第15話 「勝利の女神」<前編>
<1>
その夜、焼刃煌侍は、やっぱりまどろんでいた。そして、少々やさぐれてもいた。なぜならば、彼が心底愛してやまない妹達、三姉妹が現在家にいないからである。そんなわけで彼は、焼刃家一階のリビングルームで長ソファに深々と腰掛け、体重をだらしなく後ろに預けて、頭部をソファ裏に落とさんばかりにしなびていた。
「うだーっ」
何もかもする気もすっかり失せ、睡魔にいいように弄ばれる煌侍。なんだかもう、目がチカチカしてきた。頭の中も徐々に白くなってきた。
(あー、もー、限界かもしれん)
妹達がいないと、ここまで無気力になってしまうマイシスターラヴな体質に乾杯。で、こんな日に限って、何の予定もありゃしない。
「……くぅくぅ、すぅすぅ」
そんな彼の膝を枕に、目を閉じて小さく丸くなり、かわいい寝息を立てているのは、焼刃家のボディガード兼運転手兼メイドさん、ブリュンヒルデ・タリエルである。
新雪のようなきめ細かい色白の肌にプラチナシルバーの短目の髪、今は閉じられているがアイスブルーの瞳。もはやデフォルトコスチュームとも言える白スーツ着用のまま、子犬のように就寝中。せっかくのスーツがシワにならなければいいが。
そもそも、この二人がこうなっているのと三姉妹がいないのには理由がある。三姉妹は現在、そろって学園のイベント準備で泊り込みに行ってしまっているのだ。かくして兄は腑抜けに、彼女達を学園に送り届けてきたブリュンヒルデはお役目を終えて一休み、という図式。それにしても、超お嬢様学園の割りには妙に自由な校風の学園である。煌侍自ら多額の投資をしているので、安全面に不安はないのだが。
「あー……オレもう寝そう」
今では膝の上のブリュンヒルデの髪を撫でる手の動きもかなりおざなりなものとなり、まぶたのシャッターも閉店寸前の閉じ具合。そうこう言っている内に、いよいよ活動限界が……。
と、いきなり熟睡中だったブリュンヒルデが勢い良く身を起こし、とてとてとある場所を目指して駆け出した。
「ん?電話か」
今ので30パーセントほど眠気が飛んで行ってしまった煌侍が、納得したように呟く。その方向に目をやると、ブリュンヒルデはすでにリビングの電話の前で「今か今か」と待ち構えている。そしてようやく、「遅れて申し訳ない」とばかりに呼び出し音がけたたましく鳴りだした。そう、なぜか彼女には電話が来るのが事前に察知できるのだという。体質か、それとも特殊な訓練を受けていたのか。「アンテナでも内蔵されてんじゃねえの?」と煌侍は冗談を言うが。
「はい。やいば、で、ございます」
うんうん、応対もちゃんとできている。満足気に目を細める煌侍。彼女のスキルアップは、何かにつけて実に目覚しい。仕種の一つ一つも微笑ましく、ついつい頬がゆるんでしまう。
が、どうやら今回は苦戦しているようだ。いつもであればもっと早くに目的の人物へと取り次ぐのだが。不審に思って視線を送ると、困った表情で眉根を寄せるブリュンヒルデと目が合った。煌侍が苦笑しつつ手招きすると、子機を持ってパタパタと駆け寄ってきた。
「どうしたんだ?」
「保留」のランプが点灯している事を確認してから煌侍が訊くと、「なにいってるか、わからない」と言う返答が。ふむ、珍しい。日本語ならもう大抵の場合不自由はないはずだが。よほど方言の激しい相手なのだろうか。そんな人物に知り合いはいただろうか?と脳内で交遊録をめくりつつ、「通話」ボタンを右手の親指でプッシュする。
「♂☆*$? †〒♀←!」
……なるほど、これでは分からないはずだ。どうやら中国語、それもかなり上海なまりが強い男の声だ。煌侍も英語なら大丈夫だが、これではさすがに荷が勝ち過ぎる。祖母の影響で少しくらいは分からなくもないが、まだ会話が成り立つほどに明るくはない。
しかし、こんな話し方の奴に知り合いはいなかったはずだが。中国関係で思い当たるのは女性ばかり。首をかしげる煌侍。ブリュンヒルデも、「ね、これじゃお手上げでしょ?」と表情で語った。確かに。しかし、これは間違い電話にしてもレアケースだろう。
「あー、待て待て。オレがここの家長である焼刃煌侍だが、悪いがオレに用があるなら日本語か英語で頼む」
彼の返答に、相手はまだ二三言中国語でまくし立てたが、その後向こう側の電話口で物音がして、通話の相手が交代した雰囲気が伝わってきた。小さく安堵の息を吐く煌侍。
「――失礼した。用件のみ伝えよう」
今度の男は、やはり多少の上海なまりは含まれつつも、概ね淀みのない日本語を使ってきた。やや神経質そうな響きが声に感じられた。
「君の婚約者である鳳鳴鈴の身柄は拘束した。話がある。向かいの鳳邸までご足労願おう」
「……は?」
<2>
「聞き取れなかったのならばもう一度言うが」
「いやいや、リスニングには全然問題なかったんだが」
そう、問題はその内容だ。
「『鳳鳴鈴の身柄は拘束した』って言ったよな?」
「その通りだ」
「ウソつけ」
プツッ。ツーッツーッツーッ……。
「あ」
ブリュンヒルデが小さく声を上げた。こいつ、切っちゃいましたよ?
TELLLLL……。
「誰だよ?」
「切るなっ!」
そりゃ怒りもしますよ。まさかあの話の展開で切るとは、誰も思うまい。
「んだよ、うっせーな。誰だか知んねえけど、こっちは眠いってのに、しょーもないヨタ話しやがって」
「嘘ではない!」
「んなわけねーっての。オレの知ってる範囲じゃ、鳴鈴はオレの次に強ぇんだぞ?そんじょそこらの連中が何百集まっていっぺんにかかったところで、捕まりゃしねーよ。それに烏家の五姉妹だっているんだ。信じろってのが無理な話だぜ」
双方イライラしてきている。お互いに「なんだコイツ……」と思っているに違いない。
「我々が君の言う『そんじょそこらの奴』ではなく、しかもその数が『何百』程度ではなかったとしたらどうだ?」
「んー、それでもなあ。もう一声」
「……(無視)そして我々は、彼女の弱点を的確に突く事によって、スマートに捕獲に成功したのだ」
「なに?あんた鳴鈴が脇腹弱いの知ってたの?まー卑怯な台詞を堂々と」
「違う!ええいっ、おまえとは話しにならん!証拠を聴かせるっ」
「最初からそうしろよー。回りくどい奴だなあ」
あくびを噛み殺す煌侍。電話の向こう側では、何やら物音と中国語でのやり取りが遠く聴こえる。やがて、
「ごうじざばぁーっ、ずびばぜんでぢゅのーっ」
なぜか涙と鼻水まみれの声の鳴鈴が、電話口に現われた。
「え、なに、おまえホントに捕まってたの?」
目を丸くする煌侍。言葉通り彼は、最初からまるっきり信じていなかったのだ。
「ぼぉじわげありばちぇんのーっ」
どうやら録音でも細工した音声でもないらしい。煌侍はソファで相手に悟られないよう居住まいを正した。
「五姉妹はどうしたんだ?あいつらがいたらそんな事になってねぇだろ」
「ごうじざばあーっ、ごめんなざい~っ」
今度は鳴鈴の奥から五姉妹の謝罪の声。彼女達もどうやらお嬢様と同じ状態らしい。
「あれま。なんてこった」
「これで分かったか?我々の言葉が正しかった事が。それでは先ほどの要求通り、こちらへ来てもらおうか」
「分かった。眠気も覚めちまったし、色々興味もあるしな。三十分後ぐらいにそっち行くわ」
「おまえ、立場がわかっているのか?命令しているのはこちらだ。……そうか、武装してから来ようというのだな。しかし無駄だ――」
「いや、着替えてなんか食ってから行く。んじゃあとで」
「お、おい、待――」
プツッ。ガチャン。
「聴いてたな、リュヒ」
「うん」
「オレ、着替えてくっから。その間に用意しといてくれ。鯛茶漬けとか良いね」
「ギョイ」
<3>
――きっかりその三十分後、焼刃煌侍とブリュンヒルデは、鳳邸の前庭にてすっかり囲まれていた。「敵」のその数、ざっと五千。
「まー、よくもまあ、これだけの人数を集めたもんだ。んで、この数々を易々と収容できちまう鳳邸のスケールにもまた感心するな。ツッコミ所満載で結構なこった」
呆れる煌侍。「うんうん」と頷くブリュンヒルデ。
辺りはとっくに夜の帳に覆われ、不気味な静寂と暗闇の中にあった。それにしても静過ぎる。聞こえるのは彼らを二人を囲む者達の息遣いと、ガチャガチャと耳障りに鳴る無機質な武器のかち合う音ばかり。近隣住民の生活音が一切しないのだ。
(まーた黒いチャイニーズコンツェルンマネーが動いてやがんな)
煌侍は想像を巡らせ、「やれやれ」と溜め息を吐く。つくづく自分はこういう連中と縁があるらしい。
と、突然、煌侍とブリュンヒルデ目がけてスポットライトが馬鹿げた光量で浴びせられた。ブリュンヒルデは右腕で顔の上にひさしを作り、煌侍は不快感をあらわに目を細めた。
その光源を視線でたどると、鳳邸の首里城めいた構えの作り、そこの二階のバルコニー部分に数人の人影があった。要塞にでも備え付けられているかのようなサーチライトがそちらに設置されていたようだ。四基ほどが視認できた。
(ハリウッド的演出の劣化コピーかよ)
声には出さずにそうこぼす煌侍。相手の素性が分からない以上、警戒しておくに越した事はない。たとえいくら自分の技量に自信があっても、だ。彼の傍らのブリュンヒルデは、さすがは歴戦の兵か、もう目を慣らしたようで、腰を落として構えを作っている。夜戦も相当経験済みなのだろう、ライトに映える白いスーツ姿には、微塵の恐怖心も感じられない。戦いのパートナーとしてはまことに心強い限りである。
「よくぞ招待を受けてくれた、焼刃煌侍君!」
マイクで耳障りに拡張された声が不意に響き、その持ち主をもまた、スポットライトが照らす。そこには五人の男達が立っており、中央の男が左手にマイクを持って薄く笑みを作っている。どうやらこいつらが今回の事件の首謀者、そしてこの男がリーダー格か。
「その声、さっきの電話の野郎か。こんな時間に近所迷惑極まりねえな」
煌侍が相手を見上げる形で言う。しかし、両者の距離はかなり遠い。声をわざわざ張ってやらなければならないのが腹立たしい。
「それなら安心したまえ。周囲の家々には海外旅行を家族でプレゼントしてある。彼らは喜んで出かけて行ったよ。そうそう、君に『よろしく』との事だ」
「勝手に人様の名前使ってくれてんじゃねえよ」
細身でキザな銀縁メガネをかけた神経質そうなその男がいちいちニヤついた顔で受け答えをし、煌侍は神経がささくれだってくるのを自覚した。
「で、はるばるこんな所までやって来て何の用だ?オレはこう見えても色々と忙しいんでな、大した用がねぇんなら、返すもん返してとっとと大陸に帰れ」
「クックック、短気な男だな。まあそう邪険にするな。我々とて君以上に暇ではない。用を済ませてさっさとこんな小さな国からは引き上げたいものだ」
「なあ?」と細身の男が周囲の四人の男に同意を求め、彼らもそれに賛同する。同じ穴のムジナか、不愉快な粘着質の雰囲気を全員がまとっている。加えて、連中は日本語を理解しているらしい。なら話は早い、が。
「だが、そうだな、君の言う事にも一理ある。我らがお姫様にご登場願おうではないか」
細身の男が芝居めいた仕種で指をパチンと鳴らす。すると、ガラガラとキャスターの音がして、暗闇の奥から大きな水槽のようなガラスケースが台座に載せられて運ばれてきた。その中には六人の女性の姿が。
小さなレディと、コピーしたようによく似た5人の美女達。全員がそれぞれ色とりどりのチャイナドレスを身にまとっている。言わずもがな、鳳鳴鈴と烏家五姉妹である。
<4>
「ご、ごうじざばぁーっ!」
慕う煌侍を見付け、その名を呼ぶ六人。泣き腫らしているのか、涙声で鼻声でズルズルだ。来てもらえたのは嬉しいが、恥ずかしいところを見られて肩身が狭い、そんなような様々な感情が入り混じった表情と声。しかし、本当にこの六人の身が相手の手の内にあったとは。尋常ではない戦闘力を持つ彼女達を一体どうやって一網打尽にしたというのか。
「おまえら、まさかマジで捕まってたとはなあ……」
「ぼぉじわげございまじぇんーっ!」×6
「ま、パッと見、何もされてねえみたいだな」
小さく安堵する煌侍。もしも彼女達に危害が加えられていた場合、自制する自信がなかった彼は、二種類の意味でほっとした。焼刃煌侍は、仲間と認めた者を傷付ける存在を決して許さない。その敵がどういった存在であれ、そいつらの髪の毛一本、この世に残してはおかない。
「当然だろう。彼女の存在は君以上に我々にとって重要なものだ。君などが想像するよりもはるかにな。手荒な真似などするはずがない」
オーバーアクションで細身の男が話す。その大袈裟な身振りの裏には、なにやら複雑にして利己的な、奴らにしてみれば重要な事情があるのだろう。それはひとまずどうでもいい。知る必要がない。そんな事よりも分からないのは、あの鳴鈴達をいともあっさりと無力化した手段だ。
「ん?んんーっ?分かる、分かるぞお。君が今何を知りたいか。ズバリ、どうやってこの剛勇極まる六人を我々が安全に『確保』できたか、だろう?いいぞ、いいぞ、私は寛大だから教えてやろう。それは……これだっ!」
細身の男がまたも指を鳴らす。と、奴らの部下らしい黒服の連中が、鳴鈴達が入れられたガラスケースの中に、容器の上部に開いた穴からボトボトと何かをぶちまけ始めた。なんだ?薬品か?それとも害虫の類か?
「てめぇっ!」
激昂した煌侍がまさに弾丸となって飛び出そうとした瞬間、その声は聴こえた。
にー。にーにーにー。
……。
「キィヤァーッ!ね、ねねね、猫でちゅわーっ!!」
夜のしじまに、鳴鈴の悲鳴がこだまする。煌侍は飛び出そうとした勢いをそのままに地面にヘッドスライディングしそうになり、ブリュンヒルデに支えられて何とか事なきを得た。
「おまえ……猫アレルギーだったのか……」
脱力する煌侍。さっきまでの緊張感あふれる空気はどこへやら、一気にコメディタッチに。その中でもひときわ、大量の子猫にたかられて涙とクシャミを大量に排出しながら転げ回る鳴鈴がやたらと空回りしていた。
「わわわわわたくち、ねねねね猫だけはダメなんでちゅのーっ!」
「そんな事言って、おまえ自身が猫っぽいじゃねーか」
「そそそそ、そんなの知りまちぇんわっ!とととと、とにかくわたくち、ねねね、猫はダメなんでちゅのっ!この軟弱な身のくねり方とか媚びた鳴き声とか、みみみみ身の毛がよだつんでちゅのーっ!」
そんな理由でか。しかしある意味、さすがは帝王学の申し子。どこぞの国のゆとり教育なんてちゃんちゃらおかしい。
「海坊主かおまえ」
「ああああ、あんな大男と一緒にしないでくだちゃいまちーっ!」
なぜ知っている。さてはこ奴、漫画マニアか。
「……で、だ」
ヒィヒィ言ってる鳴鈴から視線をスライドさせ、ガラスケースの隅っこで小さくなって身を寄せ合う五人娘を冷ややかに見やる煌侍。
「なんでおまえらまで猫がダメなんだ?今度こそアレルギーか?」
「お嬢様が嫌いだから、私達までダメになっちゃいましたーっ!」×5
「あのなあ……」
君らはあれか、犬に玉ネギや海老を与えてはいけないからって自分までそれらが嫌いになってしまう愛犬家か。
<5>
「なあ、うるせーから猫どかしてくんねーか?話が進まん」
「……そうだな。激しく同意する」
煌侍からの要請に意見は一致し、ガラスケースから大量の猫達が取り除かれ、中にはぐすぐすとすすり泣く鳴鈴と、お嬢様を心配しつつも自分達もへたり込んでしまっている烏家五姉妹が残された。
「本題に入ろうじゃねえの。おめえら一体何者だ?」
両手をポケットに入れたままで、煌侍がバルコニーに向かってトゲ付きの疑問文を投げつける。
「フフン、気になるか。なるだろうな。君はいい、実にいい。私のシナリオ通りに事を運んでくれる」
相変わらず細身の男だけが話す。一度マイクを持つと離さないタイプ、ではなく、単に日本語が一番堪能なのだろう。リーダー兼スポークスマンといったポジションか。
「私は無駄を好まない。ビジネスには何よりもスピードとスマートさが求められるべきだからな。私の名は断。そして私の右隣から順に、槍、対、混、河だ」
紹介された順から1歩前に進み出て、男達はスポットライトの中に身を置いた。細身眼鏡が断、いかつい大男が槍、最年長っぽい(四十歳前後か)のが対、小柄で童顔なのが混、小太りの七三分けが河。以上のように煌侍は脳内にインプットした。いつまで憶えていられるかには甚だ自信がないが。
「で、そんな仲良し五人組が何しに来た?戦隊物に憧れてんなら整形外科に行ってからにしろや」
「フン、口の悪い男だ。まあせいぜい今の内に吼えておくがいい。我々五人は、元々は互いに蹴落とし合う関係だったが、現在は一つの目的のために協定を結んでいる。そう、焼刃煌侍、君を亡き者とするためにね!」
標的であるらしい煌侍に左の人差し指を突きつける断。目付きに鋭い光が宿る。
「はあ。そりゃまたなんでだ?オレは一介の大学生に過ぎんぜ?おめえらなんぞに恨みつらみを買う憶えなんざ、なーんにもねえ」
「なあ?」と左横に控えるブリュンヒルデに同意を求める煌侍。「ギョイ」と生真面目に答えるブリュンヒルデ。
「生憎だな。君にはなくても、こちらにはあるのだよ。いや、言葉を変えようか。君個人にはない。あるのは君のポジションにだ」
「ますます分っかんねえなあ」
右手で頭を掻く煌侍。「確かに誰もがうらやむ妹達を持っちゃあいるが」と内心で思う。
「分からんか?そうか、分からんか。自分がどれほどの至宝を易々と与えられているかを認識していないとは、まったくもって嘆かわしい!」
吐き捨てるように断が言い放つ。そこにはもう、先程までの紳士然とした外殻は存在しなかった。醜い憎悪と嫉妬の感情をむき出しにした一匹の獣がいるだけだった。
「この、日本人の、小僧が!おまえごときが世界経済の枢要たる鳳グループの次期総帥最有力候補だと!?ふざけるな!図に乗るなよ!程度をわきまえろ!ガキが!」
なんという剣幕。なんという表情。犬歯をさらけ出し、口角泡を飛ばし、両眼は血走り、こめかみには血管が浮き出して脈打つ。「まるで悪魔に取り憑かれたような」とは、このような状態を指して言うのだろう。気付けば断以外の四人も、同様の変貌を遂げていた。
「あー、その、なんだ。もう人間の言葉が通じるとも思えんが、一応言っとくな。その『次期なんたら』だとか『フィアンセ』だのってのは、オレのあずかり知らん所で勝手に盛り上がってる話だから。ポジションとか以前の問題なんで。欲しけりゃそっちで存分に奪い合ってくれ」
「そんなーっ、煌侍様ーっ」
鳴鈴が情けない声を出す。煌侍は心の中だけで「スマン」と詫びる。鳴鈴の事は憎からず思えるのだが、そこに鳳グループとかいう大き過ぎるオマケが付いてくるのは勘弁してもらいたい。
「『欲しければ勝手に』とほざいたか、物の価値のわからん凡俗の輩が!次期鳳グループ総帥の座を、世界中の有力者のどれほどの人数が、ノドから手が出るほどに欲しがっていると思う!?それを!それを!忌々しい!我々はこんな奴にその候補者の権利を奪われたというのか!」
沸騰しそうな全身の血液をを抑えつけ、地団駄を踏む断。「うわ、そうだったのか」と身を引く煌侍。「悪い事をした」と思ってやる義理はないが、かすかに同情の念が湧き上がらなくもない。彼ら五人はその地位を得るために生半可ではない研鑽を積んできたのだろう。それがある日、いともあっさりと、しかも理不尽に手の平から零れ落ちてしまったのだ。確かに掴んだと思った瞬間に。お姫様がどこの馬の骨とも知れない男に恋をしたばかりに。
「我らがここまで来るのにどれほどの血涙を流し、どれほどの競争相手を蹴落としてここまで這い上がってきたと思う!?それを!それを!鳳グループ総帥、鳳大鳳の眼鏡に適い、ようやく最終候補の五人にまで残ったというのに!よくも!よくも!」
この距離でもビリビリと伝わって来る殺気。「鬼気迫る」とはよく言ったものだ。
煌侍はむしろ感心した。彼らの努力と向上心に。それは決して綺麗な物ばかりではなかっただろうが、簡単に言葉で言い表せるほど、並大抵の事ではなかったに違いない。
<6>
「オレが言うのもなんだが、あんたらの執着はわかるぜ?鳴鈴は今でさえあの美少女っぷりだ、それこそあと5~6年もすりゃあ、文字通り『傾国の美女』になりかねんしなあ」
「キャッ☆煌侍様ったらぁん!やぁん」
両頬に手を当ててクネクネと身をよじる鳴鈴。しかし、そんな煌侍の共感は、なんとも間の抜けた「……は?」と言う一文字によって霧散した。煌侍も釣られて「……は?」とリアクション。なんだろうか、両者の間にとてつもなく大きい溝の存在を感じる。
「君はアレか、シスターコンプレックスと言う奴だと聞いていたのだが、ロリータコンプレックスだったのか?救いがたいな」
呆れ返ったと言うように、断が右手の中指でメガネの左右のレンズを支えるフレームの部分を押さえ、芝居がかった仕種で左右に首を振る。
「んだと?」
NGワードの一つに反応し、右足を一歩前に踏み出す煌侍。ブリュンヒルデが慌てて主人が爆発してしまわないようにとその前に回り込む。だが今はまだ大丈夫。怒りよりも疑問の方が頭の中を占めている比率が高いからだ。
「てめえらは鳴鈴に惚れてるんじゃねえのか?」
純朴な問いに訪れる沈黙。やがて、五人の男達の哄笑が弾けた。断達が互いに顔を見合わせて吹き出し、それが爆笑へと変わったからだ。
「傑作だ、こいつは傑作だ。いやはや、所詮は世の中の仕組みを知らない小僧か。確かにこの小娘の類まれなる容姿は認めよう、今後が非常に楽しみだ。だが考えてもみたまえ、そんなに待つ必要がどこにある?鳳グループの次期頭首ともなれば、女なんぞ選り取りみどりだ。こんな乳臭いガキの成長を待つなど馬鹿らしい。さっきも言っただろう、この小娘の存在など鳳グループ次期総帥という地位のオプションに過ぎんのだ!」
ゲラゲラと不快な笑い声がとめどなくあふれ出す。しかし煌侍はそれらに気を向ける事なく、「鳴鈴……」と渦中の少女の名を呼んだ。その声は、かすかに震えていたように聴こえた。
呼ばれた少女は、ずっと伏せていた顔を上げた。両の目尻には涙の泉がたたえられていた。アレルギーの副産物などではない、悔しさと怒りと悲しみが液状化した物が。
「分かっていましたわ。わたくしの存在がどういった意味を持っているのかなんて、ずっと、ずっと前から!だからわたくしはがんばった!それだけの存在で終わらないように。『鳳鳴鈴』という一人の人間として認められるように。だけど、まだ、まだまだ、わたくしは――」
そこまで一気に言うと、鳴鈴はまた俯いてしまった。忌々しげにガラスケースの底を叩く。いつものような力はそこにはなく、か細いだけの少女の腕で。伏せられた顔から、洗面器を引っくり返したように、涙が落下して水溜りを作った。今の彼女の姿は、カゴの中の小鳥を思わせた。
「お嬢様!」
烏家五姉妹が鳴鈴に寄り添って彼女を囲む。その世界は六人だけの物だった。
「素晴らしい、素晴らしいシーンだ」
断がおざなりの拍手をし、場を白けさせる。
「さあ、もうプロローグはこれぐらいでいいだろう。ゲームを始めようじゃないか」
司会者気取りで、大仰に手を広げる断。欲に駆られ、目を輝かせる他の四人の男達。彼らの歪んだ笑みは、肉食動物の残忍さを連想させた。
<7>
「『ゲーム』だと?」
今にも暴走寸前の怒気を噛み殺しながら、煌侍が訊き返す。全身の毛穴から蒸気が噴出しそうだ。
「そうだ!これはゲームだ!我々は協議を重ねた結果、抜け駆けなしの公正なルールのゲームの下、鳳グループ時期総帥の地位を決める事にした。それが今回のこのステージだ。プレイヤーは我ら五人。それぞれが色分けされた千人の駒を持ち、誰のチームが真っ先に君を仕留めるか、という単純なルールだ。
どうだい?君があの一款能賜舞の免許皆伝者という事で、世界各国からありとあらゆる戦闘のプロフェッショナル、腕利きの猛者達を金に糸目をつけずに集めてきた。これなら君のプライドも傷付くまい?いくらでも言い訳ができるからな!」
靴底に砂を噛む音をさせ、包囲の輪を一回り縮める五千人の敵。手に手に己の自慢の武器を持っている。日本刀、ヌンチャク、棍棒、ナイフ、ブラックジャック、ハンマー、スタンガン、金属バット……等々。その目は、存分に暴力を振るえる事への黒い愉悦と、鼻先にぶら下げられた懸賞金にくらんでいる。下卑た笑いを隠しもせずに、老若男女、様々な人種の暴力の専門家達が「今か今か」とパーティ開始の合図を待ち構えている。
視力が良い上に夜目が利くブリュンヒルデが状況を即座に確認し、アイコンタクトでその分析結果を煌侍に報告する。曰く、「銃器を持った者はいない」と。
「なるほどな」、と煌侍は首肯した。瞬時にいくつかの理由が思い浮かぶ。まず一つ、これだけ密集してしまっていると同士討ちの危険性が高い事。二つ目に、殺傷能力が高過ぎてゲーム性を損なう事。三つ目に、あくまで「一款能賜舞伝承者を倒した」という称号を得たい事。大方こんな所だろう。
5人の「プレイヤー」達は、それぞれのチームカラーに塗られたVIP席に腰を下ろす。断は赤、槍は青、対は黄、混は緑、河は紫。なにやら色彩感覚のおかしい運動会じみている。
プレイヤー達は極上の座り心地の椅子に深々と腰掛けて足を組み、高級な酒と料理を味わいながら、これから始まる血なまぐさいショーを存分に楽しむつもりらしい。自分達には決して危害が及ばない、と信じて疑っていない。神にでもなったつもりで約五千人の下界を見下ろす。
「さて、焼刃煌侍君。今からいよいよ文字通り君の運命を左右するゲームが始まるわけだが、何か言い残しておく事はないかね?」
再びマイクを握った断がニヤけ面に顔面を固定したまま問うて来る。
(ケッ、言ってろ)
煌侍はもう反応しない。彼の頭の中では熱く、しかしクールに、いかにこの数の敵を効率よく処理するかの計算が目まぐるしく弾き出されている。くだらない挑発に乗っている暇などない。の、だが――
「そうだ。君の愛する妹達には何かないのかね?なに、彼女達の事なら心配しなくていい。あれだけの美しさだ、どこぞの小娘は願い下げだが、あの三人なら丁重に面倒を看ようではないか。安心したまえ、なあ“兄君”!」
……バツンッッ!
何か太いワイヤーロープのような物が切断されたかのような音がして、断達の笑いは中断された。何が起こったのかと半笑いのまま周囲を見回すが、別段変わった様子はない。
「あ……」
しかし、完全にフリーズし、背筋に冷たい汗が伝うのを実感していた者達が七人いた。鳴鈴と烏家五姉妹とブリュンヒルデである。
彼女達は、愚かな男がまさにこの瞬間、地上で最大にして最も危険な地雷を踏んでしまった事を知っている。先程の異様な音の正体は、文字通り焼刃煌侍が「切れた」証なのだ。その事を知っている者達にとっては、核ミサイルの発射ボタンが押された事と同義、もしくはそれ以上の意味を持つ。これから起こる事が決定した凄惨な光景を予見しながらも、もう誰にもどうする事もできない。
「今、なんつった?」
空気が、変わった。「嵐の前の静けさ」にしてはどうだ、この息が詰まるような圧迫感は。ようやくこの時になって断も、なんだか自分がとんでもない事をしでかしてしまった気がして来た。
「あなた……知りませんわよ、どうなっても」
鳴鈴が本気で彼に同情しているかのような口調でポツリと言った。
「あーあ、ひさしぶりに、こりゃマジで切れちまったよ」
煌侍が、まるで他人事のように呟く。表情には苦笑すら浮かべているが、声には殺気がドクドクと染み出してきている。それを肌で感じ取り、前列にいる敵兵達が思わず後ずさる。
「リュヒ、オレのそばから離れるな」
「ギョイ」
煌侍は紛れもなく本気だ。しかも「離れていろ」ではなく、「離れるな」と言う厳命。これは、彼が爆心地となり、周囲が焦土と化す事を意味している。ブリュンヒルデは主と背中を合わせ、敵兵に構えを取る。
「な、何をしている!奴は何かやらかすつもりだ、かかれ!ゲーム開始だ!血祭りに上げろ!」
危険を察知したプレイヤー達がマイクで絶叫し、五千の兵が咆哮を上げて一斉に輪の中心に向かって雪崩れ込む。
しかし、もう遅い。焼刃煌侍はその光景を目にしても眉一つ動かさず、たった一言を発した。
「浮衛炉門、開放」
<第16話に続く>




