犬妖精トモロと、蘇る文明の農場
遺跡に到着して、最初の食事を終えた。
とりあえず、腹は満たされた。
だが――これで終わりじゃない。
むしろ、ここからが本番だ。
次に必要なのは、継続して食料を生産するための設備。
つまり――農場だ。
けれど、俺たちは四人しかいない。
農具もない。
種もない。
耕された畑すらない。
最悪の場合、エノコログサを集めて脱穀し、粥にして食いつなぐことになる。
……そんな生活では、冬を越せない。
だからこそ。
俺は、一つの賭けに出る。
あの装置に。
前世の知識なら、起動方法を知っている。
ゲームの中では、何度も使った。
だが――ここは、もうゲームじゃない。
実際の世界で、本当に動く保証なんてどこにもない。
それでも。
試すしかなかった。
「ナンシー。隠された上の階へ行くぞ」
『え? ですが、この上には避難区画と、崩れかけた石壁しか……』
「いや。ある」
俺は祭壇の奥へ目を向けた。
「この壁の向こうに、隠し階段がある。その先に、この世界を変えるものが残ってる」
ナンシーが沈黙する。
『……皆さんに知られてしまっても、よいのですか?』
「状況が状況だからな」
俺が答えると、アトラが不安そうに眉を寄せた。
「ハーシス。どうしてそんなことがわかるの?」
「……」
「あなた、この遺跡に来たのは初めてなんでしょ?」
しまった。
さすがに怪しすぎたか。
「……昔から、同じ夢を見るんだ」
「夢?」
「ああ。何度も、同じ場所が出てくる」
俺は少しだけ視線を逸らした。
「それがおそらく、ここなんだ」
「……」
「まあ、第六感ってやつだ。そういうことにしてくれないか?」
アトラはきょとんとした顔をした。
けれど、すぐに小さく笑う。
「本当に……?」
「ああ」
「でも、あなたがそう言うなら、きっと何かあるんでしょうね」
その横で、ガードナーが立ち上がった。
斧を肩に担ぎ、豪快に笑う。
「お前の勘には、これまで何度も助けられてる」
そして、ニッと笑った。
「だったら、今回も信じるさ」
シャーリスも無言で頷き、弓を手に取る。
「私も異論はない」
「よし」
俺たちは祭壇の奥へ向かった。
長い年月を経た壁には、無数のひびが走っている。
あちこちで石材が崩れているというのに、この塔そのものは未だに立っていた。
洪水から、いったい何年が経ったのか。
それでも――古代文明の遺産は、まだ死んでいない。
「……あった」
祭壇の裏。
壁の一角に、明らかに不自然な継ぎ目がある。
ガードナーが近づき、指で表面をなぞった。
「なるほどな。この石、ただの石材じゃない」
表面には、かすかな幾何学模様が刻まれていた。
見覚えがある。
ゲームの中で、何度も見た紋様だ。
ナンシーが蜘蛛の脚を伸ばし、壁へ触れる。
『微弱な魔力反応を感知しました』
「やっぱりな」
これは古代文明が侵入者を防ぐために仕込んだ、簡易ロック機構。
シャーリスも紋様を覗き込んだ。
「……中央だけ、妙に擦れている」
「ああ」
「何かを押す場所か?」
「たぶんな」
俺はガードナーを見る。
「ガードナー。その紋様の中心を、斧の柄で叩いてくれ」
「どれくらいだ?」
「強く。三回」
「任せろ!」
ガードナーが斧を反転させる。
石突きを握り直し――
「せーのっ!」
ゴン!
ゴン!
ゴン!
低い振動が、塔全体へと響き渡った。
次の瞬間。
ズズズズズ……。
石板が左右へ滑っていく。
「……開いた」
シャーリスが呆然と呟いた。
その奥には、小さな空間。
そして――その先へ続く、螺旋階段。
俺は思わず息を吐いた。
「……よし」
残っていた。
本当に。
「ハーシス」
シャーリスが俺を見る。
「あんた、やっぱり何か知ってるな?」
「詳しい話は後だ」
俺は階段の先へ視線を向ける。
「まずは、確かめよう」
螺旋階段を上る。
しばらくして辿り着いた先には――円形の広間があった。
天井は驚くほど高い。
一部は崩落している。
それなのに。
中央だけは、まるで時間から取り残されたように綺麗なままだった。
そこに――
それはあった。
黒曜石のような光沢を持つ巨大な基台。
その上に、複数の水晶レンズが同心円状に配置されている。
見間違えるはずがない。
前世で、何度も見た。
都市を管理する、中枢装置。
――マザークリスタル。
『……これは』
ナンシーの声が震えた。
『伝承にのみ残る、《マザークリスタル》……』
そして続ける。
『都市を発展・管理するための中枢装置です』
俺は、しばらく言葉を失った。
ゲームでは、この装置を使って町を発展させていた。
畑を作る。
家を建てる。
工房を建設する。
人を増やす。
何度も何度も繰り返した。
けれど――今は違う。
ここはゲームの世界じゃない。
ここで暮らす人間には、命がある。
失敗しても、リセットはできない。
死んでも、ロードはできない。
だからこそ――
俺はマザークリスタルへ近づいた。
『この装置の管理権限は、あなたにあります』
ナンシーの声が響く。
『私は補助します。どうしますか?』
そんなもの。
決まっている。
「……俺がやる」
自然と声に力がこもった。
「これを使って、この街を立て直す」
これこそが。
文明再生の核だ。
「これがあれば、生活に必要な施設は建設できるんだな?」
『はい』
「そんなこと……本当にできるの?」
アトラが水晶を見上げる。
「ああ。ただし、何もないところから家が生えてくるわけじゃない」
「え?」
「家を建てるなら木材や石材が必要だ。農場を作るなら土地がいる」
俺は苦笑した。
「文明の技術は便利だけど、何でも叶える魔法じゃない」
「……なるほど」
「でも――」
アトラが心配そうに尋ねる。
「もし、動かなかったら?」
「そのときは――」
俺は肩をすくめた。
「変なことを言ってた俺を笑ってくれ」
「ふふっ」
アトラが小さく笑う。
その横で、ガードナーが唸った。
「つまり、これがあれば……」
大きな手で顎を撫でる。
「ただ生き延びるだけじゃなく、ちゃんとした『暮らし』を取り戻せるってことか?」
「ああ」
「肉も酒も、腹いっぱい食える町を作れるってことだな!」
「……そこが一番重要なのか?」
「当然だ!」
「ガハハハ!」
ガードナーの笑い声が、広間に響き渡った。
シャーリスは水晶レンズに手を伸ばしかけ――寸前で止めた。
「しかし、どうやって動かすんだ?」
「条件がある」
俺はナンシーを見る。
「この装置を起動できる者の血を引く者が、触れること」
「……それなら」
ナンシーが俺を見る。
『心当たりがあります』
俺は頷いた。
「だろうな」
そのとき。
外から、鳥の鳴き声が聞こえた。
もう昼を過ぎている。
日が暮れるまで、あまり時間がない。
「まずは起動する」
俺は言った。
「でも、食料の確保も必要だ」
シャーリスとガードナーを見る。
「二人は周辺の安全を確認しながら、狩りを頼めるか?」
「ああ」
シャーリスが弓を背負う。
「鹿かイノシシ。できれば大きな獲物を仕留めてくる」
「運ぶのは俺に任せろ!」
ガードナーが斧を担ぐ。
「そして、食うのも俺に任せろ!」
「……食うのは全員だ」
「そうだったな!」
ガハハ、と笑いながら、二人は広間を出ていった。
「ナンシーは俺と来てくれ」
『はい』
「防衛機構が残っているかもしれない。蜘蛛の糸で罠の有無を調べられるか?」
『もちろんです。私の糸は魔力の残滓にも反応します』
「頼む」
それぞれが動き始める。
俺は一人、マザークリスタルの前に立った。
――これが、始まりだ。
飢え。
病。
暴力。
そんなものが支配する終末世界で。
文明を再生する。
口で言うのは簡単だ。
だが、実際には途方もない時間と労力が必要になる。
何より。
ここにはゲームのような便利な機能はない。
リスポーンも。
セーブも。
ロードも。
やり直しも。
存在しない。
俺は、ハーシスとして、この世界を生きる。
そして――変える。
「アトラ」
「なに?」
「俺たちに何かあったときのために、少し後ろからついてきてくれ」
「そうね」
アトラは頷いた。
「万一のときに困るもの」
「ああ」
俺はマザークリスタルへ向き直る。
「確証はない」
それでも。
「まずは、試す」
手を伸ばす。
そして――
水晶へ触れた。
瞬間。
パァァァァッ!
マザークリスタルに、光が灯った。
「……っ!」
眩い光が、円形の広間を満たしていく。
動いた。
本当に――動いた。
「ねぇ……」
アトラが呆然と呟く。
「これ、本当に全部動いてるの?」
「ああ」
俺は笑った。
「間違いなく――古代文明の遺産だ」
その瞬間。
声が響いた。
耳からではない。
頭の中へ、機械的な音声が直接流れ込んでくる。
『よくここまでたどり着きました』
『古き神々の末裔――《ウィッカ》よ』
目の前に、半透明の文字列が浮かび上がった。
『ここ、エマイン・マハは妖精丘の上に築かれた都市』
『あなたには妖精を呼び出し、この都市を統括する権利があります』
『また、そちらの女性には《ウィッチ》として医療を行う力が眠っていました』
『その力を覚醒させます』
「……アトラ」
「え?」
「何か聞こえないか?」
アトラは首を横に振った。
「ううん。何も」
やっぱり。
この声は――俺にしか聞こえていない。
そして、目の前に新たな表示が浮かぶ。
【都市管理システム】
都市名 :エマイン・マハ
状態 :廃墟遺跡
施設 :叡智の塔 Lv1
建設可能施設:農場(畑)
統轄者 :ハーシス
クラス :ウィッカ
【次の目標】
・食料生産施設を建設する
「……本当に、ゲームと同じだ」
思わず呟く。
いや。
違う。
表示は同じでも、意味はまるで違う。
ゲームでは、この先に何度失敗してもやり直せた。
けれど、ここでは違う。
この表示の向こう側には――俺たちの命がある。
「どうやら俺は、妖精を召喚できるらしい」
「妖精?」
「ああ。それから――」
俺はアトラを見る。
「お前はウィッチとして、医療を行う力を目覚めさせられたらしい」
「え……私に?」
アトラは自分の両手を見つめる。
「そんな力が……?」
「今は、何が変わったのかわからないだろうな」
「うん」
「でも、その意味がわかる時はきっと来る」
「……そうだね」
アトラが頷いた。
俺はマザークリスタルへ向き直る。
「俺は妖精を召喚して、従えるのか?」
『はい』
即答だった。
『現状では一体のみです』
『召喚に必要なレイキは十分に蓄積されています』
「レイキ?」
『妖精を実体化するためのエネルギーです』
「なるほど」
ゲームにも似た設定があった。
「じゃあ……試してみるか」
俺はクリスタルへ手をかざした。
「俺の声が聞こえるなら――こちらへ来てくれ、妖精!」
その瞬間。
クリスタルから光が溢れた。
「うわっ!」
視界が真っ白になる。
光の粒が集まり。
やがて――四本の脚を持つ影へ変わっていく。
ゆっくりと、その姿が現れた。
「……犬?」
そこにいたのは、一匹の犬だった。
草原の若葉を思わせる、鮮やかな緑色の毛並み。
コリーによく似た姿をしている。
ただし、その瞳だけは普通の犬とは違った。
翡翠色。
透き通るような、不思議な光を宿している。
犬は一度だけ尻尾を振ると、静かに俺の前まで歩いてきた。
俺の周囲を一周する。
匂いを嗅ぐ。
もう一度、尻尾を振る。
そして――
翡翠色の瞳が、まっすぐ俺を見上げた。
「妖精っていうから、もっとこう……幻想的な姿を想像してたんだが」
正直に言えば。
思っていたより、ずっと可愛い。
『召喚されたのは、犬妖精クー・シーですね』
ナンシーの声が響く。
すると。
目の前の犬が口を開いた。
『はいです』
「……しゃべった!?」
『わたしはトモロです』
犬妖精は、嬉しそうに尻尾を振る。
『見ての通り、犬妖精クー・シーです』
そして。
『よろしくお願いしますです』
「あ、ああ」
俺は少し戸惑いながら頷いた。
「よろしくな、トモロ」
その瞬間。
いつの間にか、俺の手の中に一枚のカードが現れていた。
そこには、目の前のトモロの姿が描かれている。
「これは?」
『わたしとご主人が契約を結んだ証となるカードです』
「契約の証……」
『はいです』
「他にも何か機能があるのか?」
『ありますが、今はまだ使えません』
「なるほど」
俺はアトラを見る。
「アトラ。ここに緑色のコリーがいるのは見えるか?」
「うん」
アトラはしゃがみ込み、トモロを見る。
「賢そうな子だね」
どうやら、妖精だからといって俺にしか見えないわけではないらしい。
「トモロ。ちなみに、お前は何ができるんだ?」
『家畜さんのお世話です』
「家畜?」
『乳搾りや繁殖のお手伝いです。それから、病気の予防も得意です』
「……」
俺は固まった。
「ちょっと待て」
ゲームでは、牧場なんて実装されていなかった。
そもそも、さっき確認した管理画面にも表示されていない。
「ナンシー」
『はい』
「今の話、どういうことだ?」
ナンシーが少し沈黙する。
『不可能ではありません』
「本当に?」
『私とあなたなら、古代文明の管理権限の一部を利用できます』
『休眠中の拡張モジュールを検索します』
「やってくれ」
『未解放機能を検索』
『プログラム互換性を確認中……』
しばらくして。
『成功率――八七パーセント』
「八七パーセント……!」
思わず身を乗り出す。
「頼む! やってくれ!」
『了解しました』
次の瞬間。
『農園機能を追加します』
『互換性確認中』
『システム再構成――』
そこで。
『失敗』
「おい!」
思わず叫ぶ。
「失敗って何だ!?」
アトラも目を見開く。
「世界が壊れたりしないよね?」
『問題ありません』
「本当に!?」
『再試行します』
ピッ。
『再試行』
ピッ。
『システム再構成――成功』
『隠された機能《放牧地》を追加しました』
「……」
しばらく、言葉が出なかった。
「待て」
ようやく口を開く。
「今、世界のシステムそのものを書き換えたのか?」
『正確には異なります』
ナンシーは淡々と答えた。
『管理権限の範囲内で、休眠していた機能を世界へ再接続しました』
「つまり……」
俺は表示を見ながら考える。
「もともと存在していた機能を、使える状態に戻した?」
『はい』
「なるほど……」
やがて。
都市管理画面が更新された。
【建設可能施設】
農場
└内部施設:畑・放牧地
俺は思わず笑った。
「……本当に増えてる」
『農場建設時に必要な資源を消費することで、最低限の家畜を実体化できます』
「つまり、最初の家畜は農場の設備として召喚されるわけか」
『はい』
「つがいで?」
『はい。繁殖可能な個体が生成されます』
俺は画面を見つめた。
まだ、何一つ完成していない。
畑もない。
家畜もいない。
まともな住居すらない。
それでも――
ほんの少しだけ。
未来が見えた気がした。
「ちなみに……」
俺は念のため尋ねる。
「もっと直接的に、美味い食べ物とか便利な道具を出したりはできないのか?」
『それは管理権限の範囲外です』
「だよな」
『世界法則にも抵触します』
ナンシーの声は、どこまでも淡々としていた。
『食料を無から生み出せるのであれば、そもそも文明は滅びていません』
「……正論だ」
俺は苦笑した。
ゲームの世界なら。
都合のいい機能を追加すれば、それで済んだ。
だが――この世界では違う。
自分たちの手で作らなければならない。
畑を作る。
家畜を育てる。
食料を増やす。
家を建てる。
人を集める。
そして――
失われた文明を、一つずつ取り戻していく。
俺は改めて、都市管理画面を見つめた。
ついさっきまで。
ここは、ただの廃墟だった。
誰も住んでいない。
何も生み出さない。
死んだ都市。
けれど――今は違う。
ほんの小さな変化にすぎない。
それでも。
確かに、この場所には未来が生まれた。
「……今日からだな」
「何が?」
アトラが尋ねる。
俺はマザークリスタルを見る。
「ここは、もうただの遺跡じゃない」
そして、足元にいる緑色の犬妖精――トモロを見る。
「俺たちが暮らす街だ」
トモロが嬉しそうに尻尾を振った。
『はいです!』
その声を聞いて、俺は笑った。
――文明は。
この日。
この場所で。
再び、動き始めた。
そして俺は、都市管理画面に表示された新たな項目を見つめる。
【次の目標】
・農場を建設する
「……まずは、畑だ」
文明再生の第一歩は――
土を耕すところから始まる。




