世界を守る竜と、黒の教団
超古代文明の石切場。その最深部に設けられた封印区画で、俺たちは巨大な扉の向こうにいる太古の竜と向き合っていた。
黒の結晶は破壊し、守護者も正気を取り戻した。しかし、封印区画の安全性はまだ確認できていない。
リリィは壁面の紋様を調べ、ローズとミントは破壊した結晶の破片を保管している。デルブとコルは帰り道の安全を確かめ、ガンドは今も石材加工設備のことが気になって仕方がないらしい。
そして、俺の肩にはナンシーがちょこんと乗っていた。
『……人間よ。お前たちは、この施設を何に使うつもりだ』
封印の扉の向こうから、低い声が響いた。
「この石切場のことか? 設備が安全に使えると分かれば、街づくりに利用したいと思っている。花崗岩を城壁や城門の基礎に使えるし、大理石があれば建物の装飾にも使えるだろう。石灰石を加工できる設備が残っていれば、農業や建築にも役立つはずだ」
『……やはり、人間は変わらぬな』
「いきなり何だよ?」
『山を削り、森を切り開き、地下の力を利用する。己らの繁栄のために大地を変え、それを文明と呼ぶ』
ウロボロスの声には、隠そうともしない冷たさがあった。
『人間は、己らが得るものばかりを語る。だが、そのために何が失われるのかを考えようとはせぬ』
「いや、必要な資源を確保すること自体が悪いわけじゃないだろう。俺たちだって、何も考えずに掘り進めるつもりはないぞ」
『その必要を決めるのは誰だ? 人間か? ならば問おう。己らの繁栄が大地の限界を超えたとき、お前たちは何を選ぶ?』
「……」
いきなり厳しいところを突いてくる。
俺たちは住民の暮らしを守るために、街を発展させようとしている。それは確かだ。だが、そのために何をどこまで利用するのか、という問題については、簡単に答えられるものでもない。
ウロボロスは、そんな俺たちの事情など理解したうえで、それでも問いかけているようだった。
『我は、人間の文明そのものを守るために存在しているのではない。世界を守るために存在しているのだ』
「……あんたの名前は?」
少しの沈黙の後、竜が答えた。
『我が名は、ウロボロス』
その名を聞いた瞬間、リューネが目を見開いた。
『……やはり、あなたでしたか』
『おお、森の守り手よ。お前もそこにいるのか』
それまで人間たちに向けられていた冷たい声が、驚くほど穏やかになった。
『久しいな。世界樹の森は、今も健在なのか』
「はい。まだ問題は残っていますが、森は少しずつ回復しています」
『そうか。それはよかった』
……え?
今、明らかに声の調子が変わらなかったか?
さっきまで俺たちには文明がどうの、大地がどうのと厳しいことを言っていたのに、リューネにはずいぶん優しい。
ガードナーが、俺の隣で小声を漏らした。
「……なあ、ハーシス。俺たちと扱いが違わないか?」
「俺もそう思っているところだ」
『リューネよ。お前は世界樹を蝕むものを見てきたのだろう。世界が傷つくことの意味を、身をもって知っているはずだ』
「はい。だからこそ、人間も世界を守る側になれると信じたいのです」
『……そうか』
ウロボロスは、しばらく沈黙した。
『お前がそう考えることを、我は否定せぬ。お前自身が森を守ろうと尽くしてきたことも、軽んじるつもりはない』
「ありがとうございます」
リューネが少し微笑んだ。
どうやら、ウロボロスは彼女を、自分と同じく世界を守ろうとする意思を持つ者として尊重しているらしい。
その一方で、俺たち人間に対する不信感はまったく薄れていない。
「……俺たちも、住民を守るためにいろいろやってきたんだけどな」
『それは、お前たちの務めであろう』
「そりゃそうだけどさ……」
あまりにも取りつく島がない。
そのとき、リリィが壁面の調査を続けながら口を開いた。
「ウロボロス。あなたが世界を守る存在であることは理解しました。ただ、この施設が封印を維持している以上、その仕組みを調査する必要があります。採掘設備についても、安全に利用できるかどうか確認したいのです」
『……お前は、古代の機構を再び動かそうというのか』
「はい。ですが、封印機構に影響するのであれば、採掘設備の再稼働は見送ります」
『その判断を、己自身で下せるのか?』
「少なくとも、設備の仕組みを理解せずに動かすつもりはありません」
ウロボロスの声が、わずかに低くなった。
『人間は、己の知識と技術で大地を変えられると考えている。だが、技術的に可能であることと、行うべきことであることは違う』
「……」
リリィは真剣な表情で答えたものの、それ以上は言い返せなかった。
技術者として合理的な判断をしようとしても、ウロボロスは、その合理性が世界全体にとって正しいのかと問い続ける。
この調子では、話し合いはなかなか進まなそうだ。
◇
「ところで、ウロボロス。今回の黒の結晶についてなんだが……」
俺は、破壊した結晶の保管容器を見た。
「おそらく、黒の教団が仕掛けたものだと思う。奴らは超古代文明の痕跡を破壊することを目的にしているらしい」
『……ほう』
意外なことに、ウロボロスはすぐには怒らなかった。
『人間の文明の痕跡を破壊する。それ自体は、我が咎めることではない』
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
「いや、でも、あいつらのせいで守護者が暴走したんだぞ?」
『それは別の話だ』
ウロボロスの声が、わずかに冷たくなる。
『古代文明が大地を傷つけて築いたものであるなら、その痕跡が失われることを我が惜しむ理由はない。人間が造ったものだからという理由だけで、永遠に残す必要もあるまい』
俺は、思わずリリィを見た。
彼女も、意外そうな表情を浮かべている。
古代文明の遺産を守ろうとしている俺たちにとっては、当然残しておきたい施設だ。しかし、ウロボロスにとっては、古代文明の建造物そのものに特別な価値があるわけではないらしい。
『だが、己が破壊しようとするものが、何を支えているのかも知らずに力を振るったのならば、愚かと言うほかあるまい』
「……つまり、遺跡を壊すこと自体には反対しないけど、やり方が問題だということか?」
『その遺跡が世界に何をもたらすかも知らずに破壊することも、己の都合だけで保存することも、我には同じように見える』
ウロボロスは、淡々と続けた。
『人間の文明が世界を傷つけてきたのであれば、その痕跡が失われること自体を嘆く理由はない。だが、その破壊が新たな傷を生むのならば、止める必要がある』
俺は、今回の事件を思い返した。
黒の結晶によって守護者は異常な状態になり、石切場の設備も正常な動作を失っていた。しかも、この施設は地下の封印機構ともつながっていた。
もしあのまま守護者が暴走し続けていたら、封印まで危険にさらされていたかもしれない。
「……ということは、教団がやったことも、結果次第では問題ないというのか?」
『結果だけではない。何を知り、何を理解したうえで行動したのかも重要だ』
ウロボロスの声が、わずかに重くなった。
『この施設が世界を傷つけるものであると理解し、その危険を取り除くために破壊したのであれば、我が咎める理由はない。だが、何が封じられ、何が維持されているかも知らず、ただ己らの目的のために破壊したのならば、それは愚行だ』
「……教団が、ここに竜が封じられていると知っていたかどうかは分からない」
『ならば、まだ判断する段階ではない』
ウロボロスは、あっさりと言い切った。
『人間が行ったことだから悪いのでも、古代文明のものだから守るべきなのでもない。世界に何をもたらすかを見極めよ』
……なるほど。
ウロボロスは、教団を無条件に敵だとは考えていない。古代文明の破壊そのものにも、必ずしも反対していないのだ。
ただ、世界の均衡を脅かしたのであれば、相手が誰であろうと容赦しない。
俺たちにとっては厄介な考え方だが、彼の中では一貫しているのだろう。
◇
その話を聞いていたローズが、静かに口を開いた。
「ウロボロス。あなたは、人間が世界を傷つけてきたことを理由に、人間の文明を信用できないと言うのね」
『そうだ』
「……私たちも、人間の実験の被害者だったわ」
その言葉に、周囲の空気が変わった。
「人間が、他者を実験材料として扱い、傷つけてきたことは、私たちも知っている。だから、あなたの言うことが全部間違っているとは思わない」
ローズは、まっすぐに封印の扉を見つめた。
「でも、それだけで、すべての人間を同じように扱うつもりはないわ」
『己を傷つけた者たちを、許すというのか』
「許すかどうかと、人間のすべてを同じだと考えるかどうかは別の話よ。悪いことをした者には責任を取らせるべき。でも、何もしていない人まで同じだとは思わない」
ウロボロスは、すぐには答えなかった。
『個々の善良さを並べたところで、人間の文明が世界を傷つけてきた事実は変わらぬ』
「ええ。過去の過ちをなかったことにするつもりはないわ」
ローズは、少しだけ視線を落とした。
「それでも、今を生きている人たちが何をするかまで、過去だけで決めてしまうのは違うと思うの」
その隣で、ミントがこくこくと頷いていた。
「うん!」
ウロボロスが、ミントへ意識を向ける。
『お前も、人間の行いによって傷つけられた者なのだろう』
「うん。でも、パパはいい人だよ!」
『……何?』
「パパはいい人だよ!」
ミントは、それ以外の説明をするつもりがないらしい。
ウロボロスは沈黙した。
『……我は、人間という種が世界に何をしてきたかを問うている』
「でも、パパはいい人だよ!」
『…………』
ハーシス「ミント、もう少し何か説明してあげても……」
「パパはいい人だよ!」
「分かった、分かった!」
ガードナーが、堪えきれずに顔を背けた。
シャーリスも、笑いをこらえている。
ローズは額に手を当てていた。
「ミント……。今は、そういう話をしているんじゃないのよ」
「でも、パパはいい人だよ?」
「うん、分かったから」
ウロボロスの気配が、明らかに困惑している。
『……人間という種についての話をしているのだが』
「パパはいい人だよ!」
『…………』
さすがの太古の竜も、これには返す言葉が見つからないらしい。
リューネが、とうとう小さく笑った。
『リューネよ。何がおかしい』
「いえ……。ミントらしいなと思いまして」
『……そうか』
ウロボロスの声は、また少しだけ穏やかになった。
いや、何でだよ!
「ちょっと待ってくれ! リューネにもミントにも優しくて、俺たちには厳しいのはどういうことなんだ!?」
『リューネは、世界を守るために自ら行動してきた。ミントは、自分が信じる相手を信じている。それだけのことだ』
「それだけで、そんなに扱いが変わるのか!?」
『当然だ』
「当然なのか……」
俺は肩を落とした。
その肩の上で、ナンシーが小さく動いた。
『ハーシス。ウロボロスの判断基準は、必ずしも一貫性を欠いているわけではありません。彼は、対象の行動や役割を重視しているようです』
「そうなのか?」
『はい。ただし、人間という種全体に対する評価と、個々の人物への評価が混在しているため、判断が厳しく感じられるものと思われます』
『……小さき者よ』
『はい』
『お前は、なかなか口が回るようだな』
『必要に応じて情報を整理し、回答しています』
『……そうか』
ウロボロスは、少しだけ呆れたような気配を漂わせた。
ナンシーは、俺の肩の上で平然としている。
……この二人、意外と相性がいいのかもしれない。
いや、ウロボロスはナンシーのことを、まだほとんど認めてはいないだろう。ただ、少なくともリリィのように「人間の文明を発展させる技術者」として一方的に警戒するだけではなくなった気がする。
◇
リューネが、改めてウロボロスへ問いかけた。
「ウロボロス。あなたは、黒の教団が何をしようとしているのか、どう考えていますか?」
『何をしようとしているかは、まだ分からぬ』
ウロボロスは、慎重に答えた。
『古代文明の痕跡を破壊しようとしているのであれば、その目的だけをもって我が咎めることはない。だが、この施設を破壊することで世界の均衡が損なわれるならば、話は別だ』
「やはり、封印機構への影響が問題なのですね」
『そうだ。封印が必要な理由を理解せずに壊すことも、封印の危険を知りながら己の目的を優先することも、同じように愚かである』
俺は、肩の上のナンシーに視線を向けた。
「……ナンシー。今回の施設の調査では、何を優先すればいいと思う?」
『現時点では、採掘設備と封印機構の関係を明らかにすることが最優先です。資源の採掘量や生産効率を検討するのは、その後です』
「そうだな。まずは安全性を確かめよう」
『了解しました。調査結果を整理し、施設の機能を把握するための計画を作成します』
『……人間よ』
ウロボロスの声が響いた。
『お前たちは、己の目的を優先するあまり、世界に何をもたらすのかを忘れてはならぬ』
「ああ。分かっている」
『言葉ではなく、行動で示せ』
「……そうするよ」
ウロボロスは、それ以上何も言わなかった。
俺は、封印の扉を見上げた。
この竜は、黒の教団だからといって無条件に敵視するわけではない。古代文明だからといって無条件に守るわけでもない。
何を壊すか、何を残すかではなく、それが世界に何をもたらすか。
その視点から、俺たちも教団も同じように見られているのだろう。
つまり、教団を倒せばすべて解決するわけではない。
俺たち自身も、何を造り、何を利用し、何を守るのかを考え続けなければならない。
◇
やがて、リリィが封印区画周辺の調査結果をまとめた。
「現時点では、封印機構は稼働しています。ただし、黒の結晶が一部の制御系統に干渉していた可能性があります。完全な安全確認には、まだ時間が必要です」
「分かった。採掘設備の再稼働は、封印機構との関係が分かるまで保留しよう」
「賢明だと思います」
デルブも、周囲の構造を再確認していた。
「ここは通常の採石場とは違う。構造を理解しないまま手を加えるのは危険だ」
『うむ。勝手に掘ってはならん場所じゃな』
ガンドも、さすがに真剣な顔をしていた。
コルは少し残念そうに壁を眺めたものの、今回は何も言わなかった。
ここが、単に石を掘る場所ではないと理解したのだろう。
「リリィ、今後はどうする?」
「まずは封印区画の記録を復旧し、採掘設備と封印機構の関係を調べる必要があります。石切場の設備を利用できるかどうかは、それから判断した方がよいでしょう」
「分かった。今は無理に動かさないでおこう」
俺は、巨大な封印の扉を見つめた。
扉の向こうにいるウロボロスは、人間を信用していない。
だが、黒の教団を無条件に敵視しているわけでもない。
教団が古代文明の痕跡を破壊すること自体は、ウロボロスにとって問題ではないのだろう。問題は、その行動が世界の均衡を損なうかどうか。そして、その結果に対して責任を持てるのかどうかだ。
そう考えると、ウロボロスが最も厄介なのは、誰かを悪と決めつけて戦う存在ではないことなのかもしれない。
俺たちが正しいと信じていることすら、彼は容赦なく問い直してくる。
それでも、俺は街を発展させることを諦めるつもりはなかった。
住民の暮らしを守るためには、資源も技術も必要だ。
ただし、それらを利用することで世界を傷つけるのなら、何かを変えなければならない。
その答えは、まだ見つかっていない。
「……ウロボロス。俺たちは、この施設を調べ続ける。封印に影響を与えない方法を探しながら、使える設備があるなら、きちんと安全を確かめてから利用するつもりだ」
『よかろう。お前たちが何をするのか、見届けるとしよう』
「……ああ」
ミントが、封印の扉に向かって元気よく手を振った。
「じゃあね、ウロボロス!」
『……何をしている』
「またね、って言ったの!」
『……また来るつもりなのか』
「うん!」
『…………』
ウロボロスは、しばらく沈黙した。
『……リューネよ。次にこの者たちが来るときは、お前も同行するのだろうな』
「そのつもりです」
『そうか。ならば、話をしよう』
「俺たちもいるんだけど!?」
『人間。お前たちは、まず己らの行いを示せ』
「はい……」
ガードナーが俺の肩を叩いた。
「まあ、嫌われているのはお前だけじゃないみたいだぞ」
「慰めになってない!」
リューネが笑い、シャーリスも肩を震わせている。
ローズは苦笑し、ミントは最後まで「パパはいい人だよ!」と繰り返していた。
そして、俺の肩ではナンシーが、いつもどおり冷静に周囲を観察している。
『ハーシス。今回の調査結果を整理します。施設の安全性は未確認です。採掘設備の復旧は、封印機構との関係を明らかにしてから判断する必要があります』
「分かった。帰ったら、調査計画をまとめよう」
『了解しました』
俺は、もう一度、封印の扉を振り返った。
超古代文明の石切場は、単なる資源採取施設ではなかった。
そこには、世界を守るための仕組みと、世界を守ろうとする強大な存在が眠っていた。
そして、教団が仕掛けた黒の結晶は、その均衡を崩しかけていた。
古代文明の痕跡を残すべきか、それとも破壊すべきか。
そんな単純な話ではない。
大切なのは、そこに何があり、それを壊したり利用したりすることで、世界に何が起こるのかを見極めることだ。
ウロボロスは、その答えを俺たちに教えてはくれない。
ただ、俺たちがどんな選択をするのかを、冷ややかに見届けようとしている。
……ユグドラとは、ずいぶん違う世界の守護者だ。
そして、これから先の街づくりは、これまで以上に難しくなりそうだった。




