<30:ニューヒロインのユウウツ(3)>
本橋香乃・・・演劇部員の高校1年生。
吉崎蘭・・・演劇部の部長。
石丸大剛・・・演劇部の副部長。
小原弥生・・・演劇部のOB。
雁岡妙子・・・演劇部員の高校3年生。
武田清美・・・演劇部員の高校3年生。
手場寛子・・・演劇部員の高校3年生。
講堂では、演劇部が学園祭公演に向けた練習を行っている。
本番までに講堂を使えるのは、あと3回しか無い。
今日は最初に軽く通し稽古をやった後、仕上がりが遅れているシーンを重点的に練習していた。
「はい、ストップ」
客席の5列目から見守っていた部長の蘭が、鋭い声を発した。
「香乃、その芝居は違う」
「はい、すみません」
ペコリと香乃が頭を下げる。
「その場面は、オリーブが愛するシーザーに裏切られたと感じて、憎しみの感情を向けるところなのよ。アンタの芝居だと、憎しみがまるで感じられないわ」
蘭は厳しい口調で注意する。
「確か、前に見た時も、ここで引っ掛かったわねえ」
蘭の隣で見ていた弥生が、困った顔で呟く。
もう香乃はすっかりヒロイン役に慣れ、全く緊張せずに演技が出来るようになっていた。
上級生を相手にしても臆することなく、むしろ場面によっては引っ張っていくほどの演技力を見せるほどに成長していた。
短期間での驚異的な伸びは、蘭の予想も上回るほどだった。
ただ、その場面だけは、何度やっても上手く行かないのだ。
「オリーブの気持ちになって。アンタは彼を憎んでいるのよ」
そう言われて、香乃は目の前にいるシーザー役の大剛に視線を向ける。
「大丈夫、君なら出来るよ」
大剛は香乃を励ます。
「もう一回、香乃の同じセリフから行くわよ。大剛、元の位置に戻って。はい、スタート」
「まさか、こんな仕打ちを受けるなんて」
「ストップ」
香乃がセリフを言い終わるや否や、すぐに蘭がパンと両手を打ち鳴らす。
「香乃、それだと憎しみじゃなくて、悲しみに見えるのよ。自分でも分かってるわよね、出来てないって」
「……はい」
香乃は申し訳無さそうに下を向く。
妙子と清美が講堂の壁にもたれながら、その様子を見て冷笑している。二人の出番は、その場面までに全て終わっている。
「同じ箇所で詰まってばかりじゃ、他の場面が練習できないわね」
「本番になっても出来なかったら、どうするつもりなのかしら」
蘭はヒソヒソと言い合っている彼女達を一瞥し、舞台に視線を戻す。
「仕方が無いわね、とりあえず、そこは飛ばして次の場面に移るわ」
「すみません」
「謝るぐらいだったら、ちゃんと芝居をしてくれればいいのよ。さあ、準備して。誤解が解けた後のシーンをやるわよ」
舞台装置を用意している間に、弥生は蘭の耳元に顔を近付けて囁いた。
「蘭、もしかして今のが、香乃ちゃんの致命的な欠点?」
「ええ」
蘭は真正面を向いたままで返答した。
「あの子、大剛が優しくて親切な先輩だから、憎めないって言うんですよ」
「なるほど、そういうこと」
「お芝居なんだから、そういうことは忘れて役に入り込めと言ったんですけどね。それが出来ないんですよ」
「でも、他の場面だと、演じる部員が誰かなんて気にせず、お芝居に入り込んでいるのに。どうして、あの場面だけ上手く出来ないのかしら」
「彼女は気持ちが優しすぎて、誰かを憎むということが出来ないんです。私が厳しく指導しても、妙子達にネチネチとイジメられても、憎いとは感じない。舞台上だけじゃなく、私生活でも同じなんです」
「今までに誰かを憎いと思ったこと、一度も無いのかしら」
「無いんでしょうね、たぶん」
「変わった子ねえ」
「弥生先輩も、余り人を憎むことは無さそうですけどね」
「ああ、そうかもね。でも私は役者じゃないから、それでも大丈夫」
弥生は微笑する。
「それで、香乃ちゃんが憎しみの芝居を出来ないのなら、どうするの?」
「まあ一応、対策は考えます。このままじゃマズいのは分かり切っていますから」
「部長、準備完了です」
舞台上から声が飛び、練習が再開された。
蘭は練習を見ながら、蘭は妙子と清美に近付いていった。
動きを察知した妙子たちは、スッと姿勢を正した。
「アンタたち」
蘭は無表情で舞台の方を向いたまま、小声で言う。
「裏でくだらないイジメに神経を使うぐらいなら、芝居のことをもっと考えた方がいいわよ」
妙子も清美も、ビクッと顔を引きつらせた。
「私たちは、別にそんな」
「言い訳無用。私が気付いていないとでも思っていたの」
蘭はピシャリと言い放つ。
小声でも、そこには相手を圧倒する力強さがあった。
「妙子、前にも言ったでしょ。アンタは主役になれるタイプじゃない。適材適所って言葉があるでしょ。アンタは脇役でこそ光るタイプなの。香乃をイビるより、脇役としてヒロインを食うぐらいの芝居をしてみなさい」
「……」
妙子は気まずそうに沈黙する。
「清美、アンタの場合は主役も行ける口よ。ただし、妙子の腰巾着としてイジメをやっている間は、永遠に主役の座は来ない」
「えっ、主役?」
そんなことを言われるとは思っていなかったので、清美は狼狽した。
「芝居の成功には、みんなの力が必要なのよ。アンタたちも精進しなさい」
そう告げて、蘭は二人の元を離れた。
元の場所に戻って来た彼女に、弥生は含んだような笑みを向ける。
「何、今の?」
「問題を一つ解決しようとしただけです」
「それで、解決できたの?」
「ええ、たぶん。後は、最大の問題を解決するだけです」
蘭は、舞台上で熱演する香乃を凝視した。




