森の主を救ったら、エルフの守り手と世界樹の謎を追うことになった
俺たちは、なんとか森の主――千眼を退けた。
戦いの最中に姿を見せた、謎のエルフらしき人物も、いつの間にか森の闇へと消えている。
しばらく耳を澄ませてみた。
だが、聞こえてくるのは木々を揺らす風と、遠くで鳴く鳥の声だけ。
「……まあ、なんとかなったな」
俺は大きく息を吐き、周囲を見回した。
「製材所が完成したら、皮の鞣しや製材も始める予定だ。だから、そのための獲物は確保しておきたい」
「だが、さっきの騒ぎで、この辺りの獲物は逃げただろうな」
ガードナーが顎に手を当てる。
「鹿や猪を狙うなら、もう少し森の奥まで入ったほうがいい」
「……鹿が逃げたのも、お前を千眼と勘違いしたせいかもしれないな」
シャーリスがぼそりと言った。
「いや、俺でもあそこまで派手な音は立てないぞ?」
「獣は一度怯えると神経質になる。普段なら気にしない物音でも、一斉に逃げることはある」
「なるほど」
確かに、あれだけの化け物が暴れ回った直後だ。
森の獣たちが警戒していても不思議ではない。
俺たちはそんな話をしながら、さらに森の奥へ進んだ。
進むほど、木々は太くなる。
枝葉に遮られ、陽光も少なくなっていく。
湿った土の匂い。
遠くで流れる水の音。
時折、茂みが揺れ、小動物が駆け抜けていく。
やがて木立が途切れた。
その先にあったのは、十数歩四方ほどの小さな草地だった。
頭上だけはぽっかりと空が開き、柔らかな陽射しが降り注いでいる。
「……ここなら少し休めるな」
ガードナーが周囲を見回す。
「水場も近い。獣道も三本ある。待ち伏せするには悪くない」
シャーリスも弓を下ろし、矢筒を確認した。
「私は周囲を見てくる」
そう言うと、彼女は茂みの中へ消えていった。
落ち葉ひとつ鳴らさない。
さすが熟練の狩人だ。
俺は倒木へ腰を下ろし、水筒の水を飲んだ。
冷たい水が、乾いた喉を潤していく。
「……そういえば」
静寂を破ったのはガードナーだった。
「あのエルフらしき奴。お前は何か感じたか?」
「何かって?」
「魔力とか、気配とかだ」
俺は腕を組んだ。
「俺には分からない。ただ……敵意は感じなかったな」
「敵意がない?」
「ああ。むしろ、俺たちが千眼をどうするのか見届けていた。そんな感じだった」
「……まあいい。今は食い扶持が先だ」
その時だった。
茂みが揺れた。
シャーリスが戻ってきた。
「いたぞ」
声は小さい。
だが、その表情には確信があった。
「沢で水を飲んでる。二頭だ。若い雄と雌」
「よし」
俺は立ち上がった。
「無駄撃ちはなしだ。若い雄だけ仕留めよう」
シャーリスが口元を吊り上げる。
「そうだな」
俺たちは身を低くし、シャーリスの後を追った。
沢の水音が近づいてくる。
茂みの隙間から覗くと――。
二頭の鹿がいた。
若い雄は、まだ角が短い。
その隣には雌。
二頭とも、こちらには気づいていない。
「若い雄だけだ」
俺が囁く。
シャーリスは無言で頷いた。
弓を引く。
弦が軋む。
風向きを確認。
距離は三十歩ほど。
彼女なら十分だ。
――ヒュッ。
一筋の矢が風を裂いた。
次の瞬間。
矢は若い雄の胸へ深々と突き刺さった。
鹿が跳ねる。
雌は驚いて森の奥へ駆け去っていった。
「よし!」
ガードナーが飛び出す。
俺も続いた。
鹿はまだ息をしていたが、それも長くは続かなかった。
やがて力なく首を垂れ、動かなくなる。
「見事だな」
俺はシャーリスを見る。
「さすがだ」
「これくらい普通だ」
シャーリスは肩をすくめた。
「それより、早く血抜きしろ。肉が臭くなる」
ガードナーは、すでに作業を始めていた。
赤い血が沢へ流れ、水へ溶けていく。
俺も手伝おうと腰を下ろした。
その瞬間――。
ザッ。
背後の茂みが揺れた。
反射的に立ち上がる。
剣の柄を握る。
シャーリスも一瞬で弓を構えた。
「……誰だ」
返事はない。
やがて、茂みがゆっくりと開いた。
「待ってくれ。敵意はない」
女の声だった。
姿を現したのは、深くフードを被った細身の人物。
武器は持っていない。
両手を上げ、無防備な姿を晒している。
「あんたは……」
俺が問いかける。
女は静かにフードへ手を掛けた。
さらり。
銀糸のような髪が零れ落ちる。
木漏れ日を受け、淡く輝く長い髪。
白磁のような肌。
そして――人族にはない、尖った耳。
金色の瞳が、静かに俺たちを見据えていた。
年若く見える。
だが、エルフの年齢など外見では分からない。
その瞳だけが、長い年月を生きてきた者の重みを宿していた。
「先ほど千眼を鎮めた者たちだな」
「……先ほどの」
「そうだ」
女は静かに頷いた。
「私はリューネ。この森の守り手だ」
一度言葉を切り、俺たちを見る。
「まずは礼を言わせてほしい。お前たちのおかげで、森の均衡は少しだけ取り戻された」
ガードナーは鹿を担ぎ上げた。
その鹿へ、リューネが視線を向ける。
「雄を一頭だけ狩ったのか?」
「ああ」
俺が答える。
「雌まで獲れば、次の獲物が減るからな。必要以上には獲らない」
「……そうか」
リューネは小さく頷いた。
「いい鹿だ。無駄にはするな」
「言われなくても、骨の髄まで使うさ」
ガードナーが答えた。
「肉は食う。皮は鞣す。骨も角も道具になる。俺たちはそうやって生きてきた」
リューネの口元が、ほんの少し緩んだ。
「……それなら、森も応えてくれるだろう」
そして、俺たちを見る。
「私の家までついてきてくれ」
そう言って、彼女は歩き始めた。
俺たちは、その後を追った。
獣道ですらない木々の隙間を、リューネは迷いなく進んでいく。
まるで、森そのものに導かれているようだった。
しばらく進んだところで、リューネが一本の老木へ手を添えた。
目を閉じる。
「何をしてるんだ?」
「森に尋ねている」
「森に?」
「異変がないか。危険が近づいていないか。獣たちは怯えていないか」
リューネは目を閉じたまま答える。
「お前たちには聞こえないかもしれないがな」
シャーリスが鼻で笑った。
「森と会話か。エルフってのは、本当にそんなことができるのか?」
リューネは振り返った。
「あんたは弓と会話をしないのか?」
「……は?」
「弦の張りを確かめ、風を読み、獲物の気配を感じ取る。それも、言葉を持たないものとの対話だろう」
シャーリスは口を開き――閉じた。
「……まあ、言われてみれば、そうかもしれない」
その時だった。
枝の上から、小さな影が飛び降りた。
一匹のリスだ。
リューネの肩へ駆け上がると、頬を小さな前足で叩きながら、忙しなく鳴き始める。
リューネは、その声へ耳を傾けた。
そして、何度か頷く。
「そのリス……妖精なのか?」
「いや。普通のリスだ」
「普通の?」
「だが、森と深い縁を持つ者とは意思を通わせることができる」
「つまり、森で起きていることを教えてくれる?」
「そうだ」
短い返事。
だが、それだけで十分だった。
この森では、木々も獣も鳥も虫も――すべてが彼女の目であり、耳なのだ。
さらに奥へ進む。
木々はますます太く、高くなっていく。
苔に覆われた地面は足音さえ吸い込んだ。
人の手が入った形跡はない。
それなのに、不思議なほど整然としている。
まるで森そのものが、ここを守っているかのようだった。
やがて木立が途切れた。
視界が開ける。
そこには、古びた石柱が円形に並んでいた。
その中央には、淡く輝く泉。
そして奥には、苔むした石造りの祠が佇んでいる。
「ここが……」
「私の住処だ」
リューネが答えた。
「正確には、森を守る者たちが代々受け継いできた聖域だ」
「祠というより……遺跡だな」
ガードナーが周囲を見回す。
「中はこっちだ」
リューネは祠の裏手へ回った。
蔦に覆われた小さな入口。
人ひとりが、ようやく通れる程度の狭さだった。
だが、その先に広がっていたのは――。
「……これは」
地下室だった。
石を積み上げた壁。
天井には太い木の根が複雑に絡み合っている。
その隙間から差し込む陽光。
そして壁一面に生えた、青白く光る苔。
部屋の奥には暖炉があり、壁際の棚には薬草や木の実、小瓶、見たことのない種子が整然と並べられていた。
「森の中に、こんな場所が……」
ガードナーも感心したように口笛を吹く。
「代々、森の守り手だけが使う隠れ家だ」
リューネは暖炉へ薪をくべた。
ぱちり、と火の粉が弾ける。
「鹿は裏手の沢へ吊るしておくといい。貯蔵穴もある」
「助かる」
ガードナーが外へ向かう。
シャーリスは入口付近に残り、警戒を解こうとしない。
「まだ信用したわけじゃない」
「それで構わない」
リューネは穏やかに答えた。
「慎重な者ほど、この森では長く生きられる」
やがてガードナーが戻ってくる。
リューネは木製の器へ水を注ぎ、俺たちへ差し出した。
「茶もあるが、まずは水を」
冷たい水が、戦いと狩りで乾いた喉へ染み渡る。
ようやく一息ついたところで、リューネが向かいへ腰を下ろした。
「では、改めて自己紹介を頼む」
「俺はハーシス。この近くの古い遺跡を拠点に、村を築いている」
「ガードナー。狩りと運搬が仕事だ」
「シャーリス。狩猟担当」
三人が名乗る。
リューネは静かに頷いた。
「……ハーシス」
その名を口にした瞬間。
金色の瞳が、わずかに細くなった。
「俺の名前に覚えでもあるのか?」
「……いや。気のせいかもしれない」
そう言いながらも、リューネはしばらく俺を見つめていた。
何かを思い出そうとしているような――そんな視線だった。
やがて、彼女は本題へ入った。
「千眼には、誰かが手を加えたと言ったな」
「ああ」
「千眼は本来、この森の水脈と魔力の流れを見守る精霊獣だ」
リューネは静かに説明する。
「無数の目で森全体を見守り、異変を知らせる。それが千眼の役目だった」
「俺たちが見たのは、どう見ても化け物だったがな」
ガードナーが腕を組む。
「だからこそ、異常なのだ」
リューネは頷いた。
「半月ほど前から、森の奥に黒い瘴気が現れ始めた」
「黒い瘴気?」
「動物は怯え、木々は枯れ、そして千眼まで狂い始めた」
シャーリスが眉をひそめる。
「鹿が異様に逃げていたのも、そのせいか」
「そうだ」
リューネは頷いた。
「私は何度も笛と歌で千眼を鎮めようとした。だが、届かなかった」
「なぜ?」
「千眼の体内に、異物が埋め込まれていたからだ」
「異物……?」
「黒い結晶だ」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥がざわついた。
「心臓の近くへ深く食い込んでいた。間違いない」
ただの鉱石ではない。
あれほどの精霊獣を狂わせるもの。
俺には、ひとつだけ心当たりがあった。
「誰の仕業だ?」
ガードナーが問う。
リューネは首を振った。
「まだ分からない」
そして――。
「だが、異変の始まりだけは分かっている」
彼女は棚から古びた羊皮紙を取り出した。
森と周辺の山々を描いた地図。
その最奥に、小さな赤い印がある。
「すべては、ここから始まった」
白い指先が赤印を示す。
「森の最奥――世界樹の根だ」
室内の空気が変わった。
「世界樹……本当に存在するのか?」
「正確には、朽ちた世界樹の根だ」
リューネは訂正した。
「遥か昔に倒れた世界樹。その根だけが、今も地下深くで生き続けている」
そして――。
「その根が、この森へ命を送り続けている」
俺たちは黙って地図を見つめた。
「そこが穢されれば、この森は死ぬ」
暖炉の薪が、ぱちりと鳴った。
しばしの沈黙。
やがてリューネが口を開く。
「だから頼みたい」
金色の瞳に、強い決意が宿る。
「世界樹の根へ向かってほしい」
ガードナーが眉をひそめる。
「本来は、あんたの役目じゃないのか?」
「本来なら、そうだ」
リューネは苦く笑った。
「だが、今の私はあそこへ近づけない」
「なぜだ?」
「世界樹の根は、森そのものだからだ」
リューネは自らの手を見る。
「異物によって聖域が不安定になっている。森と深く繋がる私ほど、侵食を受けやすい」
「つまり……」
「無理に踏み込めば、私も千眼のようになる」
重苦しい沈黙が落ちた。
「だから、人族である俺たちに頼むのか?」
「それだけではない」
リューネが俺を見る。
「ハーシス。お前からは、森とも精霊とも違う力を感じる」
心臓が跳ねた。
「魔力ではない」
金色の瞳が、俺を射抜く。
「だが、世界そのものへ触れるような力だ」
――《パッチワーク》。
この世界には、本来存在しないはずの能力。
リューネは、その存在を感じ取っている。
「……買いかぶりすぎだ」
「そうかもしれない」
それでも彼女は視線を逸らさなかった。
「だが、千眼は最後にお前を見ていた」
あの時の瞳が脳裏に蘇る。
怒りではなかった。
苦痛。
そして――救いを求めるような瞳。
「黒い結晶を取り除けば、元に戻るのか?」
「可能性はある」
リューネは答えた。
「だが、あの結晶が何なのか……私にも分からない」
その瞬間。
頭の奥で、いくつもの知識が繋がった。
黒い結晶。
魔物の暴走。
世界各地で起きる異常。
そして、ゲーム時代に見た設定資料。
――『汚染された魔力核』。
魔物を狂わせ、古代文明の施設すら侵食した災厄。
本来なら、物語中盤以降に登場するはずの存在だ。
なのに――。
なぜ、こんな序盤で?
「ハーシス?」
シャーリスの声で我に返る。
「……いや。少し考え事をしていただけだ」
まだ確証はない。
だが、もし俺の予想が正しければ――。
これは森だけの問題ではない。
俺はガードナーとシャーリスを見る。
「どうする?」
ガードナーは即答した。
「森が死ねば、村も終わりだ。断る理由はねえ」
シャーリスも頷く。
「あんな化け物を放置するのも気分が悪い」
俺はリューネへ向き直った。
「協力しよう」
リューネの表情が、わずかに緩む。
「ただし、条件がある」
「聞こう」
「俺たちは森を荒らしたいわけじゃない。村を作るために、必要な木だけを使いたい」
俺は続けた。
「どの木を伐っていいのか。逆に、どこを避けるべきなのか。教えてほしい」
「約束しよう」
リューネは頷いた。
「寿命を迎えた木や、間引くべき場所なら案内できる」
「それと、森に異変が起きたら知らせてくれ」
「……分かった」
リューネは、ほんの少し微笑んだ。
「私はお前たちを試していた」
彼女の視線が、外に置かれた鹿へ向く。
「だが、雄だけを狩り、雌を逃がした。そして千眼を救おうとした」
「……」
「そんな者を疑い続けるほど、私は狭量ではない」
リューネは立ち上がった。
「森の木々も、動物たちも、お前たちを拒んではいない」
そして――。
「今日から、お前たちを森の友として迎えよう」
こうして俺たちは、森の守り手――リューネと協力関係を結ぶことになった。
だが――。
この時の俺は、まだ知らなかった。
千眼を蝕んだ黒い結晶。
その先にあるものが、この世界の封印と、失われた古代文明の秘密へ繋がっていることを。
「分かった」
俺は立ち上がった。
「世界樹の根まで案内してくれ」
リューネが目を見開く。
そして、深く頭を下げた。
「……ありがとう」
顔を上げた彼女の瞳には、初めてはっきりとした安堵が浮かんでいた。
「森の守り手としてではなく、一つの命として礼を言う」
その瞬間だった。
視界の端に、見慣れた半透明のウィンドウが浮かび上がった。
――――――――――
【新規クエスト発生】
《世界樹の根の異変》
【目的】
世界樹の根へ向かい、汚染の原因を調査せよ。
【報酬】
未解析
【追加情報】
古代文明の残滓との関連性を確認。
――――――――――
「……やはりか」
俺は小さく呟いた。
この世界は、俺が作ったゲームのはずだった。
なのに――。
本来なら存在しないイベントが、今まさに動き始めている。
「出発は明日だ」
「分かった」
リューネが頷く。
「明日は保存食を多めに持っていく」
「俺は矢を作り直しておく」
シャーリスも短く答えた。
暖炉の火が静かに揺れる。
森の最奥。
世界樹の根。
そこで何が待っているのかは分からない。
だが――もう、後戻りはできない。
そんな予感だけが、胸の奥で静かに膨らんでいた。
その夜。
森のどこかで――。
カラン。
小さな石が転がる音がした。
誰も知らない地下深く。
闇の中で、黒い結晶が静かに脈打つ。
一度。
また一度。
まるで、何かが目を覚ますように。
そして――。
黒い結晶の奥で、赤い光がゆっくりと灯った。




