放牧地を作ったら、戦象を連れたビーストテイマーがやってきた
どうやら、放牧地を建設できるだけの準備は整ったらしい。
「なら、とりあえず試してみるか」
俺たちは叡智の塔をさらに登り、屋上へと足を踏み出した。
頬を撫でる風はひんやりと冷たい。
眼下には、荒れ果てた旧文明都市がどこまでも広がっていた。
崩れた石造りの建物。
雑草に埋もれた石畳。
人の気配はなく、風だけが廃墟を吹き抜けていく。
――けれど、俺には見えていた。
ここにはかつて、何万人もの人々が暮らしていた。
塔を中心に家々が立ち並び、市場では商人が声を張り上げ、工房では職人が槌を振るい、夕暮れになれば子どもたちが笑いながら家路につく。
そんな賑わいが、この場所には確かに存在していたのだ。
今は、その面影すら失われている。
内壁の近くには崩れた住居跡が点在し、その向こう――外壁まで続く広大な土地には、かつて農地だった痕跡だけが薄く残っていた。
今は荒れ果てた原野でしかない。
俺はゆっくりと右手を掲げる。
そして、その荒野を指差した。
『放牧地作成』
念じた瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……。
低い地鳴りが大地を震わせる。
荒野が波打つように揺れ、眠っていた世界が目を覚ますように動き始めた。
「……っ!」
アトラが息を呑む。
乾き切っていた土が黒々と潤い、生命を取り戻していく。
転がっていた石は静かに地中へ沈み、切り株はさらさらと砂になって崩れ、雑草は跡形もなく消えていく。
草陰に潜んでいた虫やネズミは、突然の地鳴りに驚いたように一斉に逃げ去っていった。
「そういうことか……」
俺は思わず呟く。
ゲームでは建設すると、木材や石材が資源として追加されていた。
あれは単なる数字じゃなかった。
不要なものを回収し、資材として再利用していたということか。
現実になった今、その意味がようやく腑に落ちた。
すると今度は――。
黒い土を覆うように、鮮やかな緑が一気に駆け抜ける。
若草が芽吹き、風に揺れながら大地を緑の絨毯へと変えていく。
一本、また一本と木柵が組み上がっていく。
最後に家畜小屋が姿を現し、木製の門が静かに閉じた。
ギィ……。
それだけだった。
わずか数十秒。
荒れ果てた原野は、美しい放牧地へと生まれ変わっていた。
「……すごい」
アトラが目を見開く。
「まるで神様の奇跡みたい……」
「いや」
俺は首を横に振った。
「これは奇跡じゃない」
人類が積み重ねてきた文明の力。
魔法ではない。
だが、魔法と見紛うほど高度な技術。
それこそが旧文明だった。
若草の香りを含んだ風が頬を撫でる。
自然と笑みがこぼれた。
「これでようやく、生き残るための第一歩を踏み出せた」
肩の上でナンシーが尻尾を揺らす。
『現状では長の家跡を生活拠点として利用することを推奨します』
アトラも頷いた。
「あとで確認してみるけど、寝泊まりできる部屋くらいなら残っていると思う」
「十分だ」
雨風をしのげる屋根さえあればいい。
寝具も家具も、これから少しずつ揃えればいいのだから。
少なくとも、今日で野宿生活とはおさらばだ。
そんな話をしていた、その時だった。
草むらが、不自然に揺れた。
「……?」
風ではない。
何かがいる。
ぴょこん。
白い耳が一本。
続いてもう一本。
小さな鼻が草むらから覗く。
「……?」
首を傾げるようにこちらを見つめた。
次の瞬間。
ぴょんっ。
一匹が勢いよく飛び出す。
すると、それを合図にしたように、草むらのあちこちから真っ白なウサギたちが次々と跳ね出してきた。
「ウサギ?」
気づけば放牧地の一角には、小さな囲いができている。
その中を、真っ白なウサギたちが元気いっぱいに跳ね回っていた。
ぴょん。
ぴょん。
夢中で若草を食べ、耳をぴくぴくと動かしている。
「これが初期家畜か」
ゲームにはなかった演出だ。
だが、現実ならこの方がずっと自然だった。
シャーリスが狩ってくる野ウサギより一回り小さい。
それでも人を恐れる様子はなく、のんびりと草を食んでいる。
足元にはクローバーが広がり、その合間から雑穀の芽も顔を覗かせていた。
もちろん、今すぐ収穫はできない。
ゲームのように一瞬で完成するわけではない。
育つ時間が必要だ。
それでも、生き延びるには十分だった。
「悪くない」
自然と笑みが浮かぶ。
「ウサギは繁殖が早い。肉も毛皮も手に入る。クローバーは飼料になるし、雑穀も育つ」
俺はトモロへ視線を向けた。
「世話は任せられるか?」
犬妖精は胸を張る。
『もちろんです! ウサギさんも立派な家畜です!』
「頼もしいな」
『お任せくださいです!』
トモロが元気よく駆け出す。
それを追い掛けるように、ウサギたちもぴょんぴょんと跳ねていく。
「牧羊犬じゃなくて、牧兎犬だな」
その一言に、アトラが吹き出した。
「ふふっ、本当にかわいい」
「ああ」
こんな穏やかな時間が、この世界にもまだ残っていた。
そう思えた――その瞬間だった。
ズン……。
地面が震えた。
笑顔が消える。
ズシン。
ズシン。
森の奥から重い足音が響く。
鳥たちが一斉に飛び立ち、木々が激しく揺れ始めた。
「魔獣か!?」
次の瞬間。
森を押し分けるように、巨大な影が姿を現す。
森を押し分けるように現れたのは、小屋ほどもある巨大な戦象だった。
一歩踏み出すたび、大地が沈み込む。
その背後には傷だらけの巨大な交易車。
車体にも車輪にも無数の矢が突き刺さり、荷台からは苦しげな呻き声が漏れていた。
戦象の身体にも深い斬り傷が刻まれ、その巨体から流れた血が足元の地面を赤く染めていた。
壮絶な戦いを潜り抜けてきたことは、一目で分かる。
やがて戦象が止まると、一人の女性が荷台から飛び降りた。
「お願いです!」
悲鳴にも似た声が放牧地に響き渡る。
「盗賊に襲われました! 怪我人が大勢います! どうか助けてください!」
同時に、ナンシーの機械的な声が響いた。
『生命反応、多数確認』
『負傷者十二名』
『重傷三名』
『応急医療を推奨します』
『都市人口増加の可能性を確認』
その言葉を聞いた瞬間、俺は駆け出していた。
だが、シャーリスとガードナーの姿はない。
まだ狩りから戻っていないのだ。
盗賊が全滅した保証はない。
逃げ延びた連中が森に潜んでいる可能性は十分ある。
もし二人が鉢合わせていたら――。
「アトラ! 負傷者を頼む! 俺は周囲を警戒する!」
「分かった! 気を付けて!」
しまった。
放牧地を作るだけのつもりだったから、武器は長の家へ置いたままだ。
俺は女性へ向き直る。
「悪い! 予備の剣があれば貸してくれ!」
「これを!」
女性は迷うことなく、腰に差していたショートソードを鞘ごと放り投げる。
「助かる!」
空中で受け止め、そのまま腰へ差す。
「でも、そっちは?」
俺の問いに、女性は落ち着いた笑みを浮かべ、腰の革鞭を抜いた。
シュルッ、と空気を裂く音が響く。
「私はこちらがありますから」
その姿を見た瞬間、前世の記憶が鮮明によみがえった。
革鞭。
魔獣使いの笛。
巨大な戦象。
この三つが揃う職業は、一つしかない。
そして
(ビーストテイマーだ)
育成は困難。
契約できる魔獣を探し、信頼を築き、何年もかけて育て上げなければ真価を発揮しない。
だが、一度完成すれば一人で軍隊に匹敵する。
ゲームでも終盤にならなければ仲間にならないレアクラスだった。
(こんな序盤で出会う相手じゃない)
――つまり、この商隊はただの行商人ではない。
俺は剣の柄を握り締め、ゆっくりと森へ視線を向けた。
今、考えるべきは彼女の正体じゃない。
盗賊が、本当に全滅したのかどうかだ。
その時――。
ガサリ。
茂みが揺れた。
現れたのは、一人の男。
全身を返り血で染め、血に濡れた斧を肩へ担いでいる。
男は口元を歪める。
男はゆっくりと斧を持ち上げた。
返り血で染まった口元が、三日月のように吊り上がる。
「ようやく見つけたぜ」
「――生き残りがいたか」
ギィン。
静寂を切り裂き、剣を抜く。
切っ先を男へ向ける。
男は笑った。
「一人か」
「なら、楽な仕事だ」
その瞬間。
俺と盗賊は同時に地面を蹴った。




