賢者
閑話です。短いです。
黒の賢者について。
32話目です。宜しくお願い致します。
アルバ共和国の首都ソルで直人が魔神に捕まり、超常の力を発揮せんとした時、遠く離れたこの地では、違う異変が起きていた。
身体の半ば程を何かの生物に呑み込まれた黒髪の女が宙吊りになっている部屋。正確には手を鎖で拘束され、臍から下が呑み込まれた状態なので宙吊りではないのだが、松明だけの暗い部屋の中では、白い肌を晒した上半身だけが浮き彫りに成り、あたかも宙吊りに見える。
女は、意識がないのかがくりと頭を垂れ、微動だにしない。緩やかに上下する小さくない胸が息があることを主張しているだけだ。
女の下半身を呑み込んだ生物は、表面に筋張った器官を露出させ時折小刻みに脈動していた。生物というよりは何かしらの装置のようにも見えなくはない。
そんな囚われの女の前で、全身を黒いローブで覆った男が、その光景を見据えていた。
黒の賢者ボリスだ。
現在賢者の位、実力を持っているのは世界で二人。渇望の賢者ニナとこの黒の賢者ボリスだけだ。
魔法使いとしての実力は然もありながら、多方面の知識を兼ね揃え、戦いでは一軍に匹敵し、軍略、政治、生活の知恵までを網羅しているという。
賢者は一時代に一人と言われるぐらいに到達者の少ない領域の中、500年間存在を仄めかすニナは別にしても、ニナ以外にボリスの名が挙がるまでは、賢者はニナだけだったのだ。
それほどに賢者への到達は難しく、高い知力と研鑽、才能が必要なのだという。
黒の賢者ボリスは、数多くの魔法使いを輩出しているキリウス帝国の宮廷魔導士として初めて歴史に現れる。
今より83年前、当時ボリスは16歳という異例の抜擢で、若くして才能を開花し15歳の時に魔導士へと至った当時の天才だった。
現在にも続く軍事国家ファティマとの戦争で名を挙げる、魔導士ボリスの圧倒的な火力を駆使し、ファティマ戦線を凪ぎ払っていた。
四年後には、キリウス帝国皇帝より直接賢者の称号を授けられ、得意とする火系魔法による空を覆う黒煙と常に身に付けていた黒いローブから、黒の賢者と呼ばれるようになった。
一時期にはファティマの王都寸前まで進行したキリウス帝国だったが、突然のボリスの失踪に要を失った帝国があと一歩を圧しきれず、現在の国境線まで押し戻され膠着が尚も続いている。
謎の失踪を遂げたボリスは、それから完全に歴史から姿を消すが、死んだともされる中、現在も極秘裏に続く帝国の捜索がその事実をうやむやにしている。
事実ボリスは、生きて今こうして囚われの女の前に立ち、満面の笑みを浮かべている。
「どうかの? 本来の巫女としての役割を全う出来るのじゃ、しかも息子の為にじゃ。これ以上の幸せはお前にはあるまいて」
びくんと躍動する女の身体を尻目にボリスは続ける。
「はははは、そうかそうか嬉しいか。ワシもようやく願いが叶いそうじゃ。流石は巫女様じゃ。世の為人の為にその身を捧げることに悦びを感じるとは。はははははは」
嗄れた笑い声だけが空間に谺し、また女の身体がびくんと跳ねる。
ボリスはそれを満足そうに暫く眺めると、踵を返し部屋を出た。知れず足早になったその足は階段を降り、更に濃密な障気とも言える噎せ返るほどに魔力の満ちた部屋へ向かっていた。
「もうすぐじゃ、もうすぐじゃ」
ぶつぶつと溢しながら、イベントを待つ子供のように心は跳ねている老人は、フードの奥に隠れた瞳に狂喜を宿していた。
不格好な鉄の扉には、魔力の籠った魔方陣が厳かに浮き出ている。扉を挟んでいるにも関わらず、中の部屋からは威圧されるような気配が漂っていた。
ボリスは手をかざすだけで、触れること無くその扉を躊躇なく開いて部屋へと足を踏み入れた。
殺風景な部屋の中は装飾や生活に必要な物が一切無い代わりに、六畳程の空間の真ん中に玉座の如く、大きく崋厳な椅子が鎮座している。
其処にボサボサになった黒髪の青年が裸で座っているのだが、王のような威厳はなく項垂れて気絶しているかのように、ボリスが部屋に踏みいって来ても何の反応も示さなかった。
青年の前まで歩み寄り無造作に頭に右手を置くと、魔法起動のために言葉を紡ぎ始める。今は使われる事のない古代語を。
懐で握る魔法石が淡く光を放ち石が魔力を放出することを示すと、ボリスはその魔力を変換していく。
青年の頭上には淡く光る魔方陣が浮かび上がりその場でくるくると廻り始める。魔方陣が二重三重と重なり大きさも部屋を埋め尽くすほどに拡がったのを確認し、ボリスは魔法を完成させる。
「ケイオス」
古代語で混沌の束縛を意味するその言葉はあらゆるモノの自由を奪う。古代語魔法は一般に使われる魔法とは系統が違い、言葉自体に魔力を帯びさせる。その為により強い魔法にするためには古代語を決められた調律に沿って紡いでいく必要がある。
魔力によっては単語だけでも強力な効果を発揮出来るが、目の前の青年には念には念を入れて尚備えなければならない。
(巫女でさえあの様だ……依り代では想像もつかん)
週に一度の儀式を終えて安堵するボリス。
恐らくこの儀式が進めば頻度は上がるはずだ。それほどにこの依り代は覚醒を早めている。思惑通りではあるが計算通りではない。
(あの女……まだまだ気は抜いて居れんな)
目の前にいる青年に目を向けながら同じ黒い髪の女の事を考えるが、その考えも直ぐに追い払い次の儀式の為に、新たな魔法石を握り込み古代語魔法の詠唱を始めた。
短めに、風呂入りながら書きました(笑)
楽しんで頂ければ最上です。




