11:趨勢……物事の最終的な有り様
「待って……! 待って!!」
リナの声が半壊した大通りに響いた。足は鉛のように重く、恐怖と疲労で膝は震えている。それでも、リナはコケながら走った。街の外へ溶け込もうとするその背中を、決して見失ってはいけないという本能だけが、彼女を突き動かした。
「……しつこいな」
ゼルは足を止めず、深くため息をついた。
「いかが致しますか、主。殺しましょうか?」
「……いや、いい。殺したところで注目され、面倒事が増えるだろう」
ゼルが半壊した街の門の前で立ち止まる。それだけで周囲の空気がピリリと張り詰めた。追いついたリナは、ゼルの数メートル手前で立ち止まり、両膝に手をついて荒い息を整えた。
「はぁ……はぁ……っ、ま、待って……言ったでしょ……!」
「何の用だ」
ゼルは振り返り、冷徹な瞳でリナを見下ろした。夕焼けが彼の紫色の髪を縁取る。その立ち姿は、ただ立っているだけなのに他の者とは違う威圧感があった。
「私、見たのよ。あの一瞬で、あなたが何をしたか!」
リナは顔を上げ、ゼルの瞳を射抜くように見つめた。足はガクガク震え、今にも逃げたい気持ちでいっぱいだった。だが彼女の欲望は恐怖よりも遥かに大きかった。
少し震えた声でリナは言った。
「移動魔法……ううん、そんな生ぬるいものじゃなかった。街の人たちを助けると同時に、ワイバーンの群れを……どうやってその曲芸ができるの?」
バラルガがぴくりと眉を動かす。ゼルは表情一つ変えなかった。
「……幻覚でも見たのでは? Fランク冒険者が魔王を倒せると? いや違う、あれは魔王じゃない。単なる雑魚だ。ワイバーンも偽物で驍でもないそれ以下。その他の強いワイバーンはもうお前が倒してくれたではないか」
「嘘よ! じゃあ、ヴォルグの魔法はどう説明するの!? あんな、街一つ消し飛ばすような魔法を……パチっと消滅させて、しかもそれで……」
リナは一歩、踏み出した。
「あなたは一体、何者なの? Fランクなんて嘘。……ねぇ、教えて。あなたは何?」
風が鳴る。瞬きする間もなく、リナの視界が反転した。
「ふへぇ?」
背中に冷たい石壁の感触。首元には、冷ややかなゼルの指先が添えられている。ゼルが獲物を品定めするような目。狩りに慣れたその目はリナの恐怖を貫いた。
「……何者か」
ゼルの赤い瞳。その奥には、人が決して覗いてはいけない深淵が渦巻いている。
「いい度胸だ、小娘。そこまで知りたいか」
「っ……!」
ゼルの指先が、リナの首筋をゆっくりと撫で上げる。その指は冷たく、殺される。そう思った。けれど、リナの口から出たのは命乞いではなかった。
「……教えて。知りたい、あなたのことを。……あんな力を見せられて、ただ『すごかったね』で日常に戻れるほど器用じゃない!」
ゼルはフッと口元を歪めた。
「……ほう」
指先にかかる力をわずかに緩める。
「恐怖より好奇心が勝るか」
ゼルが手を離した、その時だった。
――グチャリ。
大通りから聞こえる気色悪い音と、ボコボコと何かが沸騰するような音。
「……あ?」
ゼルが怪訝そうに眉をひそめ、視線を向ける。リナもまたその異様な気配に息を呑み、恐る恐る振り返った。先ほど、ゼルが自らの魔法を反射させ殺したはずだったヴォルグが、這いつくばってこちらに向かっていた。
「ア……ガ、ァ……ァァァ……」
炭になった皮膚が剥がれ落ち、その下から筋肉の繊維が無様に蠢き、折れた骨が少しずつもとに戻り始めていた。
「え、嘘……!? あれが直撃したのに……どうして!?」
リナが絶句し後ずさる。完全に死んでいたはずだ。心臓も、肺も、脳すらも焼き尽くされていたはずなのに。
ゼルは目を見開き驚いていた。だが驚きは一瞬。すぐさま現象の正体を探り始める。
……魔力による治癒。ならばこれはなんだ? 死後による再生? 火魔法にそんなものは聞いたことがない。ならば通常の回復魔法の類ではないはず。肉体の時間の巻き戻しでもない。肉体そのものが、死という概念を拒絶し、強引にしがみついている。
そうか。……あの腐れ野郎、父上の――いや俺たちの血を取り込んでいたか。
ゼルは自らの掌を見つめた。
魔王の肉体は傷つくことすら稀だが、仮に四肢をもがれようと再生する。それは俺らが永遠を生きる存在として進化したからに違いない。おそらく俺がバラルガに血を与えたように、ヴォルグも父上から血を与えられていたのかもしれん。
「故の四天王。っ不愉快……」
父上は俺に何も言わなかった。魔王の血が意味する特別な事を。血を与えられた者の特別な見解を。あのワイバーンも同じ原理だとすると、腐れ野郎も知らない。その回復が魔王たるものの血のおかげであることを。
ヴォルグがゆっくり立ち上がる。
「ウゥゥ……ガァァァァァッ!! コロ……ス……!!」
その衝撃波だけで周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。バラルガが一歩前に出た。
「主よ。やはり殺し損ないでしょうか。私が今度こそ消滅させて――」
「待て」
ゼルがそれを手で制した。そして、腰を抜かしそうになっているリナの襟首を掴むと、無造作に前へと放り投げた。
「えっっ!?」
怪物の前に躍り出るリナ。目の前には、よだれを垂らして殺意を向けるエセ魔王。リナは顔面蒼白になり、振り返った。
「な、何をするの!? 私はあれには勝てない! あの火球も回復も!」
「知りたいと言ったな、小娘」
ゼルは腕を組み、冷酷に告げた。
「俺の正体を。俺が見ている景色の意味を。……それを知るには、相応の台に立て」
「台……?」
「そうだ。ただ守られるだけの調子者に、教える義理はない。あいつを殺せ。あれはもう魔物としての知性を失ったゴミに過ぎない」
「む、無理よ! だって私じゃ……」
「工夫しろ。考えろ。Bランクなら、やりようはあるはずだ」
ゼルは試すような目でリナを見据えた。
「勝てば教えてやる。俺の秘密を。……だが、負ければ死ぬぞ。俺は助けない」
突き放すような言葉。しかし、その奥にあるニュアンスを、リナは感じ取った。『お前ならやれる』と期待するのではなく、ただ『やれ』という絶対的な命令。それはゼルがリナを守る構図ではなく、戦場の駒として認識し始めた証拠だった。
……やるしかないの?
リナは震える手で、腰の短剣を抜いた。
相手は腐っても魔物。最低でも燼くらいの強さはあると思う……。普通なら逃げ出す場面だ。だけど! 強い人には……誰しも認められたいものなんだよ!
「……わかったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」
リナが駆け出す。ヴォルグが巨大な魔法を放った。




