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Ep64: 【二面の鏡】

風が剣から生まれた。ヴェルは静かに目を閉じ、柄を握る手に意識を集中させる。幼い頃から何度も読み返した英雄の一節が脳裏を流れていく。かつてこの学園を席巻したという伝説の勇者ガルド——その豪快な一刀が嵐そのものであったと語り継がれている。


俺もいつかあの人みたいに。

刃に纏わりついた風魔法が細かく振動し、高周波の唸り声をあげる。これがヴェルの辿り着いた答えだった。あの人の速さへは届かない。重さへも届かない。なら風の乗った刃が、その両方を超えればいい。


「いくぞ」

踏み込みは完璧だった。誰もが息を呑んだ。


しかし——。


「あ」

ルーラは片手でそれを軽く持ち上げた。


ヴェルの風纏いの剣は、ぷにりとした掌の中に吸い込まれ、そのまま止まった。


「いい、一撃だったよ」

ルーラは気まずそうに彼から目を逸らす。スライムの体は刃を呑み込んでいた。切断されるどころか、剣は飲み込まれ、ヴェルは引き抜くこともできなかった。


「え……っ」


「えっと、なんか雰囲気ちょっとガルドさんみたいだね」

彼女がそう言うとヴェルは武器を手から離して、降参と静かに呟いた。会場が一瞬、完全に静まり返った。次にどよめきと歓声が混ざり合った音が周りを飲み込んだ。



***



 第2回戦はすぐに始まった。


コレット vs ネア

開幕を告げるブザーが鳴ったとき、コレットはすでに相手の姿に目を奪われていた。


ネアと名乗った少女は、ひとことで言えば人目を引く存在だった。プラチナブロンドの三つ編みが腰まで届き、左目の下には赤い痣が三日月型に走っている。肌は白く、瞳は澄んだ水色。


 二年生? めっちゃ可愛いんだけど……目が、ね。


ネアのその目が獲物を値踏みするような、冷えた光を帯びていた。

「始めましょうか」


ネアが両腕を広げると、空気が揺らいだ。


光の粒が集まり形を作る。一体、二体、三体、四体。それぞれが半透明の剣や斧を携えた、人型の輝き。精霊魔法の召喚体が、コレットを囲んだ。


「四方からの同時攻撃は避けられません。降参するなら今のうちですよ」


「えーっと」

コレットは頬に指を当て、困ったように笑った。


「ごめんね。せっかくの精霊魔法なのに」


「は?」

次の瞬間、コレットの両掌が黄色く輝いた。


それは炎。

——しかし赤でもなく、橙でもなく、はっきりとした黄色の炎だ。花が咲いたような明るい色。どこか陽気で脅威に見えないのに、際限なく広がっていく。


魔法学の理論では、術者の意識や性格が魔法の色に滲み出るという。赤は情熱と攻撃性、青は冷静と制御、紫は神秘と孤独。そしてコレットの黄は彼女そのものだった。


底抜けの明るさ。疑うことを知らない善意。

それが炎に宿ると、こうなる。


「せーの」

黄色の炎が広がった。

精霊は魔力の塊である。純粋な魔力を燃料に燃える炎は、精霊そのものを燃やしてしまう。


四体の精霊があっけなく溶けてしまう。黄色の光の中に呑まれ跡形もなく。


「……」


 これ以上精霊を作っても壊されるだけ……


ネアは数秒間、呆然と立ち尽くした。

「降参します」

絞り出すような声で、審判に告げた。観客席から拍手と歓声が降り注ぐ中、コレットはぺこりとお辞儀をした。これでルーラチームは2連勝。サレーの出番もなく第1試合を突破した。



***



 場面は移り、リンのチームの試合場へ。

第1回戦、先鋒はサリナだった。


対戦相手の名が読み上げられる。ヤヌス。

彼がフィールドに入ってきたとき、サリナは無意識に眉をひそめた。


緑がかったグレーの髪が、不自然なほど静かに揺れていた。瞳は灰色で深海の底のような、色のない灰色だ。年齢にしては静かすぎる少し整った顔立ちで、笑いもせず、緊張もせず、ただ存在しているだけのように佇んでいる。何より奇妙なのは、武器を何も持っていないことだった。素手で、立っていた。


 多分一年生かなぁ。


サリナは軽く息を吐いた。油断はしない。

ブザーと同時に、サリナは踏み出した。


正拳突き、続いて横薙ぎの蹴り。ヤヌスは流れるように体を逸らし、すべてを避けた。悪くない動きだ。だが読めない動きではない。


 なら、これは〜


サリナは一瞬、視線をヤヌスの足元に落とした。

影。

地に伸びる影に向けて、踵を叩き込む。


影魔法。物体ではなく相手の持つ影を蹴ることで、物理防御を無視して本体にダメージを送り込む。壁も盾も関係ない。当たれば確実に効く。


 手応えがあり。


——しかし。


「……っ?」


影を蹴ったとき、本来あるべきすり抜ける感触がなかった。そうかといって、ちゃんとした手応えがあったわけでもない。まるで硬い石を素足で蹴ったような——いやそれよりもっと奇妙な。何か、あってはならないものに触れた感じ。


 影が、硬いの?


 そんな馬鹿なことあるかな。影に質量はないしー、あるとすればこの人が意図的に魔力を込めた場合だけど、そんな技法なんて聞いたことないしー。


困惑の中でサリナが次の動作に移ろうとしたとき、ヤヌスが腹を押さえた。

前傾姿勢になり、膝が折れる。そのままゆっくりとフィールドに倒れ込んだ。まるでじわじわとダメージが遅れて来たかのように。


審判が腕を上げる。「サリナの勝利!」


「やったああ!」

リンがガッツポーズをした。満面の笑みで、飛び跳ねている。その無邪気さがあまりにも眩しくて、サリナは思わず目を逸らした。


 なんか嫌な感じ〜。手抜かれたみたいで。


倒れたヤヌスをサリナはもう一度だけ見た。担架が持ってこられ彼は運ばれていく。その横顔は苦しんでいなかった。目が半開きになっていた。


「サリナ、どうしたの?」

リンが小首を傾けて覗き込んできた。


「何でもないよ」

サリナは小さく首を振り、その感覚を、胸の奥にそっと仕舞い込んだ。



***



「次はリン先輩。頑張ってください」

サシュナがフィールドの外からリンへ活を入れた。


「うん!」

リンが軽い足取りでフィールドに降り立つと、水魔法の使い手クラリラは構えを取った。両手を胸の前で重ねると、周囲の水分が凝集し、鋭い水の矢が五本、宙に浮かぶ。


「行きます」

クラリラが腕を振った。

矢が飛んだ。しかしその瞬間、雷は落ちた。轟音が体の芯を揺さぶる。そしてその光が収まったとき——


クラリラの目の前にリンがいた。


「え……いつ」


「光って秒速2()1()万キロメートルなんだよ」

ふわりと笑う。リンの指先にまだ小さな雷が踊っていた。雷魔法の真髄は速さにある。魔法を展開しながら、術者自身もその電流を纏って跳躍する。これはリンが独自に磨き上げた戦法だ。魔力量が桁外れだからこそ成立する力技でもある。


「降参……します」

クラリラはへなへなとその場に座り込んだ。


それからの一時間は、まさに快進撃だった。

リンのチームは試合をこなすたびに相手を圧倒し、ルーラのチームもまた勝ち進んだ。会場のモニターに準々決勝進出の文字が並ぶたびに、観客席のざわめきは大きくなっていった。


「あれって編入生だろ? ……準々決勝に出るんだってよ」

「まあリンさんのチームが出るのはわかりきってた」


そしてトーナメント表が更新されたとき、誰もが同じ場所に目を止めた。

準決勝のブロック。リンのチームとルーラのチームが、同じ側に位置している。

もし両チームが準々決勝を突破すれば、次に激突するのはお互いだ。


会場のあちこちから、期待に満ちた声が上がった。

リンはモニターを見上げ、にっこりと笑った。


「ルーラちゃんたちと戦えるかも!」


「まずは目の前の試合を勝つ」

サレーが額に手を当てながら呟いた。

サリナは答えなかった。視線は前を向いていたが、その頭の中には、まだヤヌスの奇妙な目が静かに浮かんでいた。

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