第13話 「デート・デート・デート」
<1>
「最近、お兄様に対する私達の影響力が薄くなってきている気がするの」
某月某日、緊急臨時三姉妹会議室(一階リビングルーム)。
そう切り出したのは議長たる次女、焼刃魅霧だった。兄の外出している広い室内、そこにいるのは三姉妹とボディガード兼運転手兼メイドであるブリュンヒルデ。皆一様に深刻な面持ちである。
「…うん、そうだね。そんな気がするね」
普段にはない低い声で長女の絢華が同意する。彼女の常日頃の明るさも今はなりを潜めている。
「鳳鳴鈴が出て来たあたり、からかな」
三女の暦がつぶやく。深くソファに腰を沈め、堅く腕を組んでいる。
「無論、お兄様からの私達への愛が変わってしまった、なんて事は少しも思ってはいないわ。けれど、ね……」
テーブルに両肘を突いて両の手の平を重ね、その上に形の良いアゴを乗せる魅霧。細く長い艶やかなツインテールが平板の上で波打つ。
頷く絢華と暦。上下に揺れる、ショートボブとロングストレートポニーテール。そう、そこには疑問を差し挟むべくもない。毎日肌で実感している事だ。
「ごめん、なさい」
不意に、これまで三人の脇でずっと黙っていたブリュンヒルデが口を開いた。飛び出したのは唐突な謝罪の言葉だった。
「リュヒも、きたから」
身を縮めて小さくなるブリュンヒルデ。プラチナシルバーの髪にアイスブルーの瞳、新雪のようなきめ細かい白い肌。しかし、それを包むのはあでやかな着物。そんなギャップも彼女の美しさの前には無力だった。
「いいんだよ、リュヒは。家族なんだから」
絢華がブリュンヒルデの隣へと行き、その肩をそっと柔らかく抱く。不安げに弱々しく顔を上げるブリュンヒルデ。
「そうだよ。リュヒはこっち側の陣営なんだから。むしろ一緒に悩んでくれないと」
すかさず暦もフォローを入れる。「もー、この子はー、心配性なんだからー」と表情が語っている。
「うん。わかった。いっしょに、なやむ」
やがてその目に光が戻って来た。力む方向性が違う気もするが。
「ライバルってゆーか、強敵ってゆーか、悪い虫ってゆーか、増えちゃったからねー」
「そうだねー。我が兄ながらモテ過ぎだよねー」
ソファに座ったまま、「うーん」と伸びをする暦に、ややあきらめと苦笑の混じった複雑な笑顔で続く絢華。ふんふん、と真剣な表情で頷くブリュンヒルデ。この場合、「強敵」と書いて「友」とは読まないらしい。
各々の脳裏に浮かんでくるあの顔この顔。チャイナドレスに身を包んだ不敵な表情の少女とお付きの五つ子、日傘を差した縦ロールのヘアスタイルの白皙のお姫様、身長差のある無表情な凸凹コンビの中学生、各種メディアを連日賑わせる元アイドル……等々。
「厄介だねー」
「だねー」
二つの溜め息。訪れる沈黙。
「でね、そこで一つの提案があるの。現在のパワーバランスを一気に取り戻す、起死回生の」
しばらく沈黙を保っていた魅霧のその一言に、弾かれたように彼女の方を見る三人。
「何かいいアイデアがあるの、魅霧ちゃん?」
「みむ、すごい」
目を輝かせる絢華とブリュンヒルデに対し、だがもう一人、暦の反応が事のほか鈍い。不審に思った他の三人が見やると、当の本人は何とも硬い表情をしている。その顔には絵に描いたように「嫌な予感」とある。
「み、魅霧姉さん、もしかして『アレ』を……?」
冷や汗を滴らせ、油の切れた工作ロボットのような動きですぐ上の姉に顔を向ける暦。
「そう、『アレ』よ。今こそその時よ」
魅霧の両眼が、鋭い光を放つ。
「うわ、やっぱし」
露骨にたじろぐ暦。予感的中。
「『アレ』かー。いよいよだねー」
当事者ではない絢華は気楽な構え。のんきなものだ。
「……『あれ』?」
一人、話題から取り残されているのはブリュンヒルデだ。子犬のように可愛らしい仕種で首をかしげている。
そこに、高らかに魅霧が宣言する。
「『ラブリィシークレット』を解禁しますっ」
「おーっ!」
「……ぉー……」
「おー?」
<2>
自分のいない所でそんな作戦が進行中である事なんて全く知らない三姉妹の兄である焼刃煌侍は、動物園にいた。左右に大きなサイズの檻が並び、その中では大型の獣達が所在なげに徘徊しているのを、なんだかいたたまれない感じで眺めつつ。獣臭い。
そして、彼の両脇には二人の少女。身長160センチの、片目の隠れたロングストレートヘアーの神薙春と、身長140センチのダブルショートポニーの滝口舞流である。
春はまるで「オバケの○太郎」のような、だぼーっとした白いシャツに洗いざらしたジーンズパンツ。舞流は典型的な黒ロリファッション。親子連れやカップルで賑わうこのスポットの中で、彼らは完全に浮いていた。
彼ら三人は本日、先日煌侍の大学の創立祭で行なわれたカラオケ大会での優勝商品、すなわち「一日デート権」行使の真っ最中であった。……のだが、普段から極端に口数の少ない彼女ら二人、通称「タキナギ」は生涯初デート、しかもその相手が“あの”焼刃煌侍であるという事もあり、ギクシャク&ガッチガチ。二人そろってお約束通り、同じ側の手と足を同時に出して歩く、という図。そこに甘く楽しい空気は微塵も発生していなかった。
(あー……こりゃ、どうしたもんだろ)
さすがに煌侍も、すっかり途方にくれていた。
(ま、間がもたねぇー……)
今朝は今朝で、そりゃもう大変だった焼刃家。いくら懸命に煌侍が説明し、なだめすかしても、妹達は「だって」「けど」「でも」の三重奏。しょうがない、なにしろ彼自身が釈然としていないのだから。あれはどう考えても正統な経緯ではなかった。しかし、それを理由に賞品としての約束を反故にしてしまっては、男として人間として焼刃煌侍、引いては焼刃家の名を汚す事になってしまう。何よりも妹達を愛する兄としては、そこは何としても避けたいところだった。
――で、結論として、妹達ともデートを(しかも、今回と全く同じコースで)する事を条件として、渋々三人の首を縦に振らせたのだった。
(ま、そっちはそっちで楽しみだからいいんだけどな。けど、今はこの状況をどうすっかだよなあ)
発端としては不本意なものではあったが、いざこうして二人を連れて歩いているからには、楽しんでもらいたい。賞品としての、年長者、男としての責任感や矜持からだけではない、彼個人としてもタキナギの二人には少なからず興味もあるし、憎からず思ってる部分もある。
「楽しんでる?」
煌侍がそう訊ねる度に、二人は首がもげんばかりに全力で頷く。
(ホントかな……?)
半信半疑の煌侍。彼女達を疑っているというよりは、自分のエスコートが不甲斐ない事を申し訳なく思っている。この後は午後から遊園地へと行く事になっているが、そっちではせめてもう少し上手くやって、二人の笑顔を見たい。
実際タキナギの二人は、舞い上がってはいても楽しんでいた。彼女達があまりにも無表情で感情の起伏に乏しい上に、相手が妹達以外の異性の機微に鈍感な煌侍であるので、それが非常に分かりにくいだけで。煌侍が三人の妹達やブリュンヒルデの微妙な様子や変化に彼しか気付かない能力を有しているように、タキナギの微かでわずかなリアクションは、彼女らお互い以外には親友である阿亜樹にしか判別できない、という事だ。
「なんだ、そういう事だったのか」と煌侍が得心がいったのは、二人を観察していて、春と舞流のお互いを見る目に込められた色や温度を感じ取った時だった。そこに彼の妹達の間でしか通じないアイコンタクトに相通じる物を見付けたのだ。それで大いに安心した。
そして彼ら三人の間にあった妙なぎこちなさは消え、「今を楽しもう」と言う共通の意思が生まれた。壁は取り払われ、心地良い風が吹き抜ける。
パンダの赤ん坊を抱き、目を細める春の上着の裾を指先で掴み、「次はわたし」と態度でせがむ舞流。
気だるそうに寝そべったまま大あくびをするシロクマを飽きもせずに眺め続ける舞流の頭にそっと手を置き、「そろそろ行こう」と物言わずに語る春。
視線だけでライオンや虎などの大型肉食獣を怯えさせる春。
鳥類にやたらと好かれ、いつの間にかその群れに全身を包み込まれて埋没する舞流。
分かってしまえば、何とも微笑ましい。
「なんだよ、壁を作ってたのはオレの方だったのか」と煌侍は苦笑して恥じた。
タキナギが常に周囲に壁を張り巡らせていると思っているのはあくまで他人であって、本人達にはそれが自然体でしかなかったというのに。唯一、それを見抜けたからこそ、阿亜樹は彼女達の親友になれたのだろう。
<3>
今でこそ結果オーライとなりつつあるが、このデートの前、焼刃家以外でも一悶着があった。そう、誰あろう、タキナギの二人である。
「焼刃煌侍からのキス&一日デート権」が優勝賞品と聞き、勢いで後先を考えずにあのカラオケ大会へと出場し、気付けば優勝していた。その時は気持ちがすっかり高揚していたのだが、時が経って思考が冷静さを取り戻すと、自分達がとんでもない事態を招いた事に思い至った。何しろデートの相手が、何かと高名な焼刃煌侍なのだ。二人は普段の彼女達の様子からは想像もつかないぐらいに狼狽した。
しばらく二人してオロオロしていたが、それで答えなど見付かるはずもなく、「これでは埒が明かない」と相談相手を探す事にしたが、日々の素行が素行のタキナギ、結局その相手は阿亜樹しかいなかった。
が、相談を持ちかけられた阿亜樹の方も困ってしまった。なぜならば、彼女自身もデートの経験などなかったからだ。こうしてデート未経験の三人が顔をつき合わせ、放課後の教室で不毛な時間を過ごす事になった。
「バカバカ、バカ阿亜樹、役立たずバカ」
「阿亜樹の奥手なお子ちゃま部分は死ねばいいのに」
「めんっ、めんっ」
混乱のあまり、自分に八つ当たりしてくる二人のそれぞれの額と脳天に性格矯正のための縦チョップを入れる阿亜樹だが、頭の中は二人の親友のためにしっかりと働かせていた。
「二人ともさ、最初なんだからさ、オーソドックスでスタンダードなのでいいと思うよ?」
「オーソドックス?」
「スタンダード?」
阿亜樹の提言に、各々の痛む箇所を押さえつつ、タキナギはオウム返し。
「そ。動物園とか遊園地とか行って、お茶とかお食事とかしながらお話したりする」
なるほど。面白みや新鮮さには欠けるかもしれないが、それなら確実性が高そうだ。何と言ってもデート初体験の二人なわけであるし。
「なら阿亜樹も加えて三人で」
と、同時に提案したタキナギだったが、そのアイディアは即座に却下された。
「それはダメ。二人は自分達の手でそのチャンスを勝ち取ったんだから、ちゃんと二人が煌侍さんとデートしなきゃ。でないとあの時負けた他の人達にも悪いし、そんなのおかしいよ」
珍しく阿亜樹の語気は荒く、両目の光は険しかった。予想だにしなかった剣幕に思わずたじろぐタキナギ。
「大丈夫だよっ、煌侍さんを信じてお任せしちゃえば」
次の瞬間には、いつものよく知っている阿亜樹がそこにいたて安心した二人。
「でもでも、予備知識とかって必要だよね?んじゃあ、あたしの知っている限りの煌侍さん情報を二人に伝授しちゃうからねっ」
我が事のように嬉しそうな阿亜樹。身を乗り出す春と舞流。普段の三人の雰囲気が戻って来た。やはりこうでなくては。言いたい事、言わなくてはいけない事をちゃんと言える。それが本当の友達。阿亜樹は春と舞流の事が大好き。春と舞流も阿亜樹の事が大好き。
「ふぅん、そんな事があったのかぁ」
場所を今度は遊園地に移し、煌侍とタキナギの三人は、園内のオープンカフェテリアでちょっと遅めの昼食を摂っていた。
(あの阿亜樹がねぇ……。女の子ってのも大変だよな)
ジャンボサイズのハンバーガーを頬張りつつ、煌侍は心の中だけでひとりごちる。女の子成長というのは、男が考えているよりもずっと早いものらしい。
春はホットドッグを、舞流はサンドイッチを、それぞれ小動物のようにかじっている。その様子をほのぼのと見やる煌侍。オーダーを通してすぐ、二人から「お話があります」と切り出された時は何事かと思ったが。これも彼女らは彼女なりの心の区切りやらポリシーやらがあり、それに則った行動なのだろう。
やがて手を止め、しっかりと煌侍の瞳を見つめる二人。
「それで、わたし達の事も」と春。
「お話しておきたいと思います」と舞流。
受け止めよう、正面から。これが二人のやり方ならば。
<4>
「まずは、わたしから」
春が白い円形のテーブルの上、手を組んでそう切り出した。居住まいを正す煌侍。舞流は目線だけを友に送る。何らかの意味を込めて。
春の話によると、彼女の家である神薙家は、さる文献によると平安時代ぐらいまでその歴史は遡るという。そして漫画や時代小説などのメディアでもメジャーな、いわゆる「陰陽師」や「退魔師」の一族として、知る人ぞ知る家系であったという。かの安倍晴明などの血族のようには歴史の表舞台には顔を出さなかったが、朝廷を陰から支えたようだ。
そもそも神薙家は、「四神家」と呼ばれる退魔一族四家の頂点にあったらしい。それは神薙家を筆頭に、神払家、神弾家、神削家という血脈で構成され、一時はその道の頂へと登りかけた事もあったようだが、歴史の推移とともに「人間と魔」という世界の構造そのものが薄れていき、やがては栄華を誇った一族も形骸化していった。
が、現在でもわずかながらではあるが、四神家にまつわる不思議な事例は残されている。例えば、四神家には必ず第一子として女子が生まれ、代々季節にちなんだ名前が付けられる風習がある事。ちなみに今現在は、神薙家が春、神払家が奈津、神弾家が亜紀、神削家が真冬という顔ぶれである。そして、やはり例に漏れず霊感が強く、人ならざるモノどもが見えたり、それらとコミュニケーションが取れたりするらしい。春はそれほどでもないみたいだが。
幼少の頃より、自分が周囲にいる子供達とは少なからず異なった事情の上に立っている事を何となく自覚していた春。同世代の子らと開いていた微妙な距離。家族や親戚とも疎遠だった彼女、全てを早々に諦め切る前に舞流と出会えたのは本当に僥倖であった。
似ているようで似ていない境遇の、奇妙な縁で出会った二人。どこかがお互いに欠けたままで二人は触れ合い、補い合い、一緒にいるようになった。そしてその後阿亜樹と出会い、大事な部分の何かが「カチリ」と音を立ててはまった気がした。
「次は、わたし」
春の話し終わりからしばらくの間を置き、舞流が小さく口を開いた。春は舞流に視線を送る。先程の友からのそれと似たものを。
滝口家は、ぶっちゃけて言ってしまえば、成金だった。舞流の父親が貿易業だかの、一人娘にはよくわからない事業を成功させ、たった一代で瞬く間に成り上がった。和・洋・中を始め、世界各国の品々やパーツで無節操に構成された屋敷には、幾人かのお手伝いさん等がいたりする。舞流はいわゆるお嬢様だった。
お嬢様は社長である父親に溺愛されていた。年に数回しか顔を合わせる事はなかったが、会えば撫でられ頬擦りされ、「かわいい、かわいい」を連発された。娘はといえば、されるがままだった。特にリアクションを返す訳でもなく、「おかえり、オヤジ」と毎回言った。それでも父親は激しく喜んだ。どこをどう見ても変な親子関係だった。ちなみに母親の陰はものすごく薄かった。
そんなこんなで、滝口舞流はすっかり奇妙奇天烈な人格を持った少女になっていった。プチ深窓の令嬢ではあったが、お手伝いさん達の目を盗んでは外の世界へと抜け出した。その時のコスチュームは時に黒ロリであったり、チャイナドレスであったりした。家風に影響されたというよりは、特にこれといった好みがなかったので、その時の気分に従っていただけである。そして幼少のある日、近所の公園で、舞流は神薙春と出会った。
夕方の小さな公園のブランコに、こぐわけでもなく、素浪人のような着流しを着た髪の長い少女が座っていた。視線は地に落とすでも宙にさまよわせるでもなく水平に保たれていたが、その瞳の色は薄かった。やがて、あてもなく移動させた視線の先に、黒い小さな人影を捉えた。
目が合ったのは同時だった。交錯した視線も束の間、引き寄せられるかのように二人は動き、二人の距離のちょうど中間地点にあったベンチにそろって腰を下ろした。
何となく近しい雰囲気を感じ取った二人、最初は沈黙に包まれていたが、その内どちらからともなくポツリポツリと言葉を紡ぎ、顔を見合わせないままお互いの事を話し始めた。親友以上、姉妹未満の関係のはじまり、はじまり。
頻繁に会うようになった二人は、あの公園のベンチで並んで話す事が恒例になった。言葉は少なく、されど密度は濃く。立場も境遇も違うけれど、話す度に会う度に距離は近くなり、親近感を増していき、それは何年も続いた。
通っていた小学校は違っていたけれど、どのクラスメイトよりも近くにいた。毎日のように学校が終わっては例の公園で落ち合い、夕陽が沈むまで一緒にいた。お互いに言葉にする事はなかったが、「同じ中学に通えたら」という想いを秘めていた。
そしてなんと、中学の入学式、クラスメイトとして二人は顔を合わせた。そういえば、二人ともどこの中学に進学するかは保護者に任せきりで、ろくすっぽ知ろうともしなかったのだが、まさかこうして、あの世間に名高い超お嬢様学園の生徒にさせられようとは。
毎日毎日、家族や使用人の目を盗んでは抜け出して、日が暮れるまで家には帰らない、そんな「素行不良」が、結果として二人を引き合わせる事になったのだ。それを知り、数奇なめぐりあわせと幸運に、二人は見つめ合ってくすりと笑った。
―――後に、かの「焼刃さんのお兄さんの全校集会」で学園に加わった阿亜樹とも同じ「編入組」としていつの間にかくっ付き、三人は自然と行動を共にするようになり、現在にいたる。
<5>
「そっかそっか。うんうん、二人の人生もなかなかの波乱万丈っぷりだな」
軽い言葉とは裏腹に、真剣な表情で煌侍は頷く。話を終えたタキナギは食事を再開し、それぞれの獲物をげっ歯類っぽく、はくはくとかじっている。
二人はまだ、全てを話したわけでは無論ないだろう。未だ謎に包まれた部分は多い。今はこれでいい。彼女達が「話したい」と思って話してくれた事だけで。これから先、もっと彼女達の事を深く多く知る機会もあるだろう。ならばその時はその時でまた正面から受け止め、望まれるのならば包み込み、頭を撫でてやろう。
「けどな」
煌侍は言う。その重い響きを持った声色に、二人の動きが止まる。
「二人は今でも充分に強い。そんじょそこらの大人達よりもずっとな。けどな、どうしてもこの先、自分だけの力じゃ、二人だけの力だけじゃどうにもならん事なんかがやって来たりする。その時はな」
一旦言葉を切る煌侍。タキナギは引き締めまった表情で彼を見つめる。
「その時は、阿亜樹を頼れ」
驚き、目を見開くタキナギ。とっさに彼の言葉の真意が理解できない。
「ウチの妹達を頼れ。維那さんを頼れ。そして、オレを頼れ」
矢継ぎ早に発射される言葉。状況の進展が早い。
「貸し借りとか、そんな細かい事は気にすんな。そんなつまんねえ事を飛び越えて付き合えるのが、本当の友達や仲間ってもんだ。オレはそう思ってる。君達の事も、そう思ってる」
形容しがたい感情の波に、わななく春と舞流の手。身体の芯が熱い。
「頭の中、真っ白」と春。
「言葉が、見付からない」と舞流。
そんな二人の様子を見て、煌侍は悪戯っぽく笑ってこう言った。
「あきらめろ。もう、『そういうもの』なんだよ」
魅了されたタキナギ。そして、二人の心の奥からポロポロと言葉が零れ落ちてくる。
現在のところの目下最大の悩みは、あの藤松真弥のマネージャー、二毛山カルアからの執拗なスカウトだという。あのカラオケ大会以降行く先々に現われては、「ねね、アイドルにならない?」と異常なまでのしつこさ。
「あー、そりゃ厄介なのに目を付けられたなー。って、実はオレもなんだが」
モデルだの俳優だの、手を変え品を変え。そんなんで心変わりなんかしねえっつーの。このスカウト攻勢、昔に戻ったようだ。一時は各所からそりゃもう連日連夜で大変だったのです。
元凶を同じくし、同じ悩みを抱えていた三人。こんな所で、何とも予想外のシンパシー。苦笑の花が咲く。
硬軟織り交ぜた紆余曲折を経て食事を終えた三人は、残された時間を目いっぱい楽しむ事にする。
(……で、あれには触れない方がいいんだろうなあ)
煌侍は一人、下を向いて右手で両のこめかみを押さえる。
少し前から彼の視界の端っこにチラチラと遠目に見え隠れしている人影。黒い帽子にレンズの大きなサングラス、「×」と赤で描かれたマスクをしている。なんとも古典的な変装尾行スタイル。それなのに目立ちまくっているのは、その服装がこの晴れた日に何とも目に鮮やかな白のスーツ姿だったからだ。そう、言わずもがな、焼刃家の人間凶器級万能お手伝いさんブリュンヒルデ・タリエルその人であった。
午前中の家長抜きの秘密家族会議を終え、今度は兄のデート実態調査という別命を帯び、今あそこにいる。周囲の好奇の視線をものともせずに。というか、浮いている事に本人は全く気付いていない。今時そんな露骨に怪しい格好の奴いないって!ほら、彼女を指を差す子供を母親が引きずって行っている。
(あいつ、どこか抜けてるよなぁ。超スゴ腕のはずなのに)
まあ、そこがまたかわいくて仕方がないのだが。かつては「氷の告死天使」として裏社会で名を馳せたブリュンヒルデ、本来ならばこういった隠密行動はお手の物であるはずなのだが、律儀に「外出時は白スーツ」というルールを守っているために目立ってしょうがない。特徴的なプラチナシルバーの髪もあの変装で隠し切れているつもりらしい。先ほどから何やら熱心にスケッチブックに描き込んでいるが、あれが後で報告書代わりになるのだろう。なんだかなあ……。
<6>
「ま、いいさ」
今はこっちに集中して、存分にエスコートさせていただきましょう。不可思議な彼の言動に、不思議そうな表情をするタキナギ。
「ははっ、こっちの話。んじゃ、どっから攻めますかね、お二人さん?」
「あれ」
躊躇なく、同時に同じアトラクションを指差す二人。その直線上には「ホラーハウス」が。うわ、しょっぱなから何ちゅうベタな。
「悩殺」と春。
「籠絡」と舞流。
何やら妙なベクトルに張り切っている。口に出した時点でありとあらゆる意味で計画が水泡に帰している気がしないでもないが、そこにはあえて大人としてツッコまないでおく。誰が書いたシナリオなのかもモロバレだし。
で、入りました。
「きやあ、こわいわあ」
「あれえ、たすけてえ」
まだ、何にも出てきてませんが。
うん、実にパーフェクトな棒読みだね。まばたきすらせず、眉一つ動かさず、スローモーションで煌侍に左右から抱き付くタキナギ。監督、この大根役者二人、降ろした方が良いです。脚本兼演出家の小娘と一緒に。
その後も一定間隔を置いては、同じ行動パターンを繰り返す二人。薄暗い中、アイコンタクトを取ってから「せぇの」で抱き付く。なにこのおかしな柱時計の仕掛けもどき。それは出口まで続きました。
「……バカバカ、バカ能なし阿亜樹、バカ」
「……阿亜樹の演出センスは死ねばいいのに」
どんより&がっくり。大丈夫、完膚なきまでに三人とも同レベルだよ。「ははは」と乾いた困った笑いを浮かべる煌侍。大体、この二人に色仕掛けをやらせる事自体がミスキャスティングだ。
気を取り直して、次のアトラクションへゴー。
コーヒーカップ、メリーゴーラウンド、ジェットコースター等々、定番の乗り物をどんどんやっつけていく。さすがはタキナギ、絶叫系に乗っても声一つ上げません。けれどその後しばらくは表情が固まっていたり、挙動が不審だったりしたので、それなりのダメージは受けているらしかった。
「スリル重視の物を連荘で行ってみたわけだが、どうだった?」
こちらも少々疲労が顔に出ている煌侍が訊ねると、春は「高い。速い。風圧」と素で答え、舞流は「川の向こうの綺麗なお花畑で阿亜樹が手招きしていた」と淡々と答えた。阿亜樹、まだ生きてるから。
タイムリミットは日暮れまで。三人でとにかく遊ぶ。春が着ぐるみの中の人を視線でビビらせて風船を一度に全て旅立たせたり、黒ロリ舞流は遊園地の出演者だと勘違いされたのか、行く先々で握手や写真を求められたりした。
やはり締めは、夕陽をバックに観覧車でしょう。春と舞流が隣に並んで座り、対面には煌侍。輝く茜色の中、小さな密室に三人。
「どうだ、今日は楽しんでもらえたか?」
眩しさに目をわずかに細めた煌侍が訊ねる。コクコクと高速で首肯するタキナギ。
「人生最良の日」と春。
「スウィートメモリー」と舞流。
「ははっ、大げさだな。けど、そっか、よかった。何つーかオレも最初は妹達以外とのデートなんて想像もつかなかったけど、楽しかったな。二人のいろんな面も見れたしな」
煌侍の言葉に顔面を極限まで紅潮させるタキナギ。良かったな、今ならそれも夕陽のせいに出来る。
こうして、彼らの乗った観覧車が一周して扉が開いた時、三人のデートも終わりを告げた。互いに顔を見合わせて一つ頷き、帰路に着く三つの影。長い長い影と、二つで一つの影。……と、離れて後方に怪しい白スーツ。
<7>
帰りの電車を降りて改札を出た、煌侍とタキナギの三人。ポツンと立ち止まる煌侍の左右の二人の表情には、やや寂しさの陰りが見える。よほど今日が楽しかったのだろう。何と声を掛けて一歩を踏み出せば良いものか、と煌侍が思考を巡らせていると、
「あら、煌侍?あなた達も同じ電車だったのね」
不意を衝くタイミングで後方から声がかかった。
「ん?」
渡りに舟ではないが、煌侍が即反応して身体ごと振り返ると、そこには精気みなぎる秋橋璃矩と、疲弊しきった鎌坂瑛時の二人がいた。
「しっかし、これまた珍しい組み合わせねー。って、そっか、例の『賞品』って奴ね」
一つ一つの動作をオーバーアクションで、一人で納得する璃矩。顔立ちやプロポーションもそうだが、こういう所も日本人離れしている。
「んで、そういうおまえらは……と、見ての通りか。瑛時君、お疲れ」
意地悪く、ニヤニヤと薄笑いを浮かべる煌侍。その目に映っているのは、両手両腕、さらには両肩にまで買い物袋をぶら下げた瑛時の姿。これがあの名だたるクールガイのストイック剣士とは。
「……黙れ」
息も絶え絶えの瑛時。傍らの璃矩は「ねー、だらしないわよねー?」と、自分は彼よりは幾分か身軽ななりで軽く溜め息を吐く。
「にしても、すげえ荷物だな。一見すると夜逃げか疎開かって感じだな」
煌侍の感嘆に、タキナギも目を丸くしてうんうんと頷いて同意を示す。「荷物を持つ瑛時」というよりは、「荷物に埋もれる瑛時」という表現が正しかろう。しかし、お買い物指揮官たる璃矩は「そう?」と柳に風。
「母さんと花衣からの頼まれ物と必要品、わたし個人の買い物に瑛時の服とかプラスしてったら結果的にこうなったわけ。ま、必然としての現状ね。なのに瑛時ったらブーブー言ってくれちゃって」
「やれやれ、よ」と璃矩。恋人を見ると言うよりは、手のかかる子供か弟を見る目付き。それを受け、バツが悪そうに瑛時は顔を背ける。
「それにしても限度と言う物があるだろう。せめて二度に分けるとかだな」
「シャーラップ。買い物なんてものは『買いたい』『買わなきゃ』って思った時が買い時なのよ。そんないっぱしの口は、自分の服くらい自分で選べるようになってから利きなさい」
ピシャリとやり込められ、二の句が接げない瑛時。タキナギは阿亜樹から聞いていたイメージの中との彼との落差に呆然としている。その横で煌侍は終始ニヤニヤしっぱなし。
「……何か言いたげだな、煌侍」
「いんや。相変わらず座り心地よく尻に敷かれてんなあ、と思ってよ」
「妹達の着せ替え人形のおまえが何を偉そうに」
「それは違うな。おまえは『選んでもらってる』、オレは『選ばせてる』」
堂々の勝利宣言。「グムーッ」と歯噛みする瑛時。
「そーなのよ、瑛時ってばちょっと目を離しているとすぐに似たようなのばっかり着てるの。しかも、なーんか地味ぃーでジジムサイ感じの奴。ホント、センス矯正が大変だわ」
パートナーへの苦言を呈する璃矩だが、その表情は笑顔。結局は可愛くて仕方がないのだ。
「あーなんか色々想像つくわ、おまえ達のデート風景。どんな感じなのか訊こうかと思ったけど、もう訊くまでもない感じ」
「どういう意味だ」
口を尖らせる瑛時に爽やかな笑いを返す。タキナギもそろって無表情のまま首を縦に振る。
「想像つかないって言ったら、そっちの方よ。あなた達三人でデート、ちゃんと成立したの?」
「ん?ああ、最初の内はどっかギクシャクしてたけどな、その内すっかり打ち解けて、いい感じに動物園からの遊園地ってな定番コースを一通り楽しんできたぜ。な?」
「桃色記念日」と春。
「青春の1ページ」と舞流。
話を振られたタキナギが、ややはにかんだ表情で即答する。
璃矩は「んー、なんかよく分かんないけど、楽しかったのは分かったわ」と面白複雑そうな表情で言った。まだまだタキナギは未知の生物らしかった。
「でもよくあの三姉妹が許したわねー」
「まあ、そこはその、なんつーか、等価交換で交渉成立って感じだ」
「なるほど。そりゃタダでってわけにはいかないわよね」
一同、納得。
「じゃ、こんな所にいつまでもいてもしょうがないし、そろそろ行くとしますか。ほら瑛時、重い腰上げなさい。あと少しなんだから、気ぃ入れて歩きなさい」
「軽々しく言うな。おまえを送り届けた後、この荷物でお山を上がる私の身にもなってみろ」
珍しい。あの瑛時が人前で弱音を漏らしている。今日はよほどこってりと絞られ、連れ回されたと見える。
「うるさいわね。普段使わない筋肉使えたんだから、むしろ喜んでもらいたいぐらいだわ。これもあなたの大好きな鍛錬の一つだと思えばいいのよ」
「しかしだな、『過ぎたるは及ばざるが如し』と――」
「いーから進めっ」
終いには尻に蹴りを入れられ、渋々とぼとぼと歩き始める瑛時。「んじゃーねー煌侍ー、お二人さーんっ」とまだまだ余力を残した璃矩が大きく手を振って去って行く。ああいう所はさすがは花衣ちゃんの姉である。
「ではでは、オレ達も暗くなっちゃう前に行くとしますか」
うなずくタキナギ。長いようで短かった彼らの記念すべき初デートの、終わりを告げる時が来た。
三人は暮色がかったなじみの通りを、時折ポツポツと会話を交わしながら歩く。不思議、もっと色々話をしていたいのに、話す度にこのイベントの終わりが近付いてしまうような気がして気後れしてしまう。
まず純和風屋敷に春を送り届け、そこから少し離れた所に建っている、何とも多国籍構造の豪邸に舞流を帰す。二人とも別れ際、非常に名残惜しそうな表情で深々と頭を下げ、煌侍に礼を言った。彼はそれぞれに「オレも今日は楽しかったよ。またな」と返した。
そして、独り……いや、二人に。
「帰るぞ、リュヒ」
「ギョイ」
<8>
帰宅。やはり我が家は安心する。今日一日、当初の予想よりははるかに楽しめたのだが、こうして安住の地に身を置いてみると、やはり疲労が体内から滲み出してきた。早く愛する妹達の顔が見たい。
……おや?今日は「おかえりなさい」のお出迎えがありませんよ?それに、そこはかとなく漂っているこの微妙に危険な空気。やはりまだ今回の事を怒っているのだろうか。
「こうじ、いく」
「あ、おい、リュヒ?」
事情を知るブリュンヒルデが煌侍の上着の右袖を左手で掴み、リビングへと続く長い廊下をズンズンと連れて歩いて行く。様々な思考にふけり、二の足を踏んでいた煌侍は、つんのめりそうになりながらも先行者に歩みを合わせる。
(なんだってんだ、一体……?)
そうして、焼刃家の本丸とも言えるリビングに到着。そこには、ちゃんと三姉妹が顔をそろえていた。でもどこか、いつもとは違う雰囲気が漂っている。
「あ、兄さん、おかえりなさーい」
と、なんだかそわそわしている感じの絢華が口火を切る。
「お帰りなさいませ、お兄様。お出迎えできなくて申し訳ありません。少々立て込んでいまして」
土下座でもしかねない沈痛な表情で魅霧が続く。
「や、それは別にいいんだけどな。……なんかあったのか、おまえ達?雰囲気おかしくねえか?」
「そ、そんな事ないってば。それよりお帰りなさい、にいさん。今日はどうだった?」
なぜかどこか強張った表情の暦が否定しつつ、質問で返す。煌侍は「ああ、まあ、そこそこな」と曖昧な返事を返しながら、釈然としないままでいた。
「お兄様、そちらにおかけ下さい」
魅霧が煌侍の定位置である、家長の座たるソファを勧める。
「ああ」と煌侍は何らかの回答が得られるものと期待しつつ、彼女の言葉に従う。まだ空気は硬いままだ。重い沈黙が肌に痛い。
三姉妹は何やら目配せをし合う。絢華と魅霧は決意を込めた視線で、暦は諦観らしき色を表出させて。
「お兄様、今日からちょうど一週間後、私達とデートしていただきます」
口を開いたのは、またしても魅霧だった。ここでも彼女は、指揮官に相当するポジションらしい。
「うん。それは今朝も確認したから憶えてるけどよ。けど、一週間後か?別にいいけどよ、またえらく急な感じだな。なんに焦ってんだ?」
「わ、兄さん、さすがだねっ」
絢華が思わず感嘆する。魅霧が「また、姉さんたら」と言いたげな視線を向けたが、気持ちを切り替えるかのように一息吐く。
「ええ、認めます。私達の中にある種の、焦りにも似た感情が強くわき上がりつつあるのを。お兄様の私達への愛には何の疑いもありませんが、その、私達のお兄様への想いが、以前よりも届きにくくなっているのではないか、と」
魅霧にしては言葉が拙い。誤解を招かずにいかに真意を伝えたものか、いざ本人を前にして緊張の色を隠しきれていない様子だ。
「ほら、にいさん最近、またかなりモテ始めるから、さ」
暦がすぐ上の姉を、分かり易い表現を用いてフォローする。珍しいケースだ。「暦ちゃん、ありがとう」、表情で魅霧が礼を言う。
「そおかあ?」
「そうなのっ!」×3
即。
なるほど、しかし、そういう事だったのか。反論したい部分も多少なりともあるのだが、今日も現にこうして、他の娘達とのデートを終えて帰宅しているのだから、煌侍としては立場がない。と同時に、脳裏に様々な女性陣との最近のあれやこれやがよぎる。……あ、確かに。
「そこで」
魅霧の一言で、顔を上げる煌侍。と、それをきっかけにしてか、立ち上がる三姉妹。ささっと、そちら側へ駆け寄るブリュンヒルデ。大きく息を吸い込む四人。
「『ラブリィシークレット』を解禁しますっ!」
その特撮戦隊物みたいなポージング、何?
<9>
この一週間、焼刃煌侍の顔面の筋肉は弛みっぱなしだった。名だたる美形もどこへやら、一日中締まりなくニヤニヤと何やら思い出し笑いをしていた。紳佐には「大丈夫ですか?」と本気で心配され、璃矩からは「うわ、キモッ」とひどい事を言われたりしながら。
焼刃煌侍の人生年表上、最も長い一週間であったのではなかろうか。常に落ち着きなく、行く先々でカレンダーの日付を確認しては、ときめき色の溜め息を吐いた。自宅の彼の部屋とリビングに掛けられているカレンダーのその日には花丸が赤色で付けられ、「ラブリィシークレット解禁!!」と書かれていた。
煌侍はその日を一日千秋の思いで待ち焦がれ、暦は胃に鉛玉を飲み込んだかのような感覚で、死刑宣告を待つかのように、それぞれ日々を過ごした。
いよいよ、当日。「ラブリィシークレット」解禁の日。煌侍はものすごくがんばって起きた。いつもは三姉妹+ブリュンヒルデが総出でやっと薄目を開けるぐらいの男が、何と自力で起きた。しかも、起床予定時間前に。
ベッドで上半身を起こして、しぱしぱする目を擦りながら眠気を振り払おうとしている彼を、本日の起床部隊の第一陣として派遣されてきたブリュンヒルデが発見し、目を丸くして思わず「……こうじ、ほんもの?」と訊ねたほどだ。
―――さて、この辺りで好い加減、「ラブリィシークレット」なるものの全容及び詳細を説明せねばなるまい。そもそもこのプロジェクトは、煌侍が藤松真弥のラジオ番組に、ジャッジメントデイのギタリストである伍沢光晴の代役として出演する日の朝、暦が兄を起こす最終手段として耳元で囁いて一発覚醒させた事が始まりである(*第4話参照)。……なんだ、よくよく思い起こしてみれば、今回の一件、暦の自業自得じゃないか。
「ラブリィシークレット」、その時からいつの間にか便宜上そう呼ばれようになったもので、かくしてその実体は、「暦ちゃん乙女計画」(命名:絢華)である。
普段、何かと「孤高の君」やら「闘神末姫」などと知らずの内に呼ばれ、いつの間にかそんなイメージが定着し、ひとり歩きしてしまった焼刃暦。本人のあずかり知らぬ所で、まことに不本意な事だ。彼女はただ、姉達やブリュンヒルデ、それに他の仲間達以外とのコミュニケーションが下手で苦手なだけなのに。
ロングストレートポニーに涼やかな切れ長の瞳、最高水準で均整の取れたスタイル。本来はチャームポイントであるはずのパーツ達が、捻じ曲げられたパブリックイメージを助長し、すなわちレッテルとなってしまっていた。「これは望ましくない」と常々思い、本人以上に兄と姉二人が「どうしたものか」、と悩んでいた。
そこで、発案されたのが「暦ちゃん乙女計画」である。何やらご大層な響きであるが、要するに「暦ちゃんはかわいい女の子なんだから、一度思い切ってイメージチェンジしてみよう!」というノリの代物である。プロジェクトの命名者兼発起人である絢華を兄は大いに褒め称え、お兄様至上主義者の魅霧はすかさず賛同し、多数派工作により、唯一の消極派であった本人は、あっさり陥落せざるを得なかったのだ。なんという姦計。実際のところ、本人にもその手の願望は以前からくすぶっていたようではあるのだが。
<10>
時が経つのが異常に遅い。どうしてこう、何かを待っている時の時間経過は、1分1秒が長く感じられるのだろうか。
すっかりバッチリ(死語)身なりを整えた煌侍が、リビング内を動物園の檻の中のライオンのように徘徊している。三姉妹はそろって母の経営する美容院「BLAZE」に先乗りし、本日のデートの用意(主に暦の)の仕上げにかかっている。正確に言うならば、往生際悪く渋る暦を、姉2人が強引に連れ去って行ったのだが。
時計の針の音がやけに大きく聞こえる気がする。妹達からの連絡が来次第、煌侍もBLAZEへと急行、合流する手筈になっている。ウロウロしては、据え付けられた電話を睨みつける、さっきからずっとその行動パターンの繰り返し。まるで、妻の出産を待つ旦那のようだ。
ええい、まだか。
「こうじ、おちつく」
こちらもいつもの正装、白スーツに身を固めたブリュンヒルデが主をたしなめる。主である煌侍がソワソワしているので、彼女自身もなんだか落ち着かない。
――と、遂に電話が鳴った。すかさずそれに飛び付く煌侍。そのスピードたるや、ブリュンヒルデが「ニンジャ!?」と驚いたほどだ。
「で、どうだ?――うん、うん、おお、そうか。じゃあ今から行く。すぐ行く」
喜色満面で受話器を置くやいなや、「リュヒ、行くぞ!」とブリュンヒルデの襟首を掴んで玄関へと駆け出す。
「こうじ、はやっ、まつ、おちつくーっ」
長い悲鳴が尾を引いた。
焼刃家御用達の白外車の後部座席のドアが開くと同時に、ブリュンヒルデの手を引っ張って、BLAZE店内へと駆け込む煌侍。顔なじみの女性美容師達の「キャーッ、煌侍くーんっ!」の声におざなりに手を振り返し、目指すは三階。階段を瞬速で駆け上がる。エレベーター?エスカレーター?そんな悠長な事やってられません。
「どうなった!?」
急ブレーキとともに滑り込む。
飢えた肉食獣がごとく勢い込む兄の声に振り向いた暦の姿は――。
「――!」
声が、出ない。彼はありとあらゆる言葉を忘れてしまった。
「どーお、これまでのわたしの職人人生で間違いなく『最高傑作』って断言出来るわよ」
三姉妹の傍らで、もはや焼刃家お抱えと言ってしまっても差し支えないかもしれない美容師・河合純香が、誇らしく胸を張る。絢華と魅霧も、その言葉に満面の笑みで頷いて見せる。
そこにいたのは、いつものロングポニーテールの暦ではなく、何にも縛られない、ストレートヘアーの暦。なんと豪奢な。服装も普段のラフなものから、清楚な白のワンピースに淡いブルーのロングスカートに。
「……エレガント……キュート……ビューティフル……マグニフィセント……」
魅入られた煌侍が、熱病に冒されたかのように感嘆と賞賛のフレーズを呟き続ける。
「こよみ、きれい」
ブリュンヒルデも目を丸くしている。
「そんな、にいさん、恥ずかしいってば」
顔を真っ赤にした暦がうつむいてしまう。両手を身体の前で組み合わせて。
「ああっ、もったいないっ。暦、顔を上げろ。もっとオレに見せてくれ」
「そうよ。それだけの代物、隠しちゃうのは罪ってものよ。わたしもロングストレートにはちょっとした自信があったんだけどね、完全に負けたわよ。ええ、そりゃもう、完膚なきまでにね」
哀願する煌侍と、諦めモードの悔しさを半分含みつつも激励する純香。
「二人とも、大げさだってば」
恐る恐る顔を上げる暦。まだまだその顔面は紅潮したままだ。しかし、はにかみつつも、愛でられる喜びを全身で感じつつ兄の瞳をしっかりと見つめ返す。
「いや、実際惚れ直した」
なぜか傲然と胸を反らして腕を組み、断言する煌侍。お兄ちゃんは綺麗な妹が自慢で仕方ないのです。
<11>
「む」
それにすぐさま反応する二つの声。魅霧と絢華である。暦がより美しくなったのは姉として素直に嬉しいが、兄を愛するライバルとしては、ほんのちょっとだけ面白くない。リードされた分は、即挽回したい。
先に動いたのは魅霧。彼女のトレードマークともなっているツインテールを結ぶ二本のリボンを惜しげもなく一気に解くと、勢いをそのままに髪をブラッシングしていく。最初は疑問符、やがてその意図を知り、わくわくして見守る面々。
そして、不敵に瞳を輝かせ、暦の隣りに並ぶ。何とも見事な美しきロングヘアーの共演(競演)。こうして髪を下ろすと、偶然にも二人ともほとんど同じ長さだった。
「おー」
低い感嘆の声が、口々に上がる。その反応に満足気に溜飲を下げる魅霧。
「やっぱ似てるなあ」
新鮮な光景に、何とも的外れな感想を述べる煌侍。かくん、とずっこける純香。
「煌侍君、あなたねぇ……」
苦笑する。変な兄だ。冷静に考えると妹達も変だが。
「そりゃあ」
「三つ子ですから」
口をそろえる暦と魅霧。誇らしげに、嬉しそうに、楽しそうに。
そこで、今度は長女が動いた。置かれていたウイッグを豪華に被ると、手際よく馴染ませていく。
「じゃんっ」
ロングストレートとなった三姉妹が横一列に並ぶ。壮観だ。
「おー、すげえすげえ。似てる似てる」
「にてる」
手を叩いて喜ぶ煌侍とブリュンヒルデ。純香はさらにたじろいだ。本当におかしな兄妹だ。せっかく自分が完成させた芸術作品も、いつの間にかコメディタッチの空気の中に紛れ込みつつある。
「あーあ、あたしも髪伸ばそっかなあ」
鏡に映した自分の姿を見、一時のロングヘアーを弄ぶ絢華。ショートボブの自分を気に入っているが、妹二人のように遊べないのはちょっと悔しい。出来過ぎた妹達に必要以上に劣等感を持つ長女は、拗ねたような表情を見せる。
「いいんじゃねえか、それも。別に無理して区別つける必要もねえんだし。オレには分かるんだから、そんでいい」
「ホント?どうしよっかなー」
兄の言葉に破顔する絢華。兄さんは、いつでもその時に一番欲しい言葉をくれる。大好き。
「そうそう。姉さん、やりたいようにやっちゃいなよ。あたしも、何か吹っ切れたし。ま、このカッコはとりあえず今日だけだけど」
「えー、なんでー?もったいなーいっ。せっかくキレーなのにー」
「そうよ、暦ちゃん。周りの目なんて気にする必要はないんだから」
「や、そこは徐々に、って事でカンベンしてよー」
わいわいと騒ぐ焼刃兄妹の輪を外れ、こそこそと挙動不審な影1人。
「……ん。むずかしい」
様々なウイッグを当ててみては、頭をひねる。己の事ながら、知らずの内に対抗意識を静かに燃やす、ブリュンヒルデであった。
「――手伝いましょうか?」
「ひっ」
「見てたわよ」、と悪魔的な含み笑いをしながら忍び寄る純香に怯えるブリュンヒルデ。あの時の事が頭をよぎり、脱兎のごとく逃げ出す。
「い、いらないっ」
「あら、逃がしちゃった。残念」
BLAZEの従業員一同に別れを告げ、焼刃兄妹はブリュンヒルデの運転する車で、一路最初の目的地、動物園を目指す。
「暦ちゃん、お兄様と二人きりでなくて本当に良かったの?」
車中、魅霧が素敵な変貌を遂げた暦に優しく問いかけた。そう言う彼女は、いつもの完全無欠のツインテールに戻っている。
「そうだよ。あたし達の事は気にしなくてもよかったのに」
絢華も言う。やや後ろめたさを秘めた表情だ。
「うーん……今は、まだ。姉さん達やリュヒがいてくれた方が。今日の事は、きっかけだから」
眠りこける兄の寝顔を柔らかく微笑んで見つめ、暦が答えた。次いで車のウィンドウに映るいつもとは違う自分の姿を見、少し自虐的に一つ笑う。自身の勇気のなさを嘆くように。
「うん。ゆっくりでいいよ」
絢華が言う。
「あたし達には、まだまだいっぱい、これからがあるんだから」
「そうだね」
「ええ」
三姉妹は見つめ合って微笑み、最愛の兄の寝顔を見守る。彼女達の全ての中心は、このひと。
「あたし達には、兄さんがいるもの」
「お兄様がいる限り、私達は永遠」
「あたし達の全ては、にいさんのために」
<12>
焼刃兄妹とブリュンヒルデは、動物園から遊園地へと大いに遊んだ。子供のようにはしゃぎ、笑顔を爆発させた。五人が五人、何しろあの容姿だ、どこに行っても目立って仕方がなかったが、彼らは気にしない。そんな物は目に入らない。せいぜい背景の一部でしかない。
特に今まで娯楽施設に全く縁がなかったブリュンヒルデの一挙手一投足は、焼刃兄妹を大いに喜ばせ、楽しませた。好奇心を隠しきれずに、糸の切れたグライダーのようにちょこまかと動き回り、時に固まったり、派手なリアクションを取ったり、煌侍の背に隠れたりした。ここにも「はじめて」がいっぱいだった。動物園では様々な動物達に、遊園地では子供達に、やたらと懐かれていた。本人は困惑する事しきりだったが、煌侍は「リュヒの本質を見抜いて、そばにいたがってんだよ」と言って、優しく彼女の髪を撫でた。
「時は残酷だ」、と誰かが言った。
確かにその通り。楽しい時間は、瞬く間に過ぎて行く。気付けば周囲は暮色に包まれていた。
「観覧車、乗れなかったね」
絢華が少し寂しそうに、ポツリと言った。
「四人乗り定員、じゃね」
風に長い髪を自由になびかせ、暦がサバサバとした表情で言った。
「私達には狭すぎるわ」
魅霧が、柔和な瞳の奥に確かな光を宿らせて言った。
「ま、どうしても乗りたくなりゃ、もっとデカい遊園地に行くか、何ならいっそ庭にでもおっ建ててやるさ」
事もなげに煌侍が言ってのける。
「あ、それいーねー」
「素敵素敵」
絢華と暦がはしゃぐ。
実は先ほど、ブリュンヒルデが「自分はいいから四人で乗ってきてくれ」と言ったのだが、焼刃兄妹は誰一人として首を縦に振らなかったのだ。
「オレ達には、無限の可能性がある」
まぶしげに夕陽に目を細め、煌侍が宣言する。世界に宣戦布告する。目線の先には観覧車。ガラスに夕陽を反射させ、オレンジ色の輝きを放っている。
「こんな小さな箱に押し込める必要なんざないさ」
大きくうなずく三姉妹。瞳を潤ませるブリュンヒルデ。
「さ、今日のところは帰るとするか。んで、また次の楽しい計画を練ろう」
「はいっ」と答える三つの声。
五人は遊園地を後にする。そして白く輝く車に乗り込み、帰路に着く。目指すは愛の巣。
今日と言う日は365分の1でも、人生の1ページでもない。そこで終わりはしないし、リセットもされない。
それは彼らの、煌めく航路の、旅の途中。その幕は決して、彼らから下ろす事はない。果てしない夢を掲げ、進む、進む。
<了>




