「都市とは何だ?」三千年前の管理者が俺に問いかけた
第一の扉を抜けると、草原の景色は霧のように溶けて消えた。
代わりに現れたのは、果てしなく続く白い回廊だった。
壁も床も天井も純白。
継ぎ目すら見当たらない。
音もない。
風もない。
ただ、自分たちの足音だけが静かに響いている。
コツ。
コツ。
コツ。
その音さえ、どこか現実味が薄かった。
「……気味が悪いな」
コルが珍しく小声で呟く。
ガンドも辺りを見回しながら低く唸る。
『山の気配がせぬ』
『まるで山の外へ放り出されたようじゃ』
デルブは腰の方位石を取り出した。
しかし、四色の石はどれも鈍く曇ったまま動かない。
『地脈も読めぬ』
『ここは本当に試練の場なのじゃな』
◇
しばらく歩くと、回廊の中央に円形の広間が現れた。
中央には、黒い石で造られた巨大な天秤。
左右の皿は空のまま静止している。
その奥には、また一人、人影が立っていた。
今度は若い女性だった。
銀色の法衣を纏い、胸には世界樹の紋章。
しかし、その顔だけは前の老人と同じく、ぼんやりと霞んで見えない。
「第二試験を開始します」
澄んだ声が広間へ響く。
「管理者ハーシス」
「あなたへ、一つの権限を与えます」
彼女が手をかざすと、天秤の左皿へ一冊の分厚い書物が現れた。
金属製の表紙には古代文字が刻まれている。
ナンシーが即座に反応した。
『管理権限データ』
『閲覧不可』
『レベル五以上で解放』
女性は続ける。
「この書には、未来の知識が記されています」
「都市を繁栄させる技術」
「失われた文明」
「戦争に勝つ方法」
「飢饉を防ぐ方法」
「すべてが記されています」
思わず息を呑む。
そんなものがあれば、都市の発展は飛躍的に加速する。
女性は右皿へ手をかざした。
そこへ、もう一つの光景が映し出される。
エマイン・マハだった。
街で遊ぶ子供たち。
畑を耕す住民たち。
笑顔で歩くローズ。
元気よく走り回るミント。
そして、叡智の塔。
「この知識を得る代償として」
「あなたは二度と、その都市へ帰ることはできません」
静寂が落ちる。
コルが思わず叫んだ。
『そんな馬鹿な話があるか!』
しかし女性は反応しない。
これは俺だけへの問いなのだ。
◇
俺は天秤を見つめた。
未来の知識。
喉から手が出るほど欲しい。
もし手に入れば、街はもっと早く発展する。
飢える者も減る。
災害にも備えられる。
だが――。
その代わりに街へ帰れない。
つまり、自分は一人。
仲間とも別れ。
都市も守れない。
その知識だけを残す存在になる。
しばらく考え、俺はゆっくりと首を横へ振った。
「断る」
女性は静かに尋ねる。
「理由を」
「都市は知識だけじゃ動かない」
「人がいるから街なんだ」
「俺一人が何でも知っていても意味はない」
「皆と一緒に悩み、一緒に作る」
「それが俺の都市だ」
ガンドが小さく笑う。
『らしい答えじゃ』
デルブも静かに頷いた。
女性はしばらく黙っていた。
やがて優しく微笑む。
「確認しました」
「あなたは文明を所有する者ではなく」
「継承する者です」
その瞬間。
左皿の書物が光となって消えた。
そして天秤そのものが、ゆっくりと青く輝き始める。
『第二試験』
『合格』
ナンシーが淡々と告げる。
◇
広間の奥に、二枚目の扉が現れた。
しかし今回は、それだけでは終わらなかった。
女性の姿が消える直前、不意にその動きが止まる。
まるで誰かの声を聞いたように。
「……マザー」
小さく呟く。
「まだ……待っているのですね」
その言葉に、ナンシーが反応した。
『通信波を受信』
『発信源』
『中央統合管理人工知能』
ノイズ混じりの音声が、回廊全体へ微かに流れた。
『……た……す……け……て……』
ほんの一瞬だった。
だが、その声には切迫した苦しみが滲んでいた。
エルシアが言っていた通りだ。
マザーは今も戦っている。
一人で。
三千年以上もの間、この施設を守り続けながら。
俺は拳を強く握り締めた。
「必ず助ける」
その言葉へ応えるように、ナンシーの身体が一際強く輝く。
『管理者意思を確認』
『試練の回廊』
『最終試験へ移行』
ゴゴゴゴゴ……。
二枚目の扉が完全に開き、その向こうから冷たい風が吹き込んできた。
しかし、その風には僅かに鉄の匂いが混じっていた。
いや――。
鉄だけではない。
血だ。
誰かが戦っている。
その気配が、扉の向こうから確かに伝わってきていた。
侵入者たちは、もうすぐ封印区画へ到達する。
残された時間は、二十分を切っていた。
二枚目の扉をくぐる。
その瞬間、景色は再び一変した。
今度は白い回廊でも草原でもない。
目の前に広がっていたのは、建設途中の都市だった。
石垣は積みかけ。
家々は骨組みだけ。
運河は途中で途切れ、畑も半分しか耕されていない。
だが、その光景を見た瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
「エマイン・マハ……?」
よく似ている。
いや、似ているどころではない。
都市の配置も、道路の幅も、水路の位置も、叡智の塔の建つ丘までもが、俺の街とほとんど同じだった。
違うのは、人の数だけ。
大勢の住民が忙しなく働き、荷車が行き交い、子供たちが走り回っている。
活気に満ちた、本来あるべき都市の姿。
ナンシーが周囲を走査する。
『高精度幻影空間を確認』
『記録情報を再現』
『推定』
『旧文明時代の都市』
「過去の映像か……」
俺は静かに呟いた。
◇
その時、広場の中央へ一人の青年が現れる。
年齢は俺より少し上だろうか。
作業着姿で、肩には設計図の筒を提げている。
剣も鎧も身に着けていない。
どこから見ても、一人の技師だった。
しかし、その胸には管理者の紋章が輝いている。
青年は俺を見ると、穏やかに笑った。
「ようこそ」
「新しい管理者」
その声は今までの試験官とは違う。
温かみがあり、生きている人間のようだった。
「あなたは?」
「私も、かつて管理者だった者だ」
その答えに、全員が目を見開く。
「管理者……」
青年は頷く。
「名前は、もう必要ない」
「私たちは役目を終えた者だからね」
彼は振り返り、建設途中の都市を見渡した。
「美しいだろう」
「皆で造った街だ」
職人たちが笑いながら石を積み、子供たちが水路を覗き込み、妖精たちが忙しなく飛び回っている。
人と妖精が自然に協力し合う光景だった。
その姿は、俺が目指している未来そのものだった。
◇
青年は静かに問い掛ける。
「最後の質問だ」
「都市とは、何だと思う?」
俺は考える。
建物か。
道路か。
城壁か。
違う。
「人が暮らす場所」
そう答えかけたが、途中で首を横へ振った。
「それだけじゃない」
「人と人が支え合う仕組み」
「それが都市だと思う」
青年は何も言わない。
俺はさらに続けた。
「畑だけあっても駄目」
「職人だけいても駄目」
「兵士だけでも駄目」
「皆が互いに必要だから街になる」
「だから俺は、建物を造りたいんじゃない」
「人が安心して生きられる場所を造りたい」
静寂。
青年は目を閉じ、小さく笑った。
「安心した」
「君なら、大丈夫だ」
◇
その瞬間だった。
建設中だった都市の景色が音もなく崩れ始める。
建物は光の粒となり、住民たちは風へ溶け、最後には叡智の塔だけが残った。
塔の頂上から、一筋の光が俺へ降り注ぐ。
ナンシーがかつてないほど明るく輝いた。
『最終試験終了』
『管理者適性』
『確認完了』
『権限を更新します』
俺の視界へ、新たな表示が浮かぶ。
――――――――――
【都市管理者権限】
Lv3
↓
Lv4
《新規解放機能》
・施設管理権限拡張
・古代施設一時制御
・管理者専用工房
・施設防衛兵器限定指揮権
――――――――――
「権限が……」
思わず息を呑む。
ついに管理者権限がさらに一段階上昇した。
青年は満足そうに頷く。
「急ぎなさい」
「マザーは、もう限界だ」
「あなたなら、この施設を託せる」
その姿が静かに薄れていく。
「待ってくれ!」
「一つだけ聞きたい!」
青年は消えかけたまま振り返る。
「この山は……何なんだ?」
彼は一瞬だけ空を見上げ、どこか懐かしそうに微笑んだ。
「山ではない」
「この施設全体で、一つの生命なんだ」
「生命……?」
「だから山は泣き」
「だから助けを求めていた」
その言葉を最後に、青年は完全に光へ溶けて消えた。
◇
同時に試練の回廊も消滅する。
俺たちは元の石造りの通路へ立っていた。
目の前には、厚い金属製の隔壁。
だが先ほどまで閉ざされていたはずの扉は、ゆっくりと左右へ開いていく。
ゴォォォン――。
ナンシーが即座に報告する。
『管理者権限更新を確認』
『試練の回廊』
『完全突破』
『封印解除』
しかし、その直後。
施設全体を揺るがす爆音が響いた。
ドガァァァァン!!
天井から石片が降り注ぐ。
赤い警告灯が激しく点滅した。
『警告』
『封印区画外壁』
『破壊を確認』
『侵入者が第十五層へ到達』
『推定接触まで』
『五分』
俺は剣の柄を強く握る。
試練は終わった。
ここから先は現実だ。
俺たちは顔を見合わせ、小さく頷く。
「行くぞ!」
その一声とともに、一行は開いたばかりの隔壁の向こうへ向かって、一斉に駆け出した。




