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Ep60: 【編入生の登場】

 翌朝。

魔法学院の大体育館に、全校生徒が集められた。集会などそう頻繁にあるものではない。ざわめきが壁に反響して、広い空間を満たしていた。


「なんだなんだ」「急に呼び出して」「リン先輩が関係してるって聞いたけど」

そしてその噂は正しかった。


壇上に上がったのは、リン・アルヴィスだった。金色の髪を揺らし、学院制服を着こなした彼女が、マイクの前に立つだけで体育館がさっと静まり返る。


Aランク最上位。この学院で知らない者はいない名前だ。

「……本日はお時間をいただいてありがとうございます」


リンが少し照れながら口を開いた。

「私が推薦した特別編入生を、みなさんに紹介したいと思います」


体育館がざわついた。

「特別編入!?」「リン先輩が推薦!?」「特別編入って?」「つか誰だよ」


ざわめきの中に、一人だけ、違う反応をした生徒がいた。

後方の隅。壁に背を預けるように立つ黒髪の少年。ミストは眼鏡の奥の瞳を細めて壇上を見ていた。根暗という形容がこれほど似合う人間もいない。無口で人付き合いが壊滅的で、しかし魔法の実力だけはトップクラス。


そのミストの視線が、舞台袖に向いた瞬間。


「いや……」

彼の表情が固まった。

壇上の横から、一人の少女が現れた。緑のツインテール。透き通った肌。おどおどと視線を泳がせながら、それでもまっすぐ前を向こうとしている、小柄な少女。


体育館がまた揺れた。

「え、可愛い」「リン先輩の隣とか反則だろ」「なんか、雰囲気変な子だな」「いい意味で?」「いい意味でだろ」


しかしミストだけが、別のことを考えていた。


 違う。

 何かがおかしい。


少女から滲み出る魔力の質が、あまりにも異質だった。人間の魔力とは根本的に違う。そしてその魔力を覆うような紫色のかすかで強大な魔力。


ミストは今まで何十人もの実力者を見てきたが、こんな感覚は初めてだった。

壇上でルーラが自己紹介している。


「ルーラ、です。16歳で(リナさんに言われた通り……)えっと、水魔法が使えます。よろしくお願いします」

ぺこりとお辞儀。


「可愛い!」「天然?」「リン先輩大成功では?」

ミストだけが笑わなかった。震える手を、ズボンのポケットの中で、静かに握り締めた。


 午前の集会が終わり、学年ごとに教室へ散っていく。

ルーラのクラスはC組だった。 廊下を歩きながら、ルーラはキョロキョロと周囲を見回していた。人が多い。それぞれが喋って笑って、すごい速さで動いている。


人間の社会というものをルーラはよく知らなかった。知らなかったのだが、みんな気軽に話しかけてくれた。

「ねぇねぇ、どこから来たの?」「リン先輩と仲いいの?」「水魔法って得意な技は?」。ルーラはその都度、どきどきしながら答えた。緊張していたはずなのに、気づいたら笑っていた。


C組の教室に入った瞬間、ルーラは固まった。

窓際の席に例の黒髪の少年が座っていた。


目が合った。

ミストが、ものすごく嫌な顔をした。


 げっ。


ルーラも思った。


  なんかあの人、私のこと嫌いそう。


しかし周りがわっとルーラを囲んだので、気にしている暇がなかった。男子も女子も分け隔てなく話しかけてきて、ルーラは気づいたら笑顔でうなずいていた。


そして一時間目。魔法力学の授業が始まった。

教室の扉が開いたとき、ルーラは「あ」と思った。


教室の空気がわずかに変わった。入ってきたのは白髪の老人だった。試験会場であの目を細めてルーラを見ていた、試験官の一人だ。ダルクルという名だと廊下で聞いた。

「うわ、体臭おやじだ」「だるいー」「魔法力学疲れる〜」

生徒たちが口々に言う。ルーラは驚いて、しかし老人本人はまるで気にした様子がなかった。


そしてダルクルが教室の中央に立つと、静かに手を広げた。

教室が暗くなった。

闇が手のひらから広がった。窓から差し込む光を飲み込むように、黒い霧状の魔力が教室を埋め尽くしていく。ルーラは息を呑んだ。


 ただの暗闇じゃない。これは魔力だ。それも桁違いの。肌で感じられる重さがある。学院でトップクラスと言われる生徒たちが、ちょっと苦しそうな顔をしながらそれに対抗して自身の魔力を練っている。


 この人すごい人だ。


「各自、他人に危害を与えなければ、ここで授業が終わるまで魔法を使い続けなさい」


ダルクルの声が、闇の中に静かに響いた。ルーラは頼もしいと思った。これほどの力を、老いてなお普通に扱える人間がいる。


 ゼル様とは違う強さだけど、すごいな〜


ぼんやりそう考えていたとき。

「ルーラちゃん!?」

隣から声がした。

 

はっとして我に返ったルーラが自分の周囲を見ると、教室全体に、薄く淡い緑色の粘膜のようなものが張り巡らされていた。ダルクルの闇魔法の上に、翠閃と同じ要領で全方位に浸透している。


無意識だった。ぼーっとしている間に、体が勝手に動いていた。


声をかけてきたのは、金髪の少年だった。学年でも群を抜く顔立ちで、この学年で一番人気の男子だ。リンの隣に立っても見劣りしないと噂のトライル・フォーネ。そのトライルが、目を丸くしてルーラを見ていた。


「今……何した?」


「え、あ、えっと……」

教室が静まり返った。ダルクルが眼鏡の奥の目を細めて、満足げな笑みを浮かべていた。


「すげー!」「闇の上から被せた!?」「なにそれ」「水魔法であんなことできるの!?」

教室が沸いた。ルーラは赤くなって縮こまったが、背中をポンポン叩かれた。「天才じゃん」「やばい」「これはリン先輩の推薦、正解だわ」。


ミストだけが窓の外を向いていた。

彼の手はまだ震えている。



***



 長い一日が終わった。

ルーラは廊下に出ながら、胸の中で何かがじわじわと広がっていくのを感じていた。疲れた。ちゃんと疲れた。人間と話すのはすごくドキドキした。でも、楽しかった。


 こういうのが人間の社会、なんだ。


帰ろうとして、しかしどこへ帰るかをルーラはまだ知らなかった。アドネの拠点? でも学院の中は——


「ルーラちゃん!」

廊下の角から声が飛んできた。


リンだ、とざわめきが走る。「なんでこの学年の階に?」「ルーラちゃん、って誰?」「あの特別編入の子でしょ」


リンはルーラを見つけると、迷わず手を引いた。

「ついてきて!」


「え、あっ、わわっ」


「リンちゃん〜、そんな豪快に引っ張ったら〜」

隣からサリナがのんびり言う。「もっとやさしくしなきゃ〜」。


リンは構わずルーラを連れて廊下を進んだ。学院の裏手に出て渡り廊下を抜け、大きな建物の扉を開けると——。


「……うわあ」

ルーラは目を丸くした。


広い。天井が高い。木の温もりと石の質感が混在した、豪華で落ち着いた空間が広がっていた。暖炉。大きなテーブル。大きな階段の向こうに、何十もの扉が並んでいる。


「ここは学院の寄宿舎。全生徒ここに住んでるの」

リンが誇らしそうに言う。


「個室もちゃんとあるよ。ルーラちゃんの部屋、もう準備してもらったから」


「私の、部屋……」

ルーラは呟いた。


自分だけの部屋。洞窟じゃない自分のための場所。


「気に入ってもらえそ〜? 可愛くしたかったけど時間なくて〜」


「すごく、嬉しいです!」

ルーラは素直にそう言った。リンがぱっと笑顔になった。



***



 その頃、ルーラは知らない。

彼女が初めての人間の友人と笑い合っていたちょうどその時間に、ゼルが戦闘を繰り広げていたことを。


アドネの貴族拠点前、リナ・フォルトーゼが現れたのは、偶然ではなかった。

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