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食通様のご来店

 (自称)食通の奈間中 通瑠(なまなか とおる)は身の不幸を嘆き、そっとため息をつきました。


 というのも、通瑠は歴史的な一皿を口にするチャンスを逃してしまったのです。


 先日「鬼熊」と名前を付けられた熊が討伐されました。


 しかも撃ったのはジビエ好きなら誰でも知っているかの名人 翠川 颯。食通としては是が非でも口にしたいところです。



 しかし昨今の情報の拡散スピードはすさまじいもの。


 それに踊らされた奴らがこぞって予約をしたせいで、通瑠がこの話を知った時には鬼熊が卸されたお店はどこも予約でいっぱいになってしまっていました。


 なんてひどい話でしょう。名前の付いた熊なんて、通瑠のような神の舌(自称)を持つ選ばれた人間こそが味わうべきなのに。



 諦め切れずに色々調べた結果、通瑠はやっと一軒の店を見つけました。


 しかし何ということでしょう。そこは高級レストランでもなければ高級料亭でもない、ただの喫茶店だというのです。


 

 通瑠は失望を禁じ得ませんでした。

 


 ネットの情報によればその店は、ブームにのっかった見栄え優先の料理を提供する、通瑠の最も嫌いなタイプの店でした。


 ヌシカレーだのスペシャルオムライスだのもってのほか。


 こんなお店に貴重なお肉が卸されるなんていったいどういうことでしょう。


 陰謀めいたものを感じてなりません。きっとなにか裏で大きなお金が動いているのです。警察も市役所も保健所もみんなグル。猟師の颯も……。いや、颯は巻き込まれただけでしょう。うんうん、名人颯は悪くない。


 せっかく颯が打ち取った鬼熊なのに、悪い奴らが自分の儲けの為に談合してこの喫茶店に卸すように仕向けたのです。おお凄い、これならつじつまが合う。


 きっとこの店では「ほら鬼熊入ってるぞこれでいいんだろ」といわんばかりの残念な品物が出されるのでしょう。その目に浮かびます。ああ、せっかくの鬼熊をないがしろにするとか、なんてもったいない。


 そもそも材料に良いものを使えばおいしい料理が出来上がるというのは大きな誤りです。


 原価は安くおさえて、商品価値は吊り上げる。それが資本主義の原則。でも最近はそれがあまりにも行き過ぎているのです。


 

 料理は愛情。


 俗にそんなことが言われます。まさにそのとおりなのだろうと通瑠は思うのです。一つの手間、些細な気配り。その積み重ねが一皿の料理となる。


 本来熟練した職人の技が求められる工程に未熟な職人を使い、見栄えだけを取り繕ったようなものはとても料理とは呼べません。



 通瑠は別に、手間を掛けない料理を否定するわけではありません。むしろ簡略化を突き詰め誰でも同じ味を提供できるように調整された工程には尊敬すら覚えます。


 しかし食の何たるかを知らない者は、その芸術的なまでに単純化された工程ですら台無しにしてしまうのです。

 

 器具の癖や劣化による加熱時間のズレ等は致し方ないとしても、定められた工程を省略するのは論外。余計なことをするのもあり得ない。


 ひとふりの塩をふたふりにするならまだしも4回5回も振れば全くの別物。一分以上早く鍋から上げたパスタを湯を切らないまま盛りつけ、そこにたらこソースを掛けるなど、もう犯罪。



 大事なことをしっかり順守できるのが料理人。チェーン店のメニューでも作っているのが料理人かそうでないかによって出来上がるものは全く別の物になってしまう。


 出来合いを加熱するだけの作業にだって、決して省いてはいけない大事な工程が幾つもある。


 愛情の無い料理はおいしくないのです。


 でも通瑠は一般的な視点に立てば自分の方がおかしいことを、理解していました。こんなのは結局個人の見解に過ぎません。


 愛情なんていう曖昧なものを盾にして、「レシピ通り」に作られた料理に文句をつけるわけにはいきません。

 



 だから通瑠は期待しないのです。


 がっかりするのは怖いのです。世界に裏切られた気がするのです。


 食に最高の価値と喜びを見出す通瑠にとって、料理とは自分の舌など遠く及ばない、至高であってほしいのです。



 と、まあ色々文句をつけてしまいましたが、それでも「鬼熊」を食べられるチャンスをみすみす逃すことはできません。


 こうして通瑠は嫌々の渋々ながら、鬼熊が食べられるという喫茶店 「こくり家」にやってきたのでした。

 


 ――――――――



 鬼熊の塩焼き

 鬼熊鍋

 鬼熊の煮込みシチュー


 こくり家の鬼熊が食べられるメニューは三種類ありました。


 といっても通瑠にとっての選択肢は「鬼熊の塩焼き」しかありません。鍋や煮込みシチューなど、専門店以外では到底食べる気がしません。


 塩焼きだってたいしたことないに決まっていますが、鬼熊を食べたという実績解除の為だと割り切って食べるのです。



 

「ご注文はお決まりですかの?」



 麦茶らしき琥珀色の飲み物を持って現れたのは、和服とメイド服をごちゃまぜにしたような紅色の制服の少女でした。


 若い娘にこういった服装をさせるのは見栄え優先なお店にはありがちです。はあやれやれ。まあ別に通瑠に不満はありません。むしろ加点。ていうか満点。可愛いにはおいしいの次か同じ位の価値があります。料理の採点を緩める気は毛頭ありませんが、これだけでも来た甲斐はあった。



「鬼熊の塩焼きを」



 通瑠はぼそりと呟くように注文を言いました。通瑠は選ばれし食通ですから、接客に来た女の子が制服も顔も可愛いからといってへらへらしたりはしないのです。そんなのはこっそり楽しめばいい。


 注文も単品で十分。目的は鬼熊だけです。食通ですからお得なセットメニューになど目もくれません。

 


「ふむ? お客様、ご飯はいらんのかの。プラス料金で栗ご飯に変更も可能じゃ。熊との相性も良いぞ。味噌汁はなめこと豆腐じゃ。こちらも大変おススメとなっておりますのじゃが」


「……じゃあ、それも」



 通瑠は再び短く呟きました。追加を受け入れたのは店員のおススメが理に適ったものだったからです。


 決して近くで見たらさらに可愛かったからつい、とかではありません。


 

「畏まりましたのじゃ。追加の注文等あれば何なりとお申し付けくだされ」



 にこりと花が咲くような笑みを残して店員は去っていきました。ふわりとかすかに果物のような良い香り。制服の後ろ、帯のように大きく羽ばたく蝶結びも可愛らしい。


 見えなくなるまで見送った後、視線を戻すとテーブルの上には冷たく汗をかく麦茶のコップが置かれていました。

 


 山の中とはいえまだ日は高く、のども乾いていた所。可愛い店員さんの置いていった麦茶は魅力的に映ります。


 水道水に濃縮液で色を付けた麦茶など本来ならば通瑠が口を付けるようなものではありませんが、それはそれとして水分補給は大切です。

 


(まあ、あの店員さんに免じて飲んでやるか)



 心のなかで何かに言い訳をしつつ、通瑠は冷たい麦茶に口を付けました。


 ごくり。



 ⁉



 ごくっ、ごくっ、ごくっ!


 

 のどの渇きを癒すために一口だけと飲んだ麦茶を、通瑠は途中でやめることができませんでした。あっという間に空っぽになったコップを、通瑠はぽかんとした表情で見つめました。

 


 たかがサービスの麦茶、などと侮ってもらっては困ります。


 此処はこくり家、口福の厨。飲み水一つも一級品。

 

 

 兵太郎がその辺で掘り当てた湧水は、天下に謳われる名水にも引けを取るものではありません。影が薄い水々ヅクの堀水さんですが、兵太郎にお告げをしたその功績は大きいのです。




「おやお客様、相当のどが渇いておられたようじゃの」


 

 コップが空になったことにすぐに気がついて、先ほどの店員さんが駆けつけて麦茶を足してくれました。見事な気配りです。笑顔も含めて120点の加点です。


 あれ、どうしよう。加点だけで最高得点超えちゃったぞ?



「追加の際はご遠慮なくお申し付け下され」



 にこっと向けられる笑顔。その口の端にはきらりと可愛らしく輝く八重歯。そんな可愛い顔されたらむすっとした表情を続けるのも難しい。


 いやいや。そんなことで手心は加えません。問題は料理の味です。店員の可愛さはあくまで加点の対象でしかありません。


 

(ま、まあそういうこともあるよな。田舎だし。いいさ認めてやるよ。水だけはうまい店だ)



 食べる前から酷評することを決めつけている通瑠は、かってに緩む口元を、きりりと引き締めるのでした。

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オモロい人やなww
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