63
その六十三
母屋の敷地に徐行で入っていき、カーラジオを元のAMにもどしてエンジンを切る。もしかしたらクルマはまだ使うかもしれないので、とりあえずカギはもっていることにした。
納屋のとなりには子ども用のビニールプールがあった。もうアンダーソンさんはこちらにお越しになっているようだ。
アンダーソンさんはこのビニールプールで上空の時空飛行船より降りてくる。ゆっくりふわふわと降りてくるのである。
しばらく部屋で待っていると、やがてアンダーソンさんは旧大伯母邸のチャイムを押してきた。
「早く来ちゃったから、ちょっと買い物に行ってたんです」
「そうですか。まあ、あがってください」
アンダーソンさんはイオンのモールで「くらのすけ」とあともう一本、ちがう清酒を買ってきていた。ぼくに、
「はい。安いお酒しか飲まないようにしてるっていうから」
と差し出す。
「すいません」
「好きなんでしょ、そのお酒」
「ええ、まあ」
「『くらのすけ』と『蔵だより』どっちが好きなの?」
「アンダーソンさんが買ってきてくれたから『くらのすけ』のほうが好きかな」
「そう。わたしは『蔵だより』のほうが好き。キリッとしてるもん」
アンダーソンさんは「各酒は別物論者」のようである。しかしこの話になるとキリがない。話題を変えたほうがいいだろう。ぼくは最近どこの国へ行っていたのかとたずねる。
「干し柿国。そこの将軍様、蝋人形注文してくれたの」
「ああ、だから戸賀先輩のところに行きたいんですね」
「そうなの」
アンダーソンさんは自国の皇帝から公的にアート作品の買い付けを頼まれているし、時空のちがう国のお偉方からの陳情にも私的にいろいろ応えている。つまりやり手なのだ。
そんなやり手のアンダーソンさんは、だからウチにあるチュツオーラ百科事典もなにも使わずにすらすら読める。前回お越しになったとき、ぼくが、
「だけど、ザ・ムー原人の大王がつぶやいた〝プロト・ジュクジュクマン〟っていうのは、いったい何なんですかね」
とたずねた素朴な問いにも、アンダーソンさんは百科事典をささっと引いて、その答えを素早くみつけてくれたのだった。
さて、そのとき教えていただいたのは、つぎのようなことであった。
ザ・ムー原人は超大昔からドラム式洗濯機を使ったりタワマンとかに住んじゃったりしているハイパーでトレンディで意識の高い種族であった。なぜそうなれたかというと、非常に禁欲的な生活をしていたからである。
ザ・ムー原人の住む国はポリコレだかコンプラだかが極めて厳しかった。性を想起させるものはすべて廃止され、コンビニやスーパーも男子用女子用といった感じで建物が別になっていた。
男子は女子にたいして基本どんな感情もいだいてはならなかった。ガン見はおろか、ちら見してもいけなかった。だからぼくのように、
「この五十路の婦人、ぼてっとしてて色気あるなぁ」
などと思える紳士は一人もいなかったのである。手作りクッキーを売っている小柄な子に会いたいがために青空市に出向くような気丈なジェントルマンはまったくいなかったのである。
「どんだけ厳しかったんですかね」
「そのとてつもなく厳しい状態が何万年も続いた結果、エロという概念がなくなってしまったようね」
「モグラの目みたいですね」
しかしザ・ムー原人たちも最初のころは平凡パンチのグラビアに恍惚となったり、レンタルビデオ店においての人気作品の奪い合いに連日明け暮れたりしていたのである。
われわれがネアンデルタール人の遺伝子をちょっぴりもっているように、ザ・ムー原人の潜在意識の奥深くにはエロは残っていることは残っているのだ。
大王がぼくを見て驚愕していたのは、ぼくがこれからクマだかメカメトロンだかに喰われて死ぬかもしれないというのに「五十路の女たち」を鑑賞していたからである。体型のくずれた熟女にある意味高貴なエロを見出していたからである。
「プロト・ジュクジュクマン……」
つまりかれらは、こんにちではとっくに理解不能になってしまっているハイレベルなエロカルチャーによって自身の奥深くにあるエロ感を刺激され、ガンガンに困惑したのである。そして潜在意識を激しく揺さぶられたがために、口もとなども演歌歌手のようにわなわなしちゃっていたのである。あるいは桂歌丸のようにあぐあぐしちゃっていたのである。あるいはシャルル・ボヴァリーが熱々の蒸かし芋を食べたときのようにほぐほぐしちゃっていたのである。




