第三話 合戦前
― 翌・五日早朝 ―
本陣に平家の重臣たちが集う。二月の一ノ谷の朝は冷え、遠くに伊予二名洲を望む瀬戸の内海は、その冷たく澄んだ鈍色の海原を朝焼け色に染め始めている。
一ノ谷の陣内の様子は昨日無事法要を終えたこともあり、どこか肩の荷が下りたような平静さを纏うと同時に、戦前の張り詰めた空気が静かに落ちる。棟梁である宗盛は昨夜はあまり休めなかったのか、落ち着きのない様子で今一度確かめるかのように言う。
「矢合わせは、七日、卯の刻」
七日――つまり、二日後の早朝。
宗盛は今一度居住まいを正し、皆を向いた。
「断じてここ、一ノ谷を落としてはならぬ」
静かな言葉に、合戦前の緊張が増す。一門の都落ちにより一時は九州大宰府まで逃れた平家は、今や讃岐国・屋島に巨大な軍港を築いて瀬戸の制海権を掌握し、一ノ谷のやや艮の方角(北東)に位置する福原まで勢力を回復させていた。福原はかつて清盛が遷都を計画した平家の要所であり、近くには日宋貿易の拠点となる大輪田泊も擁する。
ここを落とせば、先行きは明るいものとは言い難い。
「必ずや、一ノ谷を守り切りましょう」
意図せずとも熱の込もる知盛の言葉に、宗盛は深く頷く。
知盛は東の森を見遣り、続けて重衡に視線を移した。
「重衡」
「はっ」
「生田森へ参るぞ。矢合わせは七日。だが、いつでも動ける準備を」
「はっ!」
これまでの索敵情報から、山陽道と丹波道の二手に分かれてこちらに進軍していることは明らかであった。丹波道へ回った軍は一ノ谷の西側へ回って此方に攻め寄せるであろうことは、軍評定でも再三確認している。
知盛は地形を頭に描きながら、三草山に軍を配置する資盛を呼び止める。
「資盛」
「はっ」
「源氏を西へ通してはならぬ。ゆめゆめ、油断なきよう」
「……はっ」
二人の間に、重たい沈黙が落ちる。
知盛は三草山に布陣する資盛・有盛らの兄――維盛が率いた、富士川の戦いを思い出していた。あれは水鳥が発つ音を大勢の軍が押し寄せたと勘違いして戦わずに敗走したという、情けない逸話を持つ負け戦である。
「あの二の舞だけは演ずるな。武士として、その名に恥じぬ行動を」
「……必ずや」
知盛の釘をさすような視線に、資盛は応えながらもばつが悪そうに俯く。
「では各々、参ろうか」
「はっ」
知盛は重衡らと共に生田森を目指す。昇りつつある日は、海を淡黄色に照らしていた。




