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その三十九
田上温泉旅館へはぼくが直接電話してもよかったが、翌朝母屋に出向いて、
「笠戸さんていう人なんだけど――」
とあえて親父に頼んでおいた。
「わかった。いっておく」
親父はあからさまに上機嫌になっていた。頼子ちゃんと話せるからである。単純な人間である。しめしめである。
ゆうべの晩酌のとき知ったのだが、シャミーはしばらくぼくの親父がやっている商売の手伝いをするらしい。
「普段はつぐみさんがやってるの?」
「義姉さんはたまにね。ずっとその作業受け持ってた人がもう年でさ」
シャミーはきのう自転車を借りに行ったときに、
「やってみない?」
と義姉に誘われたとのことだった。さすが義姉である。
シャミーもよろこんでいるようなので、ぼくはこの件にかんしては沈黙の陣形を取ると決めている。旅館のことを頼んだときもだからシャミーについては、いっさい触れなかったのである。
わたくし新倉三千世は伊達に長年のらくらしてはいないのだ。大事なのはその都度その都度のフォーメーションなのである。
シャミーは朝食を取ると、
「いってきまーす」
と親父の事務所へ向かった。
さて、ぼくは洗濯と浴室の掃除を済ませたのちに読書である。
近年読書への情熱が落ちている。ガルシア=マルケスの「百年の孤独」の文庫も買うことは買ったが、いっこうに手にも取らないという体たらくなのである。
「単行本では十回くらい通して読んでるけどな……」
これは今後どうにかして改善する必要がある。しかし現状「百年の孤独」を再読するのは無理だ。ぼくは古本屋でこのあいだ買った伊藤整の「変容」を読むことにした。
休憩をはさみつつ十時まで「変容」を読む。
「マンモスムッシュだなぁ」
やはり伊藤整は偉大であった。
感心しながらココアを飲んでいると、ピンポーンとチャイムである。
出てみると、七十前後の小柄な翁が立っていた。チラシを手にしている。茶の湯のチラシである。
またぞろ物好きな人が問い合わせにきたのだった。ぼくは茶の湯はもうやっていない旨を翁に伝えた。読書にもどる。
「変容」は晩年の作品である。伊藤整は例の真面目そうな容姿を保ちつつもある意味スパークしていた。伊藤整は二百万も貸したのに和泉さんの手にも触れなかった、わたくし新倉三千世に活を入れるかのようにスパークしまくっていたのである。やはり読書は重要である。
「図書館にも昔みたいに通わなくちゃな」
ピンポーンとまたチャイムが鳴った。バイクの音はしなかったので郵便屋さんではないだろう。ぼくは寝っ転がったまま、
「はーい」
とこたえる。来客は、
「チラシをみて、うかがったのですが」
うんぬんと引き戸越しにいってきた。またまた茶の湯の問い合わせである。一日に二人も物好きがたずねてくるのはさすがに初めてだ。ひさしぶりに読書が継続できているのにタイミングのわるい連中である。
ぼくは玄関を開けながら、
「茶の湯はもうやってないんですよやってないんですよ失礼します失礼します」
と超がつくほどの早口でいい、すぐ戸を閉める。
「マ・シェール?」
ぼくは再度戸を引いた。




