滅びた文明の聖塔で、俺は都市管理システムを起動する
腹が減った。
三日まともな食事をしていない。
喉は乾き、足は鉛のように重い。
それでも俺は、一歩、また一歩と森の中の細い道を歩き続けていた。
「……もう少しだ」
目の前の木々が途切れた瞬間、視界が開ける。
その先には、森を突き抜けるように一本の巨大な塔がそびえ立っていた。
風雨に晒されながらも崩れることなく、静かに空へ伸びるその姿は、まるで数百年という時を見守り続ける番人のようだ。
「あれが……」
思わず息を呑む。
聖塔。
ゲームで何百回も訪れた場所。
そして、この終末世界で最初の拠点となる場所だ。
「見て、ハーシス!」
栗色の髪を揺らしながらアトラが声を上げる。
「あそこよ! きっと私たちが探していた遺跡!」
「ああ……間違いない」
自然と笑みが浮かんだ。
ここまで本当に長かった。
食料は底をつき、水も尽きかけ、何度も野獣を避けながら歩き続けてきた。
もう一日遅れていたら、誰かが倒れていてもおかしくなかった。
『ようやく辿り着きましたね』
肩の上で、小さな蜘蛛が前脚を揺らす。
ナンシー。
ゲームではチュートリアルを担当していた妖精蜘蛛だ。
そして今では、この世界で俺が最も信頼する相棒でもある。
『ここからが始まりですよ』
「ああ」
俺は静かに頷いた。
なぜ俺がこの場所を知っているのか。
理由は簡単だ。
この世界を作ったのは俺だからだ。
前世の俺はゲーム会社でプログラマーをしていた。
この世界のシステムを組み、イベントを書き、バランスを調整し、何千時間もデバッグを繰り返した。
だから知っている。
この世界は優しくない。
食料がない。
水がない。
怪我をすれば感染症で死ぬ。
盗賊に襲われ、魔物に食われ、飢えながら命を落とす。
発売当時、
『序盤が理不尽すぎる』
そんなレビューが山ほど投稿された。
そして今、その理不尽さを味わっているのはプレイヤーではない。
俺自身だった。
俺はゲームの主人公――ハーシスとして、この世界に転生していたのだから。
「ふう……助かったな」
大きな荷物を担いだガードナーが安堵の息をつく。
「雨風はしのげそうだ」
「その前に獲物を探してくる」
シャーリスは短く言うと、音もなく森へ消えた。
説明はいらない。
彼女は森で育った狩人だ。
十分後には野ウサギを一羽ぶら下げて戻ってきた。
「これで十分か?」
「ああ。今はそれでいい」
大物を狩っても運べない。
今の俺たちには、生き延びることの方が重要だった。
俺たちは聖塔へ足を踏み入れる。
石畳は割れ、草木が生い茂っている。
崩れた石柱。
風化した石像。
人々の営みはとうの昔に消え、吹き抜ける風だけが廃墟を支配していた。
それでも中央に立つ聖塔だけは違う。
数百年の時を超えてなお、圧倒的な存在感を放っていた。
そして、その脇には――。
「水よ!」
誰より早くアトラが駆け出す。
透き通った泉。
俺たちは夢中で水をすくい、喉へ流し込んだ。
「生き返る……」
冷たい水が身体中へ染み渡る。
たったそれだけのことで、涙が出そうになった。
「これだけでも来た甲斐があったな」
ガードナーが笑う。
だが、本番はここからだ。
「塔の中へ行こう」
ゲームの記憶が正しければ――。
この塔には食料が残されている。
俺たちは螺旋階段を上り、二階へたどり着いた。
『ここは神殿です』
ナンシーが静かに告げる。
祭壇。
石造りのかまど。
そして、その上に並ぶ三つの壺。
見覚えのある配置だった。
鼓動が速くなる。
もしゲームどおりなら――。
俺は左の壺へ手を伸ばした。
ゆっくり栓を抜く。
「……あった」
黄金色の雑穀がぎっしり詰まっていた。
「本当!?」
アトラが中央の壺を開ける。
「豆!」
続けて右。
「塩まである!」
歓声が上がる。
食料だ。
今日だけじゃない。
数日は生き延びられる。
アトラはさらに神殿を見回し、
「鍋まで残ってる!」
嬉しそうに埃を払った。
「これなら温かいご飯が作れる!」
その笑顔を見た瞬間、俺の肩から力が抜けた。
助かった。
本当に助かったんだ。
しかし、アトラはふと表情を曇らせる。
「でも……」
「どうした?」
「全部残ってるってことは……誰も使えなかったのよね」
その一言で空気が凍りついた。
もし人々がここへ逃げ込めていたなら、この食料が残るはずはない。
洪水は、それほど突然だったのだ。
「それに傷んでるかも」
アトラが顔をうつむかせた。
『ご安心ください』
沈黙を破ったのはナンシーだった。
『祭壇には保存の祝福があります。
神へ捧げられた供物は腐敗しません』
「保存の祝福……」
思わず呟く。
そうだ。
ゲームでは初心者の多くが食料庫程度にしか思わなかった施設。
だが、本当の価値は違う。
種籾も腐らない。
飢饉でも食料を守れる。
文明そのものを支える奇跡の施設だった。
「これは……想像以上だ」
自然と頬が緩む。
この祭壇一つで未来が変わる。
そう確信できた。
その日の夕暮れ。
俺たちはウサギ肉と雑穀、豆を煮込み、久しぶりの温かい食事を囲んだ。
粗末な雑炊だった。
それでも誰も喋らない。
夢中で食べる。
一口ごとに身体へ力が戻ってくる。
こんなに美味い飯を食べたのは初めてだった。
「でも、この食料もいつか尽きる」
食後、俺は静かに言った。
「畑を作る。狩りだけじゃなく、魚も獲る。
街も作る」
ガードナーが笑う。
「未来の話ができるようになったな」
「ああ」
俺も笑い返した。
数時間前まで考えていたのは、今日をどう生き延びるかだけだった。
今は違う。
明日を作る話をしている。
その時だった。
ふと、忘れていた記憶が脳裏をよぎる。
「……待て」
俺は勢いよく立ち上がった。
「どうした?」
皆がこちらを見る。
俺は聖塔の最上階を見上げる。
この塔は、ただの避難所じゃない。
本当の価値は、そのさらに上にある。
ゲームでは誰もが最初に起動する施設。
文明再建ルートを開始するための中枢装置。
都市管理システム。
俺は、その場所を知っている。
「みんな」
拳を握り締める。
「上の階へ行こう」
もし俺の記憶どおりなら――。
この瞬間から、滅びた文明は再び動き始める。
その一歩が。
滅びた文明を、もう一度動かす最初の一歩になる。
その先で待っているものが希望なのか、それとも絶望なのか。
まだ誰も知らない。
俺は天井を見上げた。
この塔は避難所ではない。
それは表向きの役目だ。
本当の価値は、さらに上。
誰にも知られず眠り続ける隠された上の階にある。
ゲームではここからすべてが始まった。
農業。
街づくり。
仲間の勧誘。
文明再建。
すべて。
もし俺の記憶が正しければ――。




