鬼喰らい
かくて見事鬼熊を打ち取った颯ですが、彼の偉業はもう一つあります。
市役所の職員さんたちと交渉して、お肉の取り分を多くしてもらっているのです。
何せ名前の付いた熊ですから、手に入れたいお店は多く、口に入れたい人はさらに多いのです。ほとんど取り合いになるはず。値段だって凄いことになるでしょう。
颯はその貴重なお肉の自分の取り分全部をこくり家に卸してくれました。
夏休みが終わってお客様が少なくなっているこくり家にとっては大変ありがたいことです。
「先日、世間を騒がせていた鬼熊が討伐されました。当店では僅かではありますが、その肉を分けていただくことができました。数量限定でご提供させていただきます」
ホームページの控えめな広告はSNSで拡散され、既に予約が殺到しています。
他のお店で鬼熊を食べようと思えばとんでもない値段になるでしょう。とても手が出ませんが、喫茶店でリーズナブルに提供されるならぜひ口にしてみたいもの。
まあ、量は微々たるものだろうけど、話の種には十分――などとお考えならご用心。
常連のお客さんたちはみんな気がついています。
あ、これ、ヤバいやつだ。
さてさてご提供にあたっては、店員たちはもちろんその料理の事を良く知っておかなくてはなりません。
早速その日に備えて、最大功労者の颯とその娘の凪紗を交えての、試食会と参りましょう。
鬼熊討伐記念のスペシャルメニュー。
一品目は岩塩をつかったシンプルな「鬼熊の塩焼き」でございます。
ぜひ鬼熊を食べたい、というお客様の中には他の熊と比較したいという通な方もいらっしゃるでしょう。
塩焼きはそんな方向けの塩味が強く、肉の味を引き立てる岩塩のみのシンプルな味付けで召し上がっていただく、素材の味を堪能するための一品です。
「っかあー。脂がうめえな。やっぱいいもん食ってやがったんだなあ」
畑や厩舎を襲ってやりたい放題してきた鬼熊ですから、身体に蓄えられた脂も上等。
熊肉は脂がおいしいのです。じわり染み出す甘い脂と、岩塩の持つ強い塩味が互いを引き立て合います。
「おいしいです、おいしいです。なんだか、食べてるうちにどんどんおいしく…………?」
「おうそうだぜクロちゃん。それが熊肉ってもんだ」
熊肉は繊維がしっかりとしていて、噛んでいる間にそれが旨味に変わります。それが脂の甘みとあいまって、噛むごとにおいしくなっていくのです。
また、熊肉の香りもこの効果を高めます。
適切に処理された熊肉は臭みはありませんが、それとは別に野性味ある独特の香りがします。
舌が脂と肉を美味しいと感じた時、微かな香りは急激に食欲をかき立てる「おいしそうな香り」に変化します。
だから一口目より二口目、二口目より三口目がおいしい。
美味しいと感じるごとにさらにおいしくなっていく。それが熊の肉。シンプルな塩焼きならばその過程が存分に楽しめます。
さて、続く二品目は熊料理の定番品。「鬼熊鍋」でございます。
熊をおいしく食べるならやっぱりこれ。
薄く切った熊の肉を白菜、人参、ゴボウ、舞茸、ネギと一緒にみそ仕立ての鍋でいただきます。
野生の熊のお肉ですからしっかりと火を通してから頂きましょう。とはいえ火にかけすぎますと身が縮んで硬くなりますからご注意を。
じゃあいつ食べればいいのかって? そんなのもちろん決まってます。
「はい、どうぞー」
兵太郎の声と共にみんなの箸が一斉に動き始めました。
「おいしい。塩焼きもそうでしたけど熊の肉ってしっかりしているのに柔らかいんですね」
色々と理由もありまして、熊撃ち名人の娘でありながら凪紗も熊を食べるのは初めて。
適度に筋切りを施した熊肉の、柔らかさと歯ごたえとを兼ね備えた食感についつい頬も緩みます。
「ん~! お肉の脂の甘みがたまりませんわね。お味噌の香りとよく合います」
「野菜も旨いのう。熊の旨味を吸い込んどるのじゃ」
お椀からふわりと立ち上るお味噌の香り。
一口、二口と食べるごとにおいしくなっていくのは塩焼きと一緒。
お味噌というのは非常に味の主張の強い調味料ですが、熊肉の旨味ならばお味噌にも負けたりしません。
熊の出汁を吸った野菜もおいしい。
根菜の出汁が絡んだ熊肉もおいしい。
これはたまらんともう一杯よそって口に運ぶと、やっぱりさっきよりおいしくなっているのです。摩訶不思議。
「舞茸もうめえな。味がしっかりしてて熊に負けてないっつうか。あ、もしかしてこれも天然モノか?」
「うむ。大物じゃったぞ。10Kgはあったかの」
「へえぇ、そりゃあ凄え。良く見つけたなあ」
「いや、今朝がた向こうから訪ねてきたのじゃ」
「あん?」
「大きさもですが、舞の方も見事でしたわね。ん~、スープにも良い出汁が出て」
「ちょっと待って突っ込ませて」
そんなわけで舞茸は縫霰山の天然物。しかも10kg越えの大物です。
大きさも見事ながら香りも良く、さらに選抜の儀では舞茸というだけあって実に見事な舞を見せてくれました。
その芸術点が高く評価されて熊鍋への参加が認められたのです。
「駄目だチクショー。何処につっこんでいいかわかんねえ」
颯が諦めたらそこで突っ込みは終了です。
ちなみに舞茸は天ぷらでもご提供いたしております。手のひらよりも大きい舞茸の天ぷらは、食べればあまりのおいしさに踊りだしてしまうかも。こちらも是非ご賞味頂きたい一品です。
「はあい。じゃあそろそろ締めに入りますよー」
具はすっかりなくなった後、スープまで全部飲み干したいのをぐっとこらえまして、炊き立てのご飯を投入。ことこと煮込んで熊と根菜の出汁をしっかりと吸わせましたら熊おじやの完成です。
熊肉と根菜と舞茸と。旨味を全部吸い込んだ米はお腹もしっかり満たしてくれますから、どんどんおいしくなっていく熊鍋の最後にピッタリです。
「あーうめえ。やっぱ最後はこれだな」
流石は兵太郎の作る料理。お腹も心もおいしいで満たされて颯も大満足。
鬼熊も退治できたし、こくり家に恩も返せるし、ご飯はおいしいし娘は嬉しそうだし、すべて颯の狙い通り。
しかし実は颯には、さらにもう一つ狙いがあるのです。
熊を撃つのは大変なお仕事です。
昔は熊を撃つことに大きなメリットがありました。熊の胆嚢はかつては同じ重さの金と交換されるほど貴重な物だったのです。
残念ながら現代ではそれほどの価値は認められません。
熊のお肉も収入源としてはさほど期待できるものではありません。希少なものであっても適切な値段で買い取ってくれる相手がいなければお金にはならないのです。
となると熊ハンターの主な収入は討伐依頼の報奨金となりますが、実はこれも雀の涙。
原縁市からの報奨金はよそと比べるとかなり高額ですし、鬼熊のように特別報奨金が出ることもありますが、それでもお仕事の重要性と危険度に見合った額とはとても言えません。なにせ命がけの仕事です。今回だってクロがいなければどうなっていたか。
お金にならないし、危ないし、よくわからない苦情は来るし。
実に割に合わない仕事です。専業でやってけるのはほんの一握り。若手なんかやる気が出なくて当然です。
しかし実は現在、原縁市では野生動物を食用として流通に乗せるプロジェクトが進行しています。
数年前、縫霰市はこのプロジェクトの為に大金をかけて大規模な解体処理施設を建設しました。
ところが心の何とか塾という胡散臭い団体の妨害により施設は閉鎖。プロジェクト自体も中止に追い込まれてしまったのです。
今はもう妨害していた芽生えの何とか塾は無くなってしまいましたが、かといって一度中止になったプロジェクトを再開するのは非常に困難です。ほとんど不可能といってもいいでしょう。
せっかく大金をかけて作った処理施設も、使われることの無いまま朽ちていく運命。となるはずでした。
――「そりゃあ随分もったいない話だわなあ」
――「責任? ワシがとるよ」
たったそれだけの事でした。
とある市役所の老職員のこの一言で、プロジェクトは再開されることになったのです。
市の職員さんが毛皮を欲しがったのはこのため。颯が仕留めた「鬼熊」の毛皮は剥製にされ、プロジェクトの広告塔となるのです。
若い猟師たちにも良い話となるでしょう。もちろん狩猟自体の危険性は変わりませんから、颯の役目もまた大きなものになります。
野生動物の数の適切な管理が行えるようになれば山はさらに豊かになります。当然市の経済も潤います。原縁市周辺の市にとってもまた良い話になるはずです。
それにプロジェクトが完全に軌道に乗ったなら、熊の価値はさらに高まるかもしれません。
たしかに熊の胆嚢の価値は下がってしまいました。
でも熊の価値は肉と胆嚢ばかりではありません。
加工前の値段で十万円を超えることもある最高級珍味。
今回は毛皮が必要という事情からその部位は手に入りませんでしたが、プロジェクトが上手くいけば、原縁市の特産品として流通に乗せることだって夢ではないかもしれません。
需要と供給が釣り合えば、ハンターたちのやる気も上がります。
ただ希少であることに加えて加工が難しく、調理できる人も少ないというのが大きな問題ではあるのですが。
「期待してるぜ、店長さん」
えへらえへらとデザートを取りに向かう男の背中にむけて、颯はそっと呟きました。
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さてこくり家では先日討伐された鬼熊の肉を、数量限定でご提供させていただきます。
大変希少なものでございます。ご予約はおひとり様一回限りにてお願いいたします。
期間内にご来店が難しいと涙を飲まれたお客様にも嬉しいお知らせがございます。
今回こくり家に鬼熊の肉を提供してくれた熊撃ち名人の颯が、後輩の育成もかねて現役に復帰いたしました。
鬼熊はもういなくなってしまいましたが、熊肉の提供はできそうです。
そしてあの幻の食材も?
そんなわけで、今後ともこくり家を御贔屓に。どうぞよろしくお願い申し上げます。




