<38:ニューヒロインのユウウツ(4)>
本橋香乃・・・演劇部員の高校1年生。
吉崎蘭・・・演劇部の部長。
石丸大剛・・・演劇部の副部長。
小原弥生・・・演劇部のOB。
雁岡妙子・・・演劇部員の高校3年生。
武田清美・・・演劇部員の高校3年生。
手場寛子・・・演劇部員の高校3年生。
「香乃。アンタだけ、ちょっと残って」
演劇部の練習が終わった後、部長の蘭が言った。
「はい」
香乃は、なぜ居残りさせられるのか想像が付いていた。
相変わらず、憎しみをシーザーにぶつける場面の芝居が上手く行っていない。そのことを咎められるのだろうと、彼女は予測していた。
全ての部員が去った後、蘭は
「どうしても、あの場面で引っ掛かるわね」
と切り出した。
やはり、香乃の予想通りだった。
「すみません」
「謝ってもらっても、どうしようもないんだけど。困ったわね。本番はもうすぐなのに、まるで改善されないんだから」
「すみません」
香乃はうつむいて、同じ言葉を繰り返した。
自分でも、上手く出来ないことへの歯痒さはあった。しかし、どれだけヒロインに成り切ろうとしても、シーザーを憎めないのだ。
「大剛が優しくて親切だからって、シーザーは別人なんだからね」
「頭では分かっているつもりなんですけど」
「っていうか、そもそも大剛がいい奴だというのも、ただの見せ掛けなのに」
まるで独り言のように、ポツリと蘭が呟く。
「えっ?」
意外な言葉だったので、香乃は怪訝な表情になった。
しかし蘭は、急に話題を変えた。
「ところで、もう妙子や清美は何も言ってこない?」
「何のことですか?」
「あの二人、ネチネチと嫌味なことを言ってたでしょ」
「いえ、あの……」
香乃は言いよどむ。
「隠すことは無いのよ。ちゃんと分かっているんだから。前に台本が無くなったことがあったけど、あれも彼女たちの仕業よ。他にも、色々とやってたみたいね。それで、彼女たちのイジメは、まだ続いてるの?」
「いえ、最近は全く無いです」
「そう、なるほどね」
そこで蘭は一つ間を置き、
「実はね、あのイジメは、彼女たちだけがやっていたんじゃないのよ」
「はっ?」
「裏で糸を引いている黒幕がいたの。陰口みたいになるし、内緒にしておこうかとも思ったんだけど」
蘭は言葉を区切り、少しためらいを見せた。
香乃は弥生の言いたい事を察知し、顔を引きつらせる。
(まさか、その黒幕は)
ある人物の名前が頭に浮かんだが、すぐに香乃は打ち消した。そんなはずがない。そんなことは、絶対に有り得ない。
「もしかして、明かす前に分かったようね」
香乃の様子を見て、蘭が言う。
「それじゃあ、まさか」
「そう、黒幕は大剛よ」
香乃は愕然とする。
「そんな、信じられません」
「私だって、信じたくないわ。ずっと一緒にやって来た、大事な仲間だもの」
「どうして副部長が、私をイジメる必要があるんですか。理由がありません」
「アンタが予想以上に上手いもんだから、自分が食われるんじゃないかと焦ったみたいね。それで、そもそもアンタを妬んでいた妙子たちをそそのかして、陰で動いていたってことでしょう」
「でも、どうして部長は副部長が関与していると知ったんですか。憶測だけで言っているなら、副部長が可哀想です」
「アンタが彼を信じたい気持ちは分かるわ。でも残念ながら、決定的な証拠があるのよ」
蘭は携帯電話を取り出した。
「彼、妙子に送るはずのメールを、間違って私に送信したみたいなの。その内容が、これよ」
そう言って彼女は、携帯の画面を香乃に見せる。そこには、次のような文章が表示されていた。
「これだけ陰湿に攻撃しても本橋がヘコまないとは。もっと手荒な行動が必要かも」
香乃は後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「そんな……」
「あいつは、そういう奴だったのよ。だけど、考え方次第では、良かったのかもしれない。いい人だから芝居が上手く出来ないなんて、悩む必要は無くなる。これで、憎むことへの抵抗も無くなるでしょう」
蘭が言うが、香乃はほとんど聞いていなかった。あまりのショックの大きさに、脳内がグワングワンと揺れていた。
演劇部の中でも、最も優しかった先輩が、自分を陥れようとしていたなんて。
練習の時は、あれだけ穏やかな笑顔で接してくれていたのに、その裏には醜悪な顔が隠れていたなんて。
「私の話は以上よ。もう帰っていいわ」
蘭は事務的に告げた。
彼女がポンと肩を叩くと、香乃は何かから逃げ出すように、カバンを抱えて廊下へと駆け出していった。
「あらっ、香乃ちゃん」
廊下から緩やかな声が聞こえて、香乃と入れ違いに弥生が入って来た。
「どうしたの、彼女?」
弥生が不思議そうな顔で、蘭に尋ねる。
「青ざめた顔をしていたけど」
「信じていた人に裏切られたら、ショックですからね」
蘭は平然と言う。それから、香乃とのやり取りを簡単に説明した。
「なるほど。それなら、あんな顔になるのも当然ねえ」
「でも、これで最大の問題は解決すると思いますよ」
「それって、香乃ちゃんが憎しみを表現できないってこと?そうか、最初から、それが狙いだったのね。そのために、わざと大剛君のことを話したんでしょ」
「ええ、まあ」
「貴方、鬼ねえ」
弥生は呆れたように言う。
「公演を成功させるためなら、鬼にでもなりますよ」
「そこまで徹底していたら、何も言えないわ。だけど、大丈夫かなあ」
弥生は不安げな表情を浮かべる。
「これで貴方の狙い通りに香乃ちゃんが大剛君を憎んでくれたらいいけど、ショックで芝居を辞めようとしないかしら」
「あれぐらいで演劇を投げ出す子じゃありませんよ。香乃は必ず、舞台に上がります」
自信に満ちた態度で、蘭は言い切った。
「彼女、弱そうに見えて、本当は胆の座った女ですから。これで絶対に、学園祭公演は成功しますよ」




