猫妖精ベルが仲間になったので、廃都の食料庫を守ってもらいます
そんなこんなで、盗賊との戦いで大きく消耗した俺は、廃墟となった石造りの長の家で眠ることにした。
幸い、雨風はしのげる。
意外にも温度や湿度も悪くない。
ただし――。
隙間風は入ってくるし、何より床が硬い。
硬い。とにかく硬い。
昨日までベッドで寝ていた現代人の俺には、石の床はなかなか厳しいものがあった。
「早くちゃんとした家を建てて、柔らかい寝具で眠りたい……」
そんなことを考えながら、俺は泥のように眠りへ落ちた。
そして翌朝。
「起きて、ハーシス」
「ん……」
アトラに肩を揺すられて、俺はゆっくりと目を開けた。
「とりあえず、後遺症とかはないみたいだけど……大丈夫?」
「後遺症はないけど……」
身体を起こした瞬間。
「ぐっ……!」
全身に激痛が走った。
「筋肉痛で身体がバッキバキだ……」
「やっぱり……」
「今日はまともに動けないかもしれない」
「うん、そうだよね」
アトラは苦笑しながら、小さな器を差し出してきた。
「だから、せめてこれを食べて元気を出してね。それと、気休めくらいだけど、痛み止めの効果がある薬草の搾り汁も」
「お、朝飯か?」
器を覗き込む。
「うえっ……」
隣に置かれた液体を見て、思わず顔をしかめた。
「超苦そうな薬草汁だな……」
「昨日、オーツ麦も少し譲ってもらえたから。今朝は猪肉を柔らかく煮込んだオートミールだよ」
「おお!」
昨日までの食事を考えれば、かなりのご馳走だ。
「薬草汁は仕方ないよ。下手に熱を加えたりすると、薬効がなくなるかもしれないし」
「なるほど……」
俺は薬草汁を見つめる。
見た目からして苦い。
匂いも苦い。
たぶん味も苦い。
「……この筋肉痛が少しでも楽になるなら、飲むしかないか」
覚悟を決めて、一気に流し込む。
「――っ!」
苦い。
想像以上に苦い。
舌が痺れるような苦味だった。
「うぐっ……!」
「ふふっ」
「笑うなよ……」
「だって、すごい顔してるから」
「これを毎朝飲めって言われたら泣くぞ」
「毎朝じゃないから大丈夫」
アトラは笑いながら、オートミールを俺の前へ置いた。
「ほら。こっちはちゃんと美味しいから」
「それは助かる……」
スプーンで一口。
「……うまい」
素朴な味だ。
猪肉の旨味が溶け出したスープに、柔らかく煮込まれたオーツ麦。
決して豪華ではない。
それでも、昨日の食事と比べれば雲泥の差だった。
「昨日に比べれば、今日の食事は十分豪勢だな」
「そうだね」
「ああ……まあ、そりゃそうか」
俺は苦笑する。
「昨日は盗賊に襲われた直後だったしな」
「だから今日は休んで」
「……ああ」
素直に頷いた。
――つもりだった。
「まだ無理に立たないでね」
「いや、今日は休むつもりだったんだけどな」
「絶対嘘」
即答だった。
「顔が『もう働く』って言ってるもの」
「……そんなに分かりやすいか?」
「うん」
「反省はしてる」
「反省だけ?」
「……善処します」
「よろしい」
そんなやり取りをしていると、ふと身体の変化に気づいた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「筋肉痛が……少し楽になってる」
さっきまで身体中を覆っていた痛みが、明らかに弱まっている。
「すごいな、この薬草汁」
「効いた?」
「ああ。かなり痛みが和らいだ」
「でも、無理はしないようにね」
「分かってるよ」
全快には程遠い。
それでも、これなら少しくらいなら動けそうだ。
「あと、チーズも少しもらえたから入れたよ」
「え?」
俺は思わず顔を上げた。
「チーズまで貰えたのか?」
「うん」
「あ……しまった」
「何?」
「もし貰えそうなら、ヤギと鶏も貰えないか聞いておくんだった」
「あー……」
アトラが少し困った顔をする。
「怪我してた人たちも一応動けるようになったから、予定より遅れてるって言って、朝早く出て行っちゃった」
「もう出発したのか」
「うん。昨日は結構ひどい怪我だったはずなんだけどね」
「丈夫だな……」
「本当に」
俺は苦笑した。
「まあ、向こうにも向こうの都合があるしな。そもそも、ここに来たこと自体が予定外だったんだろ」
「そうだね」
「だったら仕方ない」
そう自分に言い聞かせながら、俺はオートミールを口へ運ぶ。
「……うん」
美味い。
素朴な味だが、妙に安心する。
少なくとも、昨日まで食べていた――。
うーっすーい雑穀のグリュエルとは比べ物にならない。
「牛乳も欲しいところだけどな」
「牛?」
「ああ。牛乳があればもっと美味しくなる」
とはいえ、今の俺たちに牛を飼う余裕なんてない。
まずは生きるための食料。
それから住居。
そして、その先だ。
薬草汁のおかげで痛みはかなり引いた。
もちろん、全快したわけじゃない。
それでも――。
「このくらいなら、見て回るくらいはできそうだな」
「本当に無理しないでね」
「ああ」
俺は重い身体をゆっくりと起こした。
今日は休む。
……休むつもりだった。
だが、やはり気になるものは気になる。
新しく建設できる施設もあるはずだ。
ならば――。
確認だけはしておきたい。
そう自分に言い訳しながら、俺はマザークリスタルのもとへ向かった。
◇
マザークリスタルの前に立つ。
すると、すぐに声が響いた。
『おはようございます』
『一晩が経過しました』
『新たに一体の妖精を召喚できるだけのレイキが蓄積されています』
『どうぞ、お試しください』
「よし」
俺はクリスタルへ手を伸ばした。
「俺の声が聞こえるなら――」
そして、はっきりと告げる。
「こちらへ来てくれ、妖精!」
その瞬間。
マザークリスタルから眩い光が溢れ出した。
「――っ!」
視界が真っ白に染まる。
光は次第に一点へ収束し、球状になった。
そして――。
ふわり。
その光の中から、一匹の妖精が姿を現した。
大きな黒猫。
胸元には白い斑があり、頭には小さな帽子。
洒落た服を身にまとい、人間のように二本足で立っている。
そして、その猫は俺を見るなり、にっこりと笑った。
『あなたがあたしのご主人さまかにゃ?』
『私はベル。見ての通りの猫妖精ですにゃ』
『これからよろしくですにゃ』
「……猫妖精か」
昨日は犬。
そして今日は猫。
もしかすると、これもチュートリアルの一環なのだろうか。
「ああ、よろしくな。ベル」
『よろしくですにゃ、ご主人さま』
すると、俺の手の中に一枚のカードが現れた。
そこには、今目の前にいるベルの姿が描かれている。
「これは?」
『それは、あたしとご主人さまが契約を結んだ証ですにゃ』
『大切にしてほしいですにゃ』
「ああ、分かった」
カードを眺めてから、俺はベルを見る。
「それで、ベルは何ができるんだ?」
『狩り、隠密行動、見張り』
ベルは胸を張った。
『それと、食料庫の管理が得意ですにゃ』
「ほう……」
かなり実用的だ。
「ちょうど今、俺たちが一番困っているのは食料を失うことなんだ」
種を蒔いても、収穫できるのはずっと先。
それまでの食料を守らなければならない。
「だからベルには、食料庫の管理を頼んでいいか?」
『もちろんですにゃ!』
ベルは元気よく胸を叩いた。
『あたしがいれば、食料庫にネズミ一匹たりとも入れませんにゃ!』
「頼もしいな」
『任せてほしいですにゃ!』
ベルはさっそく食料庫へ向かって走り出した。
しかし――。
食料庫へ向かう途中で、ぴたりと足を止める。
『……ん?』
鼻をひくつかせる。
『ネズミの気配がプンプンするですにゃ』
次の瞬間。
『今すぐ狩るにゃー!』
「え?」
ベルは猛然と走り出した。
「おい、待て!」
俺も慌てて後を追う。
そして食料庫に入ると――。
ベルは壺の縁へ軽々と飛び乗った。
そのまま一つ一つ、鼻を近づけていく。
『……壺はどれも異常なしにゃ』
そう呟いた瞬間だった。
ベルの動きが止まった。
床へ腹ばいになる。
尻尾だけが、ゆっくり左右へ揺れた。
耳がわずかに動く。
鼻先が空気を探るように震えた。
『…………いたにゃ』
次の瞬間。
黒い影が弾けた。
『そこにゃ!』
ドンッ!
壁を蹴る。
狭い隙間へ一瞬で飛び込む。
「チュッ!」
「チュッ!」
「チュッ!」
そして――。
戻ってきたベルの口には、三匹のネズミがぶら下がっていた。
「……」
俺は呆然とする。
「すご……」
目で追うことすら難しい。
「もう三匹も捕まえたのか?」
『こんなの朝飯前ですにゃ』
ベルは得意げに胸を張った。
そして、捕まえたネズミを俺の前へきれいに並べる。
『あ、こいつらは後でちゃんと食べますにゃ』
「……食べるのか?」
『あったりまえですにゃ』
ベルは不思議そうに首を傾げた。
『獲物は無駄にしない』
『それが猫の流儀ですにゃ』
「なるほど……」
猫って、本当に狩った獲物を見せに来るんだな。
「助かるよ」
俺は三匹のネズミを見下ろした。
「これで少なくとも、穀物が食い荒らされる心配は減った」
『まっかせるですにゃ!』
ベルは自信満々に胸を張る。
しかし、すぐに食料庫を見回した。
『……でも』
「ん?」
『この食料庫、隙間が多すぎるですにゃ』
ベルが壁の隙間を指差す。
『ここも』
『あそこも』
『あっちもですにゃ』
「……確かに」
これではネズミが入り放題だ。
「なるべく早く塞ごう。ついでに、塔の修繕も必要だな」
『それがいいですにゃ』
「ともかく、ベルはここで穀物を守ってくれ」
『了解ですにゃ!』
ベルは元気よく返事をした。
だが――。
視線が、食料庫の奥へ向く。
三つしかない穀物壺。
『……』
「どうした?」
『守るものが……少なすぎるですにゃ』
「……」
『平和なのは良いことなんだけどにゃ』
ベルは少し寂しそうに三つの壺を見つめる。
『仕事が少なすぎるですにゃ……』
そう言ったかと思うと――。
ころん。
その場でふて寝を始めてしまった。
「……本当に猫は気まぐれだな」
俺が苦笑すると、ベルが片目だけ開いた。
『ネズミが動くのは夜ですにゃ』
「ん?」
『だから昼は休んで、夜に備えるんですにゃ』
「なるほど」
俺は納得した。
「夜が本番ってわけか」
『そうですにゃ』
ベルは再び目を閉じる。
『夜も任せるですにゃ……』
「頼もしい警備員だよ、まったく」
俺は笑いながら、その場を後にした。
◇
そして、今度こそ都市の状況を確認する。
俺は都市管理画面を開いた。
――都市管理システム――
都市名 :エマイン・マハ
状態 :限界集落(都市Lv2)
施設
・叡智の塔 Lv1
・農場 Lv1(畑・放牧地)
建設可能施設
・製材所 Lv1
・共同住宅 Lv1
・厨房付き大食堂 Lv1
次の目標
・叡智の塔をランクアップする
「……よし」
目標も、都市の状態も変わっている。
そして何より――。
「製材所が建設可能になってる」
木材さえ確保できれば、住居も建てられる。
家具も作れる。
橋や荷車、水車だって作れるようになる。
文明を再建するなら、木材は絶対に必要だ。
「けど、その前に……」
俺はマザークリスタルを見る。
「塔を強化しておこう」
俺はクリスタルへ向かって静かに告げた。
「叡智の塔――階級上昇、解放」
『機能上昇解放条件の達成を確認』
『管理中枢の階級を上昇させます』
『処理速度――拡張』
『演算能力――拡張』
『メモリ容量――拡張』
『ストレージ容量――拡張』
その瞬間――。
マザークリスタルの中心部が、眩い黄金色に輝いた。
「……!」
内部では幾重もの魔法陣が歯車のように回転し、無数の魔法文字が次々と空中へ浮かび上がっていく。
それらが一斉に塔全体へ流れ込んだ。
まるで巨大な血管を、レイキという名の血液が駆け巡っているようだった。
ゴォォォォォ……。
低く重い振動が、塔全体を揺らす。
その響きは――。
まるで、長い眠りについていた巨人が目を覚ますかのようだった。
壁や柱に刻まれていた古代文字が、青白く輝き始める。
崩れかけていた石壁の亀裂が、ゆっくりと閉じていく。
欠けていた石材も、周囲の魔力を吸い寄せるように少しずつ修復されていった。
森の木々がざわめく。
遠くで鳥の群れが一斉に飛び立った。
眠っていた獣たちまでもが、何事かと顔を上げる。
塔が――。
変わっていく。
完全に元通りになったわけではない。
それでも昨日まで、ただの廃墟だった建物が。
今は確かに――。
生きている建造物へと変わり始めていた。
やがて、塔の頂から淡い光の波紋が広がった。
光は集落全体を包み込み、そのまま大地へ染み込んでいく。
「……」
空気が違う。
澄んでいる。
呼吸するだけで、身体が少し軽くなるような感覚があった。
「……レイキの濃度が上がった?」
アトラも目を見開いている。
「空気が違う……」
彼女は周囲を見回した。
「昨日までより、魔力の流れがずっと穏やかになってる」
『マザークリスタルの変換効率が向上しました』
『周辺環境へのレイキ供給能力も上昇しています』
頭の中へ、次々と情報が流れ込んでくる。
以前より明らかに処理が速い。
都市全体が――。
俺の思考と一体化したような、不思議な感覚だった。
そして直後。
視界へ、新たな表示が浮かび上がる。
――――――――――
施設:叡智の塔 Lv2
施設上限を解放しました。
・農場 Lv1 → 最大Lv2
・製材所 最大Lv2
・共同住宅 最大Lv2
・厨房付き大食堂 最大Lv2
――――――――――
「なるほど……」
思わず笑みが浮かぶ。
塔そのものを強化したことで、都市全体の成長限界まで引き上げられたらしい。
つまり――。
これから建てる施設も、さらに先の発展を見据えられる。
都市はようやく。
本当の意味で、村として歩き始めたのだ。
まだ住民は少ない。
家もない。
畑も小さい。
食料だって、決して十分とは言えない。
それでも――。
昨日までの俺たちは、生き延びることしか考えられなかった。
今日からは違う。
未来を作る。
そのための一歩を、ようやく踏み出せる。
その違いは――。
とてつもなく大きかった。
俺はもう一度、都市管理画面を開く。
――都市管理システム――
都市名 :エマイン・マハ
状態 :限界集落(都市Lv2)
施設
・叡智の塔 Lv2
・農場 Lv1(畑・放牧地)
建設可能施設
・製材所 Lv1
・共同住宅 Lv1
・厨房付き大食堂 Lv1
次の目標
・製材所を建設する
「よし」
まずは製材所だ。
木材は、文明の骨格になる。
家。
家具。
橋。
荷車。
水車。
人の暮らしを支えるものの多くは、木から生まれる。
森には木がある。
だが、木を切り倒すだけでは建材にはならない。
加工する場所が必要だ。
だから――。
製材所は、この村にとって最初の「工房」になる。
俺がそんなことを考えていると。
『昼寝が終わったら、また見回るですにゃ……』
後ろから、ベルの寝言が聞こえた。
ちらりと振り返る。
黒猫の妖精は、気持ちよさそうに丸まって眠っていた。
「……まったく」
俺は思わず笑う。
「頼もしい警備員を雇えたもんだ」
こうして――。
エマイン・マハの文明再建は、また一歩前へ進んだ。




