俺はいつの間にか、無音のうちに敵軍の陣営の真後ろに立っていた。頭上で太陽が灼けつくように輝き、烈しい光線が降り注いでいる。本来ならば、それぞれの影は長く伸びるはずなのに、不気味なことに、眼前にいる数千の兵士たちの影は、見えない糸に引かれるように、一斉に俺の足元へと流れ込んできた。濃く黒い影が幾重にも重なり、巨大な網のように俺を包み込む。
その一瞬、すべての兵士がその場に凍り付いた。呼吸さえ止まったようだった。次の瞬間、やせ細った青黒い無数の手が、泥土から突然突き出してきた。鋭く尖った爪が、兵士たちの足首や脛を、骨をも砕かんばかりの力で鷲掴みにし、彼らをその場にぴたりと釘付けにした。もがき、唸ろうとも、微動だにできない。ただ、瞳の奥に混乱と恐怖が狂ったように広がっていくだけだ。
隊列の先頭に立つ千夫長は、重厚な鎧をまとっていた。その鎧には、まだ乾ききらぬ泥と血の痕がべっとりと付いている。彼はぎこちなく、硬直したようにゆっくりと首を回した。軋むような「ギシギシ」という音が、錆びついた機械のようだ。俺は彼の瞳をまっすぐに見つめた。そこには、将としての勇猛さも沈着さもなく、ただ骨の髄まで染み渡った恐怖しかなかった。獲物に狙われ、追い詰められた獣のように、瞳孔さえ微かに震えている。その恐怖の気配は風に乗り、生臭い血の匂いと混ざり、ひときわ鼻を刺す。
明らかに、彼らはこの不気味な膠着状態を打破しようとしていた。陣中、獣皮をまとい、顔に奇怪な彩りを施した数人のシャーマンが、たちまち異様な紋様の刻まれた法器を掲げた。法器に埋め込まれた獣牙や骨片が、か細く触れ合う音を立てる。彼らは釘付けにされた兵士たちを囲み、人間の形を歪めた奇怪で狂的な踊りを始めた。口々に呪文のような言葉を唱えている。その嗄れた鋭い声は、深渊からの囁きのように、虚ろな戦場に反響する。
シャーマンたちの詠唱に合わせ、足下の大地が微かに震え、土がさらさらと崩れ落ちた。遠くの山脈から、重苦しい地響きのような轟音が伝わってくる。何か恐ろしいものが、今まさに這い出そうとしているかのようだ。地底からは、赤子の泣き声のようなものが聞こえる。彼らはこれで眼前の怪異を払い、兵士たちの束縛を解き、戦況をひっくり返せると考えているのだろう。だが、彼らは知らない。この茶番は、とっくに終わっているべきものなのだ、と。
俺の足元から、幾筋もの黒い影が静かに浮かび上がった。食屍鬼たちが、極めて速い速度で兵士たちの間を駆け抜け、意志の弱い者の命を正確に刈り取っていく。それらに触れられた兵士は、悲鳴を上げる暇もなく力尽き、見えない力に引きずられるように、ゆっくりと泥土の中へ沈んでいった。まるで、初めから存在しなかったかのように。
そして、土に沈んだ死体は消え去ったわけではなかった。むしろ、無形の力に呼び集められるように、急速に俺の背後で形を成し始める。一体、また一体と。整然と、心臓を締め付けられるほどに。わずかな時間で、無数の頭蓋骨が俺の背後に積み重なった。小さなものから大きなものへ、幾重にも層を成して、小さな山を築く。虚空を向いた眼窩が一斉に対面の大軍を睨みつけ、冷たい死の気配を放ち、身の毛のよだつような不気味さを漂わせている。
この光景を見て、俺は思わず小さく息をついた。この兵士たちの意志は、脆くもろく、一撃にも耐えられない。粗末な鎧をまと い、手にした武器は錆びていて、顔には兵士としての凛とした意思はなく、ただ茫然とした虚ろな表情があるだけだ。国を守る兵士というより、力ずくで連れてこられた農民や奴隷だ――彼ら自身もまた、虐げられた者同士、この苦難の大地で生き延びようともがく人間ではないか。なぜ刃を交え、高みに居座る支配者のために、この同士討ちの犠牲にならねばならないのか。戦場を吹き抜ける風が、嘆きと血の匂いを運び、おの心の底にある言いようのない悲しみをも一緒に運んでいく。
俺は虚空に向かって手を伸ばし、掴む。遠くにいた一人のシャーマンが、ひよこを摘まむように俺の眼前に引き寄せられた。俺は彼の目を見つめ、その過去を読み取った。部隊を率いるのは、この地域で名の知れた千夫長、ヌルという。ヌル(光)か?…その名に反し、民衆を踏み躙るようなことをしている。彼らはこの土地の私設武装のようなもので、死体を集め、子供を攫うことを生業としている。
ふと、俺の視線は彼の腰の太鼓と手にした琴に留まり、瞳孔が思わず縮んだ。心底から煮え滾るような怒りが込み上げてくる。あの琴の弦は、なんと人間の腸でできており、不気味な暗紅色を帯び、軽く弾くだけで凄まじい音を立てる。あの鼓面は、一枚の人間の皮をなめし上げたもので、かすかに肌の紋様と血痕が残っている。そして彼の手にした法器は、紛れもなく人間の骨を磨いて作られていた。指先で触れると、骨の髄まで凍りつくような冷たさだ。伝説の魔境でなければ、このような屍山血河、非道極まりない光景はあり得ないと思っていた。なのに、この畜生どもは、これほど穢れたものを、人々が祀る祭礼の器具に、いや、祈りや祓いの法器にさえ仕立て上げているというのか? 何と滑稽で、何と荒唐無稽なことか! そしてこれらすべてが、ただ地の底に潜むあの不気味な存在に捧げるためだというのか。
俺は振り返り、背後にそびえる髑髏の京観を見た。それは既に形を成し、半空でゆっくりと回転しながら、膨大な死気を放ち、地中で蠢く邪悪な存在をがっちりと押さえ込んでいた。しかし、その時、轟然と一声の巨響が炸裂し、砕けた骨が空に散る中、俺の背後にある髑髏の塔が一瞬で爆発した。煙塵が立ち込め、空を覆い隠した。煙塵の中から、幾つか屈強で荒々しい影がゆっくりと姿を現す。先頭に立つ男は、玄色のマントを翻し、その上には凶悪な髑髏の紋様が刺繍され、手には巨大な黒い戦槌を握っている。槌身には破滅のルーンが刻まれている。まさしく、ソーク・ドゥームハンマーだ。その後ろには親衛隊が続き、各々が筋骨隆々で、凶暴な気配を放ち、瞳には微塵の恐れもなく、ただ血に飢えた狂熱の色を帯びている。
「屠れ!」
ソークの怒号が天地を震わせ、手にした破滅の槌を地面に叩きつけた。巨大な黒い衝撃波が渦巻き、周囲の煙塵を一瞬で吹き飛ばし、まだその場に釘付けにされていた兵士たちを血肉の塊へと変えた。親衛たちが続く。手にした武器を振り回し、猛虎が山を下るが如くオークの大軍へと突撃した。狼の遠吠えと鬨の声が入り混じり、血戦が瞬く間に全面へと拡大する。
オークたちはこれを見て、いっそう狂暴になった。跨る荒狼が唸りを上げて飛びかかり、弯刀が閃くたびに冷たい光が走り、絶え間なく兵士が血煙の中に倒れていく。その時、一道の緋紅色の影が煙塵の中から幽鬼のように飛び出した。全身緋紅色の鎧に身を包み、鎧の表面には淡い血の光が流れ、手には一振りの細長い血の長刀を握っている。刀身には濃厚な死気と殺気がまとわりついている――あれは羅刹将軍だ。彼の動きは極めて速く、瞬く間にオークの大軍の真っただ中に躍り込んだ。血の長刀を一閃させる。鋭い刀気が虚空を切り裂き、瞬時に数名のオークとその騎獣を真っ二つにした。血潮が噴き上がり、彼の鎧を染め、足下の大地も赤く染め上げる。
羅刹将軍の目は冷たく、少しの動揺もない。眼前の殺戮が、ただの日常の所作であるかのように。彼の手にした長槍が一度振られるたびに、幾筋もの命が消えていく。オークたちの悲鳴も、荒狼の哀れな吠え声も、彼の耳にはかすかな雑音に過ぎない。一人、とりわけ大柄なオークの頭目が、巨斧を振りかざし、羅刹将軍の背後から猛烈な一撃を加えようとする。斧の風圧は鋭く、天地を切り裂く勢いだ。しかし羅刹将軍はまるで背後に目があるかのように、わずかに体をかわして巨斧を回避すると同時に、長槍を逆手に突き出した。見事な返し刺しが、その頭目の眉間を正確に貫く。手首をひねり、槍先を引き抜く。滾るような鮮血がほとばしり、頭目は悔恨と恐怖の表情を浮かべて崩れ落ちた。
俺はその場に立ち、眼前の混乱した戦場を見つめ、指先を微かに動かした。無数の黒い影が土の中から湧き出る。食屍鬼だけでなく、収穫された兵士たちの死体が変じた亡霊たちもだ。それらは濁流のようにオークの大軍に押し寄せ、ソークの親衛隊や羅刹将軍と挟撃の態勢を形成する。俺は手を上げて一振りし、虚空に無数の黒い骨の棘を浮かび上がらせた。それらは暴雨のようにオークたちへと降り注ぎ、一本一本が寸分の狂いもなく一人のオークの体を貫いた。数人のオークが亡霊の隙を縫い、俺の背後を急襲しようとした。俺はわずかに首を傾け、冷たい眼差しを向ける。無形の力が瞬時にそれらを押し潰し、肉の泥へと変えて足下の大地に溶け込ませた。この血に染まった大地の、新たなる一部として。
ヌルはこの様子を見て魂を飛ばし、隙を突いて逃げ出そうとしたが、俺の無形の力によってがっちりとその場に縛り付けられ、身動きがとれなくなった。俺はゆっくりと彼に歩み寄る。瞳には一片の温情もない。
「このような穢れきったもので邪神に仕え、好き勝手にできると思っていたのか?」
俺の声は高くはなかったが、人の心の奥底まで冷たく突き刺さるような響きを帯びていた。
「今日、俺はお前に血の借りを返させ、この土地を、千年の苦難から徹底的に解き放ってやる」
言葉を終えると同時に、俺は指先を弾いた。一筋の黒い気がヌルの体内に流れ込む。彼は一声、耳をつんざくような悲鳴を上げ、体は瞬時に干からび、最後には一握りの黒い灰となって風に散った。彼の手にあった人骨の法器、人皮の太鼓、人腸の琴もまた、瞬く間に微塵へと帰した。
戦場では、殺戮が続いていた。羅刹将軍は依然としてオークの大軍の中を縦横に駆け巡り、血の長槍の届く所には敵なしだった。彼の鎧はますます深紅に染まり、その気配はますます増幅していく。殺戮の中で絶えず何かが覚醒しているかのようだ。全身にまとわりつく死気は、太陽の光さえも晦ませるほどだった。ソークは破滅の槌を振るい、振り下ろすたびに我が方の兵士を一人、また一人と打ち砕いていく。戦槌のルーンはますます妖しく輝き、黒い衝撃波が絶え間なく場内を駆け巡り、我々の陣形を徹底的にかき乱した。俺は戦場の中央に立ち、亡霊と骨の棘を操り、絶え間なくオークの命を刈り取る。背後に再び凝集された京観は以前よりさらに巨大で、回転速度も速まり、地中の邪悪な存在をがっちりと押さえ込み、いかなる隙も与えなかった。
風はますます強くなり、風砂が天を覆い、生臭い血の匂いが戦場全体に充満する。死体は山のように積み重なり、血は地面の溝に沿って流れ、ついにはこの千年の血に染まった大地へと注ぎ込んでいく。オークたちの悲鳴は次第に弱まり、その数は減り続けたが、それでもなお残党は狂ったように反撃し、瞳には狂気と絶望が満ちていた。俺と羅刹将軍は一瞬、視線を交わした。言葉は要らない。もう合意はできていた――今日、必ずやこれらの邪悪な輩を徹底的に掃討し、この土地に掛かった千年の枷を打ち砕き、虐げられし無念の魂たちを、安息へと導かねばならない、と。
羅刹将軍が怒号を上げ、その身のこなしが再び加速する。血の長刀を高々と掲げ、全身の力を一点に凝集させ、残存するオークたちへと振り下ろした。巨大な血の刀気が渦を巻き、すべての残党を一瞬にして飲み込んだ。俺は手を上げ、京観を操り、地中へと猛然と圧し下ろす。重苦しい唸り声が地底から響き、やがて完全な静寂に帰した。あの不気味な気配もまた、それに従って消散していく。ソークは破滅の槌を振るい、我々へと打ち下ろしてきた。
「カガン! 俺に言え! これは真実じゃない! お前はサルマン・カガンを殺してなどいない! そうだろう!」
「我が愛しきチェリサよ、お前は孤を随分と悲しませるな。飼い犬に手を噛まれるなど、我らオークにおいて、決して許されざる所業だ!」
俺は戦いの最中、会話で手を休めるような習慣はない。視線をクドに向け、彼にこっくりと頷いた。俺は高天より衆生を見下ろし、背後にそびえる京観を高速で回転させる。神の如き降臨の相で。
ソークが口中で呪文を唱える。一条の鮮紅色の大蛇が、高原の彼方から飛来し、彼を乗せて我が方へと突進してくる。彼の手にした槌には、千鈞の力が籠もっている。ただ、俺が彼に向かって冷笑を浮かべたのを見て、彼は何かに気付いたようだった。
血肉の躯とは、そういうものだ。白刃が貫けば、紅い血が流れる。お前が王侯貴族であろうと、ただの平民であろうと関係ない。心臓を穿たれれば、死ぬ。俺の手には、斜め裡から飛来した一筋の槍――ハムレットがあった。
ソークは信じがたいというように、自身の胸元に手を当てた。振り返り、弓を引いて自らを射た少年を見つめる。
最後には、貫かれた大蛇と共に、高原の山間へと墜ちていった。我が背後にそびえる京観が、その山間へと飛び、下へと鎮めていく。
俺はハムレットを手に持ち、一閃、鮮やかな槍捌きを見せた。遠ざかりゆく京観を見つめる。もう少しだ……もう少し……この腐朽した王朝は、我々の手で必ずや覆してみせる。もう少し待て……
視線を現実に戻し、周囲を見渡す。
戦場には、ついに静寂が訪れた。残るは、天を舞う風砂と、積み重なる屍の山だけだ。俺と羅刹将軍は並んで立ち、眼前の満身創痍の大地を見つめ、表情を硬くする。千年の奴隷文明、千年の血と涙。今日、ようやく一条の転機が訪れた。
「ミン!」
クドが駆け寄ってきた。
「見事だった」
「ミンが教えてくれたからです」
「どうした?」
「いえ……ただ、決心がついたんです、ミン。サカン、あるいはクドは、さっきの戦いで死にました。今、あなたの前に立っているのは、クドとサルマンの意志を継ぐ者です」
「どういう意味だ?」
「俺の身分はやはり厄介です。カガンを殺すのは、オークの伝統では最大の禁忌です。伝統は根深い。すぐに断ち切れるものではありません。ましてや城内には、俺の出自に敵意を抱く者が大勢います。だから、今日から『エフェ』と名乗ることにしました。そんな身分の方が、動きやすい。姓を持たぬ、草の根から這い上がった義勇兵という顔で」
「ラクトンには、どうする?」
「……死んだと伝えてください」
彼はそう言うと、うつむいた。俺の叱責を待っているようだった。俺はただ、手を彼の頭に載せた。
「随分と、大きくなったな。自分で決めたことか」
「はい!」
「後悔はしないか?」
「……するでしょう。でも、これは俺の責務です」
「わかった」
俺は鞄を探り、一つの黒い仮面を取り出し、眼前のオークに手渡した。
「これを付けたら、もう容易くは外せない。命の尽きるその時までだ」
「はい」
クド……いや、今は『エフェ』か。彼が仮面を受け取り、顔に当てるのを見つめる。
そうだ。これは、ほんの始まりに過ぎない。この土地を徹底的に浄化し、ここに生きる人々を苦難から解き放つには、まだまだ長い道のりが待っている。風が吹き抜け、血の臭いと砂塵を運び、そして我々の胸中に確固として灯った決意もまた、一緒に運んでいく――これから先、このガル・マラカの地は、もはや無念の魂の集う地でも、奴隷の檻でもない。その幼き王は、己の全てを賭けて、この地の全てを護り、すべての苦難と殺戮に終止符を打ち、この廃墟の上に、新たなる文明を築くことを、心に誓う。




