『残り時間』 『二十九分五十八秒』
クリーニング・ユニットたちの案内で、一行は主通路から外れた保守区画へと足を踏み入れた。
そこは先ほどまでの壮麗な大通路とは対照的に、実務だけを目的とした無骨な造りだった。
壁も床も飾り気のない灰色の石材。
天井は低く、通路の幅も三人が並んで歩けばいっぱいになる。
しかし、その分だけ管理設備は充実していた。
壁には一定間隔で四角い箱が埋め込まれ、その下には見たこともない金属製の工具が整然と並んでいる。
床には細い溝が幾筋も走り、淡い青色の光が脈打つように流れていた。
「この溝は?」
俺が尋ねると、ボルグは迷うことなく答えた。
「魔力導管じゃ」
「施設全体へ力を送る血管のようなものよ」
ナンシーも補足する。
『旧文明名称』
『高密度魔力伝送路』
『現在出力』
『一一・四%』
「十一パーセントしか動いていないのか」
『本来なら百%』
『現在は極めて危険な状態』
その言葉どおりだった。
青い光は途中で何度も途切れ、ひび割れた導管からは黒い靄がゆっくりと滲み出している。
まるで血管が壊死しているような光景だった。
◇
しばらく進むと、巨大な鋼鉄製の扉が現れた。
高さ五メートル。
厚さは一メートル近くあるだろう。
中央には円形の紋章が刻まれている。
一本の大樹。
その根が四方八方へ広がり、大地を包み込むような意匠だった。
「これが保守用昇降路の入口じゃ」
ボルグは懐から古びた金属板を取り出した。
手のひらほどの大きさで、表面には細かな紋様が刻まれている。
「まだ残っていたのか」
ガンドが目を丸くする。
「最後の管理証じゃ」
ボルグは静かに紋章へ金属板を押し当てた。
カチリ。
小さな音が響く。
しかし、それ以上何も起こらない。
ボルグはゆっくりと首を横へ振った。
「……駄目か」
「認証が切れておる」
三千年以上も経っていれば当然だろう。
だが、その時だった。
ナンシーが俺の肩から飛び降りる。
『追加認証を開始』
小さな前脚が金属板へ触れた瞬間、青白い光が一気に走った。
『旧管理証を確認』
『管理者権限と統合』
『認証更新』
ゴォォォォン――。
扉全体が震え始める。
中央の紋章がゆっくりと青く輝き、その周囲へ何重もの魔法陣が浮かび上がった。
そして、無機質な女性の声が響く。
『坑道管理主任ボルグ』
『管理者ハーシス』
『認証完了』
『保守用緊急昇降路を開放します』
重々しい音を立てながら、巨大な扉が左右へ開いていく。
◇
その先を見た瞬間、全員が息を呑んだ。
「なんだ……これは」
そこには巨大な縦穴が広がっていた。
底が見えない。
見上げても天井が見えない。
直径は百メートル近くあり、その内壁には幾重もの円形通路が螺旋状に続いている。
さらに中央には、一本の巨大な水晶柱が天へ向かって真っ直ぐ伸びていた。
その中を、青い光がゆっくりと上下へ流れている。
「世界樹の根……みたい」
ローズが思わず呟く。
確かにそうだった。
巨大な水晶柱は一本の樹木そのものに見える。
その周囲を巡る螺旋通路は枝。
青い光は樹液。
まるで一本の世界樹を、そのまま山の中へ閉じ込めたような空間だった。
ボルグは懐かしそうに目を細める。
「《生命の井戸》」
「保守員は皆、ここを通って各階層へ向かった」
「井戸?」
「世界樹の力が最も濃く流れる場所じゃ」
ナンシーも即座に解析を行う。
『施設中央魔力昇降炉』
『正式名称』
『ライフ・シャフト』
『世界樹エネルギー主幹路』
『現在稼働率』
『一五・八%』
◇
その時だった。
ボルグの表情が険しくなる。
「……妙じゃ」
「何がです?」
「静かすぎる」
老人は耳を澄ませる。
「ここは本来、昇降機が絶えず動き、管理機械が行き交う場所じゃった」
「今は……」
言い終わる前に、ナンシーが警告を発した。
『生命反応を検知』
『距離』
『地下第八層』
『数』
『一』
「侵入者か?」
『不明』
『魔力波形を照合』
数秒後。
ナンシーの声が僅かに揺れた。
『照合結果』
『施設管理個体』
『生存』
「管理者がまだいるのか!」
『訂正』
『施設管理個体』
『極めて損傷』
『生命維持限界まで残り推定一時間三十七分』
全員の顔色が変わる。
ボルグが杖を握り締めた。
「急ぐぞ!」
「まだ生き残りがおった!」
クリーニング・ユニットたちも一斉に走り出す。
『保守用昇降機を起動』
『緊急搬送モード』
巨大な水晶柱の前で、円形の床がゆっくりとせり上がってきた。
直径十メートルほどの円盤。
縁には古代文字が刻まれ、中央には淡い光が渦巻いている。
「これが昇降機か」
「乗れ!」
ボルグが叫ぶ。
全員が飛び乗ると、円盤の外周が青白く輝き始めた。
『行先設定』
『地下第八層』
『緊急降下を開始します』
次の瞬間。
ゴォォォォォォッ!!
円盤は音もなく、しかし凄まじい速度で地下へ向かって降下を始めた。
壁に刻まれた階層表示が次々と流れていく。
地下第一層。
第二層。
第三層。
あまりの速さに景色が線となって消えていく。
その最中、俺はふと水晶柱の奥に何かを見つけた。
巨大な柱のさらに深部。
遥か下方。
青く輝くはずの光の中心に、墨を流し込んだような黒い影がゆっくりと脈動している。
ドクン。
ドクン。
まるで巨大な心臓が、苦しげに鼓動を打っているようだった。
そして、その鼓動に合わせるように、ナンシーが静かに呟く。
『……汚染源を視認』
『警告』
『対象は想定以上に成長しています』
ゴォォォォォォッ――。
保守用昇降機は、なおも猛烈な速度で下降を続ける。
地下第四層。
第五層。
第六層。
階層表示が次々と後方へ流れ去り、壁面を走る青白い魔力導管も残像となって視界を駆け抜けていく。
しかし、その光景の中で一つだけ異質なものがあった。
黒い染みだ。
導管の継ぎ目から滲み出したような漆黒の結晶が、ところどころで壁へ根を張るように広がっている。
それは植物の根にも、血管にも見えた。
しかも脈打っている。
ドクン。
ドクン。
心臓の鼓動のような音が、昇降路全体へ響いていた。
「これが汚染……」
俺は思わず息を呑む。
ボルグの表情は険しい。
「ここまで広がっておるとは……」
「昔は小さな亀裂一つ無かった」
「管理区画は常に青く輝いておったのじゃ」
ガンドも黒い結晶を睨み付ける。
『山の血管へ毒が回っておる』
『このままでは山そのものが死ぬ』
デルブは拳を握り締めた。
『だから山が泣いておったのか』
◇
その時だった。
ナンシーの警告音が鳴る。
『高熱源を検知』
『進行方向』
『距離百二十メートル』
「熱源?」
俺が問い返した直後。
ドォンッ!!
地下全体を揺るがす轟音が響いた。
続いて、猛烈な熱風が昇降路を吹き抜ける。
「うわっ!」
全員が思わず身を低くした。
昇降機の周囲へ赤い火花が舞い、壁へ亀裂が走る。
さらに遠くから金属が激しくぶつかり合う音が聞こえてきた。
ガギィィィン!!
ガァァァン!!
何かが戦っている。
しかも相当な規模だ。
ナンシーが即座に解析する。
『戦闘音を確認』
『推定』
『施設防衛機構が交戦中』
「まだ戦っているのか!」
『肯定』
『侵入者との戦闘継続時間』
『推定十七時間五十四分』
誰も言葉を失った。
十七時間以上。
休むことなく戦い続けているというのか。
◇
やがて昇降機は急減速し、第八層へ到達する。
プシュッ――。
静かな排気音とともに円盤が停止した。
目の前に広がるのは巨大な円形ホール。
直径は百メートル以上。
中央には複雑な歯車状の装置が鎮座し、その周囲を何本もの橋が放射状に伸びている。
しかし――。
その光景は凄惨だった。
床一面に散らばる金属片。
砕けた水晶。
壁へ刻まれた無数の斬撃。
そして、何十体もの管理機械の残骸。
「……酷い」
ローズが思わず口元を押さえる。
クリーニング・ユニットたちは仲間の残骸へ駆け寄り、小さく震えていた。
『修復不能』
『修復不能』
『……修復不能』
淡々とした機械音声なのに、どこか悲しそうに聞こえる。
◇
ボルグが静かに残骸の一つへ膝をつく。
倒れていたのは、人型の機械だった。
全身を銀色の装甲で包み、片腕には巨大な盾、もう片方には折れた長剣を握っている。
胸部には世界樹の紋章。
「守護兵……」
ボルグが静かに目を閉じる。
「最後まで持ち場を離れなんだか」
ナンシーが解析を続ける。
『施設防衛兵器』
『ガーディアン・ナイト』
『撃破数』
『二十七体』
『残存』
『零』
「全滅……」
ガードナーが低く呟く。
これだけの戦力を壊滅させる相手。
ただの盗賊ではない。
◇
その時だった。
カツン。
静かな足音がホールの奥から響いた。
全員が一斉に武器を構える。
暗闇の中から、一人の人物がゆっくりと歩いてくる。
白い外套。
銀色の長髪。
そして、胸元には旧文明の紋章を象った徽章。
若い女性だった。
しかし、その姿は痛々しい。
左腕は肩口から失われ、代わりに無数の青い光の粒子が腕の形を保っている。
白い外套には幾筋もの裂傷。
頬にも深い傷が走り、それでもなお気高く背筋を伸ばいていた。
彼女は俺たちを見るなり、かすかに安堵したような笑みを浮かべる。
「……ようやく」
「管理者が……来てくださいましたか」
その声は酷く弱々しい。
今にも倒れそうだった。
ナンシーが即座に前へ出る。
『対象を照合』
『施設管理補佐個体』
『識別名称』
『エルシア』
『損傷率』
『八四%』
『生命維持限界まで残り』
『一時間二十九分』
ボルグが目を見開く。
「エルシア!」
「まだ生きておったのか!」
女性――エルシアは微かに微笑んだ。
「はい……主任」
「お待ち……しておりました」
その言葉に、ボルグは思わず駆け寄る。
千年以上生きた守人である彼が、初めて感情を露わにした瞬間だった。
しかし、その再会を喜ぶ時間は与えられなかった。
エルシアは震える指で、ホールの奥を指差す。
「急いで……ください」
「侵入者たちは……」
「すでに……第十五層への封印を……」
ゴゴゴゴゴ……。
その瞬間、施設全体が激しく震えた。
ホール中央の巨大な歯車が軋みを上げ、赤い警告灯が一斉に点灯する。
ナンシーがかつてない速度で警告を発する。
『緊急事態』
『地下第十五層』
『封印解除シーケンス開始』
『残り時間』
『二十九分五十八秒』
数字は、無情にも秒単位で減り始めていた。




