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Ep69: 【いざ、魔境演練へ】

 会場の喧騒がまだ耳の中で鳴っていた。リンたちが優勝トロフィーを受け取る場面を、ルーラは自席から見ていた。回復魔法を三人がかりで受けて、体の痛みは大半が消えている。それなのに翠閃が戻ってきたかどうかは、まだ確認していない。確認したくなかった。


 空になった感覚が、まだ胸の奥に残っていた。魔力の底を打ったことは今までにもある。一ヶ月と少し前、ゼル様と少しだけ訓練した夜、何度も何度も限界まで出し切って倒れた。ゼル様は一度も魔法を使わなかったけど、あの時ルーラはボコスカにやられた。でもルーラは魔法を使えないと何もできない。あの時は空になっても、翌朝には満ちていた。今は満ちる予感がしない。


ルーラは手を開いたり閉じたりした。


「ルーラちゃん、大丈夫?」

心配混じりのコレットの声が聞こえる。


「大丈夫」


 ここで……勝つんだ! ルーラはゼル様の仲間なんだから!


そしてアナウンスが流れた。

「魔境演練、参加者最終確認。エントリー済み生徒は第三フィールドへ」


リンが歓声の中でこちらを振り向いた。目が合った。リンの顔色が変わった。声は聞こえなかったが、唇が「ダメ」と動いていた。


ルーラは会釈した。

そして立ち上がり、第三フィールドへ向かった。


第三フィールドは、他のフィールドより少しだけ広かった。第二フィールドと第一フィールドの地面が、ボコボコで使い物にならなかったから、第三フィールドを使うことになった。


第三フィールドは直線的にならぶ三つのフィールドの、真ん中に位置する。。会場の最も真ん中にあるフィールドだ。


参加者はルーラ一人だった。

審判が確認書を見て、もう一度ルーラを見た。

「確認します。魔境演練は、叡ランクの魔物との実戦です。エントリー確認書を提出しているあなたの同意は確認済みですが、担当教師の署名が——」


「書いてあります」

会場への出入口から声がした。ノン・ヴァルクリエ。来賓席にいたその女はわざわざ会場へと出向いた。


「……は、はい。確認しました」

審判はノンの声を聞いた後、焦ったようにそれ以上何も言わなかった。


審判は会場の出入口へと向かう。その視線がルーラを捉えることはなかった。ノンは会場の端の席へ座った。来賓席の貴族ヴァルクリエ家が、ノンへ危ないから戻れと怒鳴っているが、ノンはそんなことどうでもよかった。


審判が出た方角とは真逆の檻が開く。

「これが……叡」


最初に来たのは錆びた鉄に近い匂い。ノンも思わず鼻を手で覆った。

次に音だった。姿はまだ見えないが、地面が震える。歩くたびにフィールドの床が静かに波打った。


そして、姿が見える。

太った巨体で、四メートルを超えていた。足は二本。腕は六本。体は重厚な金属で覆われている。顔はあったが、目があるべき場所を黒い眼帯が覆っている。ただその頭が、音もなくルーラの方を向いた。


 見られた。

 目が……見えないはずなのに。


ルーラは右手に魔力をためていく。

薄かった。


「今回の魔境演練の魔物は……叡級魔物! 鉄兇(てっきょう)のデリュリオン! 腕が六本生えている神話級のガーディアン! 硬さ、攻撃において叡の中で右に出るものはいません」

審判の声がフィールド外から聞こえてくる。

「では、魔境演練、開始です!」


ルーラは深く息を吐いた。いつもなら手のひら全体を包む緑の光が、今日は指の先端にしか灯らなかった。


踏み込んだ。六本腕の一本が動く。腕の長さがルーラの予測の三倍あった。


 払われた! まずいっ


空気ごと薙ぎ払われ、体が横に吹き飛んだ。壁に肩が当たり床に転がった。


 痛い。でも動ける。


立ち上がりながら翠閃を足先から放つ。跳躍して上方から一本の腕を踏みつけて、勢いのまま背中へ走り上がる。


腕から翠閃を放った。

だが沈んだ。


翠閃が魔物の皮膚に吸い込まれ、内部で散った。


「え」

思わず声が出る。考える間もなく別の腕が来た。背中を捉えられ、床へ叩きつけられた。


空を見つめた。この日ルーラは二度も空を見ていた。


 なんで、どうして翠閃が……。


魔物はルーラとの距離を詰めた。それだけで地面が揺れた。六本腕が同時に動く。全方位からルーラを捉えた。


ルーラは転がり回避した。三本目が右太ももを捉える。直撃して吹き飛んだ。四本目が頭上を通過し、五本目が——


床に這った状態で、ルーラは目を閉じた。


 ……どうして効かないの。


「ルーラちゃん!」

リンが自席から立ち上がった。

「やっぱりこんなのおかしいよ! 止めないと死んじゃう!」


サリナが顔を横に振った。「ルーラちゃんが望んだことなの。あなたが止めて彼女が嬉しいと思うー?」

リンが黙って拳を握り締めた。そして心の中でこう唱えた。


 死なないで! ルーラちゃん……


翠閃の実体はルーラ自身の体だ。だからこそ柔軟にしなり、先端に集中させることで貫通力が生まれる。だがそれが吸収された。


ルーラは必死に考える。


 魔力を吸収する魔法? 攻撃を無効化?

 そんなの……ズルい。もうルーラ、魔力残ってないのに……


その時、ゼルの城の訓練室で、何度も聞いた声が頭に駆け巡る。

『テレポートの本質は空間の移動ではない。座標の上書きだ。魔力は媒体に過ぎない。本質は概念だ』

ゼル様の声だった。


 概念。

 翠閃の本質は何だ。

 魔力ではない。魔力は形だ。翠閃の本質は——衝撃。肉体が生む物理的な加速と、その先端に収束した力の密度。魔力はそれを整えているに過ぎない。


 じゃあもし翠閃から魔力を抜いたら?

 純粋な物理として、ただの高速の打撃として出力したら——


六本目の腕が来た。

ルーラはそれを魔力なしで受けとめた。


腕がしなり、衝撃を体全体で流す。そして魔物の腕を足で蹴り返す。魔力は一切使わない純粋な体術。


魔物が一歩退いた。

ルーラは少しだけ笑い、息を呑んだ。


 攻撃が少しだけ通った。


しかし魔物の重厚な装備に傷はなかった。体術だけでは傷つけるには遠い。翠閃の出力を、物理に完全に変換するには、今の彼女の体では——


ルーラの体が悲鳴を上げている。もう残り少ない魔力での回復。翠閃の残力が指先でちらついていた。


魔物は動かなかった。ただ、黒い眼帯の顔をルーラに向けていた。とても静か。それが生き物として正しい在り方であるように、そこに立っていた。


それが一番、怖かった。


 予測は、物体なら攻撃は通る。物体じゃないものは通さない。魔力が入ってるとそれがまるで攻撃を通さない。もしかしたら物体の攻撃耐性もあるかもしれないけど……


「翠閃を物理にするしかない」


 可能かどうかは、まだわからない。ゼル様なら「やれ」とだけ言うはず。方法は自分で見つけろ、と言うはず。


右手が緑色に光る。


 魔力を使わない。腕を高速で伸縮させて放つ。腕を撃って千切るようにするんじゃない。


緑の光がわずかに変わった。色が薄くなった。


魔物が一歩前に踏み出した。歩くだけで鉄が擦れる音がした。

ルーラは構えた。


 答えはまだないけど、形はある。

 ゼル様。

胸の中でもう一度だけ呼んだ。

ルーラは走った。

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