文明再建、まずは風呂から始めます
そんなこんなで――ベヒモスとの死闘を終えたあと、俺はそのまま意識を失ったらしい。
次に目を開けたとき、視界に飛び込んできたのは、見慣れた石造りの天井だった。
壁の隙間から差し込む柔らかな朝日。
鼻をくすぐる薬草の香り。
誰かが何度も取り替えてくれたのだろう。額には、ひんやりと冷たい布が載せられている。
……生きている。
その事実に胸をなで下ろした瞬間、ベヒモスとの激戦が脳裏によみがえった。
契約融合。
全身を焼くような莫大なレイキ。
都市そのものと一つになったような感覚。
そして、すべてを賭けた最後の一撃――。
「……っ」
身を起こそうとした途端、全身に鈍い痛みが走る。
「痛っ……!」
「もう、無理しないで」
優しく肩を押さえたのはアトラだった。
ベッドの脇には彼女だけでなく、リリィとダグラスの姿もある。
その足元ではミントがベッドに突っ伏したまま、すやすやと寝息を立てていた。
どうやら看病を続けているうちに、そのまま眠ってしまったらしい。
小さな背中が規則正しく上下する様子に、自然と頬が緩む。
そして、部屋にはもう一人。
見覚えのない男が静かに立っていた。
「ふう……よかった。本当にようやく目が覚めたのね」
アトラが胸に手を当て、大きく息をつく。
「……そんなに心配かけたか」
「そんなに、なんてものじゃないわよ」
少し怒ったような、それでいて泣きそうな声だった。
「あなた、丸三日も眠ったままだったんだから」
「……三日?」
思わず聞き返す。
「三日三晩よ」
「げっ、そんなにか」
予想以上だった。
契約融合の反動は、俺の想像をはるかに超えていたらしい。
「最初の一日は眠るだけだから大丈夫だと思っていたの。
でも二日目になっても起きなくて……」
アトラは苦笑する。
「ミントなんて毎日泣いていたのよ」
ゲーム時代には存在しなかった能力だ。
当然、副作用に関するデータなどあるはずもない。
(……命があっただけでも儲けものか)
苦笑しながら息を吐く。
そこで、一番気になっていたことを思い出した。
「そういえば……ガーディアンは?」
俺の問いに、リリィが穏やかに微笑んだ。
「私がここにいる時点で、おおよその察しはついていると思いますが」
「ああ。
管理者権限が上がったんだろ?」
「はい」
彼女は嬉しそうに頷いた。
「管理者権限が第三段階まで昇格したことで、二体のガーディアンは正式に都市管理システムへ再登録されました。
現在はどちらも管理者であるハーシスの指揮下にあります」
「そうか!」
思わず声が弾む。
「ってことは、今後はガーディアンを戦力として運用できるのか?」
戦闘力評価S、ベヒモスを上回る圧倒的な戦闘力が味方になる。
それだけで、この都市の防衛力は桁違いになるはずだった。
だが、リリィは申し訳なさそうに首を横へ振る。
「残念ながら、現状では困難です」
「え?」
「アーク・ナイトも、私を追跡していたもう一体のガーディアンも、数百年という長い休眠期間によって内部機構が著しく劣化しています」
そう言うと、彼女は指先で空中に光の画面を映し出した。
そこには複雑な魔導機構の断面図と、赤く点滅する警告表示が並んでいる。
「関節摩耗率八十七%。
魔導回路多数断線。
装甲内部腐食。
現状では戦闘行動は推奨できません」
「つまり?」
「人間で言えば、骨も筋肉もボロボロの老人に全力疾走させた状態です。
現状を見てみますか?」
「ああ」
そしてガーディアンの映像に切り替わる。
巨大な騎士は膝をついたまま動かない。
装甲の隙間には錆が浮き、関節からは白い粉がこぼれていた。
リリィは一度言葉を切った。
「今のアーク・ナイトは、何年も放置されていた荷馬車を無理やり走らせたような状態です」
「ああ、それなら分かる」
「動いたこと自体が奇跡ですね」
「特に手入れをしなくても、大丈夫ってわけじゃなかったんだな」
「はい」
リリィは静かに頷く。
「あの戦闘では都市全域のレイキ濃度が異常なまでに上昇していました。
その膨大なエネルギーを利用して、管理システムが本来必要な整備工程を強引に省略し、アーク・ナイトの緊急起動を行ったのです」
なるほど。
だから動けた。
いや、正確には――無理やり動かされていたのだ。
「私を追跡していた個体はさらに状態が悪く、ここまでたどり着いたこと自体が奇跡だったと言えるでしょう」
「つまり、今は完全にオーバーホール待ちってことか」
「はい。
そのためには特殊な魔導素材や希少金属、さらに専用設備が必要になります」
「全部、今の俺たちにはないものばかりだな」
「その通りです」
夢の超兵器を手に入れたと思ったら、修理費だけが残ったようなものだ。
少し残念ではあるが、動かないものを嘆いても仕方ない。
「まあ、逆に考えれば敵に奪われる心配もないってことだ」
「そうですね」
リリィは小さく笑った。
もっとも――。
(あの組織にとっては、存在しているだけで十分価値があるんだろうな)
「ですが、修復そのものが不可能というわけではありません」
「都市復興率が上昇すれば、管理工廠や魔導整備区画も順次再起動します。
その時には専用設備で本格的なオーバーホールが可能になるでしょう」
「それはありがたいな」
もっともそれはいつになるのやらではあるが。
管理都市。
妖精。
ガーディアン。
そして管理者権限。
秘密が増えれば増えるほど、俺たちはますます狙われることになる。
頭の痛い話だった。
すると、それまで黙って話を聞いていたダグラスが、一歩前へ出た。
大柄な体を折り曲げ、深々と頭を下げる。
「ハーシス。本当にすまなかった」
「ん?」
「あの戦いで、俺は何一つ力になれなかった」
拳を強く握り締める。
その悔しさは痛いほど伝わってきた。
だが俺は首を横に振る。
「そんなことはないさ」
「……」
「リリィが無事ここまで来られたのは、あんたが命懸けでここまで連れてきてくれたからだ。
そのせいであれほどまでに、ぼろぼろだったんだろう」
俺がそう言うと、ダグラスはしばらく黙り込んだ。
やがて、小さく息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。
「ああ……ありがとう」
その表情から少しだけ陰りが消える。
「だが、それでも俺は俺なりにこの街に貢献したい」
そう言って彼が背負っていた筒を机の上へ置いた。
中から取り出されたのは、二枚の大きな紙。
丁寧に広げられた設計図には、緻密な建築図面が描き込まれている。
部屋割りだけではない。
日当たりまで計算され、雨水を集める樋、換気窓、一本一本の梁の太さから、石材の積み方、排水経路に至るまで細かく記されていた。
さすが熟練の建築士だ。
「これは……」
「共同住宅と、大食堂の設計図だ」
俺はそれを見てみたが、さすがは専門家だ。
「なるほど、よくできてるな。
だが、可能なら食堂の外に増設してほしい施設がある」
俺の言葉にダグラスが首を傾げた。
「増設してほしい施設?
必要な設備はおおよそ揃えたと思ったが」
「ああ、住居や食堂としては十分だ。
ただ、食堂の厨房にデカいパン焼き窯があるだろう?
それの予熱を使って小さくて構わないから入浴施設を作ってほしい」
「なるほど、俺はそこまで考えなかったが燃料を無駄にしないという意味では素晴らしい意見だと思う。
早速考えてみよう」
その一言に、部屋の空気が変わる。
「お風呂……?」
最初に反応したのはアトラだった。
その瞳がぱっと輝く。
「入れるようになるの?」
「ああ。
うまく設計できればな」
俺が頷くと、アトラは嬉しそうに胸の前で手を組んだ。
「それは嬉しいわ……!
いままでは水で濡らした布で毎日体を拭くことしかできなかったから……ちゃんとお湯に入れるなら、本当に嬉しいわ」
その隣では、リリィも静かに頷いている。
「素晴らしい発想ですね」
俺は首を傾げた。
「そうか?」
「はい。
旧文明ではバスルームは標準設備でした。
そして旧文明でも、熱エネルギーの再利用は基本的な設計思想の一つでした。
製鉄所や発電所などの熱源から複数の設備へ熱を供給することで、燃料消費を大幅に削減できます」
なるほど。
やっぱり考え方は間違っていなかったらしい。
ダグラスが不思議そうに言う。
「しかし、水も貴重な資源だろう?
そんな贅沢していいのか?」
俺はふっと笑い言う。
「いや、贅沢なんかじゃない。
清潔を保つことは、そのまま人の命を守ることなんだ」
「なるほど、そういえば昔いた街で似たような施設を見たことがあってな」
「ん?」
「パン焼き窯は、一度火を入れれば石造りの窯全体が何時間も熱を持ち続ける。
その熱を煙道で回して水を温めれば、薪を余計に使わなくても湯が作れる。
さらに煙道を床下へ巡らせれば、浴場全体を暖められ、煙突の引きを利用すれば湿気も抜ける」
「俺は『窯の熱がもったいない』くらいしか考えてなかったが、そこまで理屈があるとはな」
ダグラスは感心したように腕を組む。
「やっぱり、お前は物知りだ」
実に理にかなっている。
燃料が貴重な今の俺たちにとって、薪を節約できるのは何よりありがたい。
「浴場そのものは大きくなくてもいい」
ダグラスは設計図の余白へ炭で線を引き始める。
「湯船が一つと、体を流せる洗い場があれば十分だ。壁も石造りなら保温性が高い」
「それだけでも生活は大きく変わるな」
俺が頷くと、アトラも何度も首を縦に振った。
「病気の予防にもなります」
そう言ったのはアトラだった。
「体を清潔に保てれば皮膚病や傷口の化膿も減りますし、体調管理もしやすくなります」
「確かに」
前世では当たり前だった風呂も、この世界では贅沢品だ。
だからこそ、その恩恵は計り知れない。
すると、リリィが補足するように口を開いた。
「都市管理システムにも、公衆浴場は衛生施設として登録されています」
「え?」
「ただし建設条件に『安定した熱源』と『十分な給水設備』が必要だったため、これまでは実行できませんでした」
なるほど。
つまりダグラスの案なら、その条件を満たせる可能性があるわけだ。
俺は思わず笑みを浮かべる。
「さすが建築士だな。
俺じゃ思いつかなかった」
「長年、食ってきた知恵だからな」
ダグラスは少し照れながら笑った。
「立派な建物を造るだけが建築士じゃねえ。限られた資材で、どう暮らしを良くするか。それを考えるのも俺たちの仕事だ」
「頼もしいな」
俺は素直にそう思った。
戦いに勝つだけでは街は発展しない。
こうして生活を少しずつ豊かにしていく者がいてこそ、人はこの街に住み続けたいと思うようになる。
そのとき、部屋の隅で黙っていた見知らぬ男が、おずおずと手を挙げた。
「……話の途中、失礼します」
「ん、そういえばこの男は?」
俺が尋ねると、ダグラスが振り返った。
「ああ、元は俺と同じ都市で働いていた石工のスミスだ」
ダグラスの後ろから一人の男が進み出た。
肩幅が広く、腕は丸太のように太い。
腰には大小様々なノミ。
革袋には石工用コンパス。
手の甲には石で擦れた無数の傷跡。
爪の隙間には白い石粉が入り込み、長年石を相手にしてきたことが一目で分かる。
「スミスと申します。
石積みや石切り、水路や橋の建設を生業としております」
三十代半ばほどだろうか。
日に焼けた肌に、ごつごつと節くれだった両手。
その手を見ただけで、長年石と向き合ってきた職人であることが分かった。
「スミスは腕のいい石工だ」
ダグラスが誇らしげに言う。
「石積みだけじゃない。
石の切り方、削り方にも熟練しているし、橋や水路、城壁まで何でも造れる。
俺が最も信頼している職人だ」
「へえ……」
思わず感心する。
スミスは腰から小さな石槌を取り出す。
「これは親父から受け継いだ道具です。」
「街はいくつも滅びるのを見ました。
でも石だけは残る。」
「だから私は、人が何百年後に見ても誇れる街を造りたい」
俺は改めてスミスへ向き直る。
「歓迎するよ、スミス」
「ありがとうございます!」
彼はもう一度、深々と頭を下げた。
その表情には、安堵と決意が入り混じっている。
「ダグラスから話は聞いていると思うが、この街はまだ何もない」
「はい」
「立派な城壁もなければ、橋も、水路も、石畳の道すらほとんどない。
これから全部、一つずつ造っていくことになる」
「望むところです」
スミスは力強く頷いた。
「私の腕が、この街の礎になるのであれば、これほど職人冥利に尽きることはありません」
いい目をしている。
腕に自信があり、自分の仕事に誇りを持っている人間の目だ。
俺は自然と笑みを浮かべた。
「頼もしいな」
「まずは共同住宅と食堂、それに浴場の建設ですね」
スミスは設計図を見つめながら言う。
「石材は周囲から切り出してきます。
土台や基礎工事なら、すぐにでも取り掛かれます」
もう仕事の段取りまで考えているらしい。
さすがはベテランだ。
「人手は足りるか?」
「正直に申し上げれば不足しています」
スミスは苦笑した。
「ですが、基礎や石積みはコツさえ教えれば素人でも手伝えます。
重要な部分だけ職人が担当すれば十分進められます」
「なら、ミントに手伝ってもらうか……」
俺は眠っているミントの肩を優しく揺する。
「ミント」
「ん……パパ?」
目をこすった次の瞬間、勢いよく飛びついてきた。
「あ、こらこら」
だが今回はきちんと力加減をしているらしい。
以前のように息が止まるほど抱き締められることはなかった。
「心配かけたな」
「ほんとうだよ」
ぷくっと頬を膨らませる姿に思わず笑ってしまう。
「もう大丈夫だ。
それより一つお願いがある」
「お願い?」
「お願い?」
「この人と一緒に石を切り出したりするのを手伝ってくれないか?
もちろん明らかに危険だったり細かなな作業はしないでいい。
石を運んだり、力仕事を少し手伝ってもらう程度でいい」
ミントはスミスを見て、
「うん、いいよ
この人石と土をいっぱい触ってきた人の匂い。
悪い人じゃないよ。
それにパパのお願いならぼくがんばる!」
ミントの怪力は石を切り出して運ぶことには非常に役に立つだろう。
「ちなみに岩を割るくらいなら素手でもぼくできるよ?」
まじか……いやミントなら実際できそうだ。
「普通は楔とハンマーを使うんだがな」
「え?」
「ハンマーで?」
「そうだ」
「へぇ……人間って大変なんだね」
その言葉にスミスはぎょっとなった、
「……今なんと?」
ミントは笑顔で答える。
「こう、えいって。」
スミスは愕然としている。
「俺のノミが泣く……」
ダグラスも苦笑していた。
「建築の常識が崩れたぞ」
建築士ダグラス。
石工スミス。
都市を築く二人の職人が、新たに仲間へ加わった。
そして俺はユグドラをみた。
「今は契約できていないからか、力を出せていなかったみたいだな」
『うむ、そのとおりだ。
情けないことだが、現状では少し力の強い人間程度でしかない』
「いや、ベヒモスを受け止めたんだから十分だが……ユグドラとの正式な契約も早く結びたいな」
『うむ』
そして唐突にシステムが表示された。
【新規施設設計案を取得】
▼公衆浴場
【都市施設に登録されました】
【都市復興率が上昇可能になりました】
【生活水準の向上が期待されます】
【疾病発生率が低下します】
【住民満足度が上昇します】
俺は外を眺めた。
かつて滅び、誰にも忘れられた都市。
そこに今、人が集まり始めている。
たった数人。
されど、その一人ひとりが未来を築く職人だった。
石を積む者がいる。
畑を耕す者がいる。
狩猟採取をする者がいる。
食を作る者がいる。
子どもたちが笑い、人々が湯につかり、一日の疲れを癒やす。
そんな何気ない営みが積み重なってこそ、文明は育っていく。
文明は、戦いによってではない。
人の営みによって蘇る。
その最初の一歩が、今ここから始まった。




