山津波を越えた都市は、次なる文明を築き始める
山の奥から押し寄せる濁流は、なおも勢いを増していた。
茶色く濁った水が、岩も木もまとめて飲み込み、放水路を轟音とともに駆け抜けていく。
その様子を見つめながら、ナンシーが淡々と告げた。
『流量、ピーク到達』
『現在、一〇〇%』
『以後、減衰を開始します』
「……来たか」
固く握っていた拳を、ゆっくりと開く。
最大の山場だ。
ここを耐え切れば――勝てる。
そう思った、その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……。
地鳴りが響いた。
「……?」
水音ではない。
山そのものが軋んでいる。
『警告』
『右岸法面に亀裂を確認』
ナンシーの投影図に、赤い線が走った。
放水路脇の崖。
濁流によって地盤を削られ、斜面そのものが崩れ始めている。
「崩れるのか!」
『推定三十秒以内』
『崩壊した場合、放水路閉塞率六五%以上』
「……っ!」
血の気が引いた。
ここまで水を逃がしてきたのに。
この土砂で放水路が塞がれれば、すべてが終わる。
そのとき――。
『ワシが行く』
ガントが石槌を肩へ担いだ。
『ドヴェルグの土木とは、造るだけではない』
老人は崩れかけた斜面へ駆け上がる。
その後ろを、四体のロックゴーレムが続いた。
『支柱岩を打ち込め!』
ドォンッ!
石槌が岩盤を叩く。
ドォンッ!
もう一度。
巨大な岩柱が地中へ沈み込み、崩れかけた斜面を内側から支えていく。
ロックゴーレムたちも、数トンはありそうな岩塊を次々と運び、崩壊箇所へ積み上げていく。
まるで、巨大な石積み工事だった。
だが――。
ズズズズズッ!!
「来るぞ!」
斜面が崩れた。
大量の土砂が、放水路へ雪崩れ込む。
――間に合わない。
そう思った瞬間。
ゴォンッ!!
支柱岩が土砂を受け止めた。
衝撃が岩盤全体へ分散され、崩れ落ちた土砂が左右へ逃げていく。
完全には止められない。
それでも――。
放水路は、塞がらなかった。
『閉塞率二八%』
『許容範囲』
ナンシーの声が響く。
ガントはようやく、大きく息を吐いた。
『……間に合ったか』
直後だった。
轟々と響いていた水音が、ほんの少しだけ小さくなる。
『流量九五%』
『九〇%』
『八四%』
数字が下がっていく。
誰も声を出さない。
ただ、表示される数字だけを見つめていた。
『七二%』
『六一%』
『五〇%』
「……半分」
俺は呟いた。
ここまで減れば、放水路が耐え切れなくなる可能性は低い。
そして――。
『天然ダム決壊水、第一波通過』
『都市浸水予測――』
一瞬の間。
『ゼロ』
誰も、すぐには声を上げなかった。
俺。
ガードナー。
ダグラス。
スミス。
ユグドラ。
ガント。
ロックゴーレムたち。
そして、空を舞う妖精たち。
全員が、同じことを理解していた。
――生き残った。
次の瞬間。
「おおおおおおおおっ!!」
歓声が山中へ響き渡った。
妖精たちが空を飛び回る。
ロックゴーレムたちまで両腕を高く突き上げている。
スミスは胸へ手を当て、その場へ座り込んだ。
「俺たちで……本当に止めたんだ……」
ガードナーは帽子を脱ぎ、大きく息を吐く。
「山津波に勝っちまう奴があるかよ」
ダグラスも苦笑する。
「しかも、街を一つも壊さずにだ」
『人間の諦めの悪さが生んだ奇跡じゃな』
ユグドラも満足そうに笑った。
そんな中――。
ガントだけは静かに放水路を見つめていた。
やがて老人は、満足そうに頷く。
『見事じゃ』
石槌を肩へ担ぐ。
『今日、お主らは――山を治めた』
その言葉に、誰もが誇らしげな笑みを浮かべた。
だが。
『しかし、まあ……』
ガントが俺を見る。
『呼び出してすぐ、さんざんこき使ってくれたわ』
『旨い酒や肉でもあればいいのじゃがな』
「……すまん」
俺は苦笑する。
「今は雑穀とウサギ肉くらいしかない」
『なん……じゃと?』
ガントが愕然とした。
どうやら。
山津波は乗り越えても、別の問題は残っているらしい。
そんなやり取りをしていると――。
【緊急クエスト完了】
【都市防衛成功】
【死者 〇名】
【都市被害 〇】
【評価――SSS】
「……!」
夜空いっぱいに、システムウィンドウが展開された。
黄金色の光が山中を照らす。
【管理者経験値を獲得】
【都市復旧率が上昇しました】
【管理者権限に新たな機能が解放されます】
【新規施設を解放】
【産業】
・水耕栽培施設
・酒工房
・燻製施設
【水利】
・水門
・堤防
・農業用水路
・運河
【交通】
・石橋
・港湾施設
「……水耕栽培施設」
思わず目を止める。
これなら、稲やレンコン、ワサビみたいな水を利用する作物も育てられるかもしれない。
そして――。
【鉱山系妖精の召喚条件を達成しました】
「鉱山系妖精……?」
思わず顔を上げる。
また、新しい可能性が開かれた。
街は、確実に前へ進んでいる。
少し前まで、俺たちは生き残るだけで精一杯だった。
食料を確保する。
家を建てる。
防壁を作る。
魔物から身を守る。
それだけでよかった。
でも――もう違う。
川を治める。
農地を広げる。
産業を生み出す。
道を造る。
橋を架ける。
そして、人が安心して暮らせる都市を築いていく。
都市を造るというのは、壁を築くことでも、家を並べることでもない。
川を読み。
山を読み。
自然そのものと向き合い、その力を受け入れながら、人が生きられる場所を築くこと。
それこそが――。
本当の都市づくりなのだ。
俺は静かに放水路を見つめた。
そこにはもう、暴れ狂う濁流はない。
山から流れ出た水は、新たな川となって穏やかに街の外へ流れている。
「……勝ったな」
誰に言うでもなく、呟いた。
今日はもう、十分だ。
「ともあれ――」
俺は大きく息を吐く。
「今は、ゆっくり休むとしよう」
こうして俺たちは――。
山津波という未曾有の災害を乗り越えた。
だが。
これは、終わりではない。
むしろ――始まりだった。
生き残るための都市から。
人が豊かに暮らすための都市へ。
次に築くのは――文明だ。




