とある黒き紋章の物語
「――さあ、ここまでです! 忌々しい我が元婚約者よ!! 我が愛しき勇者のために死になさい……神に選ばれしものに逆らう大逆をここで償うのです!!」
哀れな運命の傀儡――かつてはともに想いを通わせあったはずの麗しき侯爵令嬢は祖先より受け継がれた血統より発現する大魔法を操りながら、叫んだ。
美しいはずのその表情は醜くゆがみ、憎悪と狂気を孕んでいる。
――……なぜ、彼女たちはこうなったのか?
こちらを囲むのは彼女ばかりではない、大陸各国でも名高い名家出身の偉大な魔法を受け継ぐ妙齢の女性たち数人が主である勇者――遥か安全な後方でお気に入りの美女たちを侍らせ、せせら笑う――のために命をとして戦いに挑んでいる。
その誰もが皆、自分が知る限り知性がありそれぞれに優れた技能能力を持つ才女ばかりだった。王侯貴族に生まれが故か、気難しいものもいたが対外的には鷹揚にふるまう淑女たち。
本来ならばそれぞれの国の王子貴公子たちと結ばれ、次なる世代を残すであろう彼女たちが狂ったのはいつからか――?
すでに大陸の主だった国の半分近くが、神に選ばれしものを僭称する勇者とその一党の傘下に落ちていた。
勇者といえども大した戦歴はない、ただ選ばれしものの証とされる白く輝く紋章が右手に宿っているだけの話だ。
確かに戦えば人非ざる力を振るい、敵を薙ぎ払う。だが個人としての才能などないに等しい。何より人並みの努力さえ嫌う男なのだから。
落ちぶれた平民出身の愚かな男に神とやらはその力を与えたもうた。
神をまつる教会に見いだされた勇者はやがて妙齢の女性である教皇と聖女、大司教たちを従えて各国を巡礼。その時、その力に魅入られた国王や貴族たちは皆こぞって自分の妻や娘たち、一族の者たちまでも差し出すことを決めたという。
この世界において、王族貴族とは強い魔力を受け継いだ者たちの末裔である。
それ故に民を守りときには戦陣に立つがゆえに国を治める。
だが、勇者はあまりにもおぞましくまた残酷であった。自分に従わないものはもとより、すでに従順なる者たちにもいわれのない罪を着せて男たちは皆殺しにしてしまった。
それら無残に処刑された元支配者たちの亡骸を前に王女令嬢たちとの華やかな婚礼の宴を行ったのだ。
自分の支配をより確実なものにすべく、有力な貴族の子弟たちを処刑するように命じる勇者。
彼の能力は実に奇妙であり、執拗。
自分が敵と定めたものの居場所を特定して最後まで僕どもに狩り立てることを命じることさえ可能だった。
そして、いま大勢の仲間が目の前で無残に殺され、最後に残るこの俺が勇者にその身も心も捧げた愚かな令嬢たちの止めの魔法を受けようとしていた――。
「――哀れだな、かつての優しかった君はどこにもいない。俺は、それを残念に思う。そして麗しき令嬢たちよ、ともに我が王国で生まれ育ったあなたたちのそんな姿を見たくはなかったよ」
「あら、この期に及んで命乞いかしら?」
「あなた以外の全員、すでに私たちが始末しましてよ?」
「最後に残った、あなたを殺せば私たちはまた勇者様にかわいがっていただける……ああ、なんて素晴らしいのかしら!!」
憐れむ俺の言葉に反応する令嬢たち、彼女たちの心にはあの醜悪な悪魔――勇者――への思いだけが存在する。
それはもはや狂気の領域だった。
この期に及んで、俺は彼女たちを苦しませたくはなかった。
令嬢たちの解き放つ大魔法の奔流が俺の周囲を包む中、俺は隠していた左腕を天高く掲げる。
次の瞬間、どす黒い魔力の輝きが周囲を周囲を満たし、大魔法をかき消していく。
それはあまりにもおぞましくもまた何より美しい光景であった。
――この黒き紋章を解き放つ時が来た。かつて、悪魔と呼ばれこの世界より追放された古き神々の残した力を俺だけが受け継いだでいた。
人々を守り、人々ともにあった古き神々。
いつしか外なる世界より現れた新しき神々はまるでこの世界を侵略するように、自分たちの僕を増やし世界を乗っ取った。
本来、守護すべき人々に追いやられ消え去った古き神々は自分たちの力と思いを人々の中に残したのかもしれない。
「――愚かな勇者と哀れな奴隷どもに告げる、我はこれより古き神々に成り代わり、この世界を取り戻す。お前たちがどれだけ抗おうとも、俺はこの世界からお前たちを一人残らずせん滅する。それが、多くの友を殺され全てを奪われた俺の戦いだ!」
――ば、馬鹿な、あり得ない!! なぜ、僕のこの白き紋章がこんなにも疼くんだぁ―――――ッ!!
はるか後方で、何かにもがき苦しむ勇者の白き邪悪の紋章が激しい光を放つ。それに飲み込まれた美女たちは見えざる焔に焼かれ、消え去っていく。
「い、いやぁああああ―――――ッ!! こ、こんなはずじゃ……」
黒き力と白き力の激突に巻き込まれ、消滅する令嬢たち。
その最中、かつての我が婚約者が、何かをつぶやいたようにも見えたがすぐに見えなくなった。
「おのれ……必ず、貴様を殺してやる! 必ず、だ……ッ!!」
自分以外のすべてを失った勇者がみじめに消え去る。
不可能はない力を持ちながら、力の押し合いに敗れたことが奴のプライドを傷つけたのか。
――これは始りに過ぎない、必ず新しき神とその僕たちを打ち破ってみせる。
赤く燃え立つ朝日を眺めながら、何もかもが消え去った戦場に立って俺は心にそう固く誓う。
のちに世界を変革する大きな戦いの幕開けであった――。




