<40:描けない片想い(4)>
中谷悠太・・・漫画研究部の高校3年生。
野口優作・・・中谷悠太の親友。漫画研究部の部長。
大野吉洋・・・中谷悠太の親友。漫画研究部の高校3年生。
柳沢知良・・・生徒会長。
能登奈緒美・・・生徒会副会長。
「さあ、入って」
悠太がドアを開け、知良を漫画研究部の部室に招き入れる。
カーテンを開けると、柔らかい秋の朝日が窓から差し込んだ。
授業が始まる前の時間帯に、そこを使うのは珍しい。
今回は、知良をモデルにして絵を描くため、特別だ。
放課後だと漫研部員が部室を使うので、一時間目が始まる前の時間帯にしたのだ。
基本的に漫研部員は、朝の時間帯は部室を使わない。
それに念のため、他の部員には、その時間に部室を使わないよう、事前に頼んでいる。
それは悠太ではなく、吉洋が手回ししてくれた。
「柳沢と二人きりにならないと、作戦には不都合だからな」
というのが、吉洋のコメントだ。
彼の中では、勝手に作戦が練り上げられていた。
「ごめんね、わざわざ朝早くに来てもらって」
悠太が済まなそうに言う。
「いや、気にしないでよ。どうせ、この時間ぐらいには、いつも学校に来ているから」
知良は明るく言う。
悠太も、それは知っていた。
「そう言えば、漫研の部室に入るのって、初めてかもしれないな」
知良は好奇の目で、室内を見回した。
「狭いだろ、ここ」
「うーん、確かに狭いかな」
知良は苦笑する。
「物が多いし、みんな整理しないから、どうしても狭くなっちゃうんだ。他のクラブと部屋の広さは一緒なのに、大きさがまるで違うみたいなんだよ」
悠太は喋りながら、右腕で机の上に散らかっている雑誌や資料を片付ける。
左腕は、まだ三角巾で固定されている。
「手伝おうか」
知良が申し出た。
「じゃあ、その机だけ、隅に移動させてもらえるかな。柳沢君が座る場所を空けなきゃいけないから。それで、椅子だけ、そっちの方に持っていって。そこに座ってもらうから」
「分かった」
悠太は指示を出しながら、自分はスケッチブックと鉛筆を用意した。
「この辺りでいいかな」
知良は、ドアに背中を向ける形で椅子を置き、そこに腰掛けた。
「うん、そうだね。じゃあ、座って」
「ポーズは、どんな感じで?」
「普通でいいよ」
悠太は、知良と正対して座る。
彼は4Bの鉛筆を少し寝かせて、柔らかいタッチで絵を描いていく。
最初にチラッと顔を見た後は、ずっとスケッチブックに目を落としたままで描き進めていく。
「出来れば、本物よりも男前に描いてくれると嬉しいけどな」
知良が冗談を飛ばす。
「大丈夫だよ、ありのままを描いても充分にハンサムだから」
悠太は真顔で告げる。
簡単に全体像を描いたところで、ようやく悠太は顔を上げた。
知良に視線をやった彼は、目が合ってドキッとした。慌てて視線を逸らし、平静を装って鉛筆を動かし始める。
2人きりだという状況を改めて確認し、悠太は、急に緊張感に捉われた。
悠太は、前日の吉洋との会話を思い出した。
「いいか、これは能登奈緒美との距離を近付ける絶好のチャンスだ。柳沢の絵を描く時に、次はヒロイン役で副会長も描きたいから、君から頼んで欲しいって言え」
吉洋は悠太に、そう持ち掛けた。
「ヒロイン役のことなんて、全く考えてないよ」
そう悠太が告げると、
「マジに考えるなよ。彼女に近付くためなら、それぐらいの嘘はついてみろ。っていうか、そもそも写実的な漫画を描くこと自体が嘘のくせに」
と、やや責めるように吉洋が言う。
「嘘じゃないって。それに、そんなことを持ち掛けるのは、不自然だろ。僕はやらないよ、そんなこと」
「だったら、せめて柳沢に、彼女と付き合ってる噂が本当かどうか、それぐらいは確かめてみろよ。それぐらいは出来るだろ」
「……おい、中谷」
知良の呼び掛ける声で、悠太は回想から我に返った。
「えっ、な、何」
「どうした、鉛筆が止まってたけど」
「ああ、ごめん。どういう線にしようか、ちょっと悩んだ部分があったから」
悠太が適当に言い繕う。
「焦らなくてもいいよ。もし時間が足りなかったら、無理しなくても、また明日も付き合うから」
「いや、それは悪いよ。今日の内に、必ず仕上げるから」
悠太は再び作業に戻る。
だが、ちゃんと描くために知良を凝視して目が合うと、また緊張が全身を包んだ。
慌てて悠太は顔を逸らし、目を合わさないように注意しながら絵を描こうとする。
すると今度は、昨日の吉洋の言葉が頭を巡り、邪魔をしてくる。
(くそっ、集中できない)
悠太は焦燥感を覚えた。
この状況を打破するには、思い切って行動するしかない。
気になっていることを、ちゃんと確かめよう。
悠太は覚悟を決めた。
「あ、あのさ」
ややビクビクしながら、知良に話し掛ける。
落ち着け、ごく自然な感じで質問しろと、心の中で自分に言い聞かせる。
「柳沢君って、能登さんと仲がいいよね」
「そうだね。生徒会長と副会長だし」
知良はサラッと言う。
「2人が付き合ってる噂があるんだけど、知ってる?」
「ああ、その噂か」
知良は笑った。
「知ってるよ。全く、馬鹿げてるよな。男と女が仲良くしていたら、すぐに付き合ってると思われるんだから」
「じゃあ、違うんだ」
「違うよ。彼女は、ほとんど男友達みたいな感覚だから。一緒にいても、あんまり女として意識させないんだよな。向こうも、俺のことは何とも思ってないし」
「そうか、付き合ってないんだ」
悠太は安堵し、わずかに表情を緩めた。
すると知良は、その変化に気付いたのか、
「もしかして能登さんのこと、好きなの?」
と訊いてきた。
「えっ」
悠太は動揺し、鉛筆を落としてしまった。
「な、何を言い出すんだよ」
ドギマギしながら、悠太は鉛筆を拾う。
「いや、もし好意があるのなら、協力してもいいかなあと思ってさ」
「それも償いのつもりなら、別にいいから。モデルになってもらっただけで充分だし」
「いや、償いとか、そういうこととは別でさ。そうだ、彼女にもモデルになってもらったら?もし良かったら、僕が間に入ってもいいし」
「ホントにいいから。大体、僕は能登さんのことが好きだなんて、一言も言ってないし」
「だったら、どうして僕と彼女のことを質問したんだい」
「僕はただ、噂が気になっただけだよ。それ以上でも、それ以下でもないよ」
「ふーん、そうは見えなかったけどなあ」
「それに、もしも好きだったとして、そんなこと、簡単には打ち明けないものだよ。いや、僕は彼女のことなんか、何とも思ってないけど、一般論としてね」
「誰かを好きになっても、内緒にするのか、中谷は」
不思議そうに、知良が訊く。
「当然だろ、そんなの、ベラベラと喋ることじゃないよ。柳沢君は、言うのかい」
「うん、すぐに口に出しちゃうね」
あっさりと、知良は答えた。
「だって、誰かを好きになるのは、男として当然の感情だろ。それを隠す必要なんか無いよ」
微笑する知良を見て、悠太は呆気に取られる。
そこまで清々しく言われてしまうと、自分の考え方が恥ずかしいもののように思えてきた。
「おっと、そろそろ戻らないと。一時間目が始まる」
知良が、時計を見ながら言った。
「絵の続きは、また明日にしよう。それじゃあ、俺は先に行かせてもらうよ」
知良は、そそくさと部屋を出て行った。
「好きになるのは、当然の感情か……」
悠太は、ポツリと呟く。
(そりゃあ、そうなんだけどさ)
その時、スケッチブックに乗せていた鉛筆が、ポロリと零れ落ちた。
咄嗟に彼は、左手でキャッチした。
左腕の怪我は、もう治っていた。




