猫妖精ベルが仲間になったので、廃都の食料庫を守ってもらいます
そんなこんなで、盗賊との戦いで大きく消耗した俺は、廃墟となった石造りの長の家で眠ることにした。幸いなことに雨風はしのげるし、意外にも温度や湿度も悪くないのだが、それでも隙間風は入ってくるうえ、何より床が硬い。
硬い。とにかく硬い。
昨日までベッドで寝ていた現代人の俺には、石の床で眠るというのはなかなか厳しいものがあり、横になっているだけでも身体のあちこちがじわじわと痛くなってくる。
「早くちゃんとした家を建てて、柔らかい寝具で眠りたい……」
俺は背中の痛みに顔をしかめながら、小さく愚痴をこぼす。
そんなことを呟いたところで石床が柔らかくなるわけでもない。
結局、そのまま泥のように眠りへ落ちた。
そして翌朝。
「起きて、ハーシス」
すぐそばからアトラの声がして、彼女が俺の肩をそっと揺する。
「ん……」
眠気の残った目を細めながら小さく唸ると、アトラは俺が起きていることを確認するように顔を覗き込み、それから少し安心したように眉を緩めた。
「とりあえず、後遺症とかはないみたいだけど……大丈夫?」
「後遺症はないけど……」
俺はまだ重い瞼をこすりながら答え、身体を起こそうと腹へ力を入れた。
そして、上体を起こした瞬間――。
「ぐっ……!」
全身に激痛が走り、思わず顔を歪める。
反射的に腹へ手を当て、そのまましばらく動けなくなった。
「筋肉痛で身体がバッキバキだ……」
呻くように言うと、アトラは予想していたらしく、困ったように眉尻を下げた。
「やっぱり……」
「今日はまともに動けないかもしれない」
肩を落として呟くと、アトラは小さく頷いた。
「うん、そうだよね」
そう言いながら、彼女はそばに置いてあった小さな器を両手で持ち上げ、俺の前へ差し出した。
「だから、せめてこれを食べて元気を出してね。それと、気休めくらいだけど、痛み止めの効果がある薬草の搾り汁も」
「お、朝飯か?」
俺は少しだけ顔を明るくして器を受け取り、中を覗き込んだ。
ところが、その隣に置かれた液体が視界へ入った途端、眉が寄る。
「うえっ……」
鼻を少しひくつかせながら顔をしかめる。
「超苦そうな薬草汁だな……」
俺が器から少し顔を離すと、アトラは苦笑しながら肩をすくめた。
「昨日、オーツ麦も少し譲ってもらえたから。今朝は猪肉を柔らかく煮込んだオートミールだよ」
「おお!」
俺は途端に嬉しそうな声を上げる。
さっきまでの薬草汁への嫌悪も少し忘れて、オートミールを見つめた。
昨日までの食事を考えれば、かなりのご馳走だ。猪肉にオーツ麦まで入っているとなれば、少なくとも腹を満たすという意味では十分すぎる。
「薬草汁は仕方ないよ。下手に熱を加えたりすると、薬効がなくなるかもしれないし」
アトラは薬草汁の入った器へ視線を落とし、諭すような静かな声で説明する。
「なるほど……」
俺も頷きながら改めて薬草汁を見つめる。
見た目からして苦そうで、匂いも苦い。たぶん味も苦いのだろうということが容易に想像できた。
「……この筋肉痛が少しでも楽になるなら、飲むしかないか」
覚悟を決めるように一度だけ深く息を吐き、俺は薬草汁の器を手に取る。
そして――一気に流し込んだ。
「――っ!」
喉を通った瞬間、思わず目を見開いた。
苦い。
しかも想像以上に苦く、舌が痺れるような苦味が口いっぱいに広がる。
「うぐっ……!」
俺が顔を盛大に歪めると、アトラは口元を手で隠しながら肩を小刻みに震わせた。
「ふふっ」
「笑うなよ……」
俺が恨めしそうに睨むと、アトラはますます楽しそうに目を細める。
「だって、すごい顔してるから」
「これを毎朝飲めって言われたら泣くぞ」
涙目になりながら訴えると、アトラはくすくす笑いながら首を横へ振った。
「毎朝じゃないから大丈夫」
そう言って、俺を安心させるように微笑みながら、オートミールの器を前へ置く。
「ほら。こっちはちゃんと美味しいから」
「それは助かる……」
俺はようやく表情を緩めると、スプーンで一口すくって口へ運んだ。
「……うまい」
思わず頬が緩む。
素朴な味だったが、猪肉の旨味が溶け出したスープに、柔らかく煮込まれたオーツ麦がよく馴染んでいる。
決して豪華な料理ではない。
それでも、昨日の食事と比べれば雲泥の差だ。胃の中へ温かいものが入っていくこと自体が、妙にありがたく感じられた。
「昨日に比べれば、今日の食事は十分豪勢だな」
俺が満足そうに頷くと、アトラも嬉しそうに目を細める。
「そうだね」
「ああ……まあ、そりゃそうか」
俺は苦笑しながらスプーンを動かし、少し考えるように目を伏せる。
「昨日は盗賊に襲われた直後だったしな」
「だから今日は休んで」
アトラは俺へ少し強めに視線を向け、念を押すように言った。
「……ああ」
俺は素直に頷いた――つもりだった。
「まだ無理に立たないでね」
アトラは俺の顔をじっと見ながら、人差し指を立ててもう一度念を押す。
「いや、今日は休むつもりだったんだけどな」
俺が少し苦笑して返すと、アトラは一切間を置かずに答えた。
「絶対嘘」
思わず目を丸くすると、アトラは呆れたように肩を落としながら、それでも口元には笑みを浮かべている。
「顔が『もう働く』って言ってるもの」
「……そんなに分かりやすいか?」
俺が自分の頬へ触れながら尋ねると、アトラは迷いなく頷いた。
「うん」
「反省はしてる」
俺が少しだけ視線を逸らして言うと、アトラはじっとこちらを見つめた。
「反省だけ?」
その一言に、俺は一瞬口を閉じる。
「……善処します」
苦笑して両手を軽く上げると、アトラは満足そうに頷いた。
「よろしい」
そんなやり取りをしているうちに、ふと身体の変化に気づいた。
先ほどまで全身を覆っていた鈍い痛みが、いつの間にか少しずつ弱まっている。
「……あれ?」
俺が不思議そうに腕を動かすと、アトラも眉を上げてこちらを見る。
「どうしたの?」
「筋肉痛が……少し楽になってる」
試しに肩を回してみる。
まだ痛みは残っているものの、さっき身体を起こしたときに比べれば明らかに軽くなっていた。
「すごいな、この薬草汁」
驚いたように薬草汁の器へ視線を向けると、アトラは嬉しそうに笑った。
「効いた?」
「ああ。かなり痛みが和らいだ」
「でも、無理はしないようにね」
アトラは念を押すように、少しだけ真剣な表情になる。
「分かってるよ」
俺は苦笑しながら頷いた。
全快には程遠い。
それでも、さっきまでの痛みを考えれば、これなら少しくらいなら動けそうだった。
「あと、チーズも少しもらえたから入れたよ」
アトラがそう告げながら、オートミールの中身を指差す。
「え?」
俺は思わず顔を上げた。
「チーズまで貰えたのか?」
「うん」
アトラは嬉しそうに頷く。
「あ……しまった」
「何?」
「もし貰えそうなら、ヤギと鶏も貰えないか聞いておくんだった」
悔しそうに額へ手を当てると、アトラは少し困ったように眉を下げた。
「あー……」
「怪我してた人たちも一応動けるようになったから、予定より遅れてるって言って、朝早く出て行っちゃった」
アトラは申し訳なさそうに両手を軽く開いて事情を説明する。
「もう出発したのか」
「うん。昨日は結構ひどい怪我だったはずなんだけどね」
「丈夫だな……」
俺が呆れたように目を瞬かせると、アトラも苦笑を浮かべて頷いた。
「本当に」
俺は苦笑しながら、昨日の様子を思い返す。
「まあ、向こうにも向こうの都合があるしな。そもそも、ここに来たこと自体が予定外だったんだろ」
「そうだね」
「ああ、だったら仕方ない」
俺は自分を納得させるように頷くと、再びオートミールへスプーンを入れた。
「……うん」
やはり美味い。
素朴な味ではあるが、妙に安心する味だ。
少なくとも昨日まで食べていた、うーっすーい雑穀のグリュエルとは比べ物にならない。
「牛乳も欲しいところだけどな」
少し遠い目をしながら呟くと、アトラが不思議そうに首を傾げる。
「牛?」
「ああ。牛乳があればもっと美味しくなる」
そう言いながらも、今の俺たちに牛を飼う余裕なんてないことは分かっていた。
まずは生きるための食料を確保し、それから住居を整える。その先でようやく、余裕のある暮らしを考えるべきだろう。
薬草汁のおかげで痛みはかなり引いた。
もちろん全快したわけではない。それでも、このくらいなら見て回る程度のことはできそうだった。
「このくらいなら、見て回るくらいはできそうだな」
俺が立ち上がる気配を見せると、アトラはすぐに心配そうな顔をした。
「本当に無理しないでね」
「ああ」
俺は苦笑して頷きながら、重い身体をゆっくりと起こした。
今日は休む。休むつもりだった。
だが、やはり気になるものは気になるし、新しく建設できる施設もあるはずだ。ならば、確認だけはしておきたい。
そう自分に言い訳しながら、俺はマザークリスタルのもとへ向かった。
◇
マザークリスタルの前に立つと、すぐに声が響いた。
『おはようございます』
『一晩が経過しました』
『新たに一体の妖精を召喚できるだけのレイキが蓄積されています』
『どうぞ、お試しください』
「よし」
俺は少し期待を込めてクリスタルへ手を伸ばし、そこへ向かって、できるだけはっきりとした声で呼びかける。
「俺の声が聞こえるなら――」
一度息を整え、クリスタルへまっすぐ視線を向けた。
「こちらへ来てくれ、妖精!」
その瞬間、マザークリスタルから眩い光が溢れ出した。
「――っ!」
あまりの眩しさに、俺は片腕で目元を庇う。
視界が真っ白に染まり、光は次第に一点へ収束すると、やがて球状になっていく。
そして――。
ふわりと、その光の中から一匹の妖精が姿を現した。
そこにいたのは、大きな黒猫だった。
胸元には白い斑があり、頭には小さな帽子を被っている。洒落た服をまとったその猫は、人間のように二本足で立っていた。
そして俺を見るなり、口元をにっこりと緩める。
『あなたがあたしのご主人さまかにゃ?』
猫妖精は首を少し傾けながら、興味深そうに俺の顔を覗き込んだ。
『私はベル。見ての通りの猫妖精ですにゃ』
ベルは自分の胸元へ前足を当て、得意げに胸を張る。
『これからよろしくですにゃ』
「……猫妖精か」
俺は驚きを隠せず、しばらくベルを見つめた。
昨日は犬。そして今日は猫。
もしかすると、これもチュートリアルの一環なのだろうか。
「ああ、よろしくな。ベル」
俺が笑いながら手を差し出すと、ベルは嬉しそうに目を細める。
『よろしくですにゃ、ご主人さま』
すると、俺の手の中に一枚のカードが現れた。
そこには、今目の前にいるベルの姿が描かれている。
「これは?」
俺がカードを指先でつまみ上げながら尋ねると、ベルはそれを覗き込みながら答えた。
『それは、あたしとご主人さまが契約を結んだ証ですにゃ』
ベルは大切なものを扱うように、そっと両手を胸元へ添える。
『大切にしてほしいですにゃ』
「ああ、分かった」
俺は頷きながらカードをしばらく眺め、それを大切にしまう。
そして、改めて目の前のベルへ視線を向けた。
「それで、ベルは何ができるんだ?」
『狩り、隠密行動、見張り』
ベルは質問を待っていたように胸を張り、得意げな顔で答える。
『それと、食料庫の管理が得意ですにゃ』
「ほう……」
俺は思わず感心したように眉を上げた。
かなり実用的だ。
ちょうど今、俺たちが一番困っているのは、食料を失うことなのだから。
「ちょうど今、俺たちが一番困っているのは食料を失うことなんだ」
俺は食料庫の方へ視線を向けながら説明する。
種を蒔いても、収穫できるのはずっと先になる。それまでの食料を守らなければならない。
「だからベルには、食料庫の管理を頼んでいいか?」
俺がベルへ視線を戻すと、彼女はぱっと顔を輝かせた。
『もちろんですにゃ!』
ベルは元気よく胸を叩く。
『あたしがいれば、食料庫にネズミ一匹たりとも入れませんにゃ!』
「頼もしいな」
俺が感心したように頷くと、ベルはさらに胸を張った。
『任せてほしいですにゃ!』
そう言うと、ベルはさっそく食料庫へ向かって走り出した。
「おい、待て――」
俺が声を掛けるより早く、ベルは食料庫へ飛び込んでいく。
その直後だった。
『ネズミの匂いがするですにゃ!』
「え?」
ベルの耳がぴんと立ち、尻尾が大きく揺れる。
次の瞬間、彼女は床を蹴って一直線に走り出した。
壁際の隙間から、小さなネズミが一匹飛び出してくる。
「チュッ!」
『待つですにゃー!』
ベルが猛然と追いかける。
ネズミは壺の間を縫うように逃げ、それをベルが器用に追い詰めていく。
だが――。
『そこにゃ!』
ベルが勢いよく跳び上がった。
その身体は見事にネズミへ届いたものの、勢い余った前足が一つの壺へ引っ掛かる。
「えっ」
ガタッ!
次の瞬間、隣の壺まで巻き込まれて倒れた。
ガシャーン!
乾いた音とともに、壺の中身が床へ盛大にぶちまけられる。
「…………」
俺は言葉を失った。
ベルはというと、床を走り抜けようとしていたネズミをしっかりと捕まえている。
『捕まえたですにゃ!』
三秒ほど遅れて、ベルが誇らしげに振り返った。
『見ましたか、ご主人さま!』
俺は何も言えず、倒れた壺と床へ散らばった穀物を見る。
それから、ネズミを咥えて得意げな顔をしているベルへ視線を戻す。
「……ベル」
『はいですにゃ!』
「ネズミを捕まえたのは偉い」
『当然ですにゃ』
「でもな……」
俺はゆっくりと天を仰いだ。
「食料庫を守ってくれって頼んだ直後に、食料をぶちまけるなよ……」
『…………』
ベルの耳が、ぺたんと横へ倒れる。
『ご、ごめんなさいですにゃ……』
しょんぼりと肩を落とすベルを見て、俺もそれ以上は責められなかった。
「まあ……ネズミを三匹も捕まえてくれたのは助かるけどな」
見ると、ベルの足元には、いつの間にか捕まえてきたネズミが三匹並んでいる。
どうやら一匹だけではなかったらしい。
『これはあとでちゃんと食べるですにゃ』
ベルはネズミを見下ろしながら、当然のことのように胸を張る。
『獲物は無駄にしない。それが猫の流儀ですにゃ』
「なるほど……」
俺は苦笑しながら頷く。
失態はあったが、能力そのものは間違いない。
「助かるよ」
そう言ってから、散らばった穀物へ視線を落とす。
「ただ、こっちも片付けないとな……」
『はいですにゃ……』
ベルも申し訳なさそうに耳を伏せる。
俺は倒れた壺を立て直しながら、改めて食料庫の中を見回した。
あちこちに隙間がある。これではネズミが入り放題だ。
「なるべく早く塞ごう。ついでに、塔の修繕も必要だな」
俺がそう呟くと、ベルも気を取り直したように頷く。
『それがいいですにゃ』
「ともかく、ベルはここで穀物を守ってくれ」
俺が改めて頼むと、ベルは姿勢を正した。
『了解ですにゃ!』
元気よく返事をしたものの、その直後、ベルの視線が食料庫の奥へ移る。
『……』
「どうした?」
首を傾げると、ベルは三つしかない穀物壺を見つめていた。
『守るものが……少なすぎるですにゃ』
「……」
俺が何とも言えない顔をすると、ベルはますます寂しそうに三つの壺を見つめる。
『平和なのは良いことなんだけどにゃ』
肩を落とすように身体を縮めながら、ぽつりとこぼす。
『仕事が少なすぎるですにゃ……』
そう言ったかと思うと――ころん、とその場でふて寝を始めてしまった。
「……本当に猫は気まぐれだな」
俺が苦笑しながら呟くと、ベルが片目だけを開いてこちらを見る。
『ネズミが動くのは夜ですにゃ』
「ん?」
『だから昼は休んで、夜に備えるんですにゃ』
ベルは眠そうに目を細めながら答える。
「なるほど」
俺は納得して頷いた。
どうやら怠けているわけではなく、夜の見回りに備えているらしい。
「夜が本番ってわけか」
『そうですにゃ』
ベルは満足そうに頷くと、再び目を閉じた。
『夜も任せるですにゃ……』
「頼もしい警備員だよ、まったく」
呆れたように笑いながら、それでも少し安心した気持ちでその場を後にする。
◇
そして、今度こそ都市の状況を確認するため、俺は都市管理画面を開いた。
――都市管理システム――
都市名 :エマイン・マハ
状態 :限界集落(都市Lv2)
施設
・叡智の塔 Lv1
・農場 Lv1(畑・放牧地)
建設可能施設
・製材所 Lv1
・共同住宅 Lv1
・厨房付き大食堂 Lv1
次の目標
・叡智の塔をランクアップする
「……よし」
俺は表示をじっくり確認しながら頷いた。
特に気になるのは、新しく建設できるようになった施設だ。
「製材所が建設可能になってる」
木材があれば、住居を建てられる。家具だって作れる。
そして何より、ここへこれから人が増えていくことを考えれば、家を建てるだけでなく、道や橋、荷車といった生活を支えるものまで必要になってくる。
そう考えると、製材所はこの街を本当に「街」にしていくための最初の工房になる。
「けど、その前に……」
俺は振り返ってマザークリスタルを見る。
「塔を強化しておこう」
そう呟いてから、クリスタルへ向かって静かに告げた。
「叡智の塔――階級上昇、解放」
『機能上昇解放条件の達成を確認』
『管理中枢の階級を上昇させます』
『処理速度――拡張』
『演算能力――拡張』
『メモリ容量――拡張』
『ストレージ容量――拡張』
その瞬間、マザークリスタルの中心部が眩い黄金色に輝いた。
「……!」
俺は思わず目を細め、片手をかざして光を遮る。
内部では幾重もの魔法陣が歯車のように回転し、無数の魔法文字が次々と空中へ浮かび上がった。それらはやがて一斉に塔全体へ流れ込み、まるで巨大な血管を、レイキという名の血液が駆け巡っているようだった。
ゴォォォォォ……。
低く重い振動が塔全体を揺らす。
その響きは、まるで長い眠りについていた巨人が、ようやく目を覚ますかのようだった。
壁や柱に刻まれていた古代文字が青白く輝き始め、崩れかけていた石壁の亀裂もゆっくりと閉じていく。
さらに欠けていた石材まで、周囲の魔力を吸い寄せるように少しずつ修復されていった。
塔が――変わっていく。
完全に元通りになったわけではない。
それでも昨日まで、ただの廃墟としか思えなかった建物が、今は確かに生きている建造物へと変わり始めていた。
その変化に気づいたアトラが、驚いたように目を見開きながら周囲を見回す。
森の木々がざわめき、遠くでは鳥の群れが一斉に飛び立った。眠っていた獣たちまでもが、何事かと顔を上げるほどの変化だった。
やがて塔の頂から淡い光の波紋が広がると、その光は集落全体を包み込み、そのまま大地へ染み込んでいく。
「……」
俺は思わず息を止めた。
空気が違う。
さっきまでとは明らかに違って、澄んでいるように感じられるし、呼吸するだけで身体が少し軽くなるような感覚さえあった。
「……レイキの濃度が上がった?」
俺が周囲を見回しながら呟くと、少し離れたところにいたアトラも目を見開いてこちらを見る。
「空気が違う……」
そう呟きながら頬へ手を添え、何度かゆっくりと息を吸い込む。
「昨日までより、魔力の流れがずっと穏やかになってる」
『マザークリスタルの変換効率が向上しました』
『周辺環境へのレイキ供給能力も上昇しています』
頭の中へ次々と情報が流れ込んでくる。
以前より明らかに処理が速くなっており、都市全体が俺の思考と一体化したような、不思議な感覚さえあった。
そして、その直後だった。
視界へ新たな表示が浮かび上がる。
――――――――――
施設:叡智の塔 Lv2
施設上限を解放しました。
・農場 Lv1 → 最大Lv2
・製材所 最大Lv2
・共同住宅 最大Lv2
・厨房付き大食堂 最大Lv2
――――――――――
「なるほど……」
俺は表示を見ながら、思わず口元を緩めた。
塔を強化したことで、これから建てる施設もさらに上の段階へ進められるようになったらしい。
まだ住民は少ない。
家もない。
畑も小さく、食料だって決して十分とは言えない。
それでも、昨日までの俺たちは生き延びることしか考えられなかった。
今日は違う。
ベルがいる。
放牧地がある。
そして、俺たちには次に作るものがある。
少しずつでいい。
ここで暮らせる人間を増やし、安心して眠れる家を建て、食べ物を作り、仕事を生み出す。
そうやって初めて、ここは「街」になる。
俺はもう一度、都市管理画面を開いた。
――都市管理システム――
都市名 :エマイン・マハ
状態 :限界集落(都市Lv2)
施設
・叡智の塔 Lv2
・農場 Lv1(畑・放牧地)
建設可能施設
・製材所 Lv1
・共同住宅 Lv1
・厨房付き大食堂 Lv1
次の目標
・製材所を建設する
「よし」
俺は表示を見て頷いた。
まずは製材所だ。
木材があれば、家を建てられる。
家があれば、人を呼べる。
人が増えれば、さらに多くの仕事が必要になる。
そのためには、今よりもっと大きな街にしなければならない。
「……忙しくなりそうだな」
そう呟いたところで、後ろからベルの寝言が聞こえた。
『昼寝が終わったら、また見回るですにゃ……』
ちらりと振り返ると、黒猫の妖精は気持ちよさそうに丸まって眠っている。
「……まったく」
俺は呆れたように笑い、それから小さく首を振った。
「頼もしい警備員を雇えたもんだ」
こうして――エマイン・マハの文明再建は、また一歩前へ進んだ。




