Ep68: 【百発の森】
リン vs サレー。
だが試合開始から四十秒で、決着はついた。
フィールドの床にサレーが膝をついていた。眼鏡が斜めにずれていた。気づいたときには足の感覚が消えていて、床が近くなっていた。リンの雷魔法は速さの暴力だ。対処法がないわけではない。しかし今の自分の出力では——
「参りました」
サレーは片手を上げてはっきりと言った。リンが駆け寄ってきた。心配そうに眉を下げ、手を差し伸べる。
「大丈夫? 痛かったら言って、すぐ——」
「結構です」
サレーはその手を取らずに立ち上がった。一度だけリンを見て軽い会釈をした。
コレット vs サリナ。
開幕と同時に影が伸びた。地を這ってコレットの足元を囲む。
「うわ、速い——!」
コレットは手から炎を出して高く跳んだ。しかし着地点を選べない。黄色の炎を足元へ向けて影を焼こうとした。
影が退いたと思うと形を変えて、横から来た。
コレットの左足が影の中に沈んだ瞬間、体が地面に引きずられた。
「いやだ——まだ——!」
コレットは炎を両手に纏う。黄色の、あの底抜けに明るい、自分にしか出せない色を。
影がそれを呑もうとした。
「え?」
「よし!」
今度は炎が勝った。黄色の炎がさっきより濃く変化している。影が消えた。実体が焼き尽くされ、サリナの魔力が露出して空気の中へ散っていく。
サリナが驚きながら後退した。
コレットは泥だらけの膝で立ち上がり、炎を両手に構えたまま言った。
「もう一回来ていいよ」
サリナはコレットを見た。
私がもしここで頑張って勝ったら、後輩ちゃんが試合しないで済むけど、私の魔力と体力の消耗は大きいよね。でも、負けてもリンちゃんが勝ってくれたから、次のサシュナ対ルーラを見れるし体も万全で次の試合に参戦できる。だからここで出す最適解は……
「……降参〜」
コレットは数秒固まってから、その場でへたり込む。泣いていた。さっきの敗北の分も、今の勝利の分も、全部一緒くたに。
その頃、スタジアムの上空では、観客や教師が見えないほどの高さで浮遊して、腕を組んで見下ろしている男がいた。
褐色の肌。
銀色の長髪。
年齢は判別できない。
顔に感情がない分、目だけがよく動く。
「予想以上ですね」
男はすべての試合を見ていた。
「主へ、良い報告ができそうだ」
男は再びフィールドを見下ろした。次が準決勝の最後ラウンドだ。
ルーラ vs サシュナ
サシュナがフィールドに入ってきた時、誰も声を上げなかった。地味な外見とかではない。むしろ整っている方だ。ただ存在が薄い。
サシュナはそれを知っていた。
それでサシュナはルーラを見た。
緑色の派手な髪にツインテールで、まだ袖が少し焦げている。主人公、そんな風に私には輝いて見えた。
この子が、リン先輩を「ルーラちゃん」と呼ばせている。この子が先輩の隣に立っている。この子が——先輩に心配されている。
「よろしく」
ルーラが言った。こうやって無邪気な声で人々の心を掴んできたのだろう。
それが私を余計に腹立たせた。
「うん」
ブザーが鳴った。
「『樹葬万嵐』」
割れていた地面の隙間から根が出てくる。根が幹になり幹が枝を生やした。枝が葉を広げた。
フィールドが森になった。観客席の最前列が木の葉で見えなくなった。空高くまで枝が届き、照明の一部が葉によって隠れた。
「……すごい」
誰かが呟いた。リンのチームで唯一、木魔法を極めている生徒。学院でもその魔力量は上位に入る。サシュナはリンの隣でいつも静かにしていた。だから誰も知らなかった。
木々の間から、緑の光が弾けた。
ルーラが走っていた。
枝を蹴り、斜め下の幹を足裏で踏む。
「そこだ!」
翠閃を右手に灯し、飛びながら放つ。束が枝を砕き、直線的にサシュナへ向かう。
サシュナは退かなかった。右手を持ち上げて木の盾を瞬時に形成した。翠閃が盾を貫く。貫いた衝撃が腕まで来る。
ルーラが木から木へ跳ぶ。森の中が得意なのはサシュナだけではない。
翠閃を乱射した。木々が次々と砕け、断面から白い木くずが舞った。森の中が翠色の閃光で満ちた。
サシュナが人差し指をルーラへ向けて、銃を撃つような形にセットした。一センチの硬化した木が、高速でルーラの腹に当たった。肋骨に響く。次が来た。肩に当たった。また来た。今度は太ももだ。
ルーラは止まらなかった。弾を受けながら前に出た。翠閃を手に凝縮し、サシュナとの距離を詰める。
三十メートル、二十メートル、十メートル。木弾が加速していく。
サシュナが下がった。
五メートル。
ルーラの翠閃がサシュナの腹へ当たった。
後方へ吹き飛んだ。木の幹に背中から激突する。森が揺らぎ、木の葉がすべて落ちる。
「——勝った?」
コレットが自席から願うように手を合わせた。雨のように葉が落ちていく。ルーラが一歩踏み出した。
まだ油断しちゃだめ、翠閃を——
目が開いた。
サシュナの目が開いた。落ちる葉の隙間からルーラはそれを見逃さなかった。
だが体を起こさなかった。腕も動かさなかった。ただ目が開いた。床に倒れたまま上を向いたまま。
死に体だ。誰もがそう思った。ルーラだけは身構えた。
何かがおかしい。
体中の傷が少し疼いた。翠閃を使いすぎた。魔力が薄い。それより。
サシュナの体の内側から直接、木が生えた
「リン先輩の隣は」
体が四方に木を伸ばした。倒れたまま、そこが世界の中心であるかのように。枝が空へ向かい、根が床を割り、フィールド全体の木が灰色の葉を広げた。
「私が、立つから」
木がルーラを包んだ。
逃げ出そうとするが、体が言うことを聞かない。翠閃を出そうと手のひらに力を込めた。緑の光が滲んだだけで形にならなかった。
木がルーラの体を包んで弾いた。爆発的な力だった。フィールドの端まで、ルーラの体が吹き飛んだ。
ルーラは立ち上がろうとした。
だが――
動かない、足が。
翠閃を出そうとした。
出ない。
魔力が底をついた。
木弾の一発目が右肩に当たった。
二発目がお腹に当たった。
三発目が頬を掠めた。
サシュナは立ち上がり、ただ腕だけを動かし、指先から木弾を一定のリズムで放ち続けていた。
十発。二十発。三十発。
ルーラは立ち上がろうとし続けた。腕を床につき体を持ち上げようとした。持ち上がるたびに木弾が当たって床に落ちた。
五十発。
静まり返っていた。木弾がルーラに当たる音だけが響き渡る。
「ルーラちゃん——!」
リンが叫んだ。
七十発。
ルーラの体から緑の液体が流れていた。
八十発。九十発。
ルーラは倒れたまま、天井を見ていた。
葉の隙間から光が入っていた。
ゼル様。
良い報告を持ち帰るって……。
百発目が、ルーラの胸に当たった。
静まり返った会場に、木弾が硬いものを打つ音が響く。
サシュナが腕を下ろした。
審判が走った。
「せ、戦闘不能!」
声が上ずっていた。
ルーラは動かなかった。
リンが席から飛び出していた。サリナが追いかけていた。
倒れたまま灰色の森を見た。灰色の葉っぱが広がっているのに対して、その中に一枚だけ緑色の葉っぱが枝の先端にくっついていた。ルーラはそれを見て、ほんの少しだけ笑った。




