君の名は
結晶剣へ刻まれた亀裂は、なおもゆっくりと広がっていた。
ピシッ。
ピシッ。
細かな破片が青い光となって剥がれ落ちる。
それでもガーディアン・ロードは微動だにしない。
その巨体は、俺たちを守る城壁そのものだった。
俺は強く拳を握り締める。
守護者は命令を待っている。
だが、ただ「倒せ」と命じるだけでは勝てない。
デバウアーは倒す相手ではなく、封じるべき災害なのだ。
試練の回廊で出会った青年。
マザー。
ガンド。
デルブ。
皆の言葉が頭の中で繋がっていく。
そして、一つの答えへ辿り着いた。
◇
「マザー」
『はい』
「旧文明はどうやってデバウアーを止めた?」
マザーはすぐには答えなかった。
まるで、遠い記憶を探るように。
『……撃破していません』
やはり。
予想通りだった。
「封印したんだな?」
『はい』
『世界樹の根と管理者契約を利用し』
『活動を永久停止状態へ移行しました』
「永久停止……」
『厳密には違います』
『魔力循環を零へ固定し』
『活動限界以下まで出力を低下させました』
つまり、殺したわけではない。
動けなくしただけだ。
俺はデバウアーを見据える。
あれほどの存在なら、完全に破壊する方法など存在しないのだろう。
◇
その時。
デルブが叫んだ。
『小僧!』
『胸じゃ!』
「胸?」
『胸の黒い核だけが、山の流れに逆らっておる!』
ガンドも頷く。
『身体は喰うた金属で出来ておる』
『じゃが核だけは違う!』
『あれだけは、世界樹に属しておらぬ!』
ナンシーが解析結果を重ねる。
『照合完了』
『敵本体』
『胸部結晶核』
『外殻は自己生成物』
『核のみが本体です』
やはり。
狙うべきはあそこだけだ。
◇
その時、ミントが俺の服の裾を引っ張った。
「パパ」
「どうした?」
ミントはデバウアーではなく、その足元を指差している。
「下」
「下に光ってる」
俺は目を凝らす。
黒い巨体の足元。
崩れた床の隙間から、僅かに青い光が漏れていた。
ナンシーが即座に拡大表示する。
『地下空洞を確認』
『世界樹主根』
『接続部位』
マザーが驚いたように声を上げる。
『そんな……』
『まだ無事だったのですね』
「つまり?」
『あそこが、この山の心臓です』
『世界樹の主根』
『デバウアーは主根へ到達しようとしています』
あと少しで。
あと数メートルで。
世界樹そのものへ手が届く位置だった。
◇
俺はガーディアン・ロードを見上げる。
「聞こえるか」
『はい』
「勝つ必要はない」
巨大な守護者が静かに頷く。
「核を世界樹から引き離せ」
「それだけでいい」
数秒。
沈黙が流れる。
そして。
『戦術を更新』
『撃破』
『封印へ変更』
『成功率を再計算』
蒼い瞳が何度も瞬く。
『新戦術』
『成功率』
『六七%』
先ほどより大きく上昇した。
◇
デバウアーが再び咆哮する。
黒い結晶から無数の棘が伸び、槍のように降り注いだ。
ガーディアン・ロードは巨大な剣を横薙ぎに振るう。
蒼い衝撃波。
黒い槍。
真正面から激突する。
ドガァァァァン!!
爆風が封印区画を駆け抜けた。
その隙だった。
『今です』
マザーが叫ぶ。
ガーディアン・ロードは剣を手放した。
「なっ!?」
巨大な結晶剣が床へ突き刺さる。
守護者は両腕を大きく広げ、そのままデバウアーへ体当たりを仕掛けた。
轟音。
白銀の巨体が黒い異形を真正面から抱え込む。
ギギギギギギ……。
互いの装甲が悲鳴を上げる。
『捕獲成功』
『敵移動開始』
ガーディアン・ロードは全身の関節から蒼い炎を噴き出しながら、一歩、また一歩とデバウアーを押し始めた。
目指す先はただ一つ。
世界樹の主根から離れた封印陣の中央。
◇
しかし。
ドクン!!
黒い核が、これまでで最も大きく脈打った。
瞬間。
ガーディアン・ロードの胸部装甲を、黒い棘が貫いた。
ゴシュッ!
蒼い魔力が血のように噴き出す。
『損傷確認』
『胸部魔力炉』
『損傷率』
『三八%』
ナンシーが警告を発する。
ガンドが思わず叫んだ。
『いかん!』
それでも。
ガーディアン・ロードは止まらない。
胸を貫かれながらも、一歩。
また一歩。
主根からデバウアーを引き離していく。
その姿を見た俺は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
三千年間。
この騎士は、たった一つの命令だけを守り続けてきた。
――未来の管理者を守れ。
その使命だけで、今なお戦い続けているのだ。
そして、その忠誠に応える時が来た。
俺はゆっくりと剣を構え、ナンシーへ向かって静かに命じた。
「ナンシー」
「封印術式を起動する」
『了解』
『管理者補助を開始』
俺の足元へ、幾重もの青い魔法陣が静かに展開され始めた。
幾何学模様を幾重にも重ねた巨大な魔法陣が、俺の足元からゆっくりと広がっていく。
青白い光が床に刻まれた世界樹の紋様と重なり、一つ、また一つと古代文字が浮かび上がった。
ナンシーが高速で演算を続ける。
『封印術式を展開』
『世界樹接続開始』
『管理者認証』
『文明継承者認証』
『マザー認証』
『三重認証維持』
青い光が地下空間を満たしていく。
一方で、デバウアーの黒い瘴気も濃さを増していた。
白と黒。
二つの力が真正面から拮抗する。
◇
俺の脳裏へ、次々と情報が流れ込んできた。
封印陣。
魔力の流れ。
世界樹の主根。
施設全体の構造。
そして――。
ガーディアン・ロードの現在位置。
「そういうことか……」
俺は思わず呟いた。
試練は、ここへ来るためのものだったのだ。
戦う技術ではない。
管理するための知識。
都市も。
施設も。
守護者も。
すべて一つの巨大な仕組みとして動いている。
管理者とは、その全体を見渡す存在なのだ。
◇
「マザー」
『はい』
「封印陣の中心はどこだ?」
すぐに床へ一つの光点が浮かぶ。
『現在』
『デバウアーの後方二・四メートル』
そこは、ガーディアン・ロードが押し込もうとしている場所と完全に一致していた。
「あと少しだ……!」
巨大な守護者は全身の関節から蒼い光を噴き出しながら、一歩ずつ異形を押し続ける。
ギギギギ……。
床が削れ、岩盤が砕ける。
胸を貫かれてなお、その足は止まらない。
『目標地点まで』
『一・八メートル』
ナンシーが淡々と告げる。
◇
しかし、その時だった。
デバウアーの黒い核が、不気味なほど静かになった。
鼓動が止まる。
ドクン。
という音さえ消えた。
「……?」
ガンドが顔色を変える。
『気を付けろ!』
『何か来る!』
次の瞬間。
ドグォォォォォッ!!
黒い核が爆発するように脈動した。
黒い衝撃波が球状に広がり、封印区画を一気に飲み込む。
ガーディアン・ロードが吹き飛ばされる。
俺たちも衝撃で床を転がった。
「ぐっ!」
視界が揺れる。
耳鳴りが止まらない。
ナンシーの声だけが、途切れ途切れに聞こえてくる。
『警……告』
『魔力……暴走』
『術式……四二%……損傷』
◇
立ち上がる。
砂煙の向こうを見る。
そこには。
デバウアーだけではなかった。
黒い瘴気が人の形を取り始めていた。
一人。
二人。
三人。
いや、それ以上。
数十体。
全員が黒い鎧を纏い、顔のない騎士の姿をしている。
その手には、それぞれ異なる武器。
剣。
槍。
斧。
弓。
ナンシーが解析を始める。
『新規敵性反応』
『個体数』
『四十八』
『デバウアーより分離』
『魔力擬似生命体』
導師ゼクトが絶望したように叫ぶ。
「そんな馬鹿な!」
「まだ増えるのか!」
マザーが静かに説明する。
『デバウアーは』
『捕食した生命情報を複製できます』
『彼らは』
『過去に捕食された守護兵の模倣体です』
ぞっとした。
つまり。
これまで喰われた者たちが、敵として蘇っているのだ。
◇
黒い騎士たちが一斉にこちらを向く。
そして。
何の感情もなく歩き始めた。
ガンドが石槌を握る。
『小僧』
『封印は続けろ』
『こいつらは儂らが止める』
デルブも四色の方位石を構えた。
『時間を稼ぐ』
コルは待ってましたと言わんばかりに拳を鳴らす。
『やっと俺の出番だ!』
ローズも静かに杖を構えた。
その背後では、ミントが両手を胸の前で合わせ、小さく祈っている。
◇
俺は仲間たちを見回した。
誰一人として逃げようとはしない。
都市を守るため。
山を守るため。
未来を守るため。
皆が、それぞれの役目を果たそうとしている。
俺も頷いた。
「頼む」
その一言だけで十分だった。
ガンドが豪快に笑う。
『任せておけ!』
次の瞬間。
黒い騎士たちと妖精たちが、真正面から激突した。
轟音。
閃光。
怒号。
戦場は再び混戦へ変わる。
一方その頃。
ガーディアン・ロードは崩れた瓦礫の中で、ゆっくりと身体を起こしていた。
胸部魔力炉からは蒼い光が漏れ続けている。
その視線は、ただ一つ。
封印陣の中心を見据えていた。
『管理者』
通信回線を通して、その低い声だけが俺へ届く。
『あと一度』
『あと一度だけ』
『押し込めれば』
『終わります』
その言葉と同時に、巨人は砕けかけた結晶剣を再び握り締め、静かに立ち上がった。
『封印術式』
『九六%』
『九七%』
ナンシーの報告と同時に、地下空間を満たしていた緑の光がさらに強さを増していく。
世界樹の巫女は静かに両手を胸の前で重ね、祈るように目を閉じた。
彼女の足元から伸びる無数の光の根が、世界樹の主根へ溶け込んでいく。
それに呼応するように、地下深くから生命の鼓動にも似た振動が伝わってきた。
ドクン。
ドクン。
今度の鼓動は、デバウアーの禍々しいものではない。
穏やかで、暖かく、大地そのものが息を吹き返していくような鼓動だった。
◇
デバウアーは本能的に危険を察したのだろう。
黒い核が激しく脈打ち、全身から瘴気を噴き上げる。
ギィィィィィィッ!!
耳障りな咆哮が響き渡る。
その巨体から、残っていた黒い騎士たちが次々と吸収されていった。
四十八体。
そのすべてが黒い霧となり、本体へ還っていく。
ナンシーが即座に解析する。
『敵性個体』
『眷属を全回収』
『最終形態へ移行』
「最後の勝負を仕掛けてくる!」
俺が叫ぶ。
デバウアーの身体が急速に縮み始めた。
十メートル近かった巨体が、八メートル。
六メートル。
四メートル。
やがて人間より一回り大きい程度の大きさまで圧縮される。
しかし、その密度は比べ物にならなかった。
全身が漆黒の結晶へ変わり、胸の核だけが血のように赤く輝いている。
ガンドが息を呑む。
『圧縮した……』
『魔力を一点へ集めたぞ!』
◇
ナンシーの声が緊迫する。
『敵危険度』
『最大値を更新』
『推定攻撃』
『一撃限定』
『回避不能』
デバウアーはゆっくりと右腕を掲げた。
黒い結晶が腕へ集中していく。
その先端には、小さな黒い球体が生まれていた。
わずか拳ほどの大きさ。
だが、その周囲の空間は歪み、光さえ吸い込まれていく。
マザーが珍しく声を荒らげた。
『いけません!』
『あれは重力崩壊弾です!』
『直撃すれば、この山ごと消滅します!』
◇
その瞬間。
ガーディアン・ロードが静かに前へ出た。
俺は嫌な予感がした。
「待て」
守護者は振り返らない。
『管理者』
『最終任務を開始します』
「何をする気だ!」
返ってきた声は、どこまでも穏やかだった。
『敵攻撃を受け止めます』
「無理だ!」
『可能です』
ナンシーが否定する。
『計算結果』
『成功率』
『零・八%』
『機体消滅率』
『九九・九%』
ガーディアン・ロードは静かに答えた。
『十分です』
その一言に、誰も言葉を返せなかった。
◇
守護者は巨大な結晶剣を地面へ突き立てた。
そして胸部魔力炉へ右手を当てる。
ゴォォォォォ……。
蒼い魔力が限界を超えて噴き上がる。
亀裂だらけだった装甲が眩く輝き始めた。
ナンシーが驚愕する。
『自己炉心解放』
『禁止機能です!』
マザーも叫ぶ。
『駄目です!』
『それは初代管理者によって封印された機能です!』
しかし。
ガーディアン・ロードは微笑むような声音で答えた。
『だからです』
『未来の管理者を守るためだけに』
『使用を許可されました』
◇
俺は思わず前へ踏み出す。
「やめろ!」
「それじゃ、お前が!」
ガーディアン・ロードは初めて、ほんの少しだけこちらを振り向いた。
蒼い瞳は、どこまでも穏やかだった。
『管理者』
『ありがとうございました』
『長い間』
『待ち続けた意味が』
『ようやく報われます』
その言葉と共に、守護者の全身から蒼い粒子が舞い始める。
まるで身体そのものが光へ変わっていくようだった。
◇
そして。
デバウアーが黒い球体を放つ。
世界を飲み込む漆黒。
すべてを守ろうとする蒼白。
二つの極限の力が、封印陣の中央で真正面から激突しようとしていた。
その刹那。
世界樹の巫女が静かに目を開く。
そして、透き通るような声で一つの名を呼んだ。
「――アルト」
その名を聞いた瞬間。
ガーディアン・ロードの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
まるで、長き眠りから懐かしい声で呼び起こされたかのように。




