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第23話 「焼刃家無双」

<1>


 ある日の事。いつものように焼刃煌侍やいば こうじが三姉妹とブリュンヒルデを連れ、駅前の商店街で買い物をしていると、三人組の若い男達が絡んできた。曰く、「おうおうにーちゃん、女みたいなツラして、女はべらしてんじゃねーぞ」的な。

「ん?よそもんか?なんかこういう展開久々だから、ちょっと新鮮だな」

 因縁をつけられた煌侍は、動じた様子を微塵も見せる事なく、むしろ面白がっている風にさえ見える。

 相手は季節感無視のアロハシャツに、汚らしい染めた金髪、ネックレスにピアスというファッションセンスで、誰がどう見てもガラと頭が悪い連中だ。煌侍と三姉妹の顔を知らない、すなわち余所者と見て間違いないだろう。それほど彼ら兄妹は、この街の顔なのだ。

 三姉妹も兄に倣って、感情の揺らぎを一切見せない(実際なんとも思っていないのだろうが)。そして、商店街で働く人々、利用客達も誰一人取り乱していない。これは世間一般的に考えると奇妙な光景なのだが、この三人組は全く疑問に思わず、自分達に都合の良い方に解釈したようだ。

「おいなんだ、ビビってんのか?なんとか言えやコラ。ああ?」

 下卑た笑いがそれに続く。一体何を根拠に優位に立ったつもりでいるのか理解不能である。人生楽しそうでいいですね。


「オレとしては、この街の“自浄作用”に期待してるんだがな」

 煌侍は「やれやれ」と、ややうんざりし始めながら言った。だが、言われた方は何の事だかさっぱり分からない。

「あん?何わけわかんねー事言ってやが――ん?」

 チンピラ三人組のリーダー格とおぼしき男が煌侍に詰め寄ろうとした時、派手にタイヤが路面を噛む音をさせつつ、三台の黒塗りの高級外車が彼らの間近に急停車した。明らかに一般人が乗り回すような代物ではない。

「な、なんだあ?」

 泡を食うチンピラどもだったが、あっという間に車の中から出てきた者達に包囲され、すっかり身動きが取れなくなってしまった。その数は十五人を超えるだろう。

 チンピラどもの見た目も“いかにも”だったが、こちらはそれにさらに輪をかけて“いかにも”だった。全員が黒のダブルのスーツで、サングラスを装備している。一目見て堅気の人間ではない事が分かる。

 だがこの状況になっても、相変わらず一般市民が誰一人として驚きも騒ぎもしない。それどころか、「これで一安心」と胸を撫で下ろしている様子である。


おせぇな。もうちっと迅速に動いてくれねえと、一般人に被害が出るぜ?」

 煌侍が溜め息混じりに苦言を呈した。

 と、ここで初めてざわめきが起こる。しかしそれは市民からではなく、殺到した黒服集団からだ。その種類は、そう、緊迫感だ。

「も、申し訳ありやせ――」

「んだとコラァ!誰に向かって偉そうな口利いてんだガキィ!」

 黒服の中の壮年のリーダー格が煌侍に謝ろうとした矢先、そこの中でも下っ端らしき若い男が声を荒げた。上の連中からの心象を良くしようと打算しているのか、無駄に血気盛んだ。

「新入社員か?」

 不快気な表情であごをしゃくり、説明を求める煌侍。問われたリーダー格の男は、ひたすらに平身低頭する。

「す、すいやせん!まだ入ったばかりの、右も左も分からねえドサンピンでして……」

若頭わかがしら!若頭ともあろう人が、なんでそんなガキに頭下げてんスか!?」

「うるせえ!俺をその呼び方で呼ぶんじゃねえ!『部長』と呼べっつったろうが!」

「ひいっ!!」

 煌侍に対する時とは真逆の態度だ。同じ人物なのか、と我が目を疑うほどの凄味がほとばしっていた。これほどまでの剛の者が、煌侍にやたらと下手に出ている理由は一体何なのだろうか。


「どうやら飼い犬のしつけがなってねえようだな、部長さん」

 煌侍の眼光が若干鋭い物になった。それを見た黒服集団は硬直し、「気を付け」の姿勢で直立不動になる。

「申し訳ありません!相談役!」

 約十五名ものいかつい男達が一斉に頭を深々と下げる。なんとも異常な光景が繰り広げられていた。

「相談役?」

 ただひとり、新入社員が取り残されていた。彼はこの会社の仕組や沿革など、何も知らないらしい。

「バカ野郎!おまえも頭を下げろ!このお方はな、相談役にして最高顧問の――」

 部長が新入社員に説明している最中、もう一台の車が猛烈な速度で到着し、そのまま前転するかのような勢いで停車した。他の高級外車よりもさらにランクが上の車種だ。

 そして、そのドアが突き破られたかのように乱暴に開き、一見して最高級のこしらえである和服姿の初老の男性が飛び出して来た。

「しゃ、社長!!」

 黒服達がそろって大声を上げる。まさかのボスの登場に、周囲は色めきたった。


 しかし社長はその者どもに目をくれる事もなく、一直線に煌侍の所へとやって来て、部長よりもさらに深く頭を下げた。どよめきが走る。

 「相談役、この度はウチの若いのが粗相を働いたようで、面目次第もございません。引いては私の監督不行き届き、責任は私にあります。処分はいかようにも――」

「いいっていいって」

 恐縮する事しきりで早口にまくし立てる社長に、煌侍は軽い調子で返す。

「再発防止を徹底してくれたらいいからさ。オレが嫌いなのは学習しない奴だから」

「ご寛恕かんじょ、痛み入ります」

 社長はもう一度煌侍に向かって頭を下げ、以下社員達もそれに倣った。親子以上に歳の離れた両者のこの力関係、やはり異常だと言わざるを得ない。


「新入り」

「は、ははは、はいっ!」

 すっかり置いてけぼりだった新入社員に、社長が厳かに声をかけた。

「この方はな、我々全員の大恩人なのだ」

「……そうなんスか?」

「“血風の金曜日の夜事件(ブラッディ・フライデイ・ナイト)”、この町に生きるならばおまえも聞いた事があるだろう?」

「あ、あの『血の匂いがする突風が吹いたと思ったら、もう何もかもが“終わっていた”』って言う…」

「そうだ。その“事件”で壊滅したのが、当時この国の約半分をシメていたウチの組織。壊滅させたのが、こちらの焼刃さんだ」

「えっ、こいつが!?」

 絶句する新入社員。さもありなん。そうなると、当然の疑問が湧き上がってくる。

「でも、それのどこが大恩人なんです?どっちかって言うと仇なんじゃ?」

「わしも当時はそう思った。『これ以上の屈辱はない』と心底恨んだ。だがな、今のわしらを見てみろ。子供達を胸張って学校に通わせてやれる。メンツで飯は食えねえ。あのままではどうにもならんかったのだという事が、今ならよく分かる。“破壊なくして創造なし”。まったく、その通りだった」

 モノローグを終え、遠い目をするかつての大侠客。しかしそれは過去の事。現在の彼の肩書きは、「株式会社 荒事あらごと専門相談所・代表取締役社長」である。


 あの“血風の金曜日の夜事件(ブラッディ・フライデイ・ナイト)”、の後、彼らはものの見事に路頭に迷った。死人は出なかったものの、地位も名誉もプライドも、その全てが失われ、裏の世界にすら居場所がなくなってしまった。元々彼らは表の世界に馴染めなかった者達だ、こうなってしまっては一体どこへ行けと言うのか。

(組織化されてたのが無法化して、このままじゃ治安が逆に悪くなっちまうかもしれねえ)

 状況を重く見た煌侍は、かつての幹部連中に非常招集をかけた。そして相変わらずいきなりに、会社設立を命じた。豆鉄砲を食らったハトの顔がずらりと並ぶのを前にして、彼はこう言った。

「目には目を、歯には歯を。荒事には荒事を。だろ?」

 ノーリアクション。元来頭の良い連中ではないので、仕方ないかもしれない。

「世の中に悪い奴がいる限り、めんどくせえトラブルはなくならねえ。肝心の警察は事が起こってからじゃないと動いてくれねえ。ならどうすればいいかは簡単だ。民間がやるしかない」

「わかったか?」と一同を睥睨する煌侍。

「すると何ですかい、ウチらにその荒事専門のトラブル処理会社をやれ、と?」

 恐る恐るといった様子で、元大ボスが口を開いた。やはりこの中では、最も勘が鋭いようだ。

「そうだ」

 煌侍は満足気にうなずいた。

手筈てはずはオレのツテで整えておいてやる。化けてみせろよ、あんたら」

 にわかに人生に光明が差し、いい歳をした侠客達の顔がほころぶ。彼らに否はなかった。

 こうして「カタギの前では紳士たれ」をスローガンに、前代未聞のサービス会社、その名も「株式会社 荒事専門相談所」が船出したのだった。


 設立当初こそ、その胡散臭さでなかなか受け入れられなかったものの、潜在需要の高さから徐々に認知され、あれよあれよと言う間に一躍有名になったのには、発案者の煌侍以外の全員が驚いた。社員達は感謝されるという体験に感激し、貪欲に向上心を燃やした。この町を発祥とする色物企業は、今や日本に名だたる存在となったのだ。

 ――社長の目に光る物がある。他の社員達も人目をはばからず嗚咽を漏らす。この光景を見ただけでも、彼らの煌侍に対する恩の深さが分かる。


「すいませんでしたあっ!!」

 地面にめり込みそうな勢いで、新入社員が煌侍に対して土下座をした。

「まさか組……社長の大恩人とは露知らず、失礼しまくりました!悪いのは俺ひとりです!どうか他の人達にはお咎めなしでお願いします!」

 額をアスファルトにこすり付ける。

「いいよ、そんなの」

「え、ええっ!?いいんスか?!」

「だからいいって、そんなの。そこまで判断できるんなら、もう同じ事しねえだろ。気にすんな」

 小指の一本くらいは覚悟していた新入社員は、思わぬ慈悲に呆然とする。

「んじゃ、この件は終わったな。オレらは買い物の続きがあるんで行くから」

 妹達に「行こうぜ」と声をかけ、煌侍は最敬礼する黒服達の花道をスタスタと歩き去っていく。そのすぐ後に、丁寧に周囲にお辞儀をしてから次女の魅霧みむが、何事もなかったかのように長女の絢華あやかが、あくびを噛み殺しながら三女のこよみが、最後尾に子犬のように白スーツ姿の家政婦のブリュンヒルデが続く。


「かっけぇー……」

 焼刃家の面々の後姿が小さくなった頃、新入社員が思わずつぶやいた。

「だろう?あの人は誰にも真似できねえ生き方をしてるのさ」

 部長がサングラスのブリッジを左手の人差し指の先で持ち上げつつ誇らしげに言い、周囲の社員達がそれにうなずく。

「さて、我々も引き上げるぞ。今度相談役に会う時までに男を上げるんだ」

「へいっ!!」

 社長の号令の下、次々と社員達が車に乗り込み撤収していく。こうして街にはいつもの光景が戻った。いや、先程のような光景も含めての「いつも」のこの街。ここは焼刃煌侍に愛された街。


<2>


 商店街での買い物を続ける焼刃やいば家一行。駅前からやや離れ、スーパーなどが立ち並ぶ庶民的な色が濃くなってきた風景の中を仲良く談笑しながら歩く。そろそろ夕食の材料でも買おうかという算段だ。

 とりあえずどこか適当な店に入って、オススメ食事なぞを吟味しつつ決める、という方針に決定した時、にわかに進行方向が騒がしくなってきた。「ケンカだケンカだ!」と野次馬どもが騒いでいる。

「あー、またかよ。今日はなんかやけに多いな。ま、こっちも荒事あらごと専門の連中に任せときゃいいだろ。行こうぜ」

 ややウンザリしつつ、煌侍こうじが店内へと三姉妹とブリュンヒルデを誘う。

「ケンカだケンカだ!美容院同士のケンカだ!」

「おいおい……」

 カクーンと煌侍の上半身の力が抜ける。そう言えば、彼らの母親であるりんが経営する美容院「BLAZEブレイズ」はこの近所だ。

「この前お母さん、『すぐ近くに美容室がオープンする』って言ってたね」

「あー言ってた言ってた。じゃあそれじゃない?」

 絢華あやかこよみがのんきに会話している。魅霧みむは「我関せず」を貫き、ブリュンヒルデは状況が理解できていない様子。


「あ、君達は焼刃さんとこの!」

「ん?」

 脱力したままの煌侍に声がかけられた。どうやらスーパーの新任の男性店長らしい。

「君達のお母さんが男達相手にケンカを!早く行ってあげないと!」

 気のいい人らしく、すっかり取り乱している。

「全然平気平気。ウチの母親、ああ見えて強いんで」

「え、そうなのかい?噂に名高い息子さんが言うんなら、そうなんだろうが…」

 なんとも淡白な煌侍の態度に、釈然としないまま店長は店内奥へと戻って行った。琳の数々の武勇伝を聞き及んでいないところを見ると、彼はまだこの街に来て日が浅いのだろう。


「こうじ」

 ブリュンヒルデが煌侍の上着の右袖をくいくいと引っ張る。

「どうした?不安そうな顔して」

「おかみ、だいじょうぶ?」

「おかみ」とは琳の事である。ちなみに焼刃兄妹の父である勘助かんすけの事は、「おやかた」と彼女は呼ぶ。

「心配ねえよ。母さんはなんたって『すいけん』の使い手だからな」

「すいけん?よっぱらい?」

「いや、その『酔拳すいけん』じゃなくてな、睡眠の睡で『睡拳すいけん』だ。眠くなればなるほど強くなる」

「???」

「まあ、そう言われても理解はできねえだろうがなあ」

 煌侍と三姉妹は顔を見合わせて苦笑する。「この息子にしてあの母あり」と言えなくもないが、我が母ながら奇人である。煌侍はともかく、同性であるがゆえに三姉妹の胸中は複雑なのだった。


 商店街の大通りの真ん中で、一人の女性と三人の男性が対峙していた。女性はひどく面倒臭そうに絶えずあくびを連発し、男達の方はかなり殺気立っていた。

「だーかーらー、ウチはおたくの営業妨害なんてしてないっつってんでしょ?第一そんなのやる必要ないってーの」

 その女性、焼刃琳は左手をジーンズのパンツのポケットに突っ込み、右手でバリバリと後頭部を掻いている。

「なんだと!」

 彼女の態度に男達はさらに興奮の度合いを高める。

「りんちゃーん、そんなデクノボーどもなんかやっちまえー」

 物見高い野次馬達からの声がかかる。彼女はここの商店街のマドンナ的存在だったりする。特におじさん連中からはアイドル扱いだ。

「向こうが手ぇ出して来たらねー。やっぱ正当防衛にしとかないと後々面倒だからさー」

 もう何度目かのあくびを噛み殺しつつ答える。それに観衆がどっと沸き、さらに相手を刺激するという構図。


 さて、どうしてこんな状況が生まれたのかだが、理由はいたってシンプル。

 大張り切りで独立開業、念願の自分の店をオープンしたはいいが、さっぱり客が来ない。それはなぜか?近所に人気の店があり、そこが自分達の所に客が行かないように妨害工作をしているに違いない――とかなんとか。完全なる逆恨み。そしてとうとう業を煮やし、直接乗り込んで来たというわけだ。

「言わせておけばこのアマ!ねーちゃん、痛い目見ない内に泣き入れて、店も畳んで転職した方が身のためだぜ?そんだけの見た目ならいくらでも他に仕事あるだろうしよ」

 ゲヘゲヘ。店長らしきリーダー格の男が凄味を効かせる。体格といい態度といい、とてもカタギのそれではない。

「あら、『ねーちゃん』なんて嬉しい事言ってくれるじゃない。でもお生憎様。こう見えてもあたし、四人の子持ちなんだけど?」

「ゲッ!」

 心底驚いた残念そうな声が三つ上がった。それはそうだろう、琳のこの容姿ではとても子持ちには見えない。

「ケッ、なんだ、ババアかよ」

 それは一体何のプライドなのか、男の一人が今さら悪態を吐く。勝手に思い込んでいた自分が悪いというのに。

「そうだそうだ!どうせ亭主もろくな奴じゃないんだろ」

 一人が前に出たおかげで妙にテンションが上がったのか、もう一人の男も後に続いて程度の低い悪口を言う。

「あーはいはい、言ってなさい」

 対する琳は涼しい顔。「柳に風」を体現している。だが、相手店長が最後に放った一言が、その後の阿鼻叫喚の地獄絵図を生もうとは。

「なら子供ってのもたかが知れてるな!」

 わははははははは!と大げさに笑う三人組。


 その時。

 ブチィッ!!という、何か太いロープのような物が切れる音が周辺に木霊こだました。

「あ?」

 男達は何事かと辺りを見回すが、音の原因となったような物は見当たらない。だが、周囲の空気がやたら冷え込んできているのを肌で感じる。

「何だよ?何だってんだよ?」

 大きな図体でオロオロとする。ただ、何やら致命的なミスを犯してしまったのだという事は分かった。


「今……なんつった?」

 聞こえし声の響きは、さながら地獄の猛獣の唸り声。

「え?え?」

 元凶の男は謝ればいいのか逃げればいいのかとっさに判断がつかず、宙に浮かせた両手をそのままに、救いを求めて視線を彷徨わせる。

「確かにね、結婚に関してはあんたの言った通り。失敗だったわよ」

 ゴゴゴゴゴゴ……と地響きのような迫力をまとった怒りの気配が、琳の背中から立ち昇っている。

「でもね、ウチの子達の悪口だけは絶っっっ対に許さないから!こんな親の責任を放棄した、生活能力ゼロどころかマイナスのあたし達にはもったいない子達なんだから。それまでのあたしの人生、そりゃもうろくでもなかったけど、あの子達に恵まれて、こんなあたしでも、あんなにも最高な子供達を産めた事、それだけは誇りに思ってんの。親としては最低だけど、それでも『母さん』って呼んでくれる、あたしの幸せを、生き甲斐そのものを、あんた達は!!」

 突風のような怒気。大気が震え、商店のガラスがビリビリと鳴動する。

「あ、あわ…ゆ、ゆる、ゆるし…」

 むさ苦しくも抱き合い、涙と汗と鼻水で顔中を濡らしながら、許しを乞う。が、もう完全に遅い。彼らを憐れみの目で見る周囲の人々は合掌し、口々に念仏を唱えていた。

「さあ、あんた達。半月ばかり紙オムツ生活になるぐらいで許してあげるかもしれないけど、その後どんな髪型にされたい?世紀末救世主にボコられるような奴?Zゼット戦士にボコられるような奴?奇妙な冒険の途中でボコられるような奴?答えは訊いてないけど」

「ボコしかないのかよぅ…」

「あったりまえじゃなーい。ウチの子達をバカにしておいて、地獄すら生ぬるいわよ?」

 にたぁ、と笑う琳。なんと酷薄な笑みができるものか。

「た、助け――」

「それ無理♪」

「ぐぎゃあ~~っ!!」


「もう終わってたか。念のため来てみたけど、必要なかったな」

「あ、煌ちゃーん。うん、終わり終わりー」

 夕食の材料を調達した焼刃兄妹とブリュンヒルデが現場に到着した時、原形を留めぬほどに顔面を整形され、サイケデリックな髪型にされた大男三人が積み重ねられたオブジェの頂上に腰かけた琳が、右手の人差し指の背で目をこすりつつ手を振る。

 愛する子供達の姿を見付けた彼女は「よっ」と一声かけて小山から飛び降り、大あくびをしながら近付いてくる。

「ととっ」

 と不意にバランスを崩して前につんのめった。

「おかみ、へいき?」

 慌ててブリュンヒルデが琳の身体を支える。

「ありがと、リュヒちゃん。平気平気ー。あんなの物の数じゃないって。ちょーっとばかし眠いだけ」

 にへら、と相好そうごうを崩して笑う。どうやらその言葉通りのようで、一同は胸を撫で下ろした。

「睡拳は諸刃の剣でな」

「?」

 煌侍の言葉にブリュンヒルデが反応する。

「眠くなればなるほど強くなるが、眠くなり過ぎると寝落ちする」

「……がっかり?」

「まあ、そこはご愛嬌だ。さて、と」

 ブリュンヒルデの腕の中から琳を受け取り、煌侍は母の身体を背負う。彼が持っていた買い物袋は、一時的に三姉妹が分担して持つ事になった(暦が一番重い物を担当した)。


「煌侍くーん」

 煌侍を大声で呼ぶ声とともに、長身で長髪の女性が手を大きく振りつつ駆けて来る。

「お、純香すみかさん」

「やっと手が空いて。オーナーは?」

「ああ、この通り」

 肩で息をする純香に、煌侍はくるりと後ろを向き、背負っている琳の姿を見せる。

「なによ、ぐっすりじゃない。走って来て損したわ」

 口ではきつい事を言っておきながらも、純香の表情には安堵の色が濃く見える。彼女は琳との付き合いも長く、例の睡拳の事も知っているのだが、それでもやはり心配していたのだろう。

「店の三階まで運べばいい?」

「そうね。この様子だと当分起きないだろうし」

「やれやれ」顔の純香。もう慣れているとはいえ、疲れる。


「いつも母さんが苦労かけて悪いね。重荷とか苦痛になってない?辞めたくなったりとか…してないよね?あの店は純香さんでもってるんだから」

 いつになく早口で危惧する煌侍。店のイメージダウンにもつながりかねない話なので、さすがに申し訳なく思っているようだ。

「ううん、気にしないで。待遇面なんかには何の不満もないし。いわゆるカリスマかってぐらいもらって、結構色々好き勝手やらせてもらってるし。だからそうねえ、あとは煌侍君次第かな?」

「え?オレ?」

 意地の悪そうな表情を隠す純香の言葉に、煌侍は虚を衝かれた。

「そ。髪切りに来る以外にも、もうちょっと顔出してくれてもいいんじゃない?」

「……う。善処するよ」

「純香さん純香さん」

「ん?」

 急に小声になった煌侍に、純香が顔を寄せる。ふわり、とフローラルな香りが風に乗って鼻腔に届いた。

「ウチの妹達の前でそんな話しない方が……」

「いーのよ。なにかとあたしとキャラがかぶりまくってる維那いなさんとの仲をあーんなに進展させといて。ねー?」

 頭だけを後ろに大きく回し、三姉妹に同意を求める純香。――ヤバイ、標的が変わった。

「ここでその話持ち出すかよ!」

 激しく抗議したい煌侍だったが、いかんせん母親を背負っている状態では無理がある。

 しまった。そう言えば彼のグループの女性陣は、ほぼ全員がBLAZEの常連だった。そして維那の担当は、この純香であった。

(ぐあ、墓穴掘っちまった!)

 こうなったら三十六計逃げるにしかず。煌侍は快足を飛ばし、BLAZEへと急ぐ。

「あ、こら、待ちなさいよーっ!」

 彼の後を純香と三姉妹とブリュンヒルデが追いかける。いくらバイプレイヤーを気取っても、結局中心は焼刃煌侍。本人がどれだけ嫌がろうとも、主人公は彼であった。


<3>


焼刃やいば家の高機動万能萌えお手伝いさん」ことブリュンヒルデ・タリエルは、焼刃家に来てもうそこそこ経つというのに、相変わらずあの四畳半の元物置で就寝及びプライベート活動を行なっている。

 いや、正確にはその地下に根城を構えている。今やそこは彼女しか把握できないアリの巣状の地下世界が広がっているらしい。

 事あるごとに三姉妹が「本宅で一緒に住もう」と誘うのだが、その度にやんわりと断られている。かつてマンホールチルドレンとして生活していた過去の経験がそうさせるのか、地下暮らしが何かと性に合っているようだ。加えて「兄妹の邪魔をしたくない」と言われてしまっては、それ以上強く言えなくなる。

 もっとも、早朝から深夜まで家事全般をこなしているブリュンヒルデにとっては、本宅での生活が大半を占めており、彼女の「自宅」である物置に帰るのは、睡眠と趣味である特殊工作のためぐらいである。食事も焼刃兄妹が学校がある日の昼食以外は一緒に摂っているし、風呂も本宅で入っている。


「……ん?風呂?」

 ある日の夕方、リビングで紅茶を飲んでいた煌侍こうじの脳裏に何かが引っかかった。

「なあ、リュヒっていつ風呂に入ってる?」

 三姉妹の誰とはなしに尋ねる。

「いつも最後に入っているようですけど」

 食器棚の整理をしつつ、魅霧みむが答えた。

「なんだ、やけにあいまいな言い方だな」

「だって、あんまり見た事ないんだもん」

 今度はタンクトップにスパッツ姿のこよみが、床に座って柔軟運動を行ないながら答える。

「うん、そうかも。あんまり見た事ないかも」

 部屋の隅の大きな観葉植物の葉の手入れをしていた絢華あやかも、思い出したように言った。

「……妙だな。何か裏を感じる」

 煌侍が長い足を組み替え、右手の親指と人差し指で形の良いあごをつまむ。

「どうかなさいましたか、お兄様?」

「少し気になってな」

 用事に一区切り付け、自分の左隣に腰を下ろした魅霧の問いに、煌侍はいたって真面目な表情で返した。ただの興味本位ではないようだ。

「あいつ、朝から晩まで毎日、結構な力仕事とかホコリまみれになったりして働いてくれてるからな。ちゃんと心身ともにリフレッシュできてんのかな?って」

 兄の優しい言葉に、絢華と暦が顔を見合わせて微笑む。やはり、愛する兄はこうでなくては。


 そして今、その話題の中心である「あいつ」ことブリュンヒルデは、庭で洗濯物を取り込んでいる。時折り兄妹の視界の端に着物姿の彼女が出たり入ったりして、彼らを和ませた。

「そういう事であれば早速今夜から気を付けておく事にしますね」

「ああ頼む。男のオレでは何かと問題があるんでな」

 機転の利く魅霧がご褒美として抱き寄せられ、髪を撫でられる。それを見た絢華と暦は出遅れた事に気付き、超スピードで賛同の意を示す。すっかりいつもの焼刃家の光景だった。

「?」

 洗濯カゴを抱えて戻ってきたブリュンヒルデは、子犬のように首をかしげた。


「お兄様、目標の入浴を確認しました」

「オッケー、そのまま監視を続けてくれ」

「了解したしました」

 ――約五分後。

「にいさん、目標がお風呂から出たよ」

「早っ!」

 ――約一分後。

「兄さん、目標が四畳半に帰宅したよ」

「……うーん、今日だけでは判断が下せねぇな。数日様子を見よう」

「了解っ」×3


 ――一週間後。焼刃兄妹会議。

「結論として、からすの行水だと」

 議長である煌侍の言葉に、三姉妹がそろってうなずく。

「ここ一週間の平均入浴時間は平均約五分です」

 魅霧の報告に場が固まる。

「でも、プールの時は喜んでたよね?」

「熱いお湯が苦手なんじゃない?」

 暦が記憶を掘り起こし、絢華が新たな推測を提示する。

「いずれにせよ、とても衛生的だとは思えないわ。ここにいる以上、焼刃家の家風に従ってもらわないと。お兄様?」

 魅霧に促され、煌侍が腕を組んだまま首肯する。

「これは荒療治の必要があるかもしれんな」


 次の日の夜。焼刃兄妹は夕食を終え、各自風呂を済ませた。何ら普段と変わらない生活リズムである。ここまでごく普通に一日を過ごしてきたが、“その時”が来た時、兄妹はアイコンタクトを取り、迅速に行動を開始した。

「おふろ」

 ブリュンヒルデがそう言って発ってから約五分弱、いつも通りの行動パターンであれば、そろそろ彼女は風呂から上がろうとするはずだ。

「突入!」

 ミッションリーダーである煌侍の号令とともに、三姉妹がバスルームへと雪崩れ込む。

「あーっ!やっぱりもう出ようとしてるー!」

 脱衣所から絢華の声が聞こえてきた。

(案の定か)

 入り口付近で待機している煌侍は嘆息した。これで“クロ”確定だ。

「姉さん、暦ちゃん、確保よ!」

 魅霧が指示を出す。

「ちょっ、リュヒ、暴れちゃダメだって!」

 暦が声を荒げる。

 どうやらかなり苦戦しているようだ。さすがはブリュンヒルデ、三姉妹が三人がかりでも分が悪いか。元々戦闘力においてトップクラスであった彼女だが、日頃の煌侍による直接指導の成果もあり、さらにその腕を上げている。暦だけであればもしかすると勝機があったかもしれないが、絢華と魅霧がいた事が今回はマイナスに働いてしまったようだ。

「うわっ」と中で三姉妹が同時に声を上げ、もみ合って倒れたような派手な物音がした。どうやら突破されたらしい。扉の脇に立つ煌侍の耳に、ブリュンヒルデが駆けてくる足音がどんどん近付いて来る。


「おっと、そこまでだ」

 勢い良く扉を開けて飛び出して来たブリュンヒルデの左腕を掴み、一気に自らの胸元へと引き寄せて確保。彼女は煌侍の登場を予想していなかったのか、呆気に取られている。

「んーっ!んーっ!」

 状況に気付いたブリュンヒルデが煌侍の腕の中でもがく。

「こら暴れるなリュヒ!色々危ないから!」

 彼が慌てるのは無理もない。なにしろ今の彼女はバスタオルを1枚身に巻き付けただけの姿なのだから。お世辞にも豊満とは言えないその体型では、激しく身をよじる度に堤防決壊の危険性が高まるのだ。

「お兄様!」

「にいさん!」

「兄さん!」

 遅れて復活した三姉妹が飛び出して来た。

「おー、おまえ達よく来てくれた。って、なんでおまえらまでバスタオル一枚なんだよ!?」

「だってリュヒのお風呂嫌いを治すんでしょ?だったらあたし達も一緒に入らないとおかしいじゃん」

 プロポーションに自信のある暦が得意気に胸を反らす。立派にそびえ立った双丘はバスタオルを内側から押し上げ、手で押さえる必要なく引っかかっている。

「暦ちゃん、慎みを忘れないでくださいね?」

「そうだよー。ズルイよー」

 魅霧は諭すように、絢華は露骨な羨望を込めて妹を批難する。乙女心は複雑らしい。


「で、にいさん、どうすんの?」

「『どう』って何だよ?」

 暦の問いに質問で返す煌侍。

「さっきあたしら三人がかりで返り討ちに遭ったよね?このまま中に連れ戻しても、また逃げられると思うんだけど」

「あー……じゃあ、どうすっかなあ」

 言われてみれば確かに。

「こうすればいいんだよ」

「では、参りましょうか」

 ブリュンヒルデを抱いたままの煌侍の両腕を、左右から絢華と暦が引き寄せる。

「待て待て待て。さすがにそれはNGだろ!リュヒだって恥ずかしいだろ?な?」

 一縷の望みに賭け、煌侍はブリュンヒルデを見る。頼む、「ノー」だと言ってくれ。

「こうじといっしょならいい」

「なんてこった」と頭を抱えようにも、両腕がふさがっていた。そうしてそのまま抵抗できずに引きずられて行く。

(なんかオレ、“あっち”でもこっちでも最近こんな感じじゃないか?)

 その通り。


「うだ~っ」

 家長の顔を立ててくれたのか、ブリュンヒルデはすっかり大人しくなり、三姉妹とキャッキャキャッキャ言いながら洗いっこし合っている。そんな光景に紳士らしく背を向けて腰かけながら、煌侍はのぼせかけていた。

「じゃあそろそろオレはこの辺でいいだろ?」と彼が出て行こうとすると、途端にブリュンヒルデがむずがり、それを口実に三姉妹に引き戻されるパターンのループ。目と理性に毒過ぎてエマージェンシー。

 煌侍が「今日だけだからな?」と言っても、四人そろって笑顔で「ダメ」と言われる。このままだと、なし崩し的に五人での入浴が恒例化してしまいかねない。

「――はっ!まさか…」

 そこで、はたと何かに気付いた煌侍。

「?」

 いぶかしげな視線でブリュンヒルデを見ても、純真100パーセントの表情で小首を傾げられるだけ。

(気のせいか。だよなあ、リュヒがそんな計算高いわけがねえよな)

「ふふっ」

 背後から聞こえた忍び笑いにギョッとして振り返る。その主は、髪を下ろすと後ろ姿では区別がつかないどちらかだ。

(ったく、してやられたぜ)

 妹達の性格をどんどん悪くさせる罪な兄は、苦笑とともに再度浴槽に身を沈めたのだった。


<4>


 焼刃やいば家の庭を暴風が吹き荒れていた。その正体は人間で、三姉妹の三女・こよみであった。

「オラどうしたあっ、そこまでかあ!?」

 その暴風を軽々と受け止め、受け流し、弾き返すのは兄・煌侍こうじ。暦は定例イベントである「教室」以外にも、折を見付けてはこうして兄に稽古をつけてもらっているのだ。

「まだまだ、だよっ!」

 暦は煌侍の右側頭部を狙って左ハイキックを放ち、それが受け止められると見るや、逆回転しての右ソバットを放つ。さらにそれもいなされた次の瞬間には左のアッパーカットを繰り出すが、余裕で見切られて手首を掴まれてしまった。

「技が決まらなかった事に一回一回動揺するな。技に心の乱れが伝わっちまってるぞ」

「はいっ!」

「“流れ”とか“次は”とかを考えるな。一発一発を必殺にして、外れたら外れた体勢から戦いがスタートしたと思って切り替えろ。ゲームじゃねえんだし、毎回毎回お互いに距離を取って向かい合って『よーいドン』で戦闘開始なんてなかなかないんだからな」

「はいっ!」

「じゃあもう一回だ」

「お願いします!」


 兄との実践稽古で充実感を得ながらも、実力があるからこそ暦は兄との実力差を痛感する。少しでも早く追い付きたい、隣に並びたいのに、彼は目に見える位置にすらいない。

(いけない、今は集中しなくちゃ)

「雑念入れてんじゃねえ!」

 風圧のようなものを感じた瞬間、暦の身体は宙に浮き、五メートルほどの距離を飛んだ後、背中から地面に叩き付けられた。

「く、はっ」

 一瞬息が詰まる。兄は彼女のほんのわずかな隙も見逃していなかった。

(へへっ、いったーい)

 だが、ちゃんと見ていてくれる事が嬉しい。手を抜かないでいてくれる事が嬉しい。こんなコミュニケーション方法は姉二人にはできない領域であり、暦にとってはとても大切な時間なのだ。

「慢心、じゃねえな。ふむ、具体的な数字が出て目標が明確になったはいいが、同時に焦りも生まれちまった、ってところか」

 煌侍が「しょうがねえなあ」と笑う。暦はこの表情も大好きだった。

「うん……」

 地面にぺたんと座りついたまま、素直に認める。煌侍に対して隠し事は出来ない。

「気持ちは分かるけどな。まず一旦落ち着け」

 自らも十二国界じゅうにこっかいにて直面している問題だけに、煌侍の言葉は嘘ではない。彼は相変わらずあちらの世界ではぶっちぎりで最弱なのだから。


 先程煌侍が「具体的な数字」と言ったが、それは彼らの仲間内での強さランキングの事である。

 以前のベスト5は、一位=煌侍、二位=鳴鈴ミンリン、三位=瑛時えいじ、四位=ブリュンヒルデ、五位=烏家ウーけ五姉妹のひとりひとりという順位だったのだが、最近そこで大きな変動があった。その要因は、瑛時の私生活充実宣言による事実上の脱落である。彼はそれまでの修行第一主義をあっさりと撤回し、彼の恋人である璃矩りくとの未来を最優先事項とする、年齢相応の生活スタイルへとシフトチェンジした。

 だが、彼ら以外の上位ランカーは実に器用で、私生活と鍛錬の両立を実現していた。よって、底上げされた者とさらに高みへと上がる者、そうでない者との入れ替わりが行なわれた結果、現在の順位はこうなった。

 一位=煌侍、二位=鳴鈴、三位=ブリュンヒルデ、四位=暦、五位=烏家五姉妹のそれぞれ。瑛時はいともあっさりと圏外へと転落し、暦は念願のベスト5入りを果たした。なにかと忙しくなってきた鳴鈴の補佐に日々奔走する烏家五姉妹の各人をゴボウ抜きにしての4位入賞である。

 一位と二位は次元が違う。で、三位のブリュンヒルデもまた煌侍に一款能賜舞いっかんのうしまいを教わっているので、その差は相当努力しないと縮まらない。元々の戦闘力からして、彼女の方がずっと上なのだ。


「ふぅ」

 庭のベンチに兄と並んで腰かけ、したたり落ちる汗をタオルで拭いながら、暦は微量の溜め息成分が含まれた息を吐く。煌侍に今の自分とブリュンヒルデの実力差を訊こうとして、止めた。彼はきっと答えてくれるだろうが、それを聞く事によってまた雑念が入りかねないからだ。

(この前も歯が立たなかったし)

 思い出してちょっと不貞腐れる。

 暦は煌侍とだけではなく、ブリュンヒルデとも積極的に組手を行なっている。つい先日も行なったのだが、結局一勝もできなかった。

(一発の威力ではあたしに分があると思うんだけど。リュヒはとにかく速くて正確だ)

 いつも最初の内はいい勝負なのだが、攻撃が当たらないイライラがつのり、イチかバチかの大技を狙ってはその隙をかれる。頭では分かっているのだが、ついつい身体が先に動いてしまう。我慢が足りないのか、派手な技好きなのがいけないのか。いずれにせよ、煌侍からも指摘された通り、精神面の鍛錬が最重要課題に違いなかった。

(前途多難だけど、大丈夫。あたし、にいさんのためならいくらでも強くなれるよ)

 心に誓う。

 と、頭頂部に心地良い熱と重みを感じた。煌侍の左手だ。

「にいさん?」

「色々考えてるな。偉いぞ暦」

 兄の柔和な瞳。そのまま優しく撫でられるに任せる。身体が芯から温かくなる。


「ぃよしっ!」

「いつまでこうしていたい」という誘惑を振り切り、暦はひとつ気合いを入れて立ち上がる。

「にいさん、受けて欲しい、取って置きの技があるんだけど」

「お、そんなの隠してたのか。いいぞ、やってみろ」

「あ、待って待って。にいさんはそのままで」

 ワクワクしながら立ち上がりかけた煌侍を暦が制した。兄の両肩を押さえ付け、座らせたままにする。

「なんだ、妙にシチュエーションが限定された技だな。実戦で使えるのかそれ?」

 怪しむ煌侍。

「使えるよ。とってもね」

 にっ、と笑う暦。そして精神を集中する。

「解放、20」

 周囲の空気が変わり、風がざわつく。これは彼女を中心とした強力な力場が発生している証拠だ。

「お、おい暦!おまえいつの間に『解放』なんて使えるようになってたんだ!?しかもいきなり20って!」

 さすがの煌侍でも驚き、慌てる。それもそのはず、“解放”は一款能賜舞の高度な奥義なのだ。文字通り己の肉体の潜在能力を解き放ち、力を得る極意である。

「くぅっ、さすがに……きついね」

 暦はやせ我慢した笑顔を見せる。無理もない、完全に会得していなければ肉体にかかる負担は相当なものであるはずだ。

「食らえ、にいさん。焼刃暦流奥義……必殺・本気接吻マジキス

「んーっ!!」

 暦の唇が煌侍の口を塞ぎ、蹂躙する。彼の絶叫の続きは、二人の口内でのみ爆発した。

 ――「それはもう、すごかった」らしい。


<5>


「もう朝だ」というのは、なんとなく感覚で分かる。が、まぶたは頑固に開かない。

(うーん、まだまだ寝覚めスッキリってわけにはいかねえか)

 焼刃煌侍やいば こうじはまどろんだ脳で考える。

(でもこれでも、前に比べりゃ雲泥の差だよな。なにしろ“寝溜め”できるようになったってのが大きい)

 そのままにしておくと、すぐにまた眠りの沼に引き戻されそうになるので、努めて考え事をするようにする。すると、段々と意識が浮上してくるのが実感できた。

(よし、やっとコツらしき物が分かってきたかも、――ん?)

 間近で人の気配がする。眠っていたとはいえ彼がここまで接近を許してしまうとは、相当な手練れか気を許した人物のどちらかだ。

(やべぇ、さっさと目ぇ覚まさねえと)

 眼球に力を込める。と、それに押し上げられるかのように、ゆっくりとまぶたが開き始めた。


「う……」

 一気に光が流れ込んで来て、眼底が白む。しぱしぱと瞬きを繰り返すと、次第に視界にかかったモヤが晴れていく。 

 ギシリ、と音がし、寝床が少し沈む。部屋に入って来た人物が身を乗り出し、ベッドの上へと移動して来たようだ。煌侍が完全に目を覚ますよりも、相手の行動の方が早かった。この状況では、もう強引に目を開くしかない。

「!」

 まだおぼろげなそのシルエットは、思ったよりもずっと近くにいた。若い女性で、とても美しい事がこの時点で分かる。

(女神?)

 煌侍はてっきりそうだと思い込んだのだが、十二国界じゅうにこっかいに来た憶えはない(いつの間にか連れ込まれていたのならば話は別だが)。それにこの寝心地は、いつもの自分のベッドの物だ。

 顔に甘やかな吐息がかかる。煌侍は魔法が解けたかのように目を覚ました。

魅霧みむ

「はい。お兄様」


 間違いない。その顔は愛する三姉妹の次女の物だ。彼女の顔を目にした事により、一気に意識まで完全に覚醒した。まさに目の覚めるような美しさ。女神と見間違ってしまっても無理はないだろう。

「おはようございます、お兄様」

「ああ、おはよう、魅霧」

 朝のあいさつを交わす兄妹。だが、兄の方は若干ぎこちない。それもそのはず、魅霧は四つん這いで彼の上に覆いかぶさったままなのだから。彼女の瞳の色はなんとも神秘的で、とても気安く「どけよ」などとは言えない力があった。

「いったい、どなたと見間違ったのですか?」

「えっ?」

 気付かれていたらしい。ぐいっと彼の瞳を覗き込んでくる。彼女の細くて長いツインテールがはらりと垂れて影ができ、まるで豪奢な天蓋付きのベッドになったかのような錯覚にとらわれた。

 魅霧という少女はとてつもなく聡く、勘が鋭い。普段からそうなのに、こと兄の事となると、その鋭敏さがさらに数段跳ね上がる。鈍感で不器用な煌侍が彼女に隠し事をするなんて、ほぼ不可能に近い。


「ねえ、おっしゃって、お兄様。どなたと間違われたの?」

 いつになく執拗だ。そこには焦りのような物が感じられた。きっと気のせいなのだろうが。

「……女神だよ。魅霧があんまりにも綺麗だから、女神様かと思っちまったんだ」

 正直に煌侍は答えた。固有名詞は出していないし、三姉妹には十二国姫の事は伏せてあるので、言ってしまっても問題はないと判断したからだ。それに本心には違いなかった。

「嬉しい。ありがとうございます」

 魅霧は鈴を転がしたようにころころと笑う。だがその言葉が心からの物ではない事が煌侍には分かった。

「それにしてもお兄様」

「うん?」

「すっかり寝起きがよろしくなられましたね」

「――へっ」

 予想だにしていなかった突っ込み。

 魅霧は体勢を変えない。

「少し前までは私達三人とリュヒの四人がかりで起こしても苦労しましたのに。最近のお兄様は睡眠が充分なのでしょうか?こんなにもお目覚めがスッキリ」

「それは、おまえ、気のせいだ――」

「どこで“寝溜め”してらっしゃるんですか?」

 魅霧の眼光に妖しい光が揺らめいた。煌侍の全てを覗き込み、見透かそうとする光。


「そんな事――」

 まとまってもいない考えで反論しようとした煌侍の唇を、魅霧の唇が飲み込んだ。煌侍の両肩を押さえ付けて固定し、動きを封じた上で食らい付いた。その姿はまるで、飢えた肉食獣が獲物を捕獲した時のようだった。可憐な容姿からは想像もつかない、彼女の内に秘めた苛烈さを物語る行動。

「――くふっ」

 何十秒後か、何分後か。兄との間に長く煌めく銀の橋をかけ、魅霧の顔が離れる。妖艶に微笑んだ彼女は、口の端を左の手の甲でゆっくりと拭うと、ようやく体勢を戻し、ベッドの隅へと腰を下ろした。

「おまえ、なんか今日はおかしいぞ」

 煌侍は上半身を引き起こし、硬い声を出した。こんな妹の姿はあまり記憶にない。

「私が焦ってはいけませんか?」

 魅霧の声は、兄の物よりもさらに硬質だった。瞳に宿る意志の強さは変わらないが、風の強い日の湖面のように揺らいでいる。

「私だって、いつでも、いつまでも、冷静なままではいられません」

 彼女は顔を背けてしまった。今の自分の表情を見られたくないのだろう。

維那いなさんとの事か」

 実のところ、それしか思い当たらない。魅霧は黙って首肯した。

「維那さんに大きくリードを許しました」

 意を決した様子で、魅霧が口を開いた。

「おまえ達が断トツで一番だ、つったろ?」

「ですが、お兄様と維那さんとの間には、二人だけの秘密があります」

「――!」


 やはり見抜かれていたか。煌侍は改めて彼女の観察力に戦慄を覚えた。もしかすると彼女は、その“秘密”がどんな物であるのか、おおよその見当がついているのではないだろうか。

「ごく簡単な消去法です」

 彼の思考を読んだかのように魅霧は言う。表面上はもういつもの彼女だ。

「維那さんとの間で秘密にしておくべき事、それは維那さんにしか見えない物なのでしょう。すなわち、霊的及び超常現象的な物、あるいは神的な存在に関する何か。けれど、ここまでならお兄様が私達に隠しておく理由としてまだ弱い。ならば決定的な理由は何か。お兄様はそう、その“モノ”達とかなり親密な関係になっている」

「ぐうの音も出ない」とは、こういう状態を指して言うのだろう。ここでどう反論したところで意味はない。たとえ女神に頼んで何度記憶を消させても、彼女はきっと毎回自力で答えにたどり着いてしまうに違いないからだ。

「お兄様、私、悔しくて仕方がないんです」

 強さと脆さがない交ぜになった魅霧の声色。

「維那さんにあって私にはない物、それが霊感です。私は今まで自分が持っていなかった能力や技術の数々を、探究心と努力で身に付けてきました。でも、霊能力は……難しいんです、とても。やはり生まれ持った才能がないと」

「難しい」と表現した所に、彼女の意地が見える。「無理」とは決して言わない。彼女は諦めていないし、諦めない。

「魅霧、実はな――」

 もういい、全てを話してしまおう。これほどまでに自分の事を想ってくれている妹なら、理解してくれる。嘘や隠し事を重ねたくない。最初から決まっていたはずだ、妹達こそ最優先だと。

「おっしゃらないでください」

 だが、さえぎられた。

「私、必ずマスターしてみせます。そして、相手が悪魔だろうと神だろうと絶対に負けません。お兄様は、私達姉妹だけのお兄様ですから」

 魅霧の瞳に、また苛烈な輝きが戻ってきた。新たなる目標を見付けた彼女に、もう迷いはなかった。


「おまえはいつも、オレに兄らしくさせてくれないな」

 煌侍は苦笑しつつ、妹の前髪をくしゃっと撫でる。

「ふふふっ、では…」

 兄の手の動きに目を細めていた魅霧が、やおら悪戯っ子のような表情になって身を乗り出す。

「お、おい」

「もっと兄妹らしくない事、さっきの続きをしましょう。お・に・い・さ・ま?」

「待て待て、せっかくいい雰囲気になってたってのに」

「ええ。ですから、もっといい雰囲気になりましょう?」

「それ、意味が違うって」

「いいじゃありませんか。見せ付けてあげるんです」

「誰にだよ?」

「さあ、誰にでしょう」

 一言ごとに着実に間合いを詰めてくる魅霧。気付けばとっくに押し倒されていた。

「これはお兄様へのおしおきも兼ねているんですから、お兄様に拒否権はありません」

「そうなの!?」

「はい。もうどこにも行かせませんから」

 楽園はここだと。私がいればそれでいいんだと。骨の髄まで分からせてあげる、お兄様。私はもっともっと完璧になる。お兄様が私以外の事を何も考えられなくなるようにしてあげる。楽しみにしていて、お兄様。


<6>


 絢華あやかは髪を伸ばし始めた。ずっとショートボブだった長さは、今では肩にかかるぐらいになっていた。

 チャームポイントの一つである左右のリボンはそのまま。これは当面、卒業するつもりはない。ロングになっても愛用しようと思っている。

 以前にBLAZEブレイズにて、髪を下ろした魅霧みむこよみとウイッグを付けて並んだ事があったが、あの時はとても楽しかった。姉妹の絆が一層深まった気がした。今にして思えば、あのイベントが一つのきっかけだったのかもしれない。

 妹の魅霧と暦は髪を下ろすとほぼ同じ長さで、あまり親しくない人が見れば、パッと見どちらが誰なのか区別がつかないだろう。何をやっても超一流でその上努力する魅霧と、やらないだけで実はやれば何でもできてしまう暦、二人とも本当に自慢の妹だ。この世で兄の次に愛している二人の妹は誰からも羨まれる存在で、姉である絢華にとっては誇らしいと同時に、ずっとコンプレックスの対象だった。


 絢華は基本的にドジっ子ではあったが、多様の苦手ジャンルこそあれ、ダメな子ではなかった。ただ、妹である魅霧と暦が超人過ぎたのだ。そして彼女は三つ子の長女であった。その事が長い間絢華を苦しめてきた。いくら「気にするな」と言われても、そんなのは到底無理な話だ。遠く離れて暮らしているならまだしも、同居していてそれは不可能だ。

 妹達の事が本当に大好きなのに、ふとした瞬間、嫉妬心が首をもたげている事に気付く。

「二人ができ過ぎるから」

「あたしができないから」

「あたし、お姉ちゃんなのに」

「このままだと兄さんに嫌われちゃう……」

 様々な感情が渦巻き、押しつぶされる寸前まで追いつめられた事もあった。

 ずっと髪を一人だけ短くしていたのも、「あたしは二人とは違うから」と言う意思表示だったのかもしれない。だが、今になって思い返せば、それはマイナス方面の物に他ならなかった。


 ある日、入浴を終えた三姉妹が髪を乾かしていると、通りがかった煌侍こうじが言った。

「なあ、絢華は髪、短くしたままなのか?」

「へっ?」

「なんでそんな事今さら訊くの?」と返そうとして、彼女は言葉に詰まった。

(あれ?どうしてあたし、ショートにこだわってるんだろ?)

 今までそうである事が当たり前で、むしろ義務であるとまで考えていた事。それが兄の何気ない一言でひびが入り、瓦解しようとしていた。

「えっと……だって、あたしはあたしだし……」

 形を成さない言葉。脆弱なる抵抗。そんな彼女を、兄と妹二人が優しい表情で見つめている。

「だったら無理に区別なんか付ける必要、なおさらないじゃねえか」

「あ…」

 煌侍の一言一言が、頑なに閉じこもっていた絢華の心をゆっくりと解きほぐしていく。

「三人ともロングだったら、分からなくなっちゃう」

「オレは一目で分かるんだから、それでいいだろ?」

 一片の迷いもなく、煌侍は断言して保障する。「もういいだろ?」とその瞳が言う。

「うん……」

 まるで宙に放り出されたかのように、絢華の身体が一気に重みを失った。けれど、瞳は重い。なぜならそれは、たくさんの涙があふれているから。

「姉さん」

 魅霧と暦が左右から気遣ってくれる。まったく、こんなにも素敵な妹達に負の感情を抱くなんて、どうかしていた。「姉だから」とか「長女だから」とか、そんなのどうでもいい。だって三つ子なのだ。誕生の差なんて、ほんのわずかな違いしかないのだ。

「魅霧ちゃん、暦ちゃん、ごめんね」

「いいのよ姉さん。私達もずっと姉さんを見てきたのだから」

「そーそー。考え過ぎなんだって、姉さんは」

「もう。考えなさ過ぎよ、暦ちゃんは」

「そうかなー?そんな事ないと思うけどなー」

「えへへ」

「あ、やっと笑った」

「手のかかる姉さんなんですから」


 ロングになったら、どんな髪型にしよう。維那いな純香すみかのようなストレートがいいか、いっそそれともサイドポニーとか。今から楽しみで仕方がない。

「姉さんたら。そんなに鏡ばかり見ていても、一気に伸びたりしませんよ」

「いやいや、むしろ伸びたら怖いって」

 妹達に笑われてしまった。それに釣られて絢華も笑う。頭では分かっていても、今までの遅れを少しでも早く取り返したくなるのが人情というものだ。でもきっと、ゆっくりでいいんだ。最高の兄と妹が二人もいて、見守り支えてくれる。だから自分のペースで、しっかりと1歩ずつ前に進んでいけばいいんだ。


瑛時えいじさんの存在も大きかったと思うんだ、あたし」

 右サイドの髪を右手の人差し指の先に絡ませてくるくると弄びながら、絢華は煌侍へと語りかける。

「あいつがぁ?なんでだよ」

 意味が分からない、と言った様子の煌侍。

「兄さんと瑛時さんの最終対決があったじゃない?“教室”での」

「あー、あったな、そんなの」

 あれだけ人の人生を変えておいて、煌侍はどこ吹く風だ。そんな兄を見て、絢華はくすくすと笑う。

「あの時のね、兄さんが瑛時さんに言った言葉、全部あたしにも当てはまるなって。あたしの場合、魅霧ちゃんと暦ちゃんがすご過ぎて自分の努力を過小評価してたり、自己嫌悪になったり、必要以上にコンプレックス持っちゃったり。ほらね、ぜーんぶ当たってる」

「いや、絢華、違うんだぞ?オレはあいつに言うついでにおまえにも言ってたとか、そんなまどろっこしいマネなんてしねえって」

 自嘲気味の笑みを見せる絢華を見て、煌侍が慌てる。誤解を解きたいと言う必死な様子が、なんだか子供っぽくて微笑ましかった。

「ふふっ。うん、分かってるよ、兄さん。兄さんなら『必要だ』って思った時には、ちゃんと正面から言ってくれるって。でもね、あの時の兄さんの言葉で、あたしのそれまでのモヤモヤがみーんなどこかに行っちゃったの。だからね、やっぱり兄さんは最高にすごいんだよ?」

「ったく、最高なのはおまえだよ。オレの言いたい事全部ひとりで勝手に理解しちまいやがって。そんなに早く大人にならなくていいんだからな」

 晴れやかな表情の絢華の右肩を右腕でぐいっと抱き寄せ、左手で髪をくしゃくしゃと撫でる煌侍。それは明らかに照れ隠しだった。絢華も兄の胸に頭をくっ付け、その体温をより感じるために両目を閉じる。


「ね、兄さん」

「なんだ?」

 何かを思い付いたらしく、顔を上げた絢華が煌侍の目を真正面から見てくる。

「魅霧ちゃんや暦ちゃんとはどんな事してるの?」

「何言ってんだおまえ?って、あー、変な意味じゃなくて、どんな音楽聴いたりどんな映画観たりって事か。おまえが妙な訊き方するから、勘違いしちまったじゃねえか」

「違うよ」

「ははは。だよなー」

「変な意味、だよ」

「は?」

 我が耳を疑う煌侍。彼女が今何と言ったのかもう一度よく思い出してみるが、そうとしか聞こえなかった。彼を見る絢華の目は真剣で、それが聞き間違いではなかった事を示している。

「あたし、暦ちゃんや魅霧ちゃんみたいにスタイル良くないけど、負けないから。魅霧ちゃんや暦ちゃんにはできない事、いっぱいしてあげる」

「お、おい。おまえ、急に積極的になり過ぎだろ」

 にじり寄る妹と、後ずさる兄。

「女の子はね、ほんの一瞬で生まれ変われるんだよ?」

「つってもよ、こっちの心の準備とか色々――」

「そんなのいつでもいいよ」

「よよよよ、よせって!」

「もうあたし、止まらないから。兄さん、覚悟してね」

「えーっ!」

 これも嬉しい悲鳴とでも呼ぶのだろうか。もう焼刃家内において、煌侍の気の休まる場所はなくなりそうだった。自業自得。因果応報。


<7>


 大学から帰宅し、一息ついたばかりの焼刃煌侍やいば こうじに来客あり。

「誰だって?」

「ちょうちょ」

 ブリュンヒルデが真顔で答える。

「町長さんのようですよ、お兄様」

 確認を取りに行って戻った来た魅霧みむが訂正する。

「町長?なんでそんな役人がウチに?」

 理由が思い当たらない煌侍が首をひねる。つられてブリュンヒルデも同じ動作で首をひねった。かわいい。

「しゃーねーな。門前払いするわけにもいかねえし、応接室に通しておいてくれ」

「ギョイ」

 うなずいたブリュンヒルデがすたすたと玄関へと歩いて行く。町長とやら、あの容姿で着物姿の少女を見れば、さぞや目を丸くするに違いない。


「ご存知かとは思いますが、わたしが町長。こちらが秘書です」

「いや、知らなかったけど」

「……」

 まさかの即答にリアクションに困る来客二人。

 焼刃家の応接室は十畳ほどの広さで、向かい合う形でソファが設置してある。このスペースに現在、町長とその秘書、煌侍と三姉妹にブリュンヒルデの計七人がいる。狭く感じるほどではないのだが、居心地が悪いのか小太りの町長はしきりにハンカチで汗を拭っている。

「あの、そちらの妹さん方は?」

「いちゃマズイか?だったら話は終わりだ、帰ってくれ」

「いえいえ、そうのような事は!もちろんいてくださって結構ですとも!」

 世間の立場的には彼の方がずっと上のはずだが、妙に腰が低い。それが処世術なのか、はたまた後ろめたい事でも隠しているのか。

「で、用件は?」

 焼刃煌侍の直球。この男、すでに飽きてきている!

「え、えーと、そのぅ……何から話しましょうか……」

「私が申し上げましょう」

 言いよどむ町長のフォローか、秘書の男が一歩前へ出る。まだ三十代前半ぐらいだろうか、長身で野心にあふれた目をしている。こちらは「ザ・秘書」といった容貌で、「鳳鳴鈴フォン・ミンリン拘束事件」の主犯格であったタンとなんとなく印象が重なる。いかにも神経質そうだ。

「焼刃煌侍君、君に近い将来、この町の町長になってもらいたいのです」

「はあ?」

「えーっ!!」

 煌侍が呆然とした声を、絢華あやかこよみが素っ頓狂な声を上げる。まったく寝耳に水の話であった。


「何回か公園だとか公共施設だとかに寄付した事は確かにあるが、オレよりこの町に貢献してる人なら他にいくらでもいるだろ。今の所オレは将来もろくに定まってない、モラトリアム真っ只中の一介の大学生に過ぎねえってのに」

 すぐに平常心を取り戻した煌侍が客観的に言う。そう、この降って湧いた話は明らかに怪しい。何らかの裏事情があるのは間違いない。

「さしずめ『若きイケメン町長で町おこし』、と言ったところでしょうか?」

 ここで初めて魅霧が沈黙を破った。その冷ややかな口調と眼光に、現町長と秘書が鼻白む。

「どうやら図星のようですね。タイミングとしてはそうですね、お兄様が学園の理事になって三年ほど経ったぐらいでしょうか?」

「うっ……」

 魅霧の畳み掛けに、大の大人二人が二の句を継げない。まさかこんな小娘に、何もかも見て来たかのように先手を打たれてしまうとは。「焼刃三姉妹の次女だけは敵に回すな」とは、この神算鬼謀を指していたのか。

「それって学園側も噛んでるって事?」

 暦が不快感丸出しで姉に訊ねる。

「中にはそうなればいいと思ってる人もいるみたいだけど、現状ではまだそこまで積極的ではないみたいね。むしろあの方達は、ゆくゆくはお兄様に理事長になって欲しいと考えているようよ。今回の件は、お兄様の噂を聞きつけた外部の人達が先走っているだけじゃないかしら」

 報告書を読み上げるかのように、滔々と自らの推理を披露する魅霧。それが100パーセント当たっているものだから、町長と秘書は何も言えなくなってしまっていた。

「魅霧ちゃんすごーい、神様みたいにぜーんぶお見通しだ」

「あら、方法なんていくらでもあるんですよ。ね?リュヒ」

 無邪気に感心する絢華に魅霧は微笑みを返し、意味ありげにブリュンヒルデに同意を求めた。

「ギョイ」

 なぜか得意気に胸を張るブリュンヒルデ。

「じゃ、そういうわけで。お引き取り願おうか」

「話は完全に終わった」とばかりに煌侍がソファから立ち上がる。

「ま、待ってください!こちらの話はまだ――」

「何かあるのか?」

 煌侍の射抜くような視線。

「いいえ……何も……」


「ねえ兄さん」

 町長と秘書がほうほうの態で逃げ帰った後、絢華が煌侍に話しかける。その声音には、若干のためらいが感じられた。

「なんだ?」

「町長さんになんて全然なりたくなかった?」

「そうだな、全然だ。なんたってオレ達には『焼刃やいばアイランド計画プロジェクト』があるんだからな。そんなしがらみいらねえよ。せっかく万能運転手もいるんだし。な?リュヒ」

「うん。おまかせ」

 そう言ってブリュンヒルデの頭を撫でる煌侍に、三姉妹が華やいだ歓声を上げる。そうだ、自分達の愛の大きさは、こんな町1つに治まるスケールではない。やろうと思えばもういつだって実行に移せるのだ。

「ちょっとこの町にいい顔見せ過ぎたかな?だから勘違いさせちゃったんだよ」

 暦が豪放磊落ごうほうらいらくに笑い飛ばす。

「親切心が裏目に出たか。こっちにはその気がないのに、『お、こいつ自分に気があるのか?』って思い込む奴みたいだな」

「あら、お兄様にもそんな経験が?」

「そうなの兄さん?」

「あるの?」

 魅霧のツッコミに、姉と妹が悪ノリして追従する。煌侍はそれに動じる事なく、「あるわけねえだろ」と笑って返答した。


<8>


「それは冗談としても」

 魅霧みむが表情を改めて切り出した。

「私達の誕生日を町を上げて祝おう、って案まであったらしいですよ」

「うへぇ、やり過ぎだろそれ」

「ええ。ですから事前に手を回して、計画を頓挫させておきました。さらし者はごめんです」

「うわ、魅霧ちゃんおっかなーい」

「もう姉さんが町長やっちゃえばいいんじゃない?」

「やりませんっ」

 こよみの軽口を魅霧が即却下し、一同は笑いに包まれた。


「おまえ達の誕生日かあ」

 不意に煌侍こうじがつぶやく。

「派手に祝ってやりたい気持ちはオレにも確かにあるんだけど、今は噛み締めるように祝いたいな。おまえ達が生まれてくれて、オレの妹で、今年もまた一緒に誕生日を祝える事の喜びを」

「兄さん……」

「お兄様……」

「にいさん……」

 三姉妹がそろって瞳を潤ませる。

瑛時えいじとか璃矩りくとか紳佐しんさとか阿亜樹ああじゅとか呼んでもいいけどな。二次会はオレ達家族だけで。な?」

「うんっ」

「はい、お兄様」

「いいね」

「おう。んじゃ、今日の晩飯はいっちょ豪勢にいくか。久しぶりにオレも作るぞ。たっぷりと“お兄ちゃんの味”を堪能させてやる」

「わ、やったね!楽しみー」

「お兄様とお料理…嬉しいです」

「よし、あたしも今日は本気出すよー」

「さあリュヒ、準備だ」

「うん。がんばる」


 焼刃やいば兄妹はこの町の顔。けれどそれは今だけかもしれない。彼らは一般人とは何もかもがかけ離れているから、誰にも縛り付ける事なんてできはしない。大きく自由な翼を持っていて、いつだって遠くへ飛び立てる。たまたま今は、その翼をこの町で休めているだけかもしれない。思い立ってしまったら、まるで最初からいなかったのかように、いつの間にかいなくなってしまっているかもしれない。兄には妹達が、妹達には兄がいれば、それが全てなのだから。だが願わくば、一日でも長くこの町にいてくれますように。


<了>

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