『山の王』
隔壁の向こうへ飛び込んだ瞬間。
耳をつんざくような金属音が通路の奥から響いてきた。
ガギィィィン!!
ズドォォォン!!
剣と剣がぶつかり合う音ではない。
何トンもの鉄塊同士が正面から激突しているような、重々しい衝撃音だった。
「近い!」
ガードナーたちを置いてきたことも忘れ、俺たちは一気に通路を駆け抜ける。
管理者権限が上がった影響なのか、ナンシーの案内表示も大きく変化していた。
青白い光の矢印が床へ浮かび上がる。
『最短経路を表示』
『目的地』
『第十五層・封印保管区画』
『到達予想』
『三分四十二秒』
「助かる!」
以前なら地図しか表示できなかったナンシーが、今では施設そのものを誘導してくれる。
権限レベル四の恩恵は想像以上だった。
◇
やがて通路は大きな十字路へ突き当たる。
その中央には、砕け散った銀色の巨人が横たわっていた。
身長は三メートルを超える。
全身を重厚な白銀の装甲で覆い、右腕には塔ほどもある大盾。
しかし、その胸部は大きく抉られ、内部の青い結晶が砕け散っていた。
ボルグがいれば名前を教えてくれただろう。
だが、ナンシーがすぐに解析を始める。
『施設防衛兵器』
『ガーディアン・ゴーレム』
『状態』
『機能停止』
『破壊時刻』
『約十五分前』
ガンドが低く唸る。
『真正面から叩き潰されておる』
『相当な怪力じゃ』
俺も頷く。
これほど巨大な守護兵器を正面から破壊するなど、生半可な相手ではない。
◇
その時。
ピッ。
ナンシーの前脚が小さく震えた。
『新たな権限を確認』
『施設防衛兵器へ接続可能』
『接続を開始しますか』
思わず立ち止まる。
「今さら?」
『残存魔力』
『八%』
『一時的再起動は可能』
壊れたゴーレムを見下ろす。
胸の結晶は砕けている。
腕も片方しか残っていない。
だが、まだ完全には死んでいないらしい。
「やってみろ!」
『了解』
ナンシーの身体から青い光が伸び、ゴーレムの胸部へ吸い込まれていく。
次の瞬間。
ゴォン……。
巨大な身体がわずかに震えた。
片目だけだった水晶の瞳へ、青い光が戻る。
『緊急命令を受領』
『暫定管理者権限を確認』
『命令を』
低く重厚な声が響いた。
俺は迷わず命じる。
「動けるか?」
『戦闘能力』
『一四%』
『歩行可能』
『戦闘継続可能』
十分だ。
「後方へ戻れ」
「エルシアとボルグ、それに皆を守れ」
『命令受諾』
ゆっくりと立ち上がるゴーレム。
片腕しかない。
装甲も半分は砕けている。
それでも、その背中には不思議な頼もしさがあった。
ガンドが満足そうに笑う。
『ほう』
『ようやく管理者らしくなってきたの』
俺も思わず笑みを浮かべる。
施設は敵ではない。
味方にできる。
それが管理者の力なのだ。
◇
さらに奥へ進む。
すると空気が変わった。
冷たい。
いや、違う。
魔力そのものが重い。
呼吸するだけで胸が圧迫されるようだった。
デルブが突然立ち止まる。
『駄目じゃ』
「何が?」
『地脈が狂っておる』
『世界樹の流れが逆流しておる』
ナンシーも同じ結論を出した。
『魔力循環異常』
『正常値の六・七倍』
『原因』
『汚染核からの逆流』
床を見れば、青く輝いていた導管は半分以上が黒く染まり、その黒い筋は封印区画の方角へ集まっていた。
まるで毒が血管を遡っているようだった。
◇
その時。
ドォォォォン!!
また爆発音。
今度は、すぐ近くだ。
続いて、人の怒号が聞こえる。
「押せ!」
「あと少しだ!」
「封印は割れる!」
男たちの声だった。
少なくとも十人以上。
俺は拳を握る。
「いた!」
通路の先から橙色の光が漏れている。
その向こうが封印区画だ。
ナンシーが即座に報告した。
『目標地点』
『到達』
『隔壁まで残り』
『十八メートル』
俺は足を止め、仲間たちを振り返る。
ガンドは石槌を肩へ担ぎ直す。
デルブは四色の方位石を握り締める。
コルは嬉しそうに拳を鳴らした。
『やっと本番だな!』
俺は静かに剣を抜く。
カシャン――。
鋼の音が静かな通路へ響く。
「相手の目的はまだ分からない」
「だが、一つだけははっきりしている」
全員が俺を見る。
「ここは俺たちの街を支える山だ」
「誰にも壊させるわけにはいかない」
三人の妖精が力強く頷いた。
『当然じゃ』
『山は儂らが守る』
『鉄も全部守る!』
その瞬間。
最後の隔壁が内側から激しく膨らんだ。
ミシッ。
ミシミシッ。
分厚い金属板へ蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
そして――。
ガァァァァン!!
轟音とともに隔壁が内側から吹き飛び、爆風が通路を駆け抜けた。
舞い上がる砂煙の向こうから、ゆっくりと一つの巨大な影が姿を現す。
人ではない。
魔物でもない。
全身を黒い結晶に覆われた、四メートルを超える異形の巨人。
胸の中央では、黒く脈打つ結晶核が、不気味な鼓動を刻んでいた。
その背後では、十数人の黒衣の男たちが歓声を上げている。
「成功だ!」
「封印が破れたぞ!」
だが、その歓声とは対照的に、ナンシーの声だけはかつてないほど深刻だった。
『最優先警告』
『封印対象を確認』
『旧文明災害指定個体』
『識別名称――』
わずかな沈黙。
そして。
『《デバウアー》起動』
『旧文明災害指定個体』
『識別名称』
『危険度――終末級』
ナンシーの淡々とした声に、珍しく微かな緊張が混じっていた。
俺は思わず聞き返す。
「終末級?」
『文明崩壊要因』
『単独で都市国家を滅ぼす危険性あり』
『通常戦力による撃破は推奨されません』
空気が凍り付く。
ガンドもデルブも言葉を失っていた。
コルでさえ笑顔が消え、巨大な異形を見上げている。
『……こんなもんを封じておったのか』
ガンドが苦々しく呟く。
『旧文明の連中も、とんでもない置き土産を残しおったわ』
◇
デバウアーはゆっくりと首を巡らせた。
ギギギ……。
錆び付いた歯車のような音を立てながら、その漆黒の瞳が周囲を見渡す。
顔には口らしいものはない。
あるのは、胸の中央で鼓動を続ける黒い結晶だけ。
ドクン。
ドクン。
一際大きく脈打つ。
すると、床へ散らばっていた砕けたガーディアンの破片が、まるで磁石に引かれるように浮き上がった。
「なっ!?」
金属片だけではない。
砕けた剣。
鎧。
壁から剥がれ落ちた魔力結晶。
ありとあらゆる人工物が、黒い結晶へ吸い寄せられていく。
そして――。
ズズズズ……。
胸の結晶へ触れた瞬間、それらは音もなく溶けて消えた。
ナンシーが即座に解析する。
『確認』
『対象は金属・魔力結晶を捕食』
『エネルギーへ変換』
『名称の由来を確認』
「喰ってるのか……」
人工物を。
旧文明の遺産そのものを。
◇
黒衣の男たちは歓喜していた。
「成功だ!」
「伝承は本当だった!」
「これで旧文明の力は我らのものだ!」
その中心に、一人だけ豪奢な黒い法衣を纏った男が立っている。
年齢は四十前後。
痩せた顔立ちに鋭い眼光。
手には黒い水晶の杖を握っていた。
男はデバウアーへ向かって高らかに叫ぶ。
「我は導師ゼクト!」
「古き契約に従い、お前へ命じる!」
「我に従え!」
黒い杖が妖しく輝く。
しかし――。
デバウアーは一切反応しなかった。
男はもう一度叫ぶ。
「命令だ!」
「我が主人となる!」
沈黙。
そして次の瞬間。
ドクン。
黒い結晶が一際強く鼓動した。
ズバッ!
誰も反応できなかった。
ゼクトの隣にいた黒衣の男が、一瞬で消えた。
「……え?」
残ったのは、床へ転がる片腕だけ。
次の瞬間。
ブシャアッ!!
鮮血が噴き上がった。
「ぎゃあああああ!」
「な、何だ!」
「隊長!」
デバウアーの右腕が、いつの間にか男の胸を貫いていた。
そして、そのまま持ち上げる。
男は悲鳴を上げる間もなく、胸の結晶へ吸い寄せられ――。
ズズッ。
呑み込まれた。
骨も。
肉も。
鎧も。
すべて。
一瞬で消えた。
静寂。
誰一人として動けない。
ゼクトの顔から血の気が引いていく。
「そんな……」
「契約は……」
ナンシーが冷静に告げる。
『訂正』
『対象は召喚獣ではありません』
『制御不能』
『すべてを捕食対象として認識』
◇
デバウアーがゆっくりとこちらを向く。
黒い瞳が俺たちを映した。
その瞬間だった。
ナンシーの身体が強く発光する。
『管理者認証を確認』
『デバウアー行動を更新』
『優先捕食対象』
『管理者』
「俺?」
次の瞬間。
ドォォォン!!
デバウアーが床を踏み砕いた。
四メートルを超える巨体とは思えない速度。
一瞬で俺との距離を詰める。
「速い!」
剣を構える暇もない。
その時だった。
『伏せろ、小僧!』
ガンドが俺を突き飛ばす。
直後。
ゴガァァァァン!!
石槌と黒い拳が激突した。
衝撃だけで床が陥没する。
ガンドは歯を食いしばる。
『ぬおおおおっ!!』
しかし押し切れない。
石槌が悲鳴を上げる。
ミシッ。
ミシミシッ。
伝説級の鉱山妖精であるガンドが、力負けしていた。
デルブが四色の方位石を一斉に投げ放つ。
『地脈よ!』
『縛れ!』
四つの石が床へ突き刺さる。
ゴォォォッ!
地面から無数の岩柱が突き上がり、デバウアーの足へ絡み付いた。
その隙にコルが飛び出す。
『おらぁぁぁぁっ!』
全力の拳。
渾身の一撃。
ガァァン!!
鈍い音が響く。
だが。
『……嘘だろ』
黒い装甲には、白い傷が一本付いただけだった。
デバウアーは視線すら向けない。
岩柱を引き千切り、ガンドを弾き飛ばし、ただ一直線に俺だけを見据えて歩き出す。
ナンシーの声が響く。
『警告』
『通常攻撃』
『効果を確認できません』
『現戦力では撃破不可能』
俺は歯を食いしばった。
これまで幾度も強敵と戦ってきた。
だが、これほど絶望的な戦力差は初めてだった。
その時――。
施設全体へ、一人の女性の声が響き渡る。
優しく。
どこか母親のように温かい声だった。
『……管理者様』
『ようやく、お会いできました』
ナンシーが即座に反応する。
『中央統合管理人工知能』
『《マザー》との回線接続を確認』
優しい声は、戦場の喧騒とはあまりにも不釣り合いだった。
金属の激突音も。
崩れ落ちる瓦礫の轟音も。
悲鳴も。
その一瞬だけ、すべてが遠くへ押しやられたように感じられる。
『管理者様』
『応答を確認しました』
『……長い間、お待ちしておりました』
その声を聞いた途端、ナンシーの身体が今まで見たこともないほど強く発光する。
青白かった光が黄金色へ変わり、空中へ幾重もの魔法陣が展開された。
『上位管理権限との通信を確立』
『中央統合管理人工知能』
『接続率 三七%』
マザーは生きている。
本当に、たった一人で戦い続けながら。
◇
「マザー!」
俺は思わず叫ぶ。
「デバウアーは止められるのか!」
一拍の沈黙。
そして、静かな答えが返ってくる。
『可能です』
全員の表情が明るくなる。
だが、次の言葉がその希望を打ち砕いた。
『ただし』
『現在の管理者権限では実行できません』
「何が足りない!」
『管理者権限ではありません』
『……管理者の数が不足しています』
意味が分からなかった。
「数?」
『本施設は単独管理を想定していません』
『緊急封印解除権限には』
『三名以上の正式管理者による共同認証が必要です』
俺は言葉を失う。
三人。
だが、この場に管理者は俺一人しかいない。
◇
その時、ナンシーが何かへ気付いたように前脚を動かした。
『情報照合』
『例外規定を確認』
『共同認証対象』
『管理者』
『文明継承者』
『施設管理人工知能』
俺は目を見開く。
「待て」
「文明継承者って……」
思い浮かぶ人物は一人しかいない。
「リリィ!」
叡智の塔地下で共同認証を行った少女。
文明の継承者。
しかし彼女は今、エマイン・マハにいる。
こんな地下深くまで来られるはずがない。
俺の考えを読んだように、マザーが穏やかに告げた。
『ご安心ください』
『文明継承者との通信回線は維持されています』
「通信?」
『マザークリスタル同士は世界樹の根で繋がっています』
『距離は障害になりません』
次の瞬間。
俺の視界へ見慣れた光が浮かんだ。
――共同認証を開始しますか?
その文字とともに、もう一つの名前が表示される。
【文明継承者 リリィ】
【応答待機中】
◇
一方、その頃。
エマイン・マハ。
叡智の塔最上階。
マザークリスタルの前で書類を整理していたリリィは、突然響いた電子音に顔を上げた。
『緊急共同認証要請』
『管理者ハーシスより接続要求』
「ハーシスさん?」
彼女は驚きながらも、すぐに状況を理解した。
クリスタルの表面へ映し出されるのは、黒い巨人。
崩壊寸前の地下施設。
そして必死に剣を構えるハーシスの姿。
リリィの表情が引き締まる。
「そんな……」
「もう始まってしまったのですね」
彼女は迷わなかった。
両手をマザークリスタルへ重ねる。
「文明継承者リリィ」
「共同認証を承認します」
クリスタルが眩く輝いた。
◇
地下施設。
ナンシーが高らかに宣言する。
『共同認証を確認』
【都市管理者 ハーシス】
【文明継承者 リリィ】
『第三認証者』
『中央統合管理人工知能』
『三重認証成立』
その瞬間だった。
施設全体が大きく震える。
ゴォォォォォン――。
止まっていた魔力導管へ、一斉に青白い光が流れ始める。
今まで黒く染まっていた導管の一部から、黒い靄が押し戻されていく。
壁が光る。
床が光る。
天井が光る。
まるで山全体へ命が戻っていくようだった。
ナンシーの声にも力が宿る。
『施設出力』
『一五%』
『二九%』
『四七%』
『六二%』
次々と数字が上昇していく。
デバウアーも異変を察知したのか、大きく咆哮した。
胸の黒い結晶が激しく脈打つ。
周囲の黒い結晶をさらに吸収し始める。
『警告』
『敵性個体も同時に出力上昇』
『時間的猶予はありません』
◇
その時。
マザーの優しい声が、再び施設全体へ響いた。
『管理者様』
『権限レベル四への到達を確認』
『最終防衛機構の使用資格を付与します』
俺の目の前へ、新たなウィンドウが現れる。
――――――――――
【最終防衛機構】
《ガーディアン・ロード》
状態:待機中
起動条件:達成
管理者認証:完了
起動しますか?
【Y/N】
――――――――――
ガンドがその表示を見て、目を見開いた。
『まさか……』
『まだ残っておったのか』
デルブも息を呑む。
『山の王……』
コルだけは訳も分からず叫ぶ。
『何でもいい!』
『早く押せ!』
俺は静かに深呼吸する。
デバウアーは目前まで迫っている。
迷っている時間はない。
俺はゆっくりと右手を伸ばし、光る文字へ触れた。
「――Y」
その瞬間。
山そのものが目覚めるような、かつてない轟音が地下深くから響き渡った。




