最終話 「ゴールテープはスタートライン」
<0>
その日、焼刃煌侍はご機嫌だった。
<1>
広い焼刃家のリビングが、今日はたくさんの人であふれ返っていた。家主である焼刃煌侍とその妹達の三姉妹、使用人のブリュンヒルデはもちろん、焼刃兄妹の両親である勘助と琳に祖母の鈴子がいる。幼なじみとして、鎌坂瑛時と秋橋璃矩、瑛時の姉である維那と、璃矩の妹である花衣ちゃんがいる。友人として、曽根崎紳佐と彼のバンド「ジャッジメント・デイ」のメンバー達がいる。かわいい妹分の森岡阿亜樹と、その親友である通称「タキナギ」こと神薙春と滝口舞流、そこにプラス、「会長」こと二毛山民がいる。煌侍の自称フィアンセである鳳鳴鈴とそのお付きの烏家五姉妹、さらには鳴鈴のライバル(?)のエリゼ・ユリ・セントクレアーまでなぜかいる。他にも親交の深い河合純香など、いわゆる「焼刃ファミリー」(中にはそこに含まれる事を由としない者もいるだろうが。大英帝国の日傘姫とか)が勢ぞろいしていた。
彼らは大いに食べ、飲み、笑い、歌い、踊り、心の底から楽しんでいた。
どうしてこんなにも盛り上がっているのかと言うと、何を隠そう、本日は三姉妹の誕生パーティだからである。
「ぜひとも町を上げてお祝いさせていただきたい」と言う、町のお偉いさん達からの算段の見え透いた誘いをあっさりと断わり、彼らは身内だけのパーティを催す事にしたのだ。――まあ、それも結局、なんだかんだで気付いてみれば、ご覧の通りの規模になってしまったわけだが。
本日の主役である三姉妹は、以前兄がタキナギとのデートから帰宅した時に驚かせようと着用したあのドレスに身を包み、至福の中で仲良く談笑している。全身全霊の「嬉しい」「楽しい」「幸せ」が放出されている彼女達の笑顔は、その美しさと愛らしさをさらに引き立たせ、周囲の皆をも笑顔にさせた。
(うんうん。やっぱウチの妹達は最高だな)
そんな光景を、少し離れた位置から優しく見つめる兄・煌侍。彼の頬はほんのりと紅潮していた。普段はほとんど酒を飲まない彼だが、「この日ばかりは」と、お気に入りのカクテルであるサイドカーのグラスをいいペースで空けていた。アルコールに強いわけでもないが、やはり今日という日の特別な空気がそうさせるのだろうか。
今回のパーティのコンセプトは「派手過ぎない事」でもあり、隠し芸大会だのなんだのの騒々しいイベントもなかったが(集まった面子は視覚的には大層派手だったが)、その分終始和やかに、つつがなくパーティは終了した。出席者の面々は退席時にもう一度口々に「おめでとう」と三姉妹それぞれに告げ、任意のグループで帰路へと着いた。
<2>
今この場にいるのは、ブリュンヒルデを除けば、焼刃家の面々のみ。阿亜樹や烏家五姉妹は「後片付けを手伝わせてください」と言ってくれたが、そこは主催者側としてやんわりと断わり、お引き取りいただいた。ブリュンヒルデはすぐにでも家事に取り掛かりたがっていたが、「もう少し余韻を楽しもう」という事になり、こうして家族水入らずでまったりとしている。
琳と鈴子は杯を酌み交わしつつ、年季の入ったガールズトークに花を咲かせ、三姉妹はいつものように兄にベッタリ。だがそんな中、ひとり勘助だけが浮かない顔をして、何やら深く考え込んでいた。
「どうしたんだよ親父?似合わねーぞ」
「あー、うん……そうだね」
煌侍の意地の悪いツッコミにも、妙に歯切れが悪い。
「?」
普段からややおかしい人間ではあるが、さすがにここまで様子がおかしいとなると、他の面々もいぶかしみ始めた。多量の視線を集めた勘助は、ばつが悪そうに居住まいを正す。
「――うん。決めた。今の煌ちゃん達になら、話しても大丈夫だろう」
何かを決心したらしく、重い口を開いた。
「……いいよね?」
琳と鈴子に訊ねる。
「わたしに訊く事じゃないだろうさ」
不肖の息子に、母は冷たかった。
「あたしはあんたと違って子供達を信頼して信用してるから」
妻はもっと冷たかった。
「え、え~とぉ……」
すっかり出鼻をくじかれた形になってしまった勘助。
「なんでもいいから言えよ。オレ達なら大抵の事にゃ驚きゃしねぇから」
告げられる側の息子は実に堂々としたものだ。母と祖母は頼もしげに、妹達は惚れ惚れとして彼を見て首肯した。
「じゃあ、話すよ。みんな、気をしっかり持ってね」
<3>
「嘘!嘘だよそんなの!冗談なんでしょ!?」
ひとり立ち上がり、金切り声を上げているのは絢華だった。
「……ごめん。残念だけど、嘘じゃないんだ」
そう返す勘助の表情は、鉛玉を飲み込んだかのように沈痛だ。
「そんなの、そんなのってないよ!あたしだけ何やってもダメだったのは、そのせいだったの!?あたし、この先どれだけがんばっても、魅霧ちゃんと暦ちゃんには追い付けないの!?せっかく最近、ちょっとずつだけど色々結果が出てきて自信がついてきて、自分の事が好きになれるようになったのに!」
絢華は、宇宙空間に放り出されたような感覚に陥っていた。地に足が着いておらず、暗く、寒く、どんなに声を張り上げてもどこにも届かない。精神状態を平静に保っている事なんて、とてもできない。頭がどうにかなってしまいそう。いや、もしかすると、もうとっくにどうにかなってしまっているのかもしれない。それほどまでに、告げられた“真実”は衝撃的だった。
「――え、お父さん、今、なんて言ったの?」
聞き逃したのではない。信じたくない事を言われてしまったので、それを否定して欲しいのだ。頭ではすでにちゃんと認識しているのに、心の最終防衛ラインが“それ”を頑なに拒否しているのだ。
「じゃあ、もう一度言うよ」
勘助は、何度でも言うつもりだった。彼が心を乱してはいけない。彼にはその資格がない。なぜなら彼は、妻や母とともに、「黙っていた」という大罪を背負っているのだから。それは決して許される事ではない。
「絢華ちゃんはね、三つ子の一番上のお姉ちゃんじゃなかったんだ。本当は当時僕が担当していた事件の関係者のお子さんでね、産んだ母親もすぐに亡くなり、身寄りが誰もいなかった。だから僕は、その時こう考えたんだ。『ウチの双子の娘と同じ日に同じ病院で産まれた女の子、これは何か運命的な物だろう』って。ウチの娘達に負けないぐらいかわいくて、天の導きか、骨格から何からそっくりだった。『この子を幸せにしてあげたい』って心から思った。だから君を、三つ子の長女として引き取った。ウチの双子の幸せにあやかって欲しくて、『あやか』って名付けた。これは完全に僕の独断だったんだけど、ゴリ押しして、最終的には琳ちゃんと母さんにも共犯になってもらったんだ」
いつかは話す事になるだろう、と用意していた言葉だったのだろう。勘助は淀みなく話した。それを聞く琳と鈴子は奥歯を噛み締めていた。
「ごめん。本当にごめん。これでもね、今まで何度も何度も切り出そうとしたんだよ?でもね、言えなかった。三つ子のお姉ちゃんとしてものすごく幸せそうな絢華ちゃんを見てたら、『この幸せを壊せるわけがない。僕にはそんな権利なんかない』って。けど、違った。黙ってるという事もまた、ものすごく辛い事だった。……いや、これも所詮は言い訳だね。全ては僕の弱さと甘さが招いた結果だ。ごめん。本当に、ごめん。何度謝ったって許される事じゃないけど、それでも……ごめん」
言い終わると、勘助は深々と頭を下げた。それは沈痛で、とても我が子に向ける態度ではなかった。
「やだ。やだよ、そんなの」
うわ言のように同じ台詞を繰り返し、絢華は頭を弱々しく左右に振った。それに合わせて細い赤いリボンも弱々しく左右に揺れた。今にも泣き出しそうな表情をしているのに、涙が流れてくれない。ショックがあまりにも大き過ぎて、身体機能に制限がかかってしまったのだろうか。
「――っ!」
それでも絢華は、獣が鎖を噛み千切るかのような勢いで身を翻し、部屋を出て行こうとした。
「待て」
そこに、これまでずっと沈黙を続けていた煌侍が声を発した。たったの二文字。なのにそれだけで、絢華の身体は石化されたかのように硬直して停止した。「兄さんの言葉は絶対」――細胞の一つ一つにまで染み込んだ誓いが、反射的に彼女を従わせたのだ。もう、兄と妹ではないというのに。
「どこへ行くつもりだ?」
煌侍の言葉の響きには、感情が欠落していた。
「だって、あたしもう、兄さんの、妹じゃないから!ここにはもう、いられないから!」
絢華は力を振り絞ってわめいた。そうして言葉にする事で、やっと涙が零れ落ちてくれた。熱くない、冷たい涙が。
「おまえが妹であろうとなかろうと、この家からおまえの居場所がなくなったりはしない」
押し出すように、煌侍は言った。絢華に言い聞かせるように。しかし、高く堅牢な壁を作ってしまった彼女の心には届かない。生まれて初めて、兄の言葉を否定する。
「嘘よ!そんなの嘘!もう変わっちゃったんだよ、何もかも!二度と戻れない!」
何もかもを振り払おうとするかのように、絢華は髪を振り乱す。取り付く島がない。
「じゃあ、逃げてみろ」
「……えっ?」
思いもよらない煌侍の言葉に、完全に虚を衝かれた絢華。引きとめられこそすれ、まさかそんな事を言われるとは思ってもみなかった。
「逃げられるもんならな。おまえがどんな手段を使ってどこへ行こうと、オレ達はあっという間におまえを探し出して連れ戻す。絶対に逃げ切れん」
まるで悪役の言うような台詞だ。絢華が恐る恐る煌侍の表情を窺ってみると、その顔は笑っていた。否、嗤っていた。薄く、冷たく、歪んだ笑み。彼女にはそう見えた。
「ひっ!」
絢華は小さく息を飲み、後ずさった。その時左足のかかとが家具に触れ、大きく音を立てた。それをきっかけとし、彼女は脱兎のごとく玄関へと走り去った。どこへ行くかなんて決めてはいないが、とにかくここから離れたかったのだろう。もつれるような足音が遠ざかって行った後、玄関の扉が乱暴に閉じられる音が一際大きく響き、焼刃家内は途端に静けさに包まれた。
後悔の念にさいなまれた勘助達親を尻目に、煌侍はゆっくりと紅茶を飲み干すと、二人の妹とブリュンヒルデとともに立ち上がった。
「さて、お姫様を連れ戻しに行くか」
<4>
絢華は走った。とにかく走った。目的の場所など何もない。家から遠ざかれば現実から現実から逃げられる、そんなはずがない事は分かっているのに、それでもそうせざるをえなかった。大粒の涙を撒き散らし、嗚咽を漏らしながら、一心不乱に走り続けた。
「ここは……」
走り疲れた絢華が足を止めたのは、見知った場所だった。兄と、妹二人との思い出の場所。兄と妹だった三人との思い出の場所。無我夢中で走っただけのはずなのに、やはり思い出に呼び寄せられてしまったのか。今の彼女には、それが呪いのように感じられた。
「よっ、遅かったな」
「!」
そしてそこで、絢華はありえない、だが見覚えのあり過ぎる人物達の姿を目にした。誰あろう、焼刃煌侍とその妹である魅霧と暦、家政婦のブリュンヒルデ・タリエルだ。
「どうして……」
呆然として、疑問が口からこぼれる。
「言っとくが、発信機なんか付けてねえからな」
冗談を言ったつもりなのかどうか絢華には分からず、ただ怖くなって、またしても全力で彼らとは反対方向へと走り出した。
「おう、逃げろ逃げろ。ま、どこへ行こうが無駄だけどな」
背中に届いた彼の声、少し前までならば好きで好きでたまらなかったその声の響きは、今の彼女には銃を持って獲物を追い詰めるハンターの死刑宣告にしか聞こえなかった。
それからというもの――
「また!」
どんな手段を使っても――
「嫌っ!」
どこへ行っても――
「そんなっ……!」
その先々に彼らが待ち構えていた。
(もう……ダメ……)
疲労が限界に達した絢華は、とうとう膝を屈して地面へとへたり込んだ。
「どうしてっ!」
きつく歯噛みする。
「『どうして』?つまんねえ事訊いてんじゃねえよ。オレ達はもう、骨の髄まで家族なんだ。離れられるわけねえだろ」
「――あ……」
煌侍のその言葉で絢華は理解した。彼の言葉に寸分の違いもない事に。大体どうだ、これまで自分が逃げ回って来た場所全てが、兄妹と何らかの思い出が残る場所ばかりではないか。
「ねえさん」
魅霧と暦が絢華を呼ぶ。
「嫌!もうそんな呼び方しないで!」
絢華は両手で耳を塞ぎ、大粒の涙を飛ばしながら頭を激しく左右に振る。
あんなに「姉さん」と呼ばれる事が嬉しくてたまらなかったのに。そう呼ばれる度に、「あたしはこんなにもすごい二人のお姉さんなんだ」と誇りに思えていたのに。今ではそれが、「義理」の「義」が頭に付いた「義姉さん」としか聞こえなくなってしまった。
「ねえ、なんで逃げるの?」
暦が「全く理解できない」という表情と声質で訊ねる。彼女が心の底からそう思っている事が絢華には分かった。
「『なんで』って!あたし、お姉ちゃんじゃなくなっちゃったんだよ!他人になっちゃったんだよ!」
絢華は叫ぶ。「どうして分かってくれないの」、と。
「『他人になったから、もう家族にはなれない』、そう考えているんですか?」
魅霧の冷静な声と話し方が気に障る。あんなに、好きだったのに。
「そうだよ!当たり前じゃない!」
半狂乱。三半規管が乱れ、足元がおぼつかない。
「――うらやましい」
「……え?」
魅霧と暦が同時に発したつぶやきに、絢華は耳を疑った。「うらやましい」と、本当に彼女達はそう言ったのか?
「何よそれ!なんで、どこが『うらやましい』のよ!?そんな事言うの、ひどいよ!」
絢華には、二人の真意が理解できない。言葉を聞く度に、発する度に傷付く。
<5>
「絢華、これを憶えてるな?」
煌侍がポケットから紙を取り出した。
「あ、それ……」
涙を止め、呆けたような表情で、絢華はそれを吸い寄せられるように見つめる。
「婚姻届…」
「そうだ。“他人”になった今、おまえはこれを現実にできる権利を手に入れたんだ」
その婚姻届は、煌侍と三姉妹が以前戯れにそれぞれの名前を記入した物。戯れ、だが、そこには実現できない夢に対する強烈なまでの羨望と憎しみが込められていた。笑顔の裏に隠した激しい想い。兄妹である事が嬉しい。けれど、どうして兄妹だったのか。
「そして、姉さんは『ねえさん』のままよ」
優しい魅霧の微笑み。今の絢華には気付けないが、それは諦めと妬みと悔しさが入り混じった精一杯の微笑み。
「あたし達との関係はそのままで、にいさんの『お嫁さん』になれる。これのどこがうらやましくないってのよ。代わって欲しいよ」
両手を頭の後ろで組み、暦が口を尖らせる。三女は感情を隠さない。
「絢華」
「っ!」
煌侍に呼ばれた絢華の身体が跳ねる。いつも呼ばれていたその響きが、これまでとはまるで違って聞こえた。
「もうこれ以上、オレに我慢させるな」
そう言って彼は、二枚の紙を千切る。それは、魅霧と暦との婚姻届だった。紙吹雪が、突風にあおられて宙を舞う。さながら、夢の残滓。
「煌侍……さんっ!」
絢華は、煌侍の胸に飛び込んだ。両目にいっぱいの涙を溜めて、初めての呼び方で彼を呼んだ。彼女の胸は、気恥しさよりも、爆発的な幸福感に満ち溢れていた。
「ねえさんっ」
「ねえさん!」
そこに魅霧と暦も飛び込んだ。
なんて事はない。いつもの三姉妹の光景がそこにあった。
「ね。ほら、いつもと同じでしょ?」
「いつまでも、ずっと、いっしょだからね」
「うんっ!!」
<6>
「これがAルートな。魅霧がそうだった場合がBルート。暦がそうだった場合がCルート。さらに三人の内二人がそうだった場合プラス、『実は三人とも義理の妹でした~っ!』ってな大どんでん返しのケースまで網羅すると、実に七つものルートがあるわけだ」
酔いのためか、はたまた興奮のためか、あるいはその両方か、頬を上気させた煌侍が、対面に座る父・勘助に一方的に長年温めてきた自らの妄想をまくし立てていた。今の彼は、まさにご機嫌だった。
「どのルートも捨てがたいが、やっぱ最高なのは三人とものハーレムルートだな。あ、でもそれじゃあ今とほとんど変わらんねぇか!」
「HAHAHA!」と妙にアメリカナイズされた高笑いを上げる煌侍。彼のボルテージは最高潮レベルまで来ていた。
「おいおい親父~、なーにさっきからずーっと黙ってんだよー?オレがせっかくこんだけのハッピーストーリーを披露してんだからよ、なんかリアクションしろよー」
途端に煌侍は不満顔になる。まるで子供みたいだが、確かにこれでは拍子抜けだ。
「母さんも婆ちゃんも、なあ?」
同意を求めて周囲を見回す。だが、その二人も父と同様だった。
「え、何?なんだよ、なんかリアクション返してくれねぇと、『まさか本当にそうなんじゃねえか?』とか、都合のいい勘違いしちまうじゃねえかよ」
……それでも、この期に及んで打っても響かず。さすがの焼刃煌侍も徐々に焦りだす。
「おいおい、誰か何か言ってくれってマジで!なあって!」
――もしかして、もしかして。さてさて……。
<完>




