第五話 夜討ちと平家の武士
― 翌六日・早朝
日はまだ眠り、夜が明けやらぬ早朝。昨夜の三草山の夜討ちのこともあり、私は状況把握等のため一度本陣へと戻ってきていた。ここから三草山は、背後に聳える鵯越を越えた、その向こう。三草山は既に鎮火していたが、昨夜は黒い夜空を煌々と照らすが如く火炎をあげ、凄まじい勢いで野山一面を焼いたらしい。三草山の民家に住まう者共らは事前に立ち退きを命じられていたのか、多くの者の命は無事だったという。
平家の陣も皆やはりどこか落ち着かない様子であり、そこには……資盛らと共に三草山を守っていた師盛が、平内兵衛・海老二郎を連れて、ここ一ノ谷の本陣へ戻ってきていた。師盛は我らが亡き長兄・重盛の五男で、資盛、有盛の弟。確か年の頃は十五、六であったか。自分の息子……知章ともそう年が変わらなかったと記憶していた。
兄上は苦虫を噛みつぶしたかのような、苦悶の表情を浮かべながら口を開く。
「三草山に火を放ったのは、源九郎義経。早くも一ノ谷に乱れ入っていることのことであるが……山の方面も守りを堅固にせねばなるまい。……師盛よ。三草山を指揮した資盛や有盛らはどうした」
「そ、それが……」
師盛は自らを含めた情けなさを責めるかのように頭を垂れて身を縮め、唇を震わせながら話す。
「あ、兄上……らは源氏の追撃に遭い、播磨国高砂から船に乗って、讃岐の屋島へお逃げに……なられました」
「なん……と、いうこと……」
「とっ、突然の夜討ちだったとはいえ、力奮うことままならず、誠に申し訳……っ」
「もうよいっ!」
兄は額に青筋を立て、師盛を怒鳴りつける。だが最早、早急に次の手を考えねばなるまい。
「下がれ。師盛らには一ノ谷の警護に回ってもらう。山方面を固めねば……誰か、行けるものはおらぬのか」
山の方は惨憺たる有様と聞いて、誰も名乗り出る者はいない。だがその時、誰かが「こんな時、能登殿(教経)がいれば……」と口にするのを聞いた。
「教経……そうだ、教経に使いを送ろう。あの者は戦において負け無しではないか」
その言葉に、「おぉ……!」「能登殿がいらっしゃれば、平家は無敵よ!」等と、周りの士気が高まるのを見た。
教経。数々の戦において見事な活躍をし、一度も不覚を取ったことがないとも言われる、勇ましくも逞しい平家随一の武将である。故に、皆からの信頼も厚い。確かに、あの者になら大事な場所を託せよう。
兄上は私を向いて言う。
「知盛。山の手に教経を。良いな」
「……はっ。心強く存じます」
私は頭の中に行基図を描く。三草山は突破されたが、先の戦はまだ前哨戦に過ぎない。本当の戦は……ここからだ。
◇
―馬の刻頃
本陣で今後の戦について考え事をしていると、不意に兄上がやってきて私に話しかける。
「知盛。……源氏軍は、なぜ夜討ちという手段を取ったのだと思う」
一夜のうちに多くの者が討たれたことを思し悩まれている様子でもあるが、このような時、兄が相談役に選ぶのは大概私であることが多い。
「なぜ……と、申されますと」
「当然、相手は三草山に構えておった平家の軍を見て仕掛けてきたのであろう」
「左様かと」
「三草山に構えておった我が軍は一万余騎。真っ向から戦っては分が悪いと踏んだのか………何故、夜討ちなどという……っ」
兄上は怒りか悔しさからか、言葉が続かない。私に答えを求めているというよりは、兄上も、この夜討ちに思うところがあるのだろう。
「……恐らく、七日の矢合わせの時刻に一ノ谷の西へたどり着くがために、速やかに三草山を抜けたかったのでは……ないかと」
「なんとしても東西から我らを挟みたいが故……か」
「……」
兄上はそわそわとして落ち着きがない。いくらここが堅固な要塞であるとはいえ、夜討ちによる平家の被害は大きい。何か気の利いた言葉でもかけて差し上げたいところではあるが、源氏の奇襲は今に始まったことでもなく、この先も気を抜くことはできない。
……傲慢や油断は足元を掬われることにつながると、過去の平家の負け戦から痛い程感じてきたことだった。だから私は絶対に油断などしないと、常に策略に知を巡らせるが故に、自然と現実を見据えた発言が多くなる。もしかしたらこのような時、重衡の方が優しく、気遣いのある言葉をかけてあげられるのではないかと、少々申し訳なくも思う。
しかしそこへ、頼もしい者が現れたのだ。
「平教経、ただいま馳せ参じました」
堂々とした立ち振る舞いで現れたのは、先ほど皆の話に上がっていた、平家随一の猛将としても名高い平教経である。その者を見る兄上は、ぱっと顔色が明るくなったようにも見えた。
「教経! 参られたか」
「はっ。大臣(宗盛)殿より、山の手を私に託したいと仰せ仕りました故」
「あぁ……頼まれて頂けるであろうか」
教経は面を上げ、兄上をまっすぐに見て申される。
「当然のことに御座いまする。合戦を、我が身に置いて一大事と思うてこそ、上手くいくものです。何度でも構いませぬ、手ごわい相手の方はこの教経がお引き受け致しましょう。一方は必ず打ち破ってご覧入れます故、ご安心なされますよう」
やはり、なんとも頼もしい武士である。私も思わず感嘆が漏れていた。兄上も、気がかりが晴れたかのように先ほどとは打って変わって、安心なされた様子で教経を向く。
「よくぞ言うてくれた! 其方には越中前司盛俊ら一万騎を託す。山の手は鵯越の麓でもあり、我ら本陣からも程近い。大事な場所となろう」
「は。この教経にお任せください。兄通盛と共に、必ずやお守り申し上げます」
◇
教経の頼もしい姿を見送った後、改めて策や軍の配置を考える。すると、兄上の元に法皇様より書状を仰せ仕ったという使者が現れたのだ。その書状の内容は、源氏との停戦の要求。本書状は源氏側にも同じように出しているらしい。
だが、この頃合で、なぜ?
源氏側は、どう出る。
私は今しがた教経を見送った先にある、三草山を見る。……この書状があと一日でも早く源氏側へ届いていれば、この山は焼けずに済んだのだろうか。
……今頃源氏は、何を思う?
黒く焼けた三草山を見て、私はなぜか、この書状は誠なのであろうかと疑わずにはいられなかった。