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10:渇仰……強く憧れ慕うこと

「破壊が雑だ。効率も、速度も、何も計算できていない。何より――その立ち振る舞い、ひどく下品だ。今の魔王というのは、この程度のなり損ないでも務まるのか? いや務まらない」


「き、貴様ァァァ!! 万死ッ! 万死に値する、人間風情がぁぁぁッ!!」


上空のヴォルグが激昂する。その怒りに呼応(ごおう)するように、真紅のドラゴンの全身から黒の炎が噴き出した。大気が熱膨張を起こし、周囲の空気がメラメラと歪む。


「思い知れ、下等生物。我が怒りは天を焼き、我が炎は地を溶かす! 街ごと、消し飛ばしてやる!」


ヴォルグが両手を掲げる。一点に凝縮される魔力。それは先ほどリナを絶望させた火球の、十倍を優に超える質量。上空の雲は熱波で消え、空が真っ赤に染まっていた。


 でかいだけの火球。故に一般人の死は免れられない。


その瞬間、ゼルの脳裏にリナの声が響き渡る。『この街には、まだ逃げ遅れた人がいるのよッ!』

彼女の傲慢ながらもその信念を貫き通す儚さ。それはゼルの心を少し混乱させた。


「小娘。この街で避難できていない人の数と、おおよその居場所を言え」


「え、えぇ……? ど、どういうこと、そんなの今すぐには――」


「……時間の無駄だな。一人くらい逃しても知らないからな」


ゼルが瞳を閉じる。脳内には街全域の立体マップが構築され、瓦礫の下の生存者の鼓動、泣き叫ぶ子供、震える犬。そして空を埋めるワイバーンたちの殺気。


「バラルガ、後始末の準備をしておけ」

ゼルは大通りにいるバラルガへ伝えた。魔王の血により繊細になっている意思疎通は、瞬時にバラルガに意図を理解させた。


「御意、主。……十秒でしょうか。足りますか?」


「余る」


――刹那。世界の時間は、ゼル・アルヴァルト一人を除いて静止した。


 【残り10秒】  ゼルが消えた。一歩目。炎に包まれた民家の中。逃げ遅れた老夫婦の襟を掴み、一瞬で街の外の安全圏へ。


 【残り9秒】  二歩目、三歩目。大通りで転倒した馬車の下で泣く幼い少女。その隣の一匹の飼い犬。まとめて街の外へ。


 【残り7秒】  移動と同時に、ゼルは空を見上げた。空を埋め尽くすワイバーン。『アドヴァント・カスケート』ゼルの周囲に数千の斬撃が出現する。


 【残り5秒】  逃げ遅れた負傷者、合計47名。ゼルは座標を狂わせることなく、一人、また一人と、死の淵から掬い上げる。瓦礫に挟まった足を切り離すのではなく、瓦礫の座標を数センチだけズラして引き抜く。精密機械のような空間操作。


 【残り1.5秒】  空を舞っていたワイバーンたちが、一斉に細切れの肉塊へと変わった。叫ぶ暇すら与えない。再生が発動する間もなく、細胞一つ一つを別の場所へとワープさせる。


 【残り1秒】  ゼルは元の位置へと戻った。乱れた髪を指先で整え、深く息を吐く。


ドサドサドサッ!!  上空から、ワイバーンの緑色の血しぶきが降り注いだ。リナの目の前で、街を埋め尽くしていた恐怖が、たった十秒で清掃されたのだ。


「な、な……っ。何が、起こって……」


リナは絶句する。彼女の目には、ゼルが一瞬だけブレたようにしか見えなかった。だが、視界の隅で燃えていた民家からは人が消え、聞こえていた悲鳴は消え、空は不自然なほど静かになっている。


「さあ、片付け終わった。」


「死ねッ! 塵すら残さず消え去れェェッ!!」


極大魔法――『ヘラブレス・バースト』が放たれた。放たれた瞬間、大気中の酸素を急激に吸い取り、リナは酸欠になって膝をついた。


「逃げて……っ!! どんなにあなたでも……」

リナの悲鳴のような叫び。だがゼルは動かない。


 逃げる? この程度で?


ゼルの瞳には、かつての魔王としての残酷なまでの憤怒が宿っていた。父が命をかけて守り、自分が支配したこの玉座。それをこんな三流の汚物で汚されることが、何よりも嫌だった。


「教育してやる。――真の魔王が抱かせる絶望というやつを」


ゼルが右手を、無造作に掲げる。


「『開門』」


辺りは静寂に包まれた。火球は巨大な紫の門へ入り、消滅した。


「な、なんだと……!? 消した……我が最大魔法を!?」


ヴォルグが目を見開いたその直後。


「――は? なぜ、背後に――がはぁッ!?」


吸い込まれたはずの、自分自身の全力魔法。それがヴォルグの背後からゼロ距離で、出力そのままに吐き出された。


真紅のドラゴンが絶叫と共に焼き尽くされ、鱗が剥がれ肉が焦げる。鎧を纏った自称魔王は成すすべなく、自らの炎に身を焼かれながら、隕石のように地上へと叩きつけられた。大通りの中央には巨大なクレーターができる。そこには黒焦げになり、手足が不自然な方向に曲がったヴォルグが、虫の息に痙攣していた。


「……」

ゼルはゆっくりとヴォルグを歩み寄り、ゴミを片付けるような無造作さで踏みつけた。


「が、はっ……っ……き、さま……何者……だ……。人間、では……ない、この力……っ」


ヴォルグは、憎悪と恐怖が混じり合った視線を向ける。


「……Fランク冒険者のゼル。そして――実名、ゼル・アルヴァルトだ」


「か……そんな、わけが……。アルヴァルトの血は、数日前、我だけに……」


「そうだな。お前が父上の命日と共に逃げ去ったのも、お前がカスだということ俺は知っている。だが、残念ながら、父上の命日の後に生きていたのはお前だけじゃない。この通り俺が生きている」


ゼルは呆れ気味に見下ろした。ヴォルグの呼吸は、すでに肺が潰れ、ヒューヒューという音に変わっている。意識の混濁(こんだく)。死の淵。


「死に際にひとつ、教えてやる」


顔を踏みつけていた足に、魔力が少しづつ溜まっていく。


「魔王の席は、既に埋まっている。……分をわきまえろ、癡者(しれもの)が」


リナは膝をついたまま、屋根の上からその光景を凝視していた。喉が渇き、呼吸を忘れるほどの圧倒的な恐怖。目の前にいるのは救世主か。自分たちとは住む世界の違う化物か。だが同時になぜか――その絶対的な暴力に、目が離せないほどの面白さを覚えていた。


「……ふん。父上もなぜこんな出来損ないを四天王に選んだのか。趣味を疑うな」


ゼルは無造作に靴についた汚れを払い、何事もなかったかのようにバラルガを振り返った。


「行くぞ。これ以上騒ぎが大きくなると、宿の主人が逃げ出すかもしれん」


「はっ! 流石でございます、主。……しかし、あの小娘。完全に骨抜きにされているようですが?」

バラルガがニヤリと笑ってリナを指差す。


「……放っておけ。ただの一般人だったろ?」

その声は冷たく、残酷なまでに無関心だった。だがその背中を見つめるリナの視線は、鮮明に焼き付いて離れない。


 強さこそが正義……。私の家では、それがすべてだった。でも、こんなの……。


リナの家系は代々武門の家柄だ。力ある者は尊く、力なき者は守られるべき弱者。彼女にとって強さとは憧れ、また超えるべき壁でだった。だが目の前の男が振る舞った力は、彼女の知る強者のそれとは次元が違う。遠ざかっていくその背中が、あまりにも孤高で、あまりにも静かで。このまま彼が行ってしまったら、二度と手が届かない場所へ消えてしまう――そんな正体不明の焦燥が、リナの足を突き動かした。


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