天然ダム決壊まで三時間――都市を救う放水路を掘れ!
「あなたが……」
『我が名はガント』
老人は石槌を肩へ担いだ。
『石妖精ドヴェルグ族最古参。石工、鍛冶、測量、土木。山を削り、橋を架け、河を治め、都市を築く妖精じゃ』
まさに――今、この状況で最も必要としていた存在だった。
「来てもらえて助かった」
『話はマザークリスタルから聞いておる』
ガントは立体地図へ視線を向ける。
『ふむ……なるほど』
石槌で地図を軽く叩いた。
すると、都市内部へ新たな青い線が浮かび上がる。
『まず、ここへ仮設堤防を築く』
「内部防水壁か」
『うむ。高さは人の背丈ほど。芯は石。その外側を粘土質の土で固める』
続いて、青い線が都市内部を走った。
『そして排水路を掘る』
地図上の水流が変わる。
赤い濁流が青い水路へ誘導され、都市を避けるように海へ流れていく。
『多少あふれても、この排水路が海まで逃がしてくれる』
最後に、都市外周へ一本の線が引かれた。
『その後、外側へ第二防水壁を築けばよい』
「これなら守れるか?」
『八割……いや、九割近くはいける』
ガントは腕を組んだ。
『じゃが――問題がある』
「人手か?」
『その通りじゃ』
ガントは首を横に振る。
『人間だけでは足りぬ』
そして――口笛を吹いた。
直後。
地面が、モコモコと盛り上がった。
ゴゴゴゴゴ……!
岩が割れる。
その隙間から、小さな人影が次々と這い出してきた。
三十センチほどの身体。
丸い石の胴体。
短い手足。
手には、小さな石槌やスコップ。
「これは……?」
『ロックゴーレムじゃ』
ガントが得意げに笑う。
『土木工事専門の働き手よ』
全部で十体。
決して多くはない。
だが、そのうちの一体が大岩へ歩み寄ると――
ズズズッ。
大人三人がかりでも動かなかった岩を、軽々と持ち上げた。
「おおっ!」
ダグラスたちから歓声が上がる。
『掘る』
『運ぶ』
『積む』
ロックゴーレムたちが、黙々と作業を始める。
『それだけなら、人間の三倍は働く』
『飯も食わん』
『休みもせん』
『文句も言わん』
ゴーレムたちが、一斉に胸を張った。
思わず笑ってしまう。
「最高の土木作業員じゃないか」
『ただし万能ではない』
ガントは指を一本立てた。
『数が少ない。わしのレイキ消費も激しい。複雑な判断もできん』
「なら、一番重い仕事だけ任せる」
『その通りじゃ』
その瞬間――
『管理者』
ナンシーの声が響いた。
『工事成功率を再計算します』
立体地図の端に数字が浮かび上がる。
――工事成功率 四十八%
「……低いな」
だが、次の瞬間。
数字が跳ね上がった。
――工事成功率 八十九%
「すごいな……」
『まだ終わりではない』
ガントが地図を指差す。
『排水路の勾配は一寸でも狂えば意味がない』
『測量が肝じゃ』
「なら、測量は俺がやる!」
スミスが一歩前へ出た。
「頼む!」
『うむ』
ガントは石槌を担ぎ直した。
『時間との勝負じゃ!』
「ああ!」
俺は皆を見渡した。
「総員――洪水対策開始!」
「おおおっ!」
号令と同時に、都市全体が動き始めた。
ロックゴーレムが巨石を運ぶ。
人々が鍬を振る。
石を積む。
土を掘る。
水路を作る。
誰もが必死だった。
ミントは自分の身体ほどもある石材を抱え、工事現場を走り回っている。
「ミント! そんなに持ったら危ないよ!」
ローズが慌てて叫ぶ。
「へーき!」
ミントは笑顔のまま、岩をひょいと持ち直した。
「お兄ちゃん! どこに置けばいい?」
「こっちだ! 石垣の列へ!」
「はーい!」
ドンッ!
巨大な石が、指定された場所へぴたりと収まった。
「次、持ってくるね!」
ミントは再び走り出す。
「すげぇな、あの子……」
「俺より力あるぞ」
「三人分くらい働いてないか?」
誰かの言葉に、現場から小さな笑いが起きた。
焦りと疲労に満ちていた空気が、ほんの少しだけ軽くなる。
『わしも負けておれんな』
ユグドラも石を運び始めた。
妖精たちも。
人間たちも。
ゴーレムたちも。
皆が街を守るために動いている。
◇
一方、シャーリスは放牧地を駆け回っていた。
「みんな、こっちだよ!」
『ワンッ!』
トモロが吠える。
白いウサギたちが一斉に走り出した。
「いい子、そのまま!」
シャーリスが高台の囲いへ誘導する。
最後の一羽が中へ入った。
カチャリ。
木柵を閉める。
「……よかった」
シャーリスは胸を撫で下ろした。
だが、その視線は何度も山へ向けられている。
まだ洪水本体は来ていない。
それでも――
山の向こうには、確実に何かが迫っていた。
◇
夕暮れ。
仮設防水壁は、ようやく半分まで完成した。
「思ったより早いな」
『まだ半分じゃ』
「厳しいな」
『自然相手は、楽観した者から死ぬ』
ガントの言葉に、俺は何も返せなかった。
空はさらに黒くなっている。
遠くで稲妻が走った。
「ナンシー。最新予測は?」
『現在、洪水到達まで十七時間四十三分です』
「……また縮んだか」
『加えて、推定水量は当初予測の一・三倍』
「一・三倍……」
立体地図を見る。
シミュレーション上の濁流が、完成したばかりの防水壁へ激突した。
土が削られる。
石が崩れる。
防水壁が徐々に壊れていく。
「……足りない」
『その通りじゃ』
ガントが頷いた。
『このままでは受け止め切れぬ』
「高さを上げるか?」
『高さだけではない』
ガントが石槌で地図を叩いた。
コン。
『水は止めるものではない』
新たな青い線が浮かび上がる。
『逃がすものじゃ』
「……なるほど」
堤防で水を止める。
それだけでは、いずれ限界が来る。
なら――
最初から逃げ道を作る。
「よし!」
俺は振り返った。
「作業変更だ!」
全員の手が止まる。
「防水壁班を二つに分ける!」
「半数は堤防を延長!」
「残りは放水路を掘る!」
「了解!」
再び都市が動き始めた。
◇
夜。
松明の灯りが工事現場を照らしていた。
川の流れる音が、昼間より明らかに大きくなっている。
「水位が上がってきた……」
ガードナーが川を見つめる。
『河川水位、通常より一・九メートル上昇』
ナンシーの報告に、俺は川へ視線を戻した。
「もう始まってるのか?」
『本流ではありません』
『支流からの流入です』
「……本番は、まだ先か」
『その通りです』
誰もが疲れ切っていた。
それでも、工具を置く者はいない。
雑穀粥だけの夕食を済ませ、また現場へ戻っていく。
そして――
深夜。
工事は佳境に入っていた。
仮設防水壁――八割。
放水路――七割。
残るのは、河口へ繋がる最後の区間。
あと少し。
そう思った、その時だった。
『警告』
ナンシーの声が、鋭く響いた。
『上流域にて、天然ダムの形成を確認』
「……何?」
立体地図へ赤い表示が浮かぶ。
山腹崩壊。
土砂崩れ。
大量の土砂が川を塞ぎ、一時的な湖を作っていた。
『天然ダム決壊予測』
赤い文字が点滅する。
『三時間後』
その瞬間。
ガントの表情から笑みが消えた。
『まずいのう』
「何がまずい?」
『洪水では済まん』
立体地図に、巨大な茶色い流れが表示された。
『天然ダムが決壊すれば、水だけではない』
『岩も』
『木も』
『土砂も』
『全部まとめて流れてくる』
土石流。
工事現場から、音が消えた。
『土石流先頭部到達速度――時速四十五キロ』
『最大推定流量――通常洪水の約六・八倍』
『外部防水壁の耐久限界を超過』
シミュレーションが表示される。
完成間近の防水壁へ、巨大な濁流が激突した。
石壁は――一瞬で砕けた。
工事資材が吹き飛ぶ。
人影が濁流に飲み込まれる。
「……くそっ」
拳を握る。
防水壁では駄目だ。
正面から受け止めれば、壁ごと押し流される。
「ナンシー。回避策は?」
『検索中』
青白い光が高速で点滅する。
『候補一』
『天然ダムを事前爆破』
『却下』
ガントが即座に首を振った。
『爆破すれば今すぐ決壊じゃ。準備する時間もない』
『候補二』
『住民を全員避難』
「却下だ」
俺も首を振る。
「間に合わない」
そして――
「それに、ここを捨てるつもりはない」
『候補三』
『流路変更』
立体地図が切り替わる。
川から大きく迂回する一本の青い線。
「これは?」
『放水路を河口まで完成させるのではなく――』
『途中から旧文明時代の採石場跡へ接続』
都市の西側に、巨大な窪地が浮かび上がった。
長い年月、放置されていた採石場。
『推定貯水量――二百七十万立方メートル』
『土石流エネルギーを六二%吸収可能』
ガントが目を見開く。
『そうか……調整池じゃ!』
「調整池?」
『大量の水や土砂を一度、そこへ受け止めるんじゃ』
『水は流れる』
『大岩や倒木は沈む』
ガントの目が輝いた。
『賭けにはなるが――一番生存率が高い』
ナンシーが計算結果を表示する。
『現状維持――十二%』
『防水壁完成――二十三%』
『流路変更――七十一%』
「七十一……」
十分だ。
だが――
『必要工事距離』
数字が表示された。
『約一・九キロ』
現場が静まり返る。
「三時間で……一・九キロ?」
普通なら不可能だ。
昼間でも厳しい。
まして今は夜。
住民たちは限界まで働き続けている。
それでも――
「やるしかないな」
ガードナーが言った。
「ああ」
「だったら掘ります」
ダグラスが笑う。
「最後までやるぞ!」
スミスも疲れ切った顔で頷いた。
『人間は諦めが悪い』
ユグドラはそう言って笑った。
俺は皆を見渡した。
泥まみれの顔。
震える腕。
荒い息。
誰もが限界だった。
それでも――
工具を置く者はいない。
胸の奥が熱くなった。
もう、この街は俺一人のものじゃない。
皆で守る街なんだ。
「よし!」
俺は都市管理システムを開いた。
「建設メニュー!」
青白い画面が夜空へ広がる。
「石工房、採石場――総動員!」
『了解』
『資材供給を工事へ最優先配分』
『全ゴーレムへ新規命令』
『目標――流路変更工事』
遠くで作業していたロックゴーレムたちが、一斉に振り返った。
そして――
ゴゴゴゴゴ……!
地響きを立てながら、新たな掘削地点へ走り出す。
人も。
ゴーレムも。
妖精も。
この街のすべてが、生き残るために動き始める。
残された時間は――三時間。
掘る距離は――一・九キロ。
普通なら、絶対に間に合わない。
だからこそ――
「全員、走れ!」
俺は叫んだ。
「この街を守るぞ!」
「おおおおおっ!」
夜の都市に、雄叫びが響き渡る。
決壊まで、あと三時間。
文明再建の命運を懸けた――
最後の土木工事が始まった。




