第21話 「ジャッジメントデイ」
<1>
「――もう朝、ですか」
けたたましいアラームの音で、曽根崎紳佐は目を覚ました。まつ毛の長い両のまぶたをしばたかせてこじ開け、あくびで取り込んだ酸素を送り込んで起こす。そして、そのままの姿勢で腕だけを伸ばして目覚まし時計を止めようとするのだが、どうにも自由に動かない。しかも両腕とも。それもそのはず、今朝も今朝とて、左右からガッチリとロックされていた。
(困ったものです)
紳佐はにこやかに苦笑した。彼の頭の中はすっかりクリアになっている。あとはこの大層魅力的な温もりと弾力を振り払い、腕を引き抜くだけだ。でもそうする前に、一応一言かけてみる。
「光晴、メイ、朝ですよ、起きてください」
何やら母親にでもなった気分で言ってみたが、まるで効果なし。こうなったら、やはり強攻策しか残されていないようだ。
「仕方ないです……ね!っと」
万歳の要領で一気に両腕を引き抜く。シーツから飛び出た上半身は裸なので、少々肌寒い。紳佐はようやく目覚ましを止めると、枕元に置いてあったリモコンを使ってエアコンを作動させた。
「二人とも、起きてください。でないとまた慌てなくてはいけなくなりますよ?」
もう一度声をかけてみる。
「うーん……あと五ヘクトパスカル……」
「どんな寝言ですかそれは」
身を縮めてシーツに包まるメイにツッコむ。
「光晴、光晴」
メイを起こすのを後回しにし、光晴のむき出しの肩を叩く。
「むふふふふ……もう食べさせられないよ……」
「こちらはこちらでなんとも不穏な……」
溜め息を吐く紳佐。「一番寝るのが遅い自分が、一番早く起きるのはどうなんだろう」と疑問に思いつつも、このままでは埒が明かないので、自分だけでも先に着替える事にする。根っからの夜更かし好きなのに、妙に寝起きがいい体質である。どうやらあまり長時間の睡眠は必要ではないようだ。この事を一番の友人である焼刃煌侍に言うと、「オレと替わりやがれ」と大いに憤慨されたものだ。
そんな事を思い出しながら身支度を整えていると、起床から十五分が経過していた。そろそろタイムリミットが近付きつつある。こうなったら最後の手段に出るしかない。
「さあ、いい加減起きてください。限界ですよっ」
シーツを思いっきり引っぺがす。すると、ショーツ一枚の二人の、それはそれは刺激的な姿が現れた。
「……」
注意しようと思った紳佐だったが、その“原因”の一端が自分にもある事を思い出して口を閉ざした。
「さむーいー」
「まぶしーいー」
未だ眠気を引きずりながら、身を寄せ合う光晴とメイ。これでまたさらに刺激度はアップしたが、今はその時ではない。まるで姉妹のように似たリアクションの二人の上半身を強引に起こす。なるべく色々見ないようにして。
「おはよ、紳佐」
「おあーおー」
「はい、おはようございます。大体の仕度はやっておきましたから、シャワーを浴びるなりお早目に」
「りょかーい」
「さんくすでーす」
同じような大あくびの尾を引きつつ、紳佐の両頬に小さなおはようのキスを残し、光晴とメイはバスルームへと消えた。
「やれやれ、ですね」
照れ隠しに一言発すると、寝乱れたシーツなどを回収し、洗濯機まで持って行って放り込む。隣のバスルームからは、二人のかしましい声がする。普段最悪にして最凶に寝起きの悪い男を目にしているので、その点に関して随分と寛容になった、と紳佐は思った。
「改めて、おっはよ」
「はよっすー」
完全に覚醒し、きちんと身なりを整えた光晴とメイが現れた。先ほどまでとは別人のようだ。
「もうあまり時間がありませんからね。今朝は僕が用意しました」
いそいそとキッチンのカウンターテーブルに皿を並べていく紳佐。その姿はかなり手馴れている。
「ごめーん紳さん、今朝はあたしの当番だったのに」
メイが右目を閉じつつ両手を顔の前で合わせて謝る。
「構いませんよ。昨夜は、その……大変でしたし」
「……(照れ)」
「たはー」
妙にくすぐったい空気が流れる。
「さ、いつまでもこうしてても仕方ありませんし、いただきましょう」
「そ、そうね」
「わ、わーい、ハムエッグだー」
「今日は三人ともバイトなのよねぇ」
光晴が箸で空中にくるくると輪を描きながら言う。頭の中で今日一日のスケジュールを立てているようだ。
「あたしはいつも通りでーす」
メイがトーストを千切りながら言う。
「僕はどうせ夜からなので、後片付け諸々やっておきます。今日は大学の講義もありませんし」
「じゃ、悪いけどお願いね」
「でも今日は大事な用があるんでしょ?」
光晴がメイに「言わないようにしてたのに」と咎めるような視線を送ったが、メイは涼しい顔をしている。代わりに表情を曇らせたのは紳佐だった。
「……行きたくありません…」
「嫌な事ほど早く終わらせた方がいーじゃん」
「それは…そうだけどね」
達観したようなメイの言動に、光晴が毒気を抜かれてしまう。そのやり取りを見ていて、紳佐も腹をくくった。
「分かりました。今日で何もかも決着させてきますので、明日あたり豪勢にいきましょう」
「いいわね」
「やったぁ!」
紳佐は長らく疎遠だった父親から昨夜電話で呼び出され、本日会う事になっているのだった。そのせいで昨夜から情緒不安定だったのだが、ここに来てようやく肝を据えた。
<2>
光晴とメイを送り出し、洗い物をするために台所に立った紳佐。189センチの長身に腰まである銀髪を垂らし、愛らしいエプロンを着用した姿はかなりシュール。誰も見ていないので気にしないが。
本来家事を最も得意としているのはメイなのだが、大学生にしてバイトは夜という身分上、紳佐が家事を行なう事も多い。自立してから長く、家事が苦にならない性質の彼は、その持ち前の器用さも手伝い、“主夫スキル”が結構高い。もうとっくに一時期の煌侍のレベルを追い抜いているだろう。
光晴のアルバイトはペットショップの店員で、スタッフの中でもう古株になるという。表に出て接客するよりは裏での仕事が多く、トリマーなどの資格も持っている。なんでも小さい頃からの憧れの職業だったそうで、ミュージシャンとともに天職といって良い。店長をはじめ色々な人達から様々な勧誘を受けているみたいだが、彼女はジャッジメントデイとしての成功を一番強く望んでいる。
メイのアルバイトはセレクトショップの店員で、彼女が高校生の頃から続けている。まだ始めてからあまり長くはないが肌に合っているようで、全従業員の中で断トツの売り上げを誇っている。コミュニケーション能力が卓越している事もあるが、何より彼女自身のセンスの良さが評判を呼び、知る人ぞ知る「カリスマ店員」として、ちょっとした地元の有名人となっている。こちらはこちらで、ショップのオーナーからは「いずれ店を任せたい」と日々口説かれているらしいが、本人には全くその気がない。彼女の夢はあくまで、ジャッジメントデイで成功する事である。
一方、ずっと音楽漬けの人生を歩んできた紳佐のアルバイトは、洒落たバーでのピアニスト兼バーテンである。バンドではヴォーカリスト兼ギタリストだが、子供の頃に習っていたのでピアノもお手の物。常のレザーファッションとは大きく趣を変えてタキシードに身を包み、長い銀髪を後ろで一つに束ねて鍵盤に向かう姿は浮世離れしており、女性の固定ファンを多数獲得している。言い寄ってくるセレブなお姉様方を巧みに笑顔でかわしつつ、店の目玉として夜な夜な旋律を紡ぎだしている。
思い起こせば、この三人での同居生活はおよそ二年になる。当時十六歳のメイ、十八歳の紳佐、二十歳だった光晴の三人がライブハウスで出会い、今に至るまでは本当に色々な事があった。
それはインディーズバンドが一堂に会するイベントで、その時は三人ともそれぞれ別のバンドに所属していた。紳佐はコテコテのヴィジュアル系バンドでギターを、光晴は男女混合ロックバンドでギターを、メイはガールズパンクバンドでヴォーカルを担当していた。各々地元のインディーズバンドとしてはそこそこ有名で、お互いに顔と名前とプレイスタイルぐらいは知っていたが、会話らしい会話はした事がなかった。イベント前夜の決起パーティでの立食バイキングでたまたま同じタイミングで同じ料理を取りに来て、「これも何かの縁」と同席する事になった。話のきっかけは確かメイの発言だった。
「あたし、歌うのも好きだけど、楽器やりたいんですよねー」
どうやら見栄えのする彼女をフロントに置いておきたい、という戦略らしかった。あっけらかんとした彼女のカミングアウトに、紳佐と光晴もすぐに打ち解け、「実は自分もこんな悩みが」と暴露大会となった。紳佐は「ヴィジュアルではなく曲と演奏で勝負したい」と胸の内を明かし、光晴はバンド内の人間関係で(特に恋愛関係)ウンザリしているとこぼした。
その時は「お互い大変ですね」程度の話ぐらいで終わったのだが、後日三人は同じライブハウスでばったりと顔を合わせた。「バンドメンバー募集」掲示板の前で。
なんでもあのイベントの後、それぞれ似たタイミングで、いわゆる「音楽性の違い」で脱退したのだと言う。「これまた奇縁」と三人は苦笑し、「どうせだったらこの三人で何か面白い事やってみますか」的なノリで意気投合した。これがジャッジメントデイの原点である。
そうしていく内に公私ともに親しくなった三人は、ほどなくして同居生活を開始する事になる。主な理由としては、もっとずっと一緒にいたくなったし、三人とも親との折り合いが悪く少しでも早く実家を出て行きたかったし、経済面でもその方が何かと都合が良く、曲作りなどの共通作業の時間が取れるのも大きかった。要するに、何かと良い事づくめだったのである。
世間からすれば、男一人と女二人の同居生活とは好奇の目で見られがちだろう。実際それはそれはただれた昼ドラ的な愛憎劇が――全然なかった。「なんだ、面白くない」と言われても、そんな勝手なリクエストに応えてやる必要は全くない。人間関係に疲れていた三人がせっかく幸運にも手に入れたとても心地良い場所、易々と手放すつもりは毛頭なかった。
お互いを尊重し、主張すべき所は主張する。そして極力、胸の内に溜め込まない。とにかく失いたくなかった。これが二人だったら、崩壊していた可能性はあった。三人が三人ともバラバラの意見になる事はまずなかったので、二人の間に何かあった時、残る一人が中立に近い立場を取り、納得するまで話し合う。なるべく二対一の状況を作り出さないのがコツだ。彼はそうやって段々と三人の絆を強固で太い物にしてきた。
「どっちを選ぶの!?」的なシチュエーションになった事もない。いずれはそういった場面が発生してしまうのだろうか、と言う不安は正直ずっとあった。が、彼らの近くに焼刃煌侍という三人の妹を同時に愛する男がいたため、争う事の不毛さよりも、みんなで幸せになる道を探して進む事ができた。
「周りの目なんか気にする意味が分かんねぇ」と煌侍は言う。「一人の女しか幸せにできねえ男なんざ底が知れてるぜ。小せぇ小せぇ」と豪語。彼の器は規格外なのであまり参考にならなさそうだが、「目からウロコ」であった。
光晴は紳佐を愛しているが、メイの事も大好き。メイも紳佐を愛しているが、光晴の事も大好き。どちらかが紳佐といちゃついていても、決して嫉妬しない。タイミングがバッティングした時は、いっその事二人同時にハッスルしてしまおう。ストレスを溜めない事が長続きの秘訣なのだ。三人はこの生活を非常に気に入ってるし、大切にしている。何が何でも守り通したい聖域だ。
<3>
スタニーとフランシスカのデビアス姉妹の加入は、そんなに昔の事ではない。紳佐達はなんとか三人でもバンドは続けていけそうだったが、自分達の目指すパフォーマンスを実現するためには、ぜひともドラムスとキーボードが欲しかった。各自色々とライブハウスや楽器店などのツテを当たってみたが、なかなか即決するような人材には出会えなかった。ならば、と公式サイトを立ち上げ、楽曲視聴などのコンテンツと合わせてインターネット上でメンバー募集をかけてみたところ、なんとアメリカから姉妹での応募があった。それが彼女達二人だった。
採用を決めたのはもちろん実力があったからだが、何よりその人柄が決め手だった。デビアス姉妹は気さくで明るく、紳佐達三人の関係にも理解があり、「絶対に邪魔しない」と言ってくれた。後に聞いた話では、彼女達も親とあまり上手くいっていないという。父親はかなり勢いのある実業家で、「会社に戻って来い」と事あるごとに言われてゲンナリしているとか。そういった根底の部分での共感もあり、ここに異色のバンド、ジャッジメントデイが結成されたのである。
現在のジャッジメントデイのポジションは、「インディーズの実力派」と言った感じだろうか。新作を発表すれば毎回チャート上位に入り、ロングセラーを記録する。数社からコンスタントに「ウチからメジャーデビューしないか?」と言う誘いも来ているのだが、どこにするか、タイミングはいつが良いのか、等々の迷いがあって、決めかねているのが実情だ。楽曲的にもやや頭打ち気味で、ここのところ新しい刺激に飢えている。前述したようなデビアス姉妹の多忙もあり、なかなかフルメンバーでの練習もできず、細かいフラストレーションが溜まりつつある。
こうしていざ現在位置を再確認してみると、あまり望ましい状況ではない気がする。懸念はまだ小さな芽の内に摘み取っておきたい。焦りがつのる。このままではいずれ私生活にも悪影響が出かねないのではないか。
――そんな悶々とし始めた矢先にやって来たのが、父からの突然の呼び出しだった。
「はあ……行くしかありませんね」
現在時刻は午前十時を少し回ったところ。父親との面会予定時刻は午前十一時、もうそろそろ出発した方がいい。実はすっかり準備は整い終えていた。とは言っても、普段通りのスタイルで荷物もない。会いたくない相手からの一方的な呼び出しに、自分を曲げる必要はない。ではなぜ会いたくないのかと言うと、純粋に人間として嫌いだからだ。
「案ずるより生むが易し、だといいですね」
両目を閉じて溜め息を吐き、踏ん切りをつけるために両膝を勢い良く叩いてソファから立ち上がる。
「行ってきます」
誰もいない部屋に向かって言い残すと、扉を閉めて鍵をかけた。錠の落ちる音がいつもよりもずっと大きく聞こえた気がした。
<4>
電車に揺られる事約三十分、中心地よりやや離れた郊外の駅で紳佐は下車した。やけに大きく広く、綺麗なホームだ。伝え聞いたところによると、なんでも裕福な家庭が集まる土地柄らしい。
(もう見える…)
心の中で軽く嘆息する。巨大な白い建物は、嫌でも目に飛び込んでくる。
「そねざきクリニック」
それが目指す場所だ。迷いようがない。すでに駅の構内から「これでもか」と案内板や看板が設置され、誘導してくれている。紳佐はなるべくそれらを見ないようにして足早に歩く。
所要時間は十分もかからなかった。広大な駐車場や手入れの行き届いた庭園の脇を通り、二重の自動ドアを抜け、正面の受付へと歩を進める。エントランスホールは吹き抜けになっていて、やたらと天井が高い。視界一面が白一色で、長く見続けていると目が疲れてきそうだ。
彼の行く道すがら、周囲がざわつく。紳佐の出で立ちがあまりにも場違いで浮いてしまっているからだ。腰まである銀髪、全身を覆うレザーファッションに散りばめられたシルバーアクセサリーの数々、どこをどう見ても診察に来た者の格好ではない。リアクションは受付嬢も同じだった。
「本日午前十一時に“院長”とアポイントメントを取っている者ですが」
「あの…大変失礼ですが、お名前とご所属を…」
「曽根崎紳佐と申します。戸籍上は息子と言う事になっていますね」
努めて平坦な声を出す。
言われた女性はまず「えっ!」と驚き、素早く視線を上下させ、「この人が院長の…」と言いたげな好奇の目で品定めをしてきた。紳佐が露骨に迷惑そうな表情をしてみせると、「失礼しました!」と慌てて内線電話の受話器を取り上げた。
「院長がお会いになるそうです。院長室へどうぞ」
「お手数をおかけしました」
当たり前だ。向こうから一方的に呼び出しておいて、「やっぱり会わない」なんて言われてたまるか。だいたい身内に対して丁寧語を使うな。
車椅子なども乗るためだろうか、通常のマンションなどのそれの四倍ほどもあるエレベータに乗り込み、最上階に止まるボタンを押す。大型機械が作動する独特の音がして、鉄の箱が重力に逆らって上昇し始めた。やや息苦しさを感じる。
やがて電子レンジの加熱終了通知音のような高い音がして、目的の階へと到着した事を知らされた。いよいよだ。
やけに靴音が反響する長い廊下を抜け、「院長室」と書かれたプレートが付けられた扉の前に立つ。脳裏に光晴とメイを思い浮かべて深呼吸を一つした後、意を決してインターホンのスイッチを押した。
<5>
「入れ」
返事はすぐに返ってきた。「待ち構えていた」と言っても良いタイミングだった。そこには何の感情も込められておらず、「必要最低限の会話しかするつもりはない」という意思が伝わってきて、紳佐は早くもウンザリした。
「失礼します」
対する紳佐も一切の感情を殺し、ドアノブを回して重厚なドアを押して中へと入った。
(なんて趣味の悪い)
それが第一印象だった。いかにも「ザ・成金」と言わんばかりの調度品が、これ見よがしに置かれている。
「座れ」
第二声も第一声と大差なかった。紳佐は内心苦笑し、高級過ぎて逆に座り心地の悪い牛革のソファに腰を下ろした。父は相変わらず動こうとしない。歩み寄って来るつもりは毛頭ないらしい。
沈黙が続く。紳佐から口を開く気はない。彼としては、今さら話す事など何もない。
横目でチラリと父の顔を盗み見る。会ったのは二年ぶりぐらいだろうか。別段以前と変わったようには見えないが、頭髪と口ひげに白い物が目立ち始めたようだ。
父は紳佐が「用件は何ですか?」と訊ねてくるのを待っているようだった。マホガニーのデスクに突かれた両の肘で表情を隠している。薄茶色のレンズの眼鏡の奥の瞳が、時折息子の姿を捉えては逸らされる。意地でも「最近どうなんだ」などと言う日常会話から入るつもりはないようだ。
「単刀直入に言う。今からでも医学部のある大学に入って、将来私の跡を継げ」
「……は?」
これには正直紳佐も心底驚かされた。数々のパターンをシミュレートして来たが、こんな展開は全く予想していなかった。
「何を今さら。もう五年以上も前に断ったはずです。その時あなたは僕の相続権を剥奪して、『親子の縁を切る』と言ったと鮮明に記憶していますが」
紳佐は一笑に付した。
「事情が変わったのだ」
明らかに父はイライラし始めている。ちなみに院内は禁煙だ。
「継がいるでしょう」
いつ以来か口にしていなかったのか定かではない、弟の名前を出す。父はあの時紳佐を勘当したと同時に、弟である継に全てを継がせると決めた。
「あいつは……ダメだ。すでに二浪している。才能がない。一流なのは金の無心だけだ」
吐き捨てるように言う。「苦虫を噛み潰したような表情」とは、こういうのを指すのだろう。
「それはそれは、大変ですねぇ」
まるっきり他人事口調の紳佐。「おまえとは親でも子でもない」と宣告した手前、父はツッコめない。ただ握り締めた拳を震わせるだけだ。
「だから、おまえが跡を継げ!」
拳を机に叩き付ける。さぞや苦渋の決断だったのだろう。
「なんですか、その『もう一度チャンスをくれてやる』みたいな言い種は。僕の答えはあの時と全く同じです。継がダメなら、お抱えの若手医師とか他にいくらでもいるでしょうに」
「どいつもこいつも一緒だ、利権にしか興味がない奴らばかりだ!」
「そうやってここまで大きくなった病院でしょう?薫陶が行き届いて結構な事じゃないですか」
「ぐっ……」
父は歯噛みする。しかし、やり込めてやったからと言って、紳佐の中には何の達成感も爽快感も湧いてこなかった。「ああ、もう自分はこの人に対して、何の興味もなくなっているんだなあ」と実感した。この人は何も変わっていなかった。
「おまえには才能があった。いつまでもくだらない音楽なんぞをやってないで、今から遅くはない、医者になれ!つてならいくらでもある!」
「『他人にくれてやるぐらいなら』、ですか。見え透いていますね。残念ながら僕はあなたの傀儡になる気は全くありませんよ。それに、『くだらない音楽』はNGワードでした」
冷徹に紳佐は立ち上がる。
「どこへ行く!まだ話は終わっておらんぞ!」
「いいえ、完膚なきまでに終わりましたよ。今度こそ、もう二度と会う事はないでしょう」
背を向ける。もう顔も見たくない。
「メジャーデビューもできないくせに偉そうに!」
「『できない』のではなく、『しない』んですよ」
「もういい!おまえを呼び戻そうなどと気の迷いを起こした私が愚かだった!今度こそ絶縁だ!出て行け!」
「言われなくとも」
振り返る事なく、扉の向こうへと身体を押し出す。本音を言うなら蹴破ってやりたいぐらいだったが、すっかり気力が萎えてしまっていた。
ゴツン、と閉めたばかりの扉に何か硬くて重たい物が当たった音がした。恐らくあの人が何かを投げ付けたのだろう。ほとほと愛想が尽きた今の冷え切った紳佐の心には、そんな事では何も響きはしない。
<6>
「ひっ!」
紳佐の代わりに驚いた人物がいた。
「…継、ですか?」
「う、うん」
軽くはないショックを受けた。弟の雰囲気が、最後に見た時とはまるで違ってしまっていたからだ。それも、悪い方に。
極端に猫背なのにさらに卑屈に身を屈め、血色が悪く生白く、生気が感じられない。目の光は濁っていて力がなく、しきりに爪を噛んでいる。中の様子を盗み聞きしようとしたのがバレたと思っているのか、明らかに挙動不審である。
「に、にいちゃんは、父さんの、跡を、継ぐの?」
久々に兄弟が再会したというのに、興味はそこか。よくもまあ、似た者親子ではないか。紳佐は脱力感と落胆を同時に覚えた。
「継ぎませんよ。それどころか、もう二度とここに来る事もありませんので安心してください」
「ほ、本当に本当?」
「ええ」
紳佐の返答に、継は暗い喜色を浮かべる。呼び方は昔と同じでも、中身はもう完全に別人だ。自分が家を出た事によって継がプレッシャーを一身に受けた結果、彼の性格が悪い方向に変貌してしまったのだとしたら負い目を感じるところだったが、完全に杞憂だったようだ。紳佐は複雑な安堵感を得た。
「や、『やっぱり気が変わった』とか、なしだからね?」
「絶対にありません」
「へ、へへ、やった……。全部、ボクの物だ」
そろそろ見るに耐えなくなってきた。長年のしがらみから解放された喜びを全身で感じたいのだが、のしかかる疲労感がそれに勝ってしまっている。一刻も早くここから立ち去りたい。
「それでは僕はもう行きます。継、元気でがんばってください」
そう言ってきびすを返す。まぎれもなく本心からの言葉だった。
「に、にいちゃんはいいよな、自由で。良い所に女二人と住んでるんだろ?いいよな」
紳佐の歩みが止まる。
「継」
「な、なんだよ」
「僕は十四の時に家を出て、それから実家からの援助を一切受けずにここまでやってきました。君も本当に今が嫌なら、自分を通せばいいんです」
「で、できるわけないだろ、そんなの!父さんのコネ使ったって上手く行かないのにっ。なんだよ、自分がたまたまそうなったからって!ボ、ボクだって運さえあったら、いつかその内、本気出せば…」
継はどこを見ているのか分からない目をして、自分の世界に閉じこもってしまった。見えない敵と戦っているかのように、ブツブツと呪詛のようにしゃべり続けている。
もうこれ以上、何もかけるべき言葉はない。どうせ届きはしない。自我を殺し、温室から出ようとしなかった彼は、コンプレックスの塊に成り果てたのだ。
やって来たエレベータに素早く乗り込んだ紳佐は、完全に扉が閉まったところで、大きく息を吐いた。ひどく疲れた。父との関係は完全に終わらせるつもりで来たが、まさか弟があんな風になっているとは思わなかった。存在感のなさ過ぎる母は父の言いなりだし、これで曽根崎家との縁は切れたに等しい。ずっとこうなる事を望んできたにもかかわらず、いざそうなってみると一抹の寂寥感を覚えてしまうのはどうしてだろう。
(自分で考えていたほど割り切れていなかった、と言う事ですか……)
エレベータの壁に後頭部を預け、自嘲する。まさかこんな喪失感にも似た感情すら湧き上がってとは。
きつく目を閉じると、まぶたの裏に真っ先に光晴とメイが浮かんできた。今すぐ二人を抱き締めたい衝動に駆られるが、彼女達はバイトの真っ最中だ。職場に押しかけてそうするわけにもいかない。軽く溜め息を吐き、もう一度両目を閉じた。
やがて紳佐を乗せたエレベータが一階へと到着し、彼を吐き出した。一刻も早くこの建物から出たい。周囲の空気がひどくよどんでいるような錯覚に陥る。大股に入り口玄関を目指す。
――妙に騒がしい。ナースや女医をはじめ、女性患者や受付嬢までもが自動ドア付近に固まり、顔を見合わせてはキャーキャーと叫び、また外を見ては黄色い声を上げる。静謐を旨とすべき病院内でどうした事だ。それほどまでの事が外にあると言うのか。
「すいません、外に出ますので道を開けてください」
さながらバーゲン会場の様相を呈しているエントランスホールをなんとか通り抜けた紳佐は、外に出て第一歩目でその原因を発見した。“それ”は誰かを待っている様子で、背を門にもたれかけさせて立っていた。
「よっ、オレに会いたかっただろ?」
<7>
「煌侍、君でしたか」
紳佐は若干の苦笑とともに、ようやく安堵する事ができた。凍り付いていた全身の血管に温かい血が流れ始めたような感覚を覚え、不覚にもほんの少し目頭が熱くなった。
「光晴とメイでしょう?すみません、君は講義があったのに」
「知らねぇな」
煌侍はそう言って鼻先で笑い、はぐらかして背を向けた。いつもより彼の背中が大きく見えた。
「車待たせてっからよ。行こうぜ」
「世話をかけます」
「つまんねぇ事言うな。やりたくねぇ事はオレはやんねぇ」
そねざきクリニックを出て少し離れた所にある広いパーキングに、焼刃家の自家用車が停めてあった。いつ見ても冗談のように長い車体で、明らかに周囲の風景から浮いている。そしてその前には、忠犬のように主人の帰りを待つ白いスーツ姿の少女がいた。「焼刃家のオールインタイプハウスキーパー」ことブリュンヒルデ・タリエルである。
「悪いリュヒ、待たせたな」
「んーん」
ふるふると首を左右に動かすブリュンヒルデ。煌侍に髪を撫でられて目を細める表情は子犬そのものだ。もしも彼女に尻尾が生えていたなら、千切れんばかりに振られていた事だろう。
「リュヒちゃん、お久しぶりです」
「タイギデアッタ」
紳佐の会釈に対し、相変わらず時代錯誤なあいさつを返すブリュンヒルデ。微笑ましいので良し。
「そんなのはその辺でいいから、まぁ乗れよ。どっかでメシでも食おうぜ」
「そうですね。早く日常生活に復帰したいです」
かくして三人は車中の人となった。
焼刃カーの内部は、運転席(左ハンドル)と助手席は一般的な車と同じ造りだが、後部座席はロケバスのように「コ」の字型に座席が設置されている。各種設備も充実しており、さながらサロンのようにくつろげるようになっている。
「オレ一人で来ようかとも思ったんだがな」
車中で最初に口を開いたのは煌侍だった。
「オレじゃ運転できねぇし。リラックスできた方が良いだろ?」
「ええ、助かります」
正直電車で帰る気がしなかった紳佐は、心からの礼を述べた。この中は非常に快適な上、煌侍と気兼ねなく話せるのが大きい。たとえブリュンヒルデに聞かれたとしても、彼女なら口外する心配もないし、口を挟んでくる事もない。
「煌侍」
「ん?」
「君は僕よりもずっと前に、こんな気分を味わっていたんですね」
「おまえんところの方がはるかに大変だろ。ウチは結果的にいい感じになってるし」
しみじみと語り始めた紳佐だったが、にべもない煌侍の反応に苦笑させられる。彼のこういう回りくどさのない所も、好感を抱く理由の大きな一つだ。自分が彼のような物の考え方ができるようになるのはいつだろうか、と紳佐は少し気が滅入った。
「で、ケリはつけてきたのか?」
「はい。もう父と弟とは会う事はありません」
「やっぱそういう事になったか。ま、しゃーないわな。いいんじゃねぇの?とりあえずはそれで」
特に何の感情も見せないまま、煌侍は分かりきっていた報告を受け取ったかのように返答すると、車内に備え付けられた小型冷蔵庫からよく冷えたペットボトルの水を二本取り出すと、一本を向かいの紳佐に放る。
「ありがとうございます」と言ってそれを受け取った紳佐は、一口で結構な量を飲むと、天井を仰いだ。
「父との事は予想通りでしたけど、弟の変わり様は正直ショックでした」
「継君、だったか?どうなってようが、それはそいつが選んだ結果だろ。おまえが負い目感じる必要なんてねえよ」
「くだらねえ」と口には出さないが、煌侍の顔にはそうハッキリと書いてある。いつもながらこの割り切り方は見事だ。
「じゃあおまえ、今からでも医者になるのか?」
「それは御免です」
「なら結論もう出てるじゃねぇか。光晴ちゃんとメイ泣かすような事すんなよ?」
「……ですね。おかげで吹っ切れました、ありがとうございます。みっともない所を見せてすみません」
「いいって。もう迷わなきゃな。――リュヒ、メシ行くぞ」
「ギョイ」
<8>
煌侍と紳佐とブリュンヒルデを乗せた車は、とあるレストランの駐車場へと滑り込んだ。三人が車を降りて店内へと入ると、案の定店内が色めきたった。いたしかたなかろう、三人の内二人が銀髪、二人が長身の美形男性、一人は男装の東欧系外国人美少女である。「こいつらは一体何の集団だ」と思うのは当然の疑問だろう。
だが三人はそ知らぬ顔で案内された奥まった場所の四人席へと腰を下ろす。紳佐はあまり食欲がなかったのでドリアを単品で、大の和食党であるブリュンヒルデは「山菜焼きおにぎりセット」を、そして煌侍は相変わらず手当たり次第に注文した。
「でもよ、実際の話、オレらの周りで家族が上手い事行ってるのって、璃矩のとこぐらいだろ」
煌侍は猛烈に咀嚼しながらも、器用に話す。
「確かにそうですね。ウチも我が家に始まり、光晴にメイも実家と折り合いが悪いですし、デビアス姉妹も最近とみに父親から『帰って来い』とせっつかれてますし」
「瑛時と維那さんとこは両親がアレだし、阿亜樹は祖母ちゃんと二人暮らしだろ。あと鳴鈴だってタキナギちゃんだって何がしらか重いの抱えてる。――リュヒもな」
「リュヒは、しあわせ」
「そうか?なら嬉しいがな」
優しい微笑を見せながら、左隣の席に座るブリュンヒルデの髪を撫でる煌侍。
「んふー」
子犬のようにノドを鳴らすブリュンヒルデ。紳佐もその様子を柔らかに見ながら、今ここにいない光晴とメイに思いを馳せた。
光晴の実家は自転車屋で、メイの実家は老舗の和菓子屋である。そのどちらも姉か妹しかいないので、後継者問題に悩んでいる。そう、お決まりの「婿をもらって家を継げ」と言う奴だ。奇しくもバンドのフロントマン三人が似たような境遇にあるわけだが、果たしてこの場合、男が楽なのか女が楽なのか。地位などの面においては圧倒的に曽根崎家が深刻だが、程度の差こそあれ、こういった共通点に起因して今の三人があるのなら、結果オーライなのかもしれないが。
ちなみに紳佐は、伍沢家からも田之上家からも「娘をたぶらかした遊び人」と言う認識で忌み嫌われている。以前、両家に筋を通そうとあいさつに行った事があるのだが、門前払いで叩き出された。落ち込んだ彼を二人は慰めてくれたが、二人共を諦める気がない以上、紳佐はそういった批判は甘んじて受けるつもりでいる。
こうして改めて状況を整理してみると、自分自身の問題がほぼ解決した(と言って良いかどうかは別として)とは言え、頭の痛い懸念材料が山積されている。
だが、「光晴とメイと幸せに暮らしつつバンドを成長させる」と言う理念は変わる事がないので、その時々の状況に応じて柔軟に対応していく事が、重要かつ基本戦術だ。
「どうだ、結論ってのは意外とシンプルだろ?」
煌侍の声で我に返り、紳佐は顔を上げた。どうやらかなり長い間思考にふけっていたらしく、テーブルの上には空いた皿が積み上げられていた。
「まったくです。大切な人がいるというのは素晴らしいですね。目標を見失わない」
紳佐はやっと笑えた。
「で、おまえ三回生からはどうすんの?」
デザートタイムに突入した煌侍が、すっかり冷めたドリアを片付ける紳佐に訊ねた。彼の隣のブリュンヒルデは、至福の表情で白玉あんみつを攻略している。
煌侍と紳佐の通う大学は四年制で、二回生までは基礎課程、三回生からはコースが分かれるシステムになっている。
「僕は国際学部の言語・文化学科に進もうと思ってます。作詞なんかにも役立つでしょうし、色んな言語を理解できた方が今後何かと良さそうなので」
「オレらの周りもすっかりワールドワイドだからな」
「ですね。彼女達に合わせてもらってばかりというのも気が引けますし」
ジャッジメントデイのメンバーであるデビアス姉妹はアメリカ人、同じ大学に通う鳳鳴鈴とそのお付きの烏家五姉妹は中国出身、大学の学生会長であるエリゼ・ユリ・セントクレアーはイギリス人、そしてここにいるブリュンヒルデは恐らくロシア系だ。なんとも多種多様な事だ。
「そう言う煌侍はどうするんです?」
「オレか?学部は一緒だな。で、教育・心理学科にしようと思ってる」
「おや、意外ですね。君はてっきり社会学部の方に行くものとばかり思い込んでました。僕よりもずっと語学が堪能ですし」
「オレのはかなりブロークンだけどな。んーと…言っちまうか。実はな、ウチの妹達が通ってるとこの学校法人から、『大学を卒業したら理事になってくれないか』って話が来てる」
「ほう、それはまた想定外な……」
「まぁ、まだ選択肢の一つに過ぎねえけどな」
「でも三回生からも同じ学部というのは、僕はかなり嬉しいですよ」
アイスコーヒーを飲み干した紳佐は、「やっと気持ちが落ち着いた」と言うような表情を見せた。
「それにしても、なんだか急に色々と同時に動き出した気がします」
「『時間が解決してくれる』なんてのは大嘘だ。絶対に待っちゃくれねえし、こっちから動かなきゃ状況は悪化するだけだ」
「耳が痛いですね。身につまされますよ」
「一つ一つの結果は変えられなくても、全体としての結果は変えられる。そうだろ?」
「その通りです。これからは『攻撃は最大の防御』で行きますよー」
「その意気や良し、だな。って事で、色々ひっくるめて、ここの払いはオレに任せてくれ。さってと、そろそろ出るか。行くぞリュヒ」
「ギョイ」
入店した時と同様に、衆人環視の注目を浴びつつ店外へと出た三人。
「この後どうする紳佐、家まで送ろうか?どっか寄るとこあんなら、そこまで行くぜ?」
駐車場までやって来た所で、煌侍が紳佐に訊ねた。
「いえ。せっかくですけど、僕はここから歩きます。もう少し整理しておきたい事とかありますので」
「そっか、そうだな。んじゃ、またなんかあったらすぐに呼んでくれ。大事になる前にな」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
煌侍は納得したような表情を見せると、車へと乗り込んだ。焼刃カーは長い車体をものともせずにスイスイと道路を器用に走り、やがて視界から消えて行った。
「かっこ良すぎますよ、君は」
陽光にまぶしそうに目を細めると、紳佐は独り歩き始めた。純度の高い感謝と憧れ、そこにほんのわずかな羨望と嫉妬を込めて。
<9>
まだバイトまでは時間がある。誰もいない家に帰りたい気分ではない。そんな漠然とした理由で、紳佐はあてどなく歩いていた。「考えたい事がある」と言ったのは本当だ。
(『メジャーデビューもできないくせに!!』)
父の言葉が脳裏をよぎった。
「チッ」
滅多にしない舌打ちが出た。縁が切れたからと言って、過去までは消せない。まったく厄介な存在だ。
父に反論した通り、メジャーデビューはできないのではなくて、していないだけだ。「引く手あまた」と言うほどではないが、数社のプロダクションから「その気になったら連絡してくれ」と言われている。ではなぜそれらに飛び付かないのかと言うと、信用できないからだ。
以前に比べると、かなりメジャーでやりたい気にはなっている。が、声をかけてくる一番の理由は、どこも「メンバー構成が面白い」だ。確かに男一人に女が四人、しかもその内二人はアメリカ人で姉妹だが、狙ってそう組んだわけではない。陰で色々言われているのは知っているが、気にしていないし、気にしない。ルックスではなく、実力を評価してもらいたい。
「インディーが何を偉そうに」と言われても、そこは妥協できない部分である。今声をかけてきているどこに所属したところで、「異色のメンバー構成のヴィジュアル系バンド」という色物扱いで売り出されるのは目に見えている。「とりあえずメジャーデビューしておいて、『分かる人には分かる』で徐々に認知されていけばいいじゃない」と言う人もいるが、それでは大きく回り道をする事にはならないだろうか。
様々な事柄が紳佐の脳内に渦巻き、やがてそれらは澱のように沈澱していき、どんどん重い気持ちにさせてくる。今日は短時間の内に色々な事があり過ぎた。こんな精神状態のままでは、もうこれ以上考え事をしない方が良いのかもしれない。このままではバイトで大きな失敗をやらかしかねない。
(そうしましょう。家に帰って仮眠を取りたいです)
とりあえず紳佐がそう決定した時、彼の携帯電話に着信があった。そのタイミングに呆れながらもディスプレイを確認すると、そこには「スタニー・デビアス」の名前が表示されていた。随分と久しぶりだ。
「これはこれは、お久しぶりですねスタニー。今はまだあちらでしたよね?その後経過はどうです?」
努めて明るい声を出した紳佐だったが、返って来たスタニーの声色はなんとも暗く重いものだった。
「ゴメンね、シンサ。もうあたし達、バンドできなくなっちゃった……」
<10>
スタニーとフランシスカのデビアス姉妹は、母国であるアメリカに帰国していた。その目的は、日本でのバンド活動を続けさせてもらえるよう、父親に直談判するためだった。電話を通して彼女達がどれほど必死だったのか伝わってきたが、その熱意と努力も実らなかったようだ。
今やアメリカ西海岸の経済界に確固たる地位を築いていた彼女達の父親は、もう娘達の“ワガママ”に付き合うのを止めた。彼は最初から娘の日本でのバンド活動を期間限定のお遊びと考えており、その決定的な温度差は最後まで中和できなかったのだ。
スタニーとの電話を終えた後、紳佐は足元が揺らぐような感覚に襲われた。実を言うと、この事態は想定していた。しかし、あくまでそれは「最悪のケース」だった。予想以上にショックは大きい。長きに渡って苦楽を共にしてきたメンバーであり、かけがえのない仲間、喪失感は測り知れない。
ともかくこの事を、光晴とメイに知らせなければならない。仕事中に電話をかけるわけにもいかないので、それぞれのバイト先に顔を出し、短く要点だけを伝え、緊急で今後の方針会議を行なわなければならない事を確認した。――さすがに二人とも絶句していた。無理もない、紳佐だって全く同じ心境だ。
プロとして仕事に穴を開けるような事はできないので紳佐も夜にバイトには出たが、とても納得の行く演奏はできなかった。
その夜、自宅にて紳佐・光晴・メイの三人での話し合いがもたれたが、実のある内容にはならなかった。肉体的に疲れている上に、ショックによる精神的疲労が重なり、とても良いアイデアなど出るはずはなかった。が、デビアス姉妹の脱退が避けられない以上、元より選択肢は少ないのだ。このまま三人でいくか、新メンバーを入れるか、である。
三人で続ける場合、結束力という点では申し分がないが、いかんせんドラムスとキーボードが抜けた穴は大きく、パワーダウンは否めない。これまでの彼らの演奏を気に入ってくれていたファン達が、ごっそりと離れて行ってしまう可能性が高い。
ではサポートメンバーをステージごとに入れればそれで解決かというと、それも難しい。サポートとはいえ、ジャッジメントデイの音楽・パフォーマンス・世界観を完全に理解してくれていないと、クォリティはガタ落ちだ。
新メンバーを入れる場合、即戦力を求めるか、先を見据えて青田買いするか、で今後の活動方針が大きく変わる。即戦力である事に超した事はないが、バンドカラーに合わない人間を入れれば、空中分解を起こす事は目に見えている。
また、新人を発掘するのは、即戦力を探す事よりも困難だ。よほどアンテナを張り巡らせていないと、有望かつ無所属のダイヤの原石など発見できはしない。非常に頭の痛い問題だ。
しかし、これでメジャーデビューに傾きつつあった紳佐の青写真も、白紙に戻さざるを得なくなった。出鼻を完全にくじかれ、焦りと苛立ちばかりが募った。
そうして目ぼしい打開策がないまま数日が経ち、「このままでは八方塞だ」と考えた紳佐は、スーパーバイザーへ相談を持ちかける事にした。
「大バカ野郎!!なんでもっと早くに言って来なかった!?」
受話器の向こうで“スーパーバイザー”こと焼刃煌侍は激怒していた。
「『なんかあったらすぐに呼べ』っつったろうが!!」
「すいません、どうにも思考力が鈍ってしまっていたようで……」
「チクショウ、許せねえ。もう少しでオレの愛するジャッジがつぶれちまうとこだったじゃねえか。――そうだな、来週の土曜に連絡すっから、それまで待ってろ。いいか、くれぐれも早まったマネすんじゃねえぞ!」
「わ、分かりまし――」
……切られた。呆気に取られた紳佐は思わず数秒、手元の携帯電話を見つめ続けてしまった。
正直驚いた。ものすごい剣幕だった。だが嬉しかった。彼がここまでジャッジメントデイを愛してくれていたという事が。
煌侍本人にはあまり自覚がないらしいが、彼は仲間と認めた人物を非常に大事にする。一般的な視点から見れば、異常とも思えるほどに。阿亜樹の学校の時しかり、鳳鳴鈴拘束事件時しかり。自らが受ける被害など一切考慮せず、ひたすらひたむきに。「だってよ、身体が先に動いちまうんだもん」と当人は拗ねるが、それは誰にも真似のできない美徳である。紳佐は心から「彼の友で良かった」と思う。
<11>
煌侍が指定した土曜日、今か今かと待ち侘びていた紳佐、光晴、メイの元に、彼から連絡があった。ただ一言、「見せたいものがあるからウチに来い」と。
それを聞き、あらかじめその日に休みを入れていた三人は、そろって焼刃家までやって来た。毎度毎度の大袈裟過ぎるセキュリティの数々をくぐり抜け、三人は出迎えのブリュンヒルデに焼刃邸の地下スタジオへと案内された。
するとそこには、当主である煌侍と三姉妹に加え、なぜか森岡阿亜樹とその親友である「タキナギ」こと神薙春と滝口舞流がいた。なんとも予想外の組み合わせだ。それぞれに軽くあいさつを交わすと、すぐに話題が見付からなくなって沈黙が訪れてしまった。
「えーと……その、煌侍?」
たまらず紳佐が煌侍へと説明を求める。実を言うと、すぐにでも本題に入って欲しい心境だ。若干煌侍が疲れ気味に見えるのも気になる。
「結論から言うと、新メンバー……候補だ」
「誰が?」
「どこに?」
光晴とメイが率直過ぎる疑問を返す。どこかに隠れているわけでもなさそうだし、かと言って今ここにいる面々を見渡しても、全然結び付かない。
「あの……話が見えてこないんですが」
紳佐も困惑した表情で降参のリアクション。と、煌侍がある二人の背を押して前へと進ませる。その2人とは――
「力の1号」
「技の2号」
なにやら特撮変身ヒーローのようなポージングを決めるタキナギ。なんなら背景にカラフルな爆発でも起こしましょうか?
(よりによってこの二人……)
的な空気がジャッジメントデイ側に流れ、「本気?」と呆れたような視線を送ってくる。だがそれでも煌侍はうなずいた。
「本気だ。この二人は武術方面と同じくらい音楽的なセンスもある。おまえらだって見ただろ?ウチの大学の創立祭のカラオケ大会でのあれを」
「ああ、思い出しました」
「そうだったわねー」
「うんうん、あれは良かったねー」
だが、それとこれとは別問題。歌うのと楽器を演奏するのとでは、要求される技術もセンスも全く異なる。あの煌侍が「素質がある」と言うのだから恐らく間違いないだろうが、実際に見てみない事には納得できないのが道理だ。
「じゃ、本番やってみっか」
煌侍がそう言うと、スタジオ内の空気が一変した。黙ってうなずき、それぞれが配置に着く。それを見ると、どうやら春がドラムス、舞流がキーボードを担当するようだ。そして、ギターを抱えた煌侍とベースを持った暦がマイクの前に立った。
「え?煌侍君達も演奏するの?」
「あたし達がやるのにー」
光晴とメイが目を丸くしてツッコむ。それに対し、煌侍は暦と視線を合わせてからニヤリと不敵に笑ってみせた。
「今からおまえらに最高のコピーバンドを見せてやる」
大言壮語を言ってのけた煌侍が春に1つうなずいてみせ、うなずき返した春がスティックをクロスしてかち合わせる。そして始まったイントロは、ジャッジメントデイの代表曲「慟哭」だ。
――演奏が終わった。
「……正直、ここまでとは思っていませんでした」
「あたしも、驚いた」
「もしかして、かなりすごくない?」
絢華、魅霧、阿亜樹、ブリュンヒルデの熱烈な拍手の中、煌侍バンドの四人が演奏を終えて戻って来た。
「ま、こんなもんだろ。今日のために練習してきたもんな?」
満更でもない様子の煌侍がメンバー三人に水を向けると、自信に満ちた笑顔が見られた。
「それにしても相変わらず、煌侍君と暦ちゃん上手いわねー」
「そうそう、危機感覚えちゃったよ」
「オレらの事はいいからさ、この二人はどうだったよ?戦力になりそうかどうか聞かせてくれ」
煌侍の問いかけに、リーダーである紳佐に注目が集まる。
「そうですね。まだまだ荒削りで、“即”戦力とはさすがに言えませんが、かなり筋が良いと思います。でもそれよりも僕は、もっともっと嬉しかった事があります」
紳佐の表情とともに場の空気がふっと緩む。
「この二人には、ジャッジメントデイへの愛があります。それを感じられて、僕はとても嬉しかったです」
「うん。リスペクトを感じたよ」
「あたし、今まで一番嬉しいかも…」
感極まったのか涙ぐむメイの肩を光晴がそっと抱き寄せる。その光景をしばらく見ていた紳佐だったが、表情を改めて春と舞流に向き直る。
「では改めて。ジャッジメントデイの一員になってくれますか?」
「そのために、練習してきました」
「よろしくお願いします」
二人の力強い返答にスタジオ内がわっと沸き返り、歓喜の花が咲き乱れる。
「でも春ちゃんと舞流ちゃんがこんなに楽器できるなんて、全然知らなかったよー」
満面の笑みで阿亜樹が言った。と、
「和太鼓なら毎年叩いてた」
「ピアノはお嬢のたしなみ」
なんとも“らしい”返答が飛び出して、また一段と盛り上がる。
「だがな、一つ大きな難問がある」
煌侍が不意に放った一言で、場が静まる。そこにいる誰もが、彼の次の言葉を待った。
「二人ともレザーファッションが全っ然似合わねぇんだ、これが」
笑いが弾けた。
確かに。今の服装も、春はダボダボのTシャツ一枚で、舞流はゴスロリだ。舞流はともかく、春のラフさは常軌を逸している。
「そういう部分にはもう、あまりこだわらないようにしようと思います」
ひとしきりの笑いが収まった後、紳佐が感慨深げに言う。
「好きな人達と好きな音楽ができる、という事がいかに幸せな事か、身に染みましたから」
「だな。そっちはなるようになんだろ」
皆それぞれの想いを抱き、自らが手にしている幸福を再確認する。
<12>
「でもさ、タキナギちゃんがモノになるまでどうする?」
「だよね、それまで活動休止ってわけにもいかないし……」
光晴の出るべくして出た疑問に、メイが腕を組んで思案する。
「ああ、それか」
しかし、その沈みかけた雰囲気を、煌侍のいつもの調子の声が打ち消した。
「何か妙案があるんですか?」
食い付いてきた紳佐に対し、煌侍が左手の人差し指を突き付ける。
「キーボードは紳佐、それまではおまえが弾け。あれなら弾きながらでも歌えるだろ。バイトでもピアノやってんだし、延長線上だろ」
「え?僕ですか?それは考えていませんでしたが……暫定措置と言う事なら」
「それはそれで面白ぇかもしれねえぞ?決まった決まった」
「ちょっと待ってください」
「……なんだよ」
「気付かれたか」と顔に書いてある煌侍と、「そりゃ気付くでしょう」と顔に書いてある彼以外。
「ドラムスは誰がやるんです?」
チェシャ猫の表情を見せる紳佐。
「……分かったよ、オレがやるよ、言い出しっぺだしな。オレができない時には暦が代役だ、それでいいだろ?」
「わあっ」と手を取り合って期待に胸を膨らませる三姉妹と、「やったーっ!」とハイタッチを交わす光晴とメイ。
「焚きつけておいてなんですが、本当にいいんですか?君は何かと忙しい身ですし」
「いいったらいいんだよ。今これ以上に大事な用なんてねぇんだから」
そっぽを向いて鼻を鳴らす煌侍。どうやら照れ隠しのようだが、下手過ぎる。
「ところでお兄様、お二人のご父兄の方々にはすでに了解を?」
「春ちゃんは旧家の、舞流ちゃんは有名企業の娘さんなんでしょ?」
魅霧と絢華が、大事な質問をした。そう、そこは通過儀礼として必要不可欠だ。
「ん?ああ、それなら問題ない。『学業に支障をきたさない程度なら』って事で約束でオッケーもらってる。特に春ちゃんとこは『娘の好きにさせてやってください』って、すっげぇ簡単だった」
「放任主義」
煌侍の説明に春が補足する。聞こえは悪いが、概ね正しい。春の両親は、これまで家柄にこだわって娘を縛ってきた事を後悔していて、今の学園に入って明るくなった(これでも)娘の変化を大層喜んでいるらしい。
「じゃあ、舞流ちゃんの所は?」
阿亜樹が訊ねる。
「うん、そっちは結構苦労した。なにしろ溺愛してるからな」
「よく説得できましたね」
「や、最近まで渋ってたんだわ。けどこの前の鳴鈴の会社絡みのパーティで偶然顔を合わせてな、そっから話すようになって親しくなったお蔭だ」
「親公認」
「こらこら、不穏な発言はやめてくれ、妹達の前だ」
「あら、私達の前でなければ良いんですか、お兄様?」
「言葉の綾だ」
「ふーん」
「へーえ」
「絢華と暦も不審な目をしない!」
ガヤガヤと、いつものノリが戻ってきた。
「ま、ともかく後は練習あるのみだな」
「その通りです」
「叩いて叩いて叩き壊す」
「ライバルは殲滅する」
相変わらず見た目に反しまくった発言の二人に、その他全員苦笑。でも意外にメタルという音楽と相性が良いのかもしれない」
「おーし、じゃあ円陣組め!新生ジャッジメントデイ、レディーッ、ゴーッ!」
「おーっ!」
「こうじ、リーダー?」
「……あ」
<13>
新生ジャッジメントデイ誕生から二週間後の土曜日、そのメンバーと煌侍、三姉妹にブリュンヒルデを加えた一行は、空港にいた。いよいよ日本を出立するデビアス姉妹を見送るためである。
「みんな、ありがとね。こんなに来てくれて、とっても嬉しいよ」
「短い間だったけど、とっても楽しかったよ」
笑顔ながらも涙ぐむデビアス姉妹の姿があった。もらい泣きしているメイは、すでに目を真っ赤にしてすっかり鼻声になっていた。
その場にいるみんなが、それぞれの個性と表現で、二人との別れを惜しむ。底抜けの明るさでいつも仲間内のムードメーカーだったデビアス姉妹、大きな灯が消えてしまうかのような寂寥感が漂い始めていた。
「そんな、もうずっと会えないんじゃないんだから」
「スキを見つけてチョイチョイ会いに来るから」
と、逆に気を遣われる始末。
「あら、そんな気骨があるのなら、抵抗し続ければいいでちゅのに」
この口調と声は。
「あなた達をライバルだと思ってましたけど、どうやらわたくしの過大評価だったようでちゅわね」
豪奢な金の刺繍が施された真紅のチャイナドレスに、絹糸のような漆黒のロングヘアー。紛れもなく、鳳鳴鈴その人である。もちろんお供の烏家五姉妹も一緒だ。
「ゴメンネ、ミンリン」
「アナタの勝ちよ」
陰のある笑みを返すスタニーとフランシスカ。彼女達としても、いいケンカ相手だった鳴鈴とこれまでのように会えなくなるのは寂しいに違いない。
「本当にそれでいいんでちゅのね?そんなに簡単に諦められる事だったんでちゅのね!?」
鳳鳴鈴は怒っていた。同じ男を愛した者として、自分が今なお全身全霊を賭けて追い求めるものをあっさりと手放した二人を。ライバルが減った事の喜びなどより、その怒りの方がずっと勝っていた。
「鳴鈴、もうそんぐらいで許してやれ」
「煌侍様……」
涙目でデビアス姉妹をにらみつけたままの鳴鈴の頭を、煌侍が優しく撫で付ける。鳴鈴は一度煌侍の顔を見た後は、うつむいて肩をわななかせている。
「フフン、まったく甘いですわね、大陸のおチビちゃんは。『敗者に情けは無用』、でしてよ」
空港という多国籍空間においても断トツで場違いなフリルドレスと日傘、白皙の肌にクリーム色の縦ロールのロングヘア、他の誰でもありえない、エリゼ・ユリ・セントクレアーのご登場である。
「どうしてあなたがここにいるんでちゅの?」
目尻に光る粒を振り払い、鳴鈴が眼光を鋭くしてエリゼに問う。
「『どうして』?それは愚問。このエリゼ・ユリ・セントクレアーの健在ぶりを知らしめるために決まっておりますわ。“一部”ではこのワタクシが表舞台から退いた、などと思い込んでらっしゃる方々もいるようですけど、大間違いでしてよ」
「をーほっほっほ!」と言わんばかりの大見得の切りっぷり。一気に注目の的になる存在感はさすがだ(良い意味でも悪い意味でも)。鳴鈴→三姉妹→煌侍の順に視線を送り、傲然と胸を反らす。
「わざわざそんな事のために……」
脱力する鳴鈴。
「あらいけない。そう言えば、一つ“ついで”の用を思い出しましたわ」
手持ち無沙汰に日傘の柄をクルクルと玩びながら、視界の端にデビアス姉妹を捉える。
「そちらの田舎富豪の娘お二人」
「あにさ」
「ナンダヨ」
あからさまに嫌々反応するスタニーとフランシスカ。
「幸か不幸か、そちらの会社は“今の所”好調みたいですし、これからも色んな国々でのパーティやレセプションなどで顔を合わせる事になるでしょう。その時は不・本・意・な・が・ら、お相手して差し上げてもよろしくてよ」
「……」
むずがゆい沈黙。しばらくエリゼが何を伝えようとしているのか分かりかねていたデビアス姉妹だったが、理解したと同時に彼女に飛び付いた。
「ツンデレ、キタコレ!!」
「ドリル、モエーッ!!」
「なっ、ちょっ、お二人とも、抱き付かないでくださいまし!ああ髪が!ドレスが!日傘が!」
本っ当~に素直じゃない、大英帝国のドリル姫であった。
「で、では、ワタクシは、これにて、お暇させてさせていただきますわ」
ゼェゼェ、ハァハァ。
「エリゼ、乙!」
「エリゼ、GJ!」
「ふ、ふんっ!思い上がらないでくださいましね。あくまでもワタクシは“ついで”で参っただけなのですから。行きますわよっ」
耳まで顔を紅潮させたエリゼは無駄に勢い良く背を向け、歩幅を広くスタスタと早足で去って行く。初老の執事がみんなに頭を下げた後、慌ててお嬢様の後を追う。
「なんだよ、姫さん案外いいとこあんじゃん」
「意外でしたね。でも見直しましたよ」
(なんだか負けた気分で悔しいでちゅわ…)
エリゼを評価する煌侍と紳佐を見て、鳴鈴は軽く嫉妬。ちょうど自分が取り乱していたタイミングを見計らって来るなんて、なんて性格の悪い奴!
<14>
そしてついに、デビアス姉妹が日本を発つときがやってきた。
「じゃあ、もう、行かなきゃ」
「もっとずっとここにいたいけど……行くよ」
スタニーとフランシスカが一人ずつと握手や抱擁を交わし、激励を受け、再会を誓い合う。
「スタニー師匠」
「マスター・フランシスカ」
春と舞流が一歩前へと進み、それぞれの担当楽器パートの先輩にして恩師に真正面から向き合う。デビアス姉妹が帰国する事が決まってから、時間の許す限り特訓を受け、今では堅い師弟の絆が結ばれていた。
「シュン、ジャッジをヨロシクね」
「マイル、きっとずっとアタシより上手くなるよ」
スタニーとフランシスカが、可愛い教え子にして後継者の額に優しくキスをする。そして堪えきれずに瞳を潤ませる春と舞流を、身を屈めて抱き締める。
「さて……」
「うん……」
立ち上がったデビアス姉妹は視線を合わせ、ばつが悪そうにうつむいて頬を掻く。
「どうした?やり残した事でもあるのか?」
何事かと訝しがる皆を代表し、煌侍が優しく問う。無言でうなずく二人。
「あのね、コージ…ほっぺにチューさせて欲しいの…」
「他のとこには絶対しないから!最後の一回だから!」
「お願いっ!」と日本人のように両手を合わせる。
「え~~っ!!」
と当然のリアクションをしたのが三姉妹+鳴鈴だ。いくらこういう場面だからとはいえ、それはちょっと許容しがたい。
デビアス姉妹はまだ手を合わせたままで、その陰からチラチラと煌侍と三姉妹の様子を窺っている。
「なあ、ダメか?」
困ったような、苦笑するかのような表情の煌侍。ずるい、そんな顔をされたら、こちらが悪者になってしまう。
「私、何も見ません」
突然、魅霧がそう言って背を向けた。
「あたし、何も聞かない」
絢華も背を向けた。
「あたしは何も言わないよ」
暦も背を向けた。
まるで見ザル・言ワザル・聞カザルだ。最初は三姉妹がふてくされてしまったのかと思われたが、それが最大の譲歩である事にみんな気が付いた。「今の内にしろ」と言っているのである。
「アリガト」
「ゴメンネ」
左からスタニーの唇が、右から爪先立ちになったフランシスカの唇が、ほんの軽く煌侍の頬に触れた。何かを言いたげな息遣いが聞こえたが、言葉にはならなかった。
「じゃ、今度こそ行くね」
「必ずまた来るよ!」
小さな荷物を持ったスタニーとフランシスカが、吹っ切れたような晴れやかな表情を見せ、凛として背を向けて歩き出す。その背に、仲間達の思い思いの声がかかった。
「さっきのは貸しでちゅからね!憶えてなさいよ!」
鳴鈴の小悪党のような台詞に笑いが起こる。スタニーとフランシスカのもう小さくしか見えなくなった背中の動きで、彼女達も吹き出したのが分かった。
――そして、二人の姿が完全に見えなくなった。
「……行っちまったな。なんかさ、もう寂しいよ」
「ええ、僕もです。改めて二人の存在の大きさを思い知らされました」
みんな同時に溜め息を吐く。その成分は各自様々だが、ほとんどは寂寥感でできていた。
「ま、なんにせよこれで、名実ともに新生ジャッジメントデイのスタートだな。頼むぜ、リーダー?オレはあくまで臨時だからな」
「僕はこのままズルズルと正式メンバーになってもらえると嬉しかったりしますが。ね?」
「ねー」
「ねー」
紳佐の呼びかけに、光晴とメイが同意を返す。
「そういうわけにもいかんさ。あくまでオレはタキナギがモノになるまでの代打だ。妹達との蜜月タイムがこれ以上減るのは困る。な?」
「ねーっ」と三つの返事。こちらはさすがのハモリ。
「んじゃ、帰るか。帰ったら早速、今後の作戦会議だ」
「賛成です。いつまでもここにこうしていても仕方ありません。二人のためにも、僕達は進まなければいけません」
<15>
舞台は再び焼刃家の地下スタジオ。焼刃カーに全員乗るとさすがに手狭なので(それでも乗れない事はない、というのがすごい)、紳佐・光晴・メイのオリジナルジャッジチームはタクシーに分乗して帰って来た。珍しく大人しかった鳴鈴は、烏家五姉妹と自分の自動車に(真紅のリムジン。黄金の鳳凰マーク入り)乗って先に帰ってしまった。恐らく今日は、何かと精神的に疲れたのだろう。
「議題はやはり、所属事務所の件ですよね?」
リーダーである紳佐が口火を切った。
「そうだ。スタニーとフランシスカが抜けて、ぶっちゃけ今のジャッジは商品価値が暴落してる。あんだけ『ぜひウチに』って言ってた連中も手の平返してるしな、分かりやすいぜ。で、新人同然になっちまったからには、とにかくアピールしかねえ。けどコネやら何やら全部パァになった分、どっかに所属して営業かけてもらうのが一番手っ取り早い」
「でも今のウチを欲しがってくれる所なんかある?」
「メイが右手の人差し指をあご先に置き、首をかしげる。
「オレ達は二つ知ってるはずだ」
「二つ?――あ、一つは『エリゼレーベル』ね?」
候補に思い至った光晴が名を挙げる。
「正解。あの姫さんとこは積極的に新人発掘に力を入れてる。だが、大きな問題がある」
「ロック、メタル系のミュージシャンが所属した前例がない事ですね」
「そうだ」
「望み薄だねー」
紳佐の発言を煌侍が肯定し、メイが天を仰ぐ。
「で、もう一つって言うのは?」
「オレの口からは言いたくねえ」
光晴の質問に煌侍は回答拒否。しかしその態度で、紳佐にはそれがどこであるか分かった。
「意外です、とても。君の口からあそこの名前が出るとは」
「出してねえだろ」
「あー」
「あー」
ものすごく嫌そうな煌侍の表情に、光晴とメイもようやくピンと来た。
「?」
「?」
タキナギは全然分かっていなかった。
<16>
「もーお、まさかのまさか!あなた達から『入りたい』なんて言ってきてくれるなんてこれっぽっちも思ってなかったから大歓喜!お盆とお正月とメリークリスマスとハッピーバースデーがネギとシラタキ背負ってやってきたって感じだわ~。それもこれもあれよね?日頃の行ないが善いから?がんばってると絶対絶対報われる、神様って本当にいるんだわ~っ。なんて今日はラッキーデー!そうそうラッキーって言えばね、この間近所のスーパーに晩ご飯の材料買いに行った時にね――」
「だから嫌だったんだよ……」
健在、どころか以前よりもさらに威力を増したマシンガントークを前に、煌侍は早速辟易していた。
「まあまあ、そう言わずに。今の内に慣れておかないと」
そう言ってなだめる紳佐の口調は、自分にも言い聞かせているようだった。
「かくかくしかじか、あれやこれやの紆余曲折を経てこの事務所を立ち上げて、こんな短期間の内に金の卵を立て続けにゲットしちゃうなんて、これってばやっぱり人徳?そうよね、そうに違いないわファイナルアンサー。もしかしてこのままイっちゃう?あれよあれよと言う間に戦力大幅増強で一躍大手に?そしたらわたしに冷たくしてきた連中も手の平返したようにすり寄って来るんだわ。リベンジ!なにこのサクセスストーリー、映画化決定?そうそう映画って言えばね―――」
また始まった。一つの単語に反応して千の言葉を返すしゃべるタイプライター。
「うぜえ、ハイパーうぜえ」
「ダメよ煌侍君、こんなのでも一応社長さんなんだから」
「そうだよー。どんなにイライラしてぶっ飛ばしたくなっても我慢我慢」
光晴とメイにもたしなめられた。と言うか、何気におまえらの発言もひどくないか。
「けどこれ、全然話進まねえじゃん」
“これ”を指差して憮然とした表情の煌侍。――確かに。
ここはとある芸能プロダクション。とは言ってもまるで華やかさはなく、雑居ビルの一室にポツンとある。そして彼らの目の前で尋常ならざる動きでクネクネし続けているのが、社長兼マネージャー兼事務員兼その他諸々の二毛山カルアであった。かつてトップモデルとしてタレントとして一時代を築きかけていたのに自分で土台ごと爆破した人物である。
(しかも事務所の名前が『かるあみるく(はぁと)』だぜ?やってらんねー……)
煌侍は自らの選択に、もうかなり後悔し始めていた。もっとしっかり時間をかけて探せば、他にずっと良い所があったのではないか。
「ああんっ、それにしても良いわ!超良い!最高&マーベラス!超絶美形の男のコが二人にカコイイ系女子二人に邪悪系ロリ二人!グッジョブ!神!これはもう売れないはずがないわ!あっという間にスター街道まっしぐら?見える、わたしにも見えるぞ、ドームツアーが!いいえこれは世界ツアー?でもその前にプラチナディスク殿堂入り?狙える、余裕で狙えるわ、このルックスと実力を兼ね備えたスーパーバンドなら!そしてわたしはその育ての親として歴史に名を残――あら、真弥ちゃん。今日はオフでしょ?どうしたの?」
「うん、でも今日新人が入るって聞いてたんで見に来ちゃった。やっとあたしにも後輩ができるって思うと嬉しくってつい―――って、え?え?えーーっ!!」
「…………」
このプロダクションの唯一の売れっ子、かつてのトップアイドル藤松真弥、焼刃煌侍との三度目の遭遇であった。
「今日から入る後輩って、あなた達の事だったの?なんで?どうして?」
予想外の出来事にすっかり取り乱す真弥。「オレは話す気はないからな」と言う雰囲気全開の煌侍を放置し、他のメンバーは真弥へあいさつと事情説明を行なう。
「へぇ~、そうだったの。じゃあこれからよろしくね!――ん?でも待てよ…」
明るい笑顔を見せた真弥が突如それを引っ込め、数秒思案顔になった後、今度は小悪魔のようなニヤリ顔になる。
「……」
煌侍は激しく悪い予感がしていた。
「って事は~あ?ふーん、ほーお」
「……なんだよ」
「あなた、あたしの後輩になるのよね?この世界の上下関係の厳しさ、知ってるわよね~え?」
「帰る。今すぐ帰る。だからオレ嫌だったんだよ!」
「ちょっ、待ちなさいよ!そうはいかないわよ、今度こそ逃がさないわよ!カルアさん、手伝って!」
「あいあいさー」
「放せ!オレは気が変わったんだ!おまえらもな、考え直そうぜ?な?」
「煌侍、往生際が悪いですよ」
ガッシ。
「大人になろうねー、煌侍君」
ガッシ。
「ここまで来てそれは男らしくないんじゃないかなー」
ガッシ。
「役得」
「ラッキーハプニング」
ガッシガッシ。
「おまえらなーっ!憶えてろよ、オレはサポートメンバーに過ぎないって所を特に!チクショウ!」
「運命」、「必然」、偶然…呼び方はどうでもいい。レールが誰の手によって何本敷かれていようと、どの道を選ぶかは彼ら次第。今回選んだルートの先には、何が待ち受けているのやら。山あり海あり空の旅あり、色んな記録を樹立したり塗り替えたり、と色々あるのだけれど、それはまた別の機会に。まだまだ船出したばかりの新生ジャッジメントデイ、皆様からの応援をお待ちしております。
<了>




