第61話 フロイド・ハッシュの憂鬱
「ああ、胃が痛い」
腹をさすっているのはドワーフであった。茶髪で後頭部を刈り上げている。
軍服を着こなしており、背筋を伸ばしていた。ドワーフなので小柄だが見る者には清潔に映るだろう。
彼の名前はフロイド・ハッシュ。階級は中将である。
現在彼は妖精王国の東側にあるプレスリーの港にいた。軍艦に乗っており、これから来る白鯨女王との戦いに備えている。
他にも軍艦が数十隻ほど横に並んでおり、まるで戦争をするようであった。
どこか空気がひきつめているような感覚である。身体に何かがのしかかるような重みを感じるのだ。
白鯨女王ことピークォド海賊団はものすごく強く、並の海軍では太刀打ちできない実力を持っている。おとぎ話に出てくる巨人そっくりであった。
もちろんフロイド中将は臆しているわけではない。彼もそれなりに修羅場を潜り抜けている。
人を切り刻むことに喜びを感じる殺人鬼や、拳ひとつで人間を牽き肉に変えるほどの力を持つ海賊と戦ったこともある。
「何よダーリン。びびっているの?」
フロイドに声をかけたのはトロルだ。緑色の肌に黒髪だが、それは普通のトロルとは違う。顔がエルフ並みの美人なのだ。その上身体もすらっとトロル並みに高い。
彼女はピンク・ハッシュ。階級は中将でフロイドの妻だ。そして元帥タリエシン・ハッシュの娘でもある。
「ううぅ、びびってなどいないよ。けどね……」
フロイドはさらに胃に痛みが走った。額には脂汗がだらだらと流れ出てくる。
体中がバラバラになりそうな感じで、いつ爆発してもおかしくないと思った。
「何さ、ダーリンはものすごく強いんだからね。あたしを絶対守ってくれると信じているよ」
ピンクは甘えるようにフロイドにすり寄った。彼女は甘えん坊である。美人でスタイルもよく、戦闘力も高い。しかし彼女はフロイドに依存している。彼がいないと何もできないと思っているのだ。
過去に海軍士官学校の出来事がある。彼女の同級生がフロイドの悪口を言ったのだ。
フロイドと彼女は幼馴染である。だが釣り合いが取れていないと陰口を言われていた。
だが周りの人間はそれが許せなかった。一気に不満が爆発し、ピンクの前でフロイドがいかに彼女と比べると凡人であることをぶちまけたのだ。
その時のピンクは悪鬼羅刹であった。悪口を言った相手を殴り飛ばし、瀕死の状態に陥れた。
そいつはハロルド・ウエスト大尉の弟であり、それ以降ウエスト大尉はハッシュ家を憎むようになったのである。
「ガハハハハッ!! 相変わらずの熱々ぶりだな! 見ているこっちが照れてしまうぞ!!」
声をかけてきたのはケットシーの亜人であった。彼の名前はホワイト・サバス中将である。
50歳だがまだまだ元気で、体格もよい。
ピンクとフロイドは32歳で若造と言われてもおかしくない。
もうひとりアカギツネの亜人であるアトムハート・クリムゾン中将がいるが、こちらはホワイト中将と同年代である。
「アハッ! やっぱりわかります? あたしたちのラブラブ光線は周りを焼き尽くしちゃうのかな」
ピンクはフロイドに抱きついた。そして頬をすりすりする。
フロイドは胃が痛くなる思いであった。彼は妻を愛している。しかし彼女はそれ以上の野獣であった。沈めた海賊船は百隻を超える。それを抑えるのにどれだけ苦労しているかわからない。
それ以上にホワイト中将もピンク以上の怪物である。沈めた海賊船は三百隻は超えており、倒した海賊は五千人という無双ぶりだ。
民衆にとっては心強い味方だが、同僚にとっては胃の痛い相手なのである。
その癖軍法を無視して行動することが日常茶飯事なのだ。上層部の意向を無視して海賊をぶちのめすなど当たり前であった。
さらに悪徳商人の店を独断で潰すなど、やりたい放題だという。もっとも権力を笠にしているわけではない。正義の心で行動しているだけなのだ。
マクレガー・ポヤイスの父親はピンクに潰されてしまった。それ故にマクレガー会長はハッシュ家を憎む様になり、ピンクの兄、ディープに嫌がらせをするようになったのである。もちろん彼女はそんなことを知らない。これは兄に無関心ではなく、ピンクに知られないようにしていたのだ。
(そもそも私が中将になるなどありえない。おそらくはピンクのお目付け役として昇進させられたんだ!!)
フロイドは心の中で毒づいた。彼の兄はキング・キンクスといい、大将だ。家柄はよく、タリエシンの婿養子でもある。
上層部もピンクの素行に頭を悩まされていた。彼女を中将にすることで縛り付けているのである。
事実フロイドのおかげでピンクが大人しくなったのだ。軍ではフロイドを凄腕の猛獣使いと評価されている。もちろんフロイドにとっては何の慰めにもなっていないが。
「白鯨女王か……。あいつらは結構手強いからなぁ。ひとりだけでも大変だが、たくさんいると骨だぞ」
「平気だよッ! だってあたしたちにはフロイドがいるんだよ。白鯨女王なんてコテンパンにやっつけちゃうんだから!!」
ピンクは胸を叩いて自信満々に言った。彼女は夫を心の底から信頼しているのである。
(やめてくれ! 私に期待をしないでくれ!! 私は平凡な海兵なんだ!!)
フロイドは泣きたくなってきた。彼は子守を押し付けられた哀れな使用人である。それも自分より図体がある熊の子の面倒を見る気分であった。
「そういえばリジーナも白鯨女王の仲間なんだってね」
ピンクが何気なく聞くと、ホワイトは見るからに不快感をあらわにした。
「あのバカ娘が、海賊になりおって。見かけたらおしりぺんぺんだな」
さすがのホワイトも不良娘の家出には頭を悩まされているようである。
「いやいや、それ以前に今回の件はとてもおかしい。そもそも今まで生死不明だっタホッドミミル王国の王女を公開処刑するなど暴挙もいいところです。しかも建国祭に最中でですよ、こんなことを女王陛下が許すわけがない」
フロイドが訴えた。その件についてはホワイトとピンクも目を合わせてうなづいた。
「確かにな。妖精王国最悪の殺人鬼、子供を30人殺害したアメリアも刑務所の中で処刑したのに、なぜ今回だけ公開処刑にするのやら」
「そうだよね~。でもパパが命じるんだからしょうがないよね、軍人は上官の命令には逆らえないんだから」
そう軍人は上官に逆らえないのである。戦場ならば流れ弾と称して射殺できるが、ここに殺すべき本人はいないし、そこまで憎んでいない。タリエシンは尊敬すべき偉大な人間なのだ。
「中将閣下!! 12時の方角に敵影発見! ピークォド海賊団です!!」
マストの上から見張りの声がした。いよいよ戦闘開始である。
フロイドは部下の持ってきた胃薬を水と一緒に飲み込んだ。




