Ep53: 【斧と斧と斧と斧】
空間が軋む。ボンスが展開した巨大な魔法陣。通常、魔法陣とは精密な魔力構造だ。魔力の流れを正確に循環させ、外部からの干渉を遮断する。
だが今、起きている現象はその常識から完全に外れていた。
「……おいボンス!」
ガルドがボンスに向かって叫んだ。
「お前の魔法陣が!」
ボンスの顔が強張る。
歪んでるなんてあり得ない。Sランク魔導士の俺が展開した最高級の……
だが魔法陣の紋様が、ゆっくりと波打っていた。
――違う。
歪んでるんじゃない。
押し潰されてる!
「……舐めるな」
ゼルの声は静かだった。
しかしその瞬間、膨大な魔力が空間を満たした。空気が震え、石畳がミシミシと音を立てる。
「はぁ……おかしいでしょ!?」
魔法陣の表面にヒビが走る。
バキッ。それは魔法ではなかった。
ただの魔力量。
理論も術式も関係ない。圧倒的な物量で、魔法陣そのものの演算限界を越えようとしていた。
「魔法陣が……割れる!」
ジェドルドが絶句した。
次の瞬間。ゼルの周囲に紫の線が走る。
「――『アドヴァント・カスケート』」
斬撃が解き放たれた。街区一つを飲み込む規模の斬撃が、超速で四方八方へと広がった。
地面が割れ、塔が崩れる。
「来るぞッ!!」
全員が一斉に構えた。
「避けろォ!」
次の瞬間。斬撃が衝突した。勇者たちは歯を食いしばりながら、危機一髪のところで斬撃を掻い潜る。
Sランク、世界でも数えるほどしか存在しない英雄。それでも魔王のアドヴァントは重すぎた。
地面が削れる。障壁が悲鳴を上げた。しかし彼らは耐えた。
遅れて、建物の影からボンスが顔を出した。
「ふぅ……危な」
その瞬間。
「……え?」
一本の斬撃が、ボンスが隠れている建物へ突き刺さった。
「ぎゃああああ!!」
ボンスは転げながら飛び出した。
「逃げても意味ないぞ」
ゼルが指を鳴らした。
「移動魔法とは……到底思えない」
勇者たちは顔を引きつらせた。
だが。
「……まだだ」
ガルドが双剣に魔力を込める。傷口が開いているのが分かった。それでも手を止めなかった。
「こんなもんで終わるかよ」
全員が再び構えた。
満身創痍。それでも逃げる者は一人もいない。
「行くぞ!!」
「『水斬』!」
「『嵐刃・八連撃』!」
「『スター・ドレイコウ』」
水と風の斬撃、そして星の群れのような光がゼルへ襲いかかる。
連携は完璧だな。
だが。
テレポート、次に背後に回る。
さらに瞬間移動。また背後。
「くそっ!」
ライラが振り向く。だがゼルはもういない。攻撃はすべて空振りだ。
「……ムカつくな!!」
ガルドが舌打ちする。
ゼルは軽く肩を回した。
「全部、弱い」
***
その頃。ルーラとネネの戦いは、もはや戦いの形をしていなかった。
「ッ!!」
ネネが斧を投げた。
投げてきた。でも、こんなの——
ルーラは体を傾けて簡単に回避する。だが背後から近づくもう一本の斧に気づかない。ネネは魔力で武器を生成できる。一本ではない。いくらでも作れる。
「なっ!?」
ルーラは音で振り返った。
間に合わない。
ズンッ、と肩に突き刺さる。
「くっ……!」
ルーラは肩から斧を引き抜いた。血がポタポタと石畳に落ちる。
痛い。
「でもこれで武器は……」
ネネが無表情のまま、また斧を生成した。
「え?」
さらにもう一本。両手に構え同時に投擲。ルーラが避ける。避けた先の地面から、ネネの魔法で形成された腕が生えた。その腕が斧を拾い、また投げた。
「なっ!?」
避けきれない。
斧が体を裂く。ネネはキャッチと投擲を素早く繰り返す。
「ぐっ……!」
零れ出る血よりも先に再生する。
追いつかない。
また斧。
また斧。
体が削られていく。
「……まずい」
再生速度が限界に近づく。
ルーラはそっと視線を動かした。
遠く。
ゼルが戦っている。
圧倒的だった。
勇者たちが束になって向かっても、あの人は一歩も引いていない。
「ゼル様……」
でもルーラは……
スライムだった頃の仲間と遊ぶ暮らしを思い出した。みんなで協力して、大切な仲間を助けて……
協力なら。
ルーラもしなきゃ。
ルーラは目をつぶる。体の中で、魔力をつなげていく。
魔力で再生。
有限の再生。
この、トロトロした身体を使った攻撃……
もしかしたらこれは
「……そう、これ!!」
ルーラが手を開いて前へ突き出した。
ルーラはもう、ただの儡じゃない、スライムじゃない!
「『翠閃』ッ!!」
手のひらから緑の液体が弾丸のように飛んだ。ネネの胸へ、直撃した。
ネネの体が吹き飛ぶ。
「ネネ!」
ライラが叫んだ。全員の視線が一点に集まる。
煙が晴れる。
ネネは驚いた後、自分の手のひらを見た。
全員が静かになる。ネネを吹き飛ばした少女から、感じたことのない強大な魔力が溢れていた。
ゼルの口元が、わずかに動いた。
「……いい」
静かな声だった。何か深いところから来た言葉のように聞こえた。
「やはり見間違えではなかった」
勇者たちは息を呑む。
ゼルの魔力がさらに膨れ上がった。
「俺も」
握っていた拳をゆっくり広げた。そして笑みを浮かべると魔力が全身へ満ちていく。外套が大きく広がる。石畳がゼルを中心として波紋のようにひび割れる。
「魅せてやろう」
体から紫色の光が流れ出た。
「――肆虐態」
ゼルの体を紫の門が覆う。
「ラドウィドル」
魔王が、戦場に現れた。




