第12話 「Festa!」
<1>
「えーっ、なんでオレなのよーっ……?」
大学の講義室、短い休み時間、焼刃煌侍の不満の声が上がる。座席に座ったままの彼が苦虫を噛み潰したような表情で見上げる先には、あまりにも場違いな豪奢なフリルドレスに身を包んだクリーム色の縦ロールのヘアスタイルの英国姫。屋内なのにドレスとおそろいの柄のフリルの日傘を差している。
「『なんで』も否やもありませんわ。実行委員長たるこのワタクシ、エリゼ・ユリ・セントクレアー自らがアンケートを採り、このワタクシのサポート足りえる副委員長の人選を行ないましたところ、不・本・意・な・が・ら、あなたが選ばれましたので、こうして直々に伝えに参りましたというのに」
寝耳に水。理由を聞かされたところで、すぐに「はい、そうですか」と納得できるものではない。口を尖らせた煌侍は、隣りの席に腰を下ろしている友に話を振る。
「イベントの存在自体は知ってたけどよー。んなアンケートが行なわれたなんで知らなかったぞ。なあ?」
「ええ、そうですね。僕も初耳です」
答えた男性の名は曽根崎紳佐。身長189センチ、白銀に染め上げられた超ロングヘアーに、全身を包むレザーファッション、その各所にシルバーアクセサリーが輝く。
「あなた方がしょっちゅう大事なイベントの時に欠席するからですっ!」
がーっ!と怒られましたよ?溜め込んでいた物が一時的に爆発したらしい。周囲の好奇の目に気が付いてすかさず体裁を取り繕うが、こめかみのピクピクが隠し切れていない。
「というわけで、あなたに拒否権はありませんのでそのつもりでっ。そちらの銀髪さんはその補佐、詳細は追って通達いたしますっ」
もうこちらを見もしないで一方的にまくし立て、プンプンと怒気を周囲にまき散らせながら、エリゼは去って行った。完全に取り残された男二人。
「……いつにも増して、えらい剣幕だったな」
「……そうですねぇ」
「あそこまで怒る事かぁ?」
「アレは多分に照れ隠しの要素が混じってますから」
「照れ隠し?なんで?」
「これだけヒントがバラまかれていて、答えにたどり着けないっていうのも、いっそお見事ですねぇ。報われない努力を続ける方には、『ご苦労様です』と言う他はありませんが」
「溜め息混じりでひとりで納得してんじゃねぇよ。……でさ、オレもう一個疑問があるんだが」
「うかがいましょう」
「あの縦ロールのお姫さん、なんでこの大学にいるんだろうな?レベルが高いわけでも金持ち学校ってわけでもなんでもねぇのに」
「……君のその鈍さの特効薬は、馬に蹴られてみる事かもしれませんねぇ」
「?」
少し前にも見たようなシチュエーションの中、二種類の沈黙に包まれる二人。困惑と諦め。
「あーっ、わっかんねーっ」
「わかっちゃったら君、きっと身体がもちませんよ」
「だーっ、もう、これ以上惑わす事言うんじゃねぇっ」
罪な男と、それを軽く罰する男。
<2>
「そう。それは全面的に煌侍君が悪いわね」
「かーっ、純香さんまで紳佐の味方かよー」
まんまとエリゼに副実行委員長に任命されてしまった煌侍は、その日が明日に迫った今日、母が経営する美容院「BLAZE」に来ていた。イスに座り、スッポリと化学繊維の布を被らされ、てるてる坊主のようなスタイルになっている。
彼の施術を毎回担当するのはこの人、河合純香。煌侍よりも2~3歳年上だと思われる。目元涼やかなハスキーボイスのクールビューティ。今日はそういう気分なのか、ご自慢のロングヘアーをストレートポニーに束ねている。少しだけ暦と印象が重なった。
マスコミなどに「埋もれたカリスマ」扱いされる事もしばしばである彼女は、今のポジションが気に入っているのか、どこのどんな誘いにも乗らない。焼刃兄妹の母である琳を縦横無尽にサポートし、後輩の面倒をよく看る姉貴分。
実は本来この店には女性客しか入店できないのだが、特例として煌侍と紳佐は彼女のお世話になっている。瑛時はといえば、なまじ剣術の方面で彼女と知己であるが故に気恥ずかしいらしく、頑なにここへ来る事を拒んでいるが、恋人である璃矩がここの常連であるため、何かと心境複雑のようだ。
「んあー…っふ。あー、煌ちゃんだぁ。いつぶり?まぁいっかぁ。今日もキレイになってってねー」
店の奥からここで寝泊りしている琳が、大あくびをしながら出て来た。そしてそのまま通り過ぎて行く。三階建ての「BLAZE」は、ここ三階がVIP客専用スペースと琳の居住空間になっているのだが、コンセプトとしてそもそも間違っている気がする。
「ひでえ言い種だ」
「いいのよ、あの人はあんな感じで」
苦笑する煌侍に、柔和な表情で純香が返す。
が、ここで意外な行動パターン。琳が戻って来た。頭にバスタオルを乗せ、口に歯ブラシをくわえた格好で。そうして、施術されている煌侍の後方、黒革のソファにちょこんと腰掛ける人物の前に立ち、半分閉じた目で上から覗き込んで観察する。
「煌ちゃん煌ちゃん、この子誰?髪キレー、伸ばせばいいのにー」
「あ?ああ、この前言ったろ。その子がウチの新しい家族のブリュンヒルデだよ」
固められた体勢のまま、ぐりんと後ろを向いて母に説明したはいいが、「ま・え・を・む・い・て・る・っ」と純香に頭をガッシリと両手で掴まれ、大きく乾いた音がしそうな勢いで正面を向かされる。
「あー、あーあー、この子が例のー。納得ー」
そう言い残すと、琳はまた去って行った。雇い主である煌侍の母にあいさつしようと腰を浮かせたブリュンヒルデは、中途半端な姿勢で固まったまま置き去りにされてしまった。
「ま、あの人のペースには誰も…ね」
苦笑する純香。煌侍も「リュヒ、座ってていいぞ」と言う。ブリュンヒルデは訳も分からず、「ふみゅう」と小さくなって、再びソファに腰を下ろした。
「で、わたしは聞いてないんだけど?」
「何を?」
「あの子の事よ」
正面の鏡に視線を固定したままで、クシの先端で後方のブリュンヒルデを指す純香。
「え?だからさっき母さんに説明した通りだけど」
「くわしく」
「はい?」
「詳しく説明なさい。でないと、アニメにもいないような髪型にするわよ」
「わーったよ。しますよ、説明。ったく、なんで純香さんまでもがそんなに気にするんだか……」
<3>
「ふーん。そういう事だったの。でもそれって、あっさり信用し過ぎじゃない?…っと、怖い怖い」
眼光を鋭くしたブリュンヒルデの殺気を感じ取り、肩をすくめる純香。実はさっきまで大変だったんです。
白い高級外車に白スーツのブリュンヒルデ、明日の大学創立祭のための身なりを整えにと煌侍を乗せてやって来たのは、二人が初めて出会った思い出の美容院。当時を思い出して彼女もご機嫌だったのだが、いざ施術が始まろうかという段階になり、はたと気が付いた。身動きの取れない煌侍に、ハサミやカミソリといった武装をした女が構えを取っているではないか!これは主の一大事!
といった具合で、説明するのにも一苦労。当然文化として美容と言う物は知っていたが、守るべき主を見ず知らずの人間には任せられない。それならば自分がやる、などと。今まで自分の髪を自分で無造作にカットしてきたブリュンヒルデが、一体何をどうするつもりだったのやら。手先が人並み外れて器用な彼女の事だ、教えればわりとあっさりとマスターしただろうが、時と場合を考えさせて、ともかくこの場は収めさせた。純香は敵ではなく、むしろ唯一安心して身を任せられる存在である事、をしっかりと言い聞かせた。一応は納得したようだが、彼女のその目は、純香のテクニックを盗んで次回から駆使する気満々である。
「はぁ、やりにくいったら……」
苦笑混じりの溜め息。
「だけど……んふっ」
純香の両眼が細まり、猫のような口になる。煌侍は「あちゃあ、純香さん、こりゃ何か思い付いたな」と左手で顔を覆った。
「ま、それはひとまず置いといて」
(置いとくのかよ……)
チャキチャキ、チャキチャキとハサミの刃が交差する音が響く。妙な緊張、変な空気。
「でもさ」
その無駄に重苦しかった空気を、純香が破壊してくれた。さすがはこの場の最年長、わきまえている。
「明日が本番当日なんでしょ、“副”実行委員長がこんな所にいていいの?」
もっともな疑問だった。
「あー、いーのいーの。オレ、最初っからお飾りらしいから。これまでも各部署回って形だけの激励とか様子見とかやってたんだけど、なんかオレが行くと逆に作業が遅れちゃうみたいでさ。実行委員長様に『あなたはじっとしてなさい!』って怒られちゃった」
(そりゃ煌侍君が行くと、女性陣は仕事にならないでしょうね……)
純香は心の中でひとりごちる。ありありとその光景が目に浮かぶようだ。と言うか、今まさにここでもそんな状況が。
「あ・な・た・た・ちー、仕事しなさいっ」
壁の陰から煌侍の姿を覗き込んでハァハァ言っていた女性従業員達を怒鳴り飛ばす。
「まったく、毎度毎度……」
目を閉じて肩で大きく息を吐き、呆れる純香。煌侍は苦笑いを浮かべつつ、話題を元に戻す。
「でさ、その実行委員長様ってのが、とにかくよく動いて口も出す人でさー。ホント、オレのサポートなんか全然必要ないの。なんでわざわざアンケートまで採って任命されたんだか」
「さあーてねー、なんででしょうねー。で、今日はここからどんな感じにする?」
「んー……と、そうだなぁ。じゃ、純香さんでもグッと来ちゃうような感じで」
「なっ、なな何言ってんのよ!」
ぺしんっ。思わず煌侍の後頭部に掌底をかます純香。クールビューティで知られる彼女がこれほどまでに取り乱す姿はなかなか見られるものではない。
「ってぇ、なんだよ純香さんっ。冗談で言ったんじゃないって」
「そうやって無自覚だからタチが悪いのよ君はっ。って、煌侍君ヘルプ!この子、わたしのノド元に手刀を――」
すっかりてんやわんや、ご主人様の頭をはたかれた事にキレたブリュンヒルデが殺意の波動に目覚めるわ、煌侍は危うく耳を切り落とされそうになるわ、騒ぎを聞きつけて集まって来た従業員達が混ぜっ返すわ。
ぜー。ぜー。
「疲れたわよ、今日は本当に」
「なんか色々ゴメンな、純香さん。今日はありがと。これで明日は上手く行きそうだよ」
「お・待・ち・な・さ・い」
「へ?オレ?」
「じゃないわよ。そ・っ・ち・よ」
にっこり。でも、こめかみに青筋交差点。この人、怒ると言葉にスタッカートが含まれる、それが連発。かなり、キてます。
「リュヒ?」
「そ。さあ、おねえさんがキレイキレイしてあげますからね~。さっきはとぉーってもお世話になった事だし」
「こ、こうじ、こわい。たすける」
じたばた。
「あきらめろ、リュヒ。これももしかしたら、いい機会かもしれん。いっぺんちゃんとカットしてもらえ」
「こうじ、はくじょうものっ。リュヒ、たすけようとしたのにっ」
合掌。
だけど、結果的に二人とも、さらに美男美女に仕上げてもらったので、よしとしますか。グッと来ます。
<4>
大学創立祭当日。雲が小さく数個しか発見できないくらいの、突き抜けるような晴天。絶好の開催日和。
だがしかし、雨の日だろうと雪の日だろうと、煌侍の朝の弱さは変わらない。今朝も今朝とて、三姉妹が三人がかり…では終わらず、今朝はヘルプに入ったブリュンヒルデをも巻き込んでのカルテットで、ようやく薄目を開けたような状況でした。
「んも~う、どうして今日みたいな日にウチの高等部は行事なんかあるのよー」
寝ぼけた兄に抱き付かれて乱れたポニーテールに櫛を通しながら、鏡台の前で暦がボヤく。口には細くて赤いリボンをくわえている。
「……サボっちゃおっか?」
長女の絢華の悪戯っぽい魅力的な提案に三女・暦が半ば以上同調しかけるが、焼刃家のご意見番である次女・魅霧の叱責するかのような瞳の色に圧されて「うっ」とたじろぐ。
「ダメよ、姉さん、暦ちゃん。今日はお兄様をお願いね、リュヒ」
「わかった。まかせる」
こくん、と小さくうなずくブリュンヒルデ。動作こそ小さいが、強い意志の光が、両眼に宿っている。が、そんな話題の中心人物である煌侍は、リビングのソファで大きく舟を漕いでいる。本日の彼のファッションは、ブリュンヒルデと合わせたフォーマルな白のスーツ姿。否が応にも、ブリュンヒルデには気合いが入ろうというものだ。
「兄さん、起きて起きてー。そろそろ出ないと間に合わなくなっちゃ――きゃふっ」
頭を垂れた煌侍の顔を正面下から見上げ、兄の肩を揺すろうとした絢華が、見事に抱き付きトラップにかかって捕獲された。こうなってしまうと、また他の三人がかりで引っぺがし作業が始まる。
「あーん、髪がー。制服がシワになっちゃうー」
と兄の腕の中でもがく絢華の表情は、言葉とは裏腹に嬉し恥ずかしバージョンで、相反する胸中を如実に物語っている。
「にーいーさーんーっ、じーかーんーがーっ!」
童話「大きなカブ」の有名な一場面のような光景。暦の叫び声がこだました。
「あだだだだだだっ!」
某胸に七つの傷がある男風の悲鳴再び。そして、もうすっかりおなじみとなった白の高級外車の後部ドアから、左耳を両手で押さえた煌侍が転がり出て来た。いつぞやみたく、また耳たぶを噛まれて起こされたらしい。
今日のフォーマルな白のスーツでは車内で横になるわけにもいかず、半ば座席に縛り付けられるように固定された煌侍だったが、それでもやっぱり熟睡し、抱き付き癖発動。で、返り討ちにあって現在に至る。
「あつつ……。おまえ、もしかして噛み癖がついてないか?ったく、しつけ、間違えたかな」
まだ少し顔をしかめながら、煌侍が凝り固まっていた身体をほぐす。「うーんっ」と伸びをしたり、肩を回したり。
「がう」
手櫛で髪を整えながら、後方のブリュンヒルデが雇い主を小さく威嚇する。
「こうじ、きのう、リュヒみすてた」
「あぁ?そりゃ『BLAZE』での純香さんとの事か?おまえ、案外根に持つタイプだな。結果かわいくしてもらえたんだから、いーじゃねえか」
わしわし。せっかく元に戻した彼女の髪を、そう言って無造作にかいぐる煌侍。
「わふっ、なおしたなのにっ」
そんなキュートな抗議の声なんて聞こえません。
「フーッ!」
もしかして、野生に戻りつつある?
「キャーッ!副委員長、今日はがんばってくださいねーっ!」
焼刃煌侍の行く所、常に黄色い声援が飛び交う。本日の彼の肩書きは「副委員長」、そうなった事で普段よりもずっと声を掛けやすくなったのだろう。個別にリアクションを返している余裕すらない。
焼刃兄妹にしか分からないであろう、ごくごくわずかな表情の変化でムッとするブリュンヒルデ。
(こうじ、にんき、ありすぎ)
彼女自身はまだまだその感情の正体を知らないが、とにかくあまり気分がよろしくない。まるでSPのように煌侍のそばに寄り添いながら、周囲に注意を払う。
「なーに気ぃ張ってんだよ、おまえ。今ここは大丈夫だって。もうちっとオンとオフを使いこなせるようになろうぜ」
やはり煌侍にはバレてしまっていた。彼は力や気の流れに敏感だ。特に家族や仲間の物には。
「ま、おまえ自身も注目の的なんだから、仕方ないっちゃあ、ないけどな」
薄く、意地悪く笑う煌侍。
「?……!」
そう言われて初めて気が付いた。日本人ばかりの中、白磁の肌にプラチナシルバーの髪、アイスブルーの瞳の自分こそ、ここでは目立ってしまうのだ。浮いている、と換言してもいい。
「こうじ」
戸惑い、思わず煌侍のスーツの上着の右肘の部分にすがり付くような格好になった。不安でたまらない。こんな気持ちは初めてだ。でも、こんな「はじめて」はいらない。
「わぁ、なんか新郎新婦みたいね」
誰かが言った。そう言えば、白スーツのペアルック。
「……!!」
紅潮。一気に赤面。これも、はじめて。もう、どうしていいのか全然わからない。飼い主とはぐれてしまった子犬のように、わたわたと身をよじる。
と、
「オレならここにいるだろ?」
力強い右腕にグイッと引き寄せられ、頭を包み込まれた。それだけで、ものすごく落ち着く。安心。さっきまでの感情の渦が、一瞬でどこかへ吹き飛ばれて行ってしまった。
「不安になるな。オレが『幸せにしてやる』って言ったろ?」
覗き込まれる瞳。この瞳さえ見つめられればいい。周囲の視線なんてどうでもいい。深く不思議な瞳の色。見る度に、見つめられる度に、違う色に見える。焼刃家の人間だけが持ちえる、妖しくも美しい魅力。魅入られる。
「うん。こうじ、ここにいる」
小さいけれど強く、ブリュンヒルデは答える。主に宣言する、「いつでも、いつまでも」と。
「おっけ。じゃ、行くか。気の短いお姫様が痺れ切らして待ってそうだもんな」
笑顔。今は自分だけのために見せてくれるもの。心の奥底が熱くなる。
「いく」
大きく頷いて従う。これが、これからも、二人の関係。もうその結び目は決してほどけない。
<5>
「ほへぇーっ……」
完璧にセッティングされた特設ステージを見上げる煌侍&ブリュンヒルデ。いざ完成してみると、そのスケール&豪華さが格段に違う。
「ふふ。いかがです?」
荘厳なバックミュージックとうやうやしい執事を従え、創立祭実行委員長様のご登場だ。その手にはフリルの日傘。わずかに表情を強張らせるブリュンヒルデ。
「……なんかホストクラブみたい。行った事ねえけど」
ボソッと煌侍。
「なんですってっ!?」
あ。聞かれた。さすがの地獄耳。
「――には、とても見えない。よな、リュヒ?」
「ギョイ」
わざとらしくごまかす二人。絶対成功していないが、知らない振り、見ない振り。
「……ま、いいですわ。本日はワタクシ、すこぶる気分がよろしいの。見逃して差し上げますわ。本日の主役はこのワタクシ、あなたはお飾りの“副”実行委員長。せいぜいワタクシと創立祭を盛り立ててくださいましね」
ぅをーほっほっほ、と高笑いのお姫様。本当に上機嫌らしい。
「それでは、ワタクシは何かと多忙ですのでこの辺で。あなたも開会式には遅れませんように」
しゃなりしゃなり、傲然と。初老紳士の執事を従え、エリゼは去って行った。やれやれ、今日一日気の重い事だ。しかし、煌侍のそんな予想は裏切られる事になる。より悪い方向に。そう、そんなもんじゃないんです、なかったんです。
「それではこれより、創立祭開会式を始めます!」
やや甲高い女生徒の声が各所のスピーカーから流れ、いよいよ煌侍の副実行委員長としての一日が始まる。
軽く溜め息。心配げに彼を見やるブリュンヒルデの髪を微笑みつつ撫でつけてやりながら、「心配すんな」と言う。目を細める心配性な付き人。
「では、参りますわよ。始まり、ですわ。あくまで主役はこのワタクシ、あなたはワタクシの補佐、それをくれぐれもお忘れなく」
薄暗いバックステージにあってもくるくると愛用の日傘を弄びながら、エリゼが告げた。お姫様からの「出征にお供せよ」、とのお達しだ。
「んじゃリュヒ、ちっとばかしいい子で待っててくれな。めんどっちぃ行事を片付けてくっからよ」
「ギョイ。こうじ、しっかり」
「はは、オレの出番はねえさ。っと、お姫様がお怒りのご様子だ。行ってくら」
スーツの襟を正し、軽く駆け出す煌侍。目線の先では、エリゼがもう壇上へと続く短い階段を登り切ろうとしていた。
「ぉっと」
階段を駆け上がり、ステージへと上がった煌侍の目を、快晴の日差しが射すくめる。裏との明暗の差に、わずかに顔をしかめる。しかし、よく晴れたものだ。
割れんばかりの歓声。ステージ上には司会進行係の女生徒と開会のあいさつを務める実行委員長たるエリゼ・ユリ・セントクレアー、さらにはお飾りで後方に控え、立っているだけでいい焼刃煌侍。エリゼはその盛り上がりに満足気な笑みで、上品に客席へ手を振る事で応えている。もちろん日傘は手放さない。
絵になる足運びで、センターマイクへと歩み寄るエリゼ。やがてそこへ到達すると、埋め尽くされた観客席を鷹揚に一瞥し、第一声を発しようとする。
ここまでは完璧だった。ほとんどが煌侍への物である黄色い声も、全て自分への物だと実に都合よく脳内変換されている。彼女はどちらかと言うと校内で煙たがられている存在なのだが、そういう自分に都合の悪い事は、一切自覚していない。取り巻きがいればそれで充分なのである。典型的なブルジョア思考。
(そして、この華麗なるあいさつでさらに客席を魅了して差し上げますわ。見ていらっしゃいな、焼刃煌侍)
「みなさま、おはよほわきひぃぃぃぃぃんっっっ!!」
……思いっ切りハウリングした。反射的に放送委員が陣取る位置を睨みつけるエリゼ。殺気だけで気の弱い者ならばショック死させそうだ。静まり返る客席。
「え、えー、少々トラブルがあったようです。それでは仕切り直しという事で、実行委員長、どうぞ」
司会進行役、ナイスフォロー。さすがは場慣れしたものだ。ハッとなったエリゼが我に返り、小さく二回咳払いをする。
「改めまして、本学園創立祭実行委員長を務めます、エリゼ・ユリ・セントクレアーです。本日はご覧のような晴天にも恵まれ――」
朗々と、謳い上げるかのように、エリゼの実行委員長としてのあいさつが始まった。いざ始まってしまえば、そこは手馴れたもの。先程の失態などなかったかのようだ。
「今回の創立祭は学生の自主性を重んじてくださった学園側の配慮もあり、堅苦しい来賓席などもなく――」
……しかし、長い。やはりこのお姫様、相当なスピーチ好きらしい。すっかり熱の冷え切った客席の雰囲気も、自分の演説に聞き惚れているものと思い込んでいる。学生の立場ならば野次の一つも飛ばす所なのだが、エリゼの握る校内での絶大な実権を考えると、今は我慢する他はない。
5分が経ち、10分が経ち、スピーチはまだ続く。客席にもかなりだれたムードが漂ってきた。そこで小さく巻き起こった笑い。予期せぬリアクションにお姫様は敏感だ。そちらをキッと睨み、視線をたどってその元凶を発見する。やはり、“あいつ”だった。
<6>
エリゼから見て左斜め前後方3メートルぐらいの位置、突っ立っているだけという状態に痺れを切らせた焼刃煌侍が、成人男性の拳が入りそうなくらいの大あくびをしているではないか。あの男、万年睡眠不足症状持ちとは聞いていたが、この晴れの舞台で自分に泥を塗ってくれようとは……!
エリゼの脳天に湧き上がった怒り。だが、それが急速に冷え、とある考えにすり替わる。リベンジ。恥には恥を。思い知るがいい、思い通りにならない男よ。
「そうですわ。せっかくので、ここで“副”実行委員長であるこの方にも、ひとつごあいさつ願いましょう。皆様、拍手でお迎え下さい、焼刃煌侍氏です!」
ニヤリ。見たか。ほら、案の定うろたえている。報い、受け取るがいい。
「キャーッ!!焼刃さーんっ!!」
女性からの悲鳴のような声援と、その中に混じる男子生徒達からの嫉妬と羨望の入ったブーイングと嘲笑。三姉妹が来ていない事を確認した上での、姑息な手段。
「しゃあねぇなあ……」
右手で後頭部を掻く煌侍。視界の端に、「こうじ、がんばる」と力強く拳を握るブリュンヒルデの姿を捉え、小さく苦笑。腹を決め、センターマイクへと歩みを進める。エリゼとすれ違った時、「フンッ」と、拗ねたような声が聞こえた気がした。
「え、と。『副』実行委員長の焼刃煌侍です」
と、まずは軽くジャブ。またも沸き上がる「キャーッ!!」には、「抑えて抑えて」のポーズを。
「じゃ、みなさん、誰かに嫌な思いをさせたりする事なく、今日一日精一杯楽しみましょう」
以上。ぺこり。
「銀河英雄伝説」のヤン・ウェンリー提督並みの簡潔なスピーチ。呆気に取られるエリゼ。こんな事って……。これではこれでは、ワタクシひとりが道化ではありませんのっ。
一拍置いて、沸き上がる客席。帽子が宙を舞い、歓声と拍手が嵐のように渦巻く。抑圧されていた閉塞感からの解放が、笑顔の花を咲かせる。
「それではこれで、開会式を終わりますっ。創立祭、スタートです!」
司会者の声がマイクを通して響き渡った。
「こうじ、かっこよかった」
バックステージへと戻って来た煌侍を、やや興奮した面持ちのブリュンヒルデが出迎える。あの後裏で癇癪を起こしたお姫様は、大股でどこかへ行ってしまった。
「そっか?なら良かったんだが、正直焦ったよ」
「そうでちゅわっ、ステキでしたわ煌侍様っ!」
「わ、鳴鈴、なんでここに?……って、今やおまえもここの生徒だもんな」
突如ブリュンヒルデと煌侍の間に出現したのは、真紅のチャイナドレスを身にまとった少女、鳳鳴鈴とそのお付きの五色のチャイナドレス美女集団、烏家五姉妹。
「みゃはははははははっ☆」
「花衣ちゃんっ!?それに阿亜樹にタキナギちゃんに会長ちゃんまで」
どやどや。秋橋璃矩のある意味最強妹、秋橋花衣。明るいややドジっ娘剣客少女、森岡阿亜樹。阿亜樹の個性的過ぎる親友コンビ、滝口舞流と神薙春の合わせて通称「タキナギ」。そして剣道部主将(未だ0勝)にして生徒会長。全員がクラスメートで、焼刃三姉妹も通った中等部の二年生。
「これまた、そろいもそろって」
目を丸くする煌侍。ブリュンヒルデと春は女の子としては背が高い方だが、他の五人(鳴鈴含む)の集団を見ると、何やら自分が引率の教諭になった気分だ。しかし、チャイナドレスが六人に白スーツが二人、ボーイッシュ(花衣)なのに、少女趣味(阿亜樹)に、着慣れないワンピース(会長)、素浪人のように思いっきりラフ(春)なのに、ゴスロリ(舞流)。一体これは何の集いなのやら。コスプレ大会?
「すいません。『どうしても』って花衣ちゃんに大暴れされまして、断り切れなかったんですよ」
そう申し訳なさそうに現われた全身レザーファッションの長身は、曽根崎紳佐。
「お、今日はジャッジもフルメンバーか。壮観だな」
紳佐に続いて姿を見せたのは、メロディアスメタルバンド「ジャッジメントデイ」の他四人。彼と同居する二人、ギター担当の姐御肌・伍沢光晴と、ベース担当のちっちゃくてもパワフルなハイトーンヴォーカリスト・田之上メイ。そして本場アメリカ人姉妹、ドラムス担当の長身の姉スタニーとキーボード担当の妹、フランシスカである。
「煌侍君、久し振りー。指の怪我も完治して、完・全・復・活よっ」
と光晴。今日は気合が入ってるらしい。
「でも不器用だから、お料理はもう禁止ー。そこはあたしの領域なのさっ」
とメイ。髪の大きなピンクのリボンが挑発的に揺れる。
「なーんですってー、メイー?」
「あーら、だぁって、ホントの事なんですものー」
火花が散って、追いかけっこスタート。追う光晴と追われるメイ。はしゃぐ二人は子供のようだ。
「……はぁ。大人の人はいませんかー?」
大仰に溜め息を吐く煌侍。と、その両脇がガッチリと固められた。
「オレオレ!」と、左からスタニー。
「コソーリ」と右からフランシスカ。
「や、お恥ずかしい限りで……」
右手で顔を押さえる紳佐。
「あーっ!またあなた達姉妹は煌侍様と腕なんか組んだりしてっ。煌侍様はわたくしのフィアンセなんでちゅのよっ!」
ガーッとそこに噛み付く鳴鈴。お嬢様を応援する烏家五姉妹。あーもう、収拾がつかん。
<7>
が、そんな誰にも統一不可能だったムードを瞬時に変えるような、新たな闖入者が現われた。
その人物は背が高いスタイルのいい妙齢の女性で、パリッとしたキャリアウーマンの典型のような服装、大きなレンズのメガネに、オールバックの栗色のロングヘアーを幅の広いヘアバンドで留めている。誰かに似ている気がする。何やら誰かを探している様子で、せわしなく周囲に目線を配っている。そしてふと、煌侍と目が合った。喜色を浮かべる相手とは反し、「ヤバイ」と煌侍の本能が警鐘を鳴らす。このような超個性的集団に囲まれている者としての警戒ランプが赤く点滅を繰り返し、脳内でブザーがわめき立てる。「こいつもきっと“同類”だ」と。正直もうメンバー増員は考えていないんですが。お腹いっぱいです。
ツカツカと歩み寄って来る。うわぁ、ダメだ。もう逃げられない。
「ねぇ君、知らない?知らないわよね。そうよね、だって一緒にいないもの。ったくぅ、どこに行っちゃったのかしらあの子ったら。一人でフラフラしてちゃ色々危ないっていうのに、困ったものよね。あら、それにしても君ってば美形ねぇーん。おねいさん、本来ちっちゃい子にしか興味ないんだけど、君ならOKかも?むしろウェルカム?やぁねぇん、その気になっちゃう?あん、今はダメよ、今はとりあえずお仕事なんだから。わたし達のお仕事はまず信用が第一。小さな事からコツコツと、って奴よね。あの人、いい事言ったわよねぇ。ホントその通りだわ、だって――」
いきなりのマシンガントーク。周囲の反応などは一切お構いなし。一体この人、いつ息継ぎをしているのだろう。まだしゃべり続けるぞ。今までいなかったタイプだ。
「……なんかあんた、どっかで見た事あるな?」
何かが頭の片隅に引っ掛かり、あごを右手の指でつまむ煌侍。視線が彼に集まる。
「なぁに、私の顔を見つめちゃってぇ。惚れちゃった?そぉよね、この美貌にこのプロポーションだもの、健全な青年には目の毒よね。でもわかるわぁ、その気持ち、てゆーか君なら超カモォン?あ、でも、いやん、わたしってばちっちゃい子が好き好きラブリーなのにぃん。いいわよねぇ、ちっちゃい子。男の子も女の子もだーい好きーん。ショタ?ロリ?青い果実?あーん、なんていい響きなんでしょーん。差別発言?そんなんじゃないわよー。かわいいものはかわいいって素直に愛でるハートが必要なのよ。そうそう、古くは光源氏の時代から――」
ニトログリセリン並みの取り扱い要注意人物出現。メーデー!メーデー!至急対応策をプリーズ。
「お、お姉ちゃんっ!」
「『お姉ちゃん』っ?!」と皆から驚きの声が口々に。
意外な台詞とともに飛び出して来たのは、これまた意外な人物、会長であった。今度は彼女が注目を浴びる。
「お姉ちゃん、どうしてこんな所に?もしかして今朝言ってた『お仕事』ってこれの事だったの?」
「あら?あらあら?民ちゃんー?今朝ぶりねぇん。んー、すりすり。今日もかわいいわよぉ。……って、何この状況っ?ロリっ娘、しかも美少女てんこ盛りじゃないのぉっ!ゴスロリに甘ロリ、チャイナに東欧系までっ?!あはぁーん、おねいさん、幸せで目まい起こしちゃいそうっ!いーえ、もう起こしてるわっ、なんて、ぬわんて、宝の山っ。トレジャーマウンテン!みんなみんなお持ち帰りしたぁーいっ!ねね、みんな、ユニットデビューしない?」
年甲斐もなくクネクネと身をよじり、悶える自称“おねいさん”。加速装置を発動させ、まずはタキナギの所へと飛んで行った。
「キャーッ!無口系ロリ!目付きの悪さがまた最高っ。ねぇん二人とも、おねいさんとこの子にならない?」
「バカバカ、バカ同性愛ロリコン、バカ」
「犯罪者スレスレのロリコンなんか死ねばいいのに」
「口、悪ッ!邪悪系ロリ、キターッ!」
狂喜乱舞。今度は鳴鈴へとダッシュ。
「うはぁーん、ロリチャイナ!かーいいーんっ」
「ちょっ、なんでちゅのっ、寄らないでくださいますっ。わたくしは煌侍様以外に興味はないんでちゅからあっ」
「舌足らず、しかもほんのりツンデレ風味?!萌える、萌え死ぬうっ!」
発狂寸前。お次はブリュンヒルデがターゲット。
「色白ー、きれーいっ。あなた、おいくつ?」
「は、はたち」
「ウソね、ウソよ、それはウソ。だあって、わたしの“ロリっ娘レーダー”がギュインギュイン反応しちゃってるものっ」
「……」
あっけ。ハリケーン?いいえ、これは間違いなく人災です。
「会長ちゃん。アレ、お姉さん?」
「……まことに遺憾ながら……」
靴底にジェット噴射装置でも付いているのか、瞬間移動を繰り返す“アレ”。
「そうね、わたしとした事が、自己紹介を忘れてたわっ。わたしは二毛山カルア。『カルーアたん』って呼んでね~ん。『ちゃん』じゃなくて『たん』なのがポイントよ?本名は『佳留亜』って書くんだけど、それはこの際どうでもいいわ。そこにいる民ちゃんの、ちょおっとだけ歳の離れたラブリーチャーミーなおねいさんなのよ?歳?ひーみーつーよーっ。レディにそんな事訊くもんじゃないわよーうっ。3サイズ?気になる?気になるわよね?当然よねー。しょうがないわよねぇ、特別よ?上から――」
「二毛山……。あー、あの」
煌侍の中で容姿と名前が一致する。二毛山カルア、確か日本出身のモデルの中でも、世界を股にかけてかなり派手に活躍した人物ではなかっただろうか。それがある時を境に、プッツリと表舞台から姿を消した。当時、所属事務所の脂ぎった中年オヤジ社長からのセクハラを受け、それに反撃したはいいが過剰防衛で――、などと何かのメディアで見聞きした憶えがある。そういえば今日の創立祭、「特別ゲスト」とやらがいるそうだが、それが復帰した彼女なのか?
「ねぇ、訊きたい?訊きたいわよね、やっぱり。わたしがこの『関係者以外お断り』スペースの中にどうしているのかって事を。次のイベントで『特別ゲスト』としてステージに上がるんじゃないかって?んーん、それは半分当たりで半分ブッブー。今のわたしはもう表舞台にあんまり出て行くつもりはないの。プロデュースする喜び?そーゆーのを知っちゃったのよねー。てゆーか、肩書き『社長』だし。驚いた?マネージャー兼社長、うわ、かっこいーっ!偉い?ねぇ偉い?そうそう、偉いって言えばね――」
また始まっちゃったよ。
<8>
「会長ちゃん、アレ、止めらんないの?」
胸を反らせてしゃべり続ける“アレ”を指差す煌侍。表情は早くもお疲れ気味。それに答える民の反応は鈍い。
「あるにはあるんですが、一時的効果なので、あまりオススメできませんが……。この際仕方ありませんね、話が進みませんし」
と言って、バッグをゴソゴソと探る民。そして、取り出したのはムカデ――のゴム製のオモチャ。なぜ女子中学生のバッグの中にそんな物が。
「お姉ちゃんっ」
叫んだと同時にそれを投てき。振り向いたカルアの顔面に、それが張り付く。
「キ、キィヤァーーッッッ!!ウチ、ウチ、ムカデだけはあかんのよ、取って取って取ってーーっ!ウチが大学の受験勉強しとって疲れてウトウトしとったらな、夢の中にでぇっかいムカデが出て来てな、それからあかんねん、取って取って取って、ふえぇーーんっ」
泣き叫んで散々暴れ回った後、遂には座りついて泣き出してしまった。この人、一体いくつなんだ……。
「しょうがないなぁ……」
表情だけでそう言って、民が姉の頭の上のムカデのオモチャを取ってやる。姉対策だけに用意されている物だったようだ。カルアは泣き止んだものの、まだ定期的にしゃくり上げている。
「民ちゃん、ウチ、悪ぅないやんな?まだまだ若いしキレイやんな?」
「はいはい、そうです、そうですよー」
姉を抱き締め、背中をポンポンと叩いてやる。やれやれ、これではどちらがお姉さんやら。
「関西弁?」
「はい、わたし達、わたしが中学入学の時にこっちに引っ越してきたんですけど、それまではずっと関西にいたもので、咄嗟の時なんかにはつい」
「なるほど」
なんか、ドッと疲れた。元気なのは花衣ちゃんくらい。もういい、誰かシナリオを先に進めてくれ。
「カルアさーん、どこー?」
「お、ようやく待ち人来たる、か。これでやっと次へ行けそうだ」
ブリュンヒルデと顔を見合わせ、ホッと一息の煌侍。が、そのやって来た人物とは。
「あ」
「あ」
二つの「あ」。片方にとっては「してやったり」の、片方にとっては予期すらしていなかった「あ」。焼刃煌侍と藤松真弥、数ヶ月ぶりの再会であった。
「おまえ、黙ってやがったな」
ステージ裏で、煌侍が紳佐を横目で睨む。常人ならば受けるだけで卒倒しそうなそれも、紳佐は涼しい顔だ。
「訊かれませんでしたし」
「また故意犯かよ。そうだよな、おまえだもんな」
「なんだか不本意な言われようですね」
二人の視線の先では、ステージに上がった真弥のトークショーが行なわれていて、それはものすごい盛り上がりようだ。期待していなかった「特別ゲスト」が思わぬビッグネームだった事もあり、学生達は狂喜乱舞している。「やるじゃないか実行委員会!」、そんな声が各所から聞こえて来る。
「で、ジャッジが全員そろってるって事は」
「ええ、演奏もやりますよ」
「演奏か。誰の?って、訊くまでもねぇか」
「最初は迷ってたんですが、あんまりにも熱心だったもので。彼女たっての希望だった事もあって、詞と曲も」
「はぁそーですか。ま、おまえらが良いってんなら良いけどな」
真弥のあの時からの経緯は煌侍も見聞きして、それなりには知っている。所属事務所を変わり(何やら新興で零細の所らしいが)、それまでの路線とは大きく異なった分野で目覚しい活躍を見せ、瞬く間に失地回復したらしい。
「そ・お・な・の・よ。すごいでしょ?すごいわよね?真弥ちゃんってば。気になってた?気になってたわよね?わたしと真弥ちゃんの関係。カ・ン・ケ・イだって、きゃーん、エッチーんっ。そ、わたしことカルーアたんは、真弥ちゃんのマネージャーさんにして事務所の社長さんでもあるなのよん。偉い?かっこいい?まさにわたしってば敏腕キャリアウーマン?ステッキィーんっ。で、ステキって言えばね――」
わ、復活した。またクネクネしている。かなり高速で。不気味だ。
しかし、そうだったのか、この人。いきなり出て来て周囲を特大ハリケーンに散々巻き込んで、一体何者なのかと思っていたみんな。その事務所、こんなのが社長で大丈夫なのだろうか。と言うか、台詞で全部バラしてしまうのは、やめてもらいたい。
「さいでしたか」
「では、僕達はそろそろ演奏の準備がありますので、これにて」
「あ、てめっ、逃げやがったな」
「そう。あれは忘れもしない、前の事務所をあっさりスッパリやめちゃった真弥ちゃんが微妙に路頭に迷いつつある頃、さっそうとその前に現われたのがこのわたし、二毛山カルアっ!あ、さっきも言った通り、わたしの事は『カルーアたん』って呼んでね。そしてそして、『あの人は今?』寸前だった真弥ちゃんに、わたしはこう言ったの。『わたしの所に来ない?』って。カルーアたんってば、かっこよ過ぎ!でぇ、始まったのよ、二人の破竹の快進撃がっ。ここからがまた聞くも涙、語るも涙の――」
誰かー。とーめーてー。民ちゃーん、ムカデー。
<9>
ステージ上では、ジャッジメントデイ作詞作曲演奏の真弥の新曲、「蘇生」が熱唱されている。難しい曲だけにまだ歌い切れているとは言い難いが、真摯な想いは伝わって来る。複雑な表情で腕を組み、それをステージ脇から見つめる煌侍。紳佐の奴め、よほど驚かせるのが楽しいらしい。性格の悪い奴だ。
「さてさてぇーん、お次はお待ちかねのカラオケコンテストよー。も・ち・ろ・ん、飛び入り参加も超OKよん。ではでは、ルールの説明を――」
おいおい、いつの間にかあの人、司会進行やっちゃってるよ。「もう表舞台には出るつもりない」発言は一体何だったの?さっきまでの司会者は、裏です巻きにされて、うーうーってうなってるし。
「審査員はこの方々でーす。拍手拍手ーっ。パチパチパチパチーっ」
「ってオレ、いつの間にか座らされてるしっ」
審査員長はエリゼで、その他の審査員は煌侍と創立祭実行委員会から三名。思いっ切り流されている気がする。ええい、こうなったらもう、なるようにしかならない。どうとでもなれ。
「ではではーん、エントリーナンバー1番の方、どうぞーっ。張り切ってハッスルして、ジャンジャンバリバリ熱唱しちゃってねーん」
大した盛り上がりもなく、淡々と消化されていくカラオケコンテスト。凡庸な企画だ、それは先程までのステージとは比べるべくもない。煌侍もおざなりに点数を入力する。耳の肥えた彼の事だ、そうそうハートに響いてくるような歌い手がいるわけもない。
「くぁ……」
歌と歌との間にあくびを噛み殺す煌侍。やばい、寝そう。退屈過ぎる。見れば、彼の左隣の席のエリゼも苛立たしげな様子。自分が実行委員長である創立祭の企画の一つが、こうも低いボルテージとなってしまっては、それはご機嫌も悪くなろうというものだ。
「んー……ダメね、ノンノンだわ。こんなんじゃ、断じてノンよ。全然盛り上がらないじゃのん、飛び入りも全っ然いないし。第一、華がないわ。えーっと、そうねぇ、じゃ、こうしましょう」
さすがはあちらの世界のプロか、カルアが敏感に会場のダレて来た空気を察知し、策を講じ始めた。そして、ふと眠そうな表情の煌侍と目が合った。彼が本能的に危険を感じた時にはすでに遅く、チェシャ猫のような笑みを見せたかと思うと、大きく右手を振り上げ、左手に持ったマイクを握り直して会場へアピール。
「はいはいはーい、みなさん注目ちゅうもーくっ。ここでひとつ、ビッグチャーンスターイムッ、よぉーん。お耳かっぽじってよぉーく聴いてねぇん。今からしばらくは飛び入りウェルカムタイムッ、のコーナー!どーんどんエントリーしてねっ。何しろ商品はこれっ!」
指差した先には、審査員席に所在なさげに座る焼刃煌侍。
「へ、オレ?」
自分を指差して呆気に取られる彼を尻目に、爆発的に沸き上がる会場。もちろん100パーセント女性の声だが。
「どうどう、どーうどう。ちょおっと待ってね、ウェイトアミニッツよ。優勝商品の内容を発表してからね」
静まり返る会場。水を打ったような、とはまさにこの事か。
「はーい、いい子ちゃん達ね。そうね、優勝商品はの内容は、彼からの熱ーいキッス&一日デート権ってのはどぉ?いやーん、ステキ~ん。とおってもラブラブーんっ」
「キャーッ!」と言うよりは「ギャ―――ッ!」か。我先にとエントリー所に走り込む女性達。ここはバーゲン会場か?煌侍(商品)の「ちょっ、あんた、何勝手に決めてんだよ!」と言う抗議の声なんかはあっさり完全にかき消されて。
「ふふ、こうなってしまっては観念するしかありませんわね」
隣席のエリゼが喧騒を遠くに見やりながら、全くの他人事として言う。愛用の日傘は後ろに立つ執事に持たせ、本人はいたって涼しい顔だ。
「おい、まさか最初っからこのつもりだったんじゃねえんだろうな?」
「さて、何の事でしょう。とんだ言いがかりですわ」
身を乗り出して詰め寄る煌侍を、鼻先であしらうエリゼ。何の証拠もないだけに、これ以上は追求できない。舌打ちをして、荒々しく着席する煌侍。彼のあずかり知らぬ所で、話はどんどん進んで行く。まったく、ロクでもない事になった。こんな事を三姉妹に知られたら、どうなる事か。考えただけでも恐ろしい。
かくして、少し前まではえらい違いの、殺気立ったまでの盛り上がりでコンテストは進行していく。エントリーしたのは当然、女子ばかり。過剰アピールで失格する者あり、緊張のし過ぎで失神者あり、でもうメチャクチャ。
そして、煌侍にとっては別の意味で頭の痛い事に、彼の仲間達までもが参加していた事だ。「何やってんだ、おまえら」と言いたくなる。
<10>
トップバッターは花衣ちゃん。しかし、あまりの調子っ外れのアイドルソングに途中退場。本人は全く気にしていなかった。
スタニーとフランシスカのデビアス姉妹は、インターネット界隈ではメジャーな曲らしい電波系ソングをデュエットしたが、歌のチョイスが世間的には知名度がなさ過ぎ、低い点数に終わった。
阿亜樹と民のコンビは、正統派アイドルグループ路線を狙ったが、ここでも民の極度のアガリ症が発症し、相方の足を引っ張り倒し、案の定大コケした。
自信満々で登場した鳴鈴は、母国の歌がカラオケマシーンに登録されていなかった事に大いに立腹して暴れたが、烏家五姉妹に強制連行されていった。
歌を知らないブリュンヒルデと、紳佐にしか異性としての興味持たない光晴とメイは不参加。これでようやく狂乱の宴も終焉を迎えたかと思われたが、ここでなんとも意外なコンビが名乗りを上げた。滝口舞流と神薙春のタキナギである。「どう見ても無口系の二人が歌なんて」と誰もが思ったが、当の本人達は泰然自若としたものだった。
「じゃ、お二人は何を歌うの?」
ステージ上でカルアに問われたタキナギは、声をそろえてボソッと「ジャッジメントデイの『慟哭』」と答えた。ザワつく一同。これは後で判明した事だが、二人はジャッジメントデイの初期からのファンであったらしい。
音響係が遠方から、司会のカルアに両腕で「×」印を作って見せた。セントクレアーグループご自慢の最新鋭のカラオケマシーンも、インディーズソングまでは網羅していなかったらしい。
「ゴメンね、その曲は入ってないみたいなの。よかったら他の歌を――」
とカルアが言うのに、「待った」をかけた人物がいた。当のジャッジメントデイのリーダーである曽根崎紳佐である。
「バックバンドなら、ここにいますよ」
「いいの、君達?」
「いいも何も、せっかくのご指名です。喜んでやらせていただきますよ」
こうして、なんとも豪華な、タキナギの二人にとっては至福のひと時が始まった。そして、全ての聴衆の予想を裏切った。
ジャッジメントデイは紳佐とメイのツインヴォーカルである。それを、春が紳佐のハイトーンヴォイスパートを、舞流がメイのリードパートを、見事に歌い上げていた。演奏するジャッジメントデイのメンバーも、審査員席の煌侍も、思わず眼をみはった。まさか、と。
「慟哭」はジャッジメントデイの代表曲として知られているが、同時に歌うのが難しい曲としても名高い。それをこの二人が難なく。聴衆も驚いている。これが先程までのあの二人なのか。相変わらずの無表情で微動だにしないが、なんという声量。圧倒される。誰もが手に汗を握って耳を傾けた。
優勝は文句なく、大差をつけた最多得票でタキナギだった。
「ささ、優勝賞品の授与よぉーん。キャーん。いやーん。嬉し恥ずかしーん。ブチュッとやっちゃって、ブチューッと!」
ステージ上でタキナギと煌侍、正対する。そして耳打ち。
「一日デート権はよしとしてもよ、キスってのは何かと事情があってマズイんだわ、オレ。できたら、額にで勘弁してくんねぇかな?悪ぃっ」
右手をチョップ状に垂直に立て、左目でウインクをして二人に詫びる煌侍。頬をわずかに紅潮させるタキナギ。
「……渋々了承」と春。
「……ギリギリOK」と舞流。
「ホント悪ぃな。今度埋め合わせはすっからよ」
まずは春に、次に舞流に。煌侍は彼女達の前髪を左手でかき上げ、その額に軽くキスをする。会場の各所で嫉妬と羨望の入り混じった悲鳴が上がった。
こうして、妙な盛り上がりを見せたカラオケコンテストは終了した。
しかし、創立祭副実行委員長としての煌侍の仕事はまだまだ始まったばかり、むしろこれからが忙しくなるのであった。まさに東奔西走スクールライフ。この忙しさはどう考えても、実行委員長であるエリゼの差し金としか思えなかった。煌侍とそのお付きであるブリュンヒルデの白スーツの男女二人組は、渡された行動表に従って、とにかく秒刻みのスケジュールをこなした。
お化け屋敷ではドラキュラ伯爵とその使徒である美姫に扮装させられ、喫茶店では蝶ネクタイのウェイターとヘッドドレスのメイドになり、ビンゴ大会では司会とアシスタントを任され、演劇では飛び入りでとある王国の王子とお付きの女中の役をやらされた。
もうぐったりの二人。どこに行って何をやっても女子達に囲まれてもみくちゃにされるので、なおさらだ。特にこういう事に慣れていないブリュンヒルデは人の多さにも当てられ、完全にダウンしてしまった、無理もない。
彼女を医務室のベッドに休ませてきて、煌侍も控え室に戻って来て、ようやく一息ついた。パイプイスに座り、机をあごに乗せて「ヴぁーっ」とうなる。疲れた。ったく、いいようにこき使いやがって、あのドリル。オレに一体何の恨みがあるってんだ。あいつ自身はどこで油を売ってやがるのやら。
<11>
「あら、あなた?」
控え室の冷たい合成樹皮の机に突っ伏す煌侍の背中に、若い女性の声が投げかけられた。彼が「あーん?」と顔の向きだけを変えてそちらを向くと、その声の人物は誰あろう、藤松真弥であった。
「随分とお疲れのご様子ね」
落ち着いた声と物腰。以前会って話した彼女とは、明らかに内面からして違う。服装もパブリックイメージによって形作られた元気系アイドルのそれから、シックかつベーシックなパンツルックへと変貌を遂げていた。今の自分に対する自信からであろうか、浮ついた印象はもう感じられない。
「あー、あんたかぁ。『様子』じゃなくて、実際疲れてるんだよ」
対する煌侍の返事はそっけない。疲れているのは本当だ。色んな所を走り回らされて、色んな事をやらされて。朝にはパリッとしていたスーツも、今や随分とよれ気味。そういえば、ロクに食事も摂っていない。
「相変わらず、ごあいさつねぇ」
苦笑する真弥。リアクションにも子供っぽさは見えない。たっ数ヶ月で、変われば変わるものだ。特に女性は。
「なんでオレが、今ここであんたに愛想振りまきゃなんねぇんだよ。創立祭実行副委員長は、現在休業中だ」
実際、二人の会話の調子や関係はこんなものだ。二人っきりだからといって、相手が有名芸能人だからといって、特別変化するものではない。真弥からすれば胸に秘めた想いは数々あるかもしれないが、煌侍にとってみれば、相手はただのゲストでしかない。
「それにしても、あなたっていつも女の子に囲まれてるわね。なんか今回は特に平均年齢が下がってバラエティに富んでたし」
「オレからは特に何もしちゃいねぇよ。気が付いたらこうなってたってだけの話だ」
「あら、本当にそうかしら?あなた、『無自覚』って誰かに言われた事ない?」
「ぬ?」
思案するように、眉根を寄せる煌侍。そう言われてみれば、昨日あたり純香に言われたような。そうなのかな?
「って言われてもなあ。紳佐のヤローからのありがたいアドバイスも、オレには到底実践不可能だわ。無理」
「はあーっ」と深い溜め息を吐く煌侍であった。それを見て、くすりと笑う真弥。
「変わらないわね、あなたは」
「変わったのはあんたの方だろ」
「あは、あたし、やっぱり変わった?嬉しいわね、あなたからそう言ってもらえると」
純真にはしゃぐ真弥と、訝しげな表情の煌侍。
「変えたんだろ?」
「ま、ね。誰かさんから、それはそれはありがたいお言葉を頂戴したしね」
「ったく、テレビであんな事言いやがって。オレはあの後大変だったんだぞ、妹達に長々と問い詰められて」
「災難だったわねーそれは」
「笑い事じゃねーっての」
間。不意に訪れた沈黙の帳。それを破ったのは、やはり真弥の方だった。
「ね、最近のあたし、どう?」
「『どう?』って何だよ。いきなし、訳わかんねーぞ」
「んーと、さ。雰囲気とか印象とか、活動内容とか活躍とか」
やや身を乗り出す真弥。訊きたかったのは、これだったのだろう。
「前よりはずっといいんじゃねーのー」
「そんだけ?もっとこう、他に何かないの?」
煌侍の投げやりにも聞こえる返答に、少しムッとした真弥が矢継ぎ早に質問攻めを仕掛ける。煩わしげに煌侍は身を起こす。少々気分を害した様子。
「あのな。何の義務もねえのに、なんでオレがいちいちあんたのご活躍を逐一チェックしなきゃなんねえんだよ。大体、意識してもないのに耳に入って来るのが本当の活躍ってもんだろうが」
「ま、まぁ、そうよね。ゴメンナサイ」
「別に、いいけどよ」
また空く変な間。そして、またも仕掛けたのは真弥だった。
「じゃ、じゃあさ、あたしってさ、あなたにとって何番目くらいに気になる存在?もちろん異性の中でよ」
椅子からずり落ちかけた煌侍。この女、本当に変な事ばかり訊いてくる。全然質問の意図が分からないが、長引かせると何かと後々面倒臭そうなので答えてやる事にする。
「そうだな、まずトップ3はウチの妹達で占められるだろ。んで、リュヒに璃矩に維那さん、阿亜樹に花衣ちゃん、鳴鈴に烏家五姉妹、タキナギちゃんにジャッジのメンバー、純香さんに、忘れちゃいけない母さんと婆ちゃん。そん次以下だから、24番目以下って事になるんじゃねぇの?」
「お婆ちゃん以下……」
真弥、ガックリ。しかしよくもまあ、それだけスラスラとズラズラと名前が出てくるものだ。こいつはハーレムキングか?遠い、遠いよ、距離。予想していたよりもずっと。
「普通、こういうパターンの再登場って、グッと距離が近付いたり、ビックリドッキリハプニングがあったりするもんじゃないの?オッケーオッケー、わかったわよ。逆にやる気出てきたわよ。今回は『変わった』って言わせただけでも大きな収穫だわ」
「なにブツブツ言ってんだ?気味悪ぃぞ」
「え?ああ、何でもないわよ、こっちの話っ」
そして何度目かの会話の空白が出来そうだった時、乱暴に控え室のドアが開き、カルアが駆け込んで来た。
<12>
「どど、どうしたの、カルアさん?」
面食らって訊ねる真弥に、カルアは机の上に置いてあった500ミリリットルのペットボトルを引っ掴んで一気飲みすると、一息吐き、
「あらあらあらーん、わたしってばお邪魔だったかしらーん?いやーんあはーん。じゃなくてっ!大変なのよ大変っ。芸能記者が紛れ込んでて勘付かれちゃって追っかけ回されてるのっ!真弥ちゃんとそこの君は早く逃げてっ!ここはわたしが何とか食い止めるから、さぁさぁ早く!」
「なんでオレまで?」
もっともな疑問だ、煌侍君。
「ホラ、前に真弥ちゃんが言っちゃったでしょ、『見てなさいよ、妹命男っ!』って。アレとどうも結び付けちゃってビンゴ!ってな具合になっちゃってるかもしれないわけ。だから早くっ」
「ちっ、しゃーねー、あんたのせいでめんどくせー事になっちまったぜ。あんた、裏口あるからこっち来い!」
有無をも言わせず真弥の手を取り、裏口ドアへと急ぐ煌侍。真弥も大慌てで、ときめいている暇すらない。
煌侍が裏口ドアのノブへと手をかけた時、数人の芸能記者らしき連中が控え室へと雪崩れ込んで来た。さっき勇ましく「ここはわたしが食い止める」と言ったばかりのあの人は、一体どうしたのだろうか。もしかして、乱暴に突き飛ばされたりして――
「そぉーん?わたしってば、まだまだそんなにキレイ?スタイル抜群?現役モデルでも充分通用する?いやーん、そんな本当でいっつも思ってる事言っちゃーん。でもダメよ、ダメダメよ。今のわたしは真弥ちゃんの敏腕マネージャーで事務所の美人社長さんで――」
見え透いた相手のお世辞にまんまと引っ掛かって、ひとりでクネクネしていた。周囲にはもう誰もいないというのに。
「だあっ、使えねえっ!」
これでは脱出計画そのものが成り立たない。どうすれば良い?どうすれば最善だ?こちらには真弥という足手まといがいる。
……ん、待てよ?ならば、それを切り捨てればいいではないか。要は二人で一緒にいるところを激写されたりしなければいいのだ。そう、自分一人で離脱すればオッケー。非情でも薄情でも何でもない。そもそもが、真弥が蒔いた種なのだ。“被害者”である煌侍が付き合ってやる義務も必要も、何もないのだった。
「じゃ、そういう事で」
煌侍は自分の中だけで結論を出すと、つないでいた手をあっさりと離した。満面の笑みで、「オレの事喋ったら承知しないからな」と言い残しておくのを忘れずに。
そして、窓から跳んだ。幸いにしてここは一階だ、何という事もない。そこから全力ダッシュ。こうなると、もう誰も彼について来られない。今ははるか後方で何やら怒号のような物が聞こえるが、そんなの知った事ではない。
「憶えてなさいよ、『妹命男』ーっ!!」
真弥の新たな名台詞(?)の誕生も、彼の背中には届かなかった。
<13>
「はあーっ、ここまで来りゃ、もう大丈夫だろ」
周囲の風景は、すでに暮色。校舎の別館の入り口階段に腰を下ろす煌侍。その傍らには、復活したブリュンヒルデが主を労うように立っている。
白スーツという格好は連中に目撃されているので、閉会式もすっぽかしてブリュンヒルデと医務室に隠れ、実行委員会からの目もやり過ごした。
今は広いグラウンドで、この手のイベントのしめくくりの風物詩である、キャンプファイヤーとフォークダンスが行なわれている。おなじみのメロディを遠くに耳にしながら、実行委員長の「キーッ!!」と言う姿を思い浮かべ、煌侍はうつむいて溜め息を吐いた。
今日一日、本当に大変だった。なんだか駆けずり回った印象ばかりが頭に残っている。そんな「大変」の元凶の一つだった真弥も、カルアと芸能記者連中ともども、大騒ぎしながら帰って行ったようだ。やれやれ。
「兄さーんっ」
あの声は。煌侍は一気に喜色満面になって立ち上がり、ブンブンと両手を大きく振って、三姉妹を迎え入れた。最後の最後で、やっと合流できたか。最愛の妹達の姿を目にすると、疲れもストレスも吹き飛んでいくようだ。
「えへへ、来ちゃった」
暦が嬉しそうに言う。よほど急いで来たのだろう、三人とも制服のままだ。
「お兄様、遅くなりました」
「いや、おまえ達が来てくれただけで嬉しいよ」
詫びる魅霧に、優しい笑みを煌侍は返す。これこそが、焼刃兄妹本来の形。誰一人、欠けては意味を成さない。
「じゃ、せっかくだから踊るか」
煌侍が明るく言う。
「いいねっ。踊ろ踊ろっ」
絢華がすかさず賛成の意を表明する。
「ほら、リュヒも来いっ」
「そうだよーほらっ」
「リュヒ、おどったこと、ない」
「じゃ、これも『はじめて』だな」
戸惑うブリュンヒルデの右手を煌侍が、絢華が左手を引く。暦が背中を押し、魅霧が微笑んでついて行く。
やがてキャンプファイヤーの輪の中にたどり着いた五人。けれど、その輪の一部にはならない。彼らは、彼らだけで輪を作って踊る。他のどのカップル達よりも楽しそうに、幸せそうに。
周囲の者達は、そんな彼らを眩しそうに目を細めて眺める。手を止め、足を止めて。自分達では到底たどり着けない領域にいる五人を。
そこはまさに聖域。「焼刃家」という名の。
ここまで来るのに色々あった。そして、これからもきっと色々ある。でも大丈夫、この五人なら大丈夫。どんな障害の大波もサーフィンのように軽々と楽しそうに乗りこなしてしまうだろう。
覚悟が違う。
「絶対に、もっともっと幸せになってやる」
それは誓い。
それは約束。
必ず実現する夢。
みんなみんな、まぶしそうに見ていた。
<了>




