偽りの大義
俺は酒楼の扉を手前に引き、そっと開けた。厚い木扉が「ギー」と軋む音を立て、室内の残り香——濃厚な血の腥気、未だ冷めぬ酒の烈味、そして女たちの脂粉の臭い——が一気に外に溢れ出し、夜の風と混ざり合う。月は既に梢に高く掛かり、蒼白な光が地面を覆い、倒壊した城門の瓦礫や、路上に乾いた血の跡を、妖しげな銀色に染め上げている。
空気に漂う腥気が鼻の奥を刺激する。俺は鼻を強く引き攣らせ、その臭いの正体を選別した——戈壁の泥が放つ湿った悪臭と、鮮血が凝固した鉄臭。それらが渾然一体となり、どちらが勝っているかも分からず、ただ胃の腑を直接抉るような嘔吐感を誘う。多半は、この二つが泥濘の中で混ざり合っているのだろう。
俺は頭をぐらぐらと振った。脳内は混沌としていて、重たくて昏昏とした鈍痛が繰り返し襲ってくる。視界がぼんやりと揺れ、クリン・タスクの絶望した顔や、個室に撒き散らされた血の残滓が、断片的なノイズとなって脳裏を駆け巡る。
「くそっ」
俺は低く罵声を吐いた。あの術を多用しすぎた。
摂魂取念。
魂を攫い、念を識る代償として、俺自身の記憶すらも泥のように混濁していく。时として、自分が誰なのかという境界さえ、錆びた闇の彼方へ溶け出してしまうのだ。
冷たい夜風が顔に吹き当たり、多少の混沌が払拭された。俺は立ち止まり、目を閉じて、先ほど殺した者たちの記憶を一つずつ整理する。城門の衛兵、騎兵、シャーマン、そしてクリン・タスクとその手下たち——彼らの記憶は汚く、浅く、大抵は強欲と暴力に満ちているだけだ。
だが、その中に一つ、異質なものが混ざっていた。
俺は眉を寄せ、指先でこめかみを強く押し込んだ。混濁していた記憶の断片が、徐々に鮮明になっていく。
――それはボオルチュ、可汗から任命されたダルガチの記憶だ。奴は表面的にはウラ・マラカを統治していたが、その意識の深淵には、どろりとした秘密が澱んでいた。
抽出された断片の中に、俺が決して想定していなかった光景が浮かび上がる。
ソク・デストロイハンマーが血で塗り潰し、隠蔽し続けてきた真実だ。
十年前。
天山の麓、オークの本拠地では、ソクが既に可汗として部族を率いていた。その時のソクは、すでに氷河のような冷徹な瞳を持ち、部族の強大を願うと同時に、南下して広大な土地を奪う野望を秘めていた。彼の側には、弟のサルマンがいた——サルマンはソクとは对照的に心優しく、干魃による部族の苦しみを憂い、連盟との和平交渉を志していた。
俺はダルガチの記憶の中に、その時の様子を見た。サルマンは自ら連盟の陣営へ赴き、平和交渉を申し出た。彼は部族の少量の馬と毛皮を差し出し、「干魃の苦しみを共に乗り越え、互いに侵し合わぬ和平を結ぼう」と哀願した。連盟は一時的に交渉に応じ、表面的に和平の約束をした。
だが、これはすべてソクの描いた筋書きだった。
サルマンが連盟のもとから帰還する途上、ソクが事前に手配した刺客が襲いかかった。その手先どもは連盟兵の衣装を纏い、サルマンとその一族全員を惨殺し、現場には連盟の武器や旗印を故意に残した。血流は河を成し、サルマンの屋敷は一夜のうちに焼き払われ、無辜の老幼までもが容赦なく屠られた。
その後、ソクは部族の前に立ち、サルマンの死体を掲げて、声を裂いて叫んだ。「我らの同胞、サルマンは、連盟との和平交渉のために身を捧げた! だが連盟は偽りの約束で彼を欺き、その一族を惨殺した! この仇、我らは必ず報いる!」
ソクの演説は、全てのオークの怒りに火をつけた。族人たちは戦斧を振り上げ、復讐の叫びを上げた。ソクはこの「弟と一族が连盟に殺された」という偽りの大義を借り、全てのオーク部族を結束させ、大規模な南下作戦を発動した——名目は「復讐」、真の目的は、領土の略奪と勢力の拡大だ。
「……ふん」
俺は鼻から嗤った。声は冷たく、骨身に染みる蔑視が込められている。天山の可汗、ソク・デストロイハンマー。あの氷河のような青い瞳を持ち、族人の復讐を叫ぶ英雄の裏に、まさかこれほど醜い計略が隠されていようとは。
俺は笑い出した。最初は低い嘲笑だったが、次第にそれは太くなり、夜の空に響き渡る。その笑いには、怒りと、荒唐無稽さ、そして一抹の嫌悪が混じっている。
「好いな、天山の可汗……弟の死まで利用し、一族を血の海に沈めてまで、南下の口実を捏造するとは。実に、情け容赦のない男だ」
拳を握りしめ、指節が白く浮き出る。
連盟は悪。だがソクもまた、手に血を浴びた偽善者だ。利用と偽りで族人を操り、実の弟の命と一族の血を、自己の野望の踏み台にした卑劣な男。
月は更に高く上がり、蒼白な光が俺の影を長く引き伸ばす。路上の血の跡は乾き、暗黒色の斑点となって地表を蝕んでいる。空気の腥気は依然として濃厚で、俺の喉の乾きは癒えない。だが、今の俺の心には、その乾き以上に、冷たい怒りが燃え上がっている。
ソク・デストロイハンマー。
俺はその名前を心の中で反芻する。十年前の偽り、弟の血、一族の惨状、そして偽りの復讐の大義……これらの罪の質量は、一体誰が清算するのだろうか。
遠くの砂丘の方向から、小さな影が動いているのが見えた——タイと子供たちだ。 彼らは俺の呼び声を待っている。俺は深く息を吸い、脳内の混沌を力ずくで押し下げ、ハムレットを肩に掛けた。
まずは、これらの子供たちを安置する。その後……
俺は天山の方向を見上げた。月の光が山々を覆い、その陰に、ソクの影が立っているように見える。冷たい笑みを浮かべ、俺は心の中で囁いた。
「天山の可汗、ソク。……いずれ、俺がお前の元へ行く。お前が偽りで築き上げたその大義を、血で叩き潰し、罪のすべてを清算してやる」
夜風がさらに強くなり、砂塵を巻き上げ、俺の黒い外衣を激しく翻す。蒼炎が瞳の中で微かに燃え、亡者の気配が、この血の乾きし地に、再び濃厚に立ち込めていった。




