<32:あの人に勝ちたい(4)>
加藤大輔・・・陸上部員の高校2年生。
加藤大介・・・陸上部員の高校3年生。
上野正秀・・・陸上部のキャプテン。
森保・・・陸上部員の高校3年生。
安藤弘堅・・・加藤大輔の親友。
(違うぞ、こんなの、何かが違う)
大輔はモヤモヤした気持ちになった。
両手に腰を当て、グラウンドに視線を落とす。
頭の中では、違和感がグルグルと巡っている。
待ちに待った記録会だった。
はやる気持ちを抑え、大輔はスタートラインに立った。
精神を統一し、息を整えてブロックに足を乗せた。合図と同時に飛び出し、カーブから直線に入って加速した。
そのままゴールに飛び込んだ。少し遅れて、隣のレーンを走る加藤がゴールした。
大輔は勝ったのだ。
そう、大輔は初めて、加藤に勝利した。
フライングもしていないし、何のインチキも使っていない。正々堂々と走り、そして加藤より先にゴールした。
それは、喜びを爆発させてもいいような出来事だった。そのはずだった。
しかしゴールした瞬間、大輔の中には、喜びの感情など全く沸き立たなかった。
戸惑いだけが心を支配した。
大輔にとって、会心のレースではなかった。スタートのタイミングは悪かったし、コーナリングでもミスをした。むしろ出来は悪かった。
なのに、加藤先輩に勝ってしまったのだ。
(こんなに簡単に、負ける人だったか?)
大輔の知っている加藤は、そんなに弱い選手ではない。今日の大輔が相手なら、圧倒的な差を付けられるレベルにあるはずだ。
だから、加藤から
「おめでとう、ついにやったな」
と声を掛けられても、大輔は素直に喜べなかった。
「俺が勝ったら満足するだろうと思って、手を抜いたんじゃないでしょうね」
大輔は詰め寄った。
「おいおい、手抜きなんてしないぞ。お前が真剣に勝負を持ち掛けているのに、手を抜いたら失礼に当たるだろ」
加藤の言葉に、嘘は無いように思えた。それに、その手の嘘をつくような人ではないと、大輔は分かっている。
「だったら、どうして負けたんですか」
「妙な質問だな」
加藤は苦笑する。
「負けたのは、俺の方が遅かったからだ。ただ、それだけだよ」
「でも、今日の走りは、先輩らしくなかったですよ。後半に伸びてくるタイプなのに、全く追い付いて来なかったし」
「お前が速かったから、追い付けなかったんだろ」
「いや、だけど」
大輔が食い下がっていると、上野が会話に割り込んだ。
「おい、ダイ。そろそろ加藤を解放してやれ」
「キャプテン」
「加藤は風邪気味で、熱があって体調が悪いんだよ」
「えっ」
大輔が驚いて視線をやると、加藤は困ったような顔になった。
「上野、それは内緒にしておけって言っただろ」
「すまん。だけどホントのことを言わないと、ダイが納得できない感じだったからさ」
「らしくない走りだったのは、やっぱり事情があったんですね」
「そうだぞ、ダイ。俺は加藤に、休むよう言ったんだ。だけど、お前が勝負したがっているからって、無理をして記録会に参加したんだ」
「それは違うよ、上野」
加藤はキッパリと否定する。それから大輔を見て、
「ダイ、俺は自分が走りたいから参加したんだ。お前のためじゃないぞ」
と、柔和な笑顔で告げた。
「どうして体調が悪いこと、黙っていたんですか。教えてくれてもいいじゃないですか」
大輔は抗議する。
「すまん。そんなの、恥ずかしくってさ」
「こっちの方が恥ずかしいですよ。これじゃあ、勝ったことになりませんよ」
「お前が勝ったことは紛れも無い事実だぞ」
「だって、先輩は風邪をひいてるんですから、ちゃんとした勝負とは言えませんよ」
「風邪は言い訳にならない。今日が記録会なのは前から分かっていたことで、コンディション調整も含めて勝負の内だ。これが正式な競技大会だったとして、風邪をひいたからレースは未成立なんて、そんなの無いだろ。だから、俺の負けなんだよ」
「そうかもしれませんけど」
理屈は分かるが、大輔は承服できない。
「今回のは無効試合として、風邪が治って、体調が万全に戻ってから、また勝負してくれませんか」
「次の記録会ってことか」
「それでもいいですけど、1ヶ月も空いてしまうので、もし体調が戻れば、それまでに臨時レースってことで、お願いします」
「意欲満々だなあ」
加藤は相好を崩す。
「分かった、それじゃあ、一日も早く風邪を治すよう、努力するよ」
「はい、お願いします」
大輔がペコッと会釈すると、加藤は軽く手を挙げ、部室へと歩いていった。
「なあ、ダイ」
大輔も部室へ向かおうとすると、上野が後ろから呼び止めた。
「お前が頑張るのは悪いことじゃないけど、あんまり加藤を拘束してやるなよ」
静かな口調で、上野が言う。
「拘束なんて、そんなつもりは」
「お前は知らないだろうけど、あいつ、本当は1学期で部活を辞めるつもりだったんだ」
「えっ」
大輔が目を見開く。
「あいつ、早く引退して、受験勉強に専念するつもりだったんだよ。けど、ダイが勝負への執念を燃やしているから、お前に付き合ってるんだよ」
「俺のために……」
「キャプテンとして、こういうことは言うべきじゃないのかもしれないけど、あいつの友達としては、ちょっと思うところもあってな」
上野は複雑な表情を浮かべる。
「……」
大輔は黙り込んだ。
自分が先輩に迷惑を掛けているとは、思ってもみなかった。
ショックだった。
しかし、だからといって、加藤との勝負を放棄する気にもなれない。
大輔にも意地があった。そんな事情を知ったからと言って、簡単には投げ出せない。
(とにかく、先輩に勝てばいいんだ。それで、全てが解決するんだ)
彼はダッシュで部室へ向かった。
大輔が部室のドアを開けると、加藤は制服に着替え終わっていた。
「先輩」
大輔は気合いの入った声を発した。
「んっ、何だ?」
「次の勝負、臨時のレースが、ラストですから」
「ラスト?」
「ええ、それで先輩との勝負は、終わりにします」
「どうした、何かあったのか。そんなこと、急に言い出すなんて」
加藤は不思議そうに尋ねる。
「いえ、別に。ただ、いつまでも続けることは出来ないんで、区切りを付けようと思って」
「俺に勝てなくても、次で終わりにするつもりなのか」
「勝敗に関わらず、ラストにします」
大輔は断言した後、強い口調で付け加えた。
「でも、絶対に勝ちます」
すると加藤は、
「いいぞ、その意気だ」
と、嬉しそうにうなずいた。




