<23:恋愛熱血少女(4)>
戸川春菜・・・高校3年生。
柱谷秀彦・・・戸川春菜の担任教師。
能登奈緒美・・・戸川春菜の親友でクラスメイト。生徒会副会長。
その朝、いつもより早めに登校した春菜は、廊下を歩いて行く柱谷に気付いた。
柱谷は、ギターケースを両手に抱えている。
「あっ、せんせーい」
春菜は明るく呼び掛けて、柱谷に駆け寄った。
「おお、戸川か」
「重そうですね。持ちましょうか」
「いや、大丈夫だ」
「遠慮しないで、こっち、持ちますよ」
春菜は片方のギターケースを柱谷から奪い取った。
「全く、強引な奴だな」
「フフッ、一緒に帰った仲じゃないですか。これぐらい、手伝いますよ」
嬉しそうに春菜が言う。
「誤解を招くような言い方をするな。誰から聞かれたら、どうするんだ」
柱谷が声を潜め、周囲を気にする。
「先生、意外と心配性なんですね。大丈夫ですよ、あのことは誰にもバレてませんし」
「お前な、その言い方だと、何かあったみたいじゃないか。ただ駅まで送っただけなのに」
「はいはい。それで、このケース、どこへ運ぶんですか」
「軽音の部室だ」
「そうか、先生、軽音楽部の顧問になったんですよね」
これまで顧問だった小畑先生が産休に入ったため、柱谷が新しく顧問を務めることになったのだ。
「だけど先生が軽音の顧問だなんて、全く似合わないですね」
春菜がクスッと笑う。
「そうか?どこが似合わないんだ?」
「何となく、先生と音楽って、距離が遠い感じがしますよ」
「それは心外だな」
柱谷が不満そうな顔をする。
「これでも学生時代は、バンドを組んでいたんだぞ」
「ええっ、そうなんですか?」
「ああ、レッド・ツェッペリンのコピーバンドをやっていた。レッド・ツェッペリンって言っても知らないか。そういう世界的グループがあったんだ」
「先生、担当パートは?」
「ボーカルだ」
「うそー、信じられない。それじゃあ、歌が上手いんですね」
「まあ、それなりに」
得意げに、柱谷が言う。
「今度、聞かせてくださいよ」
「機会があればな」
「じゃあ、一緒にカラオケにでも行きましょうよ」
「おいおい、それは違うだろ」
「ダメですか」
「ダメに決まってる」
「ちぇっ、残念」
そんな会話をしている間に、軽音の部室に着いた。
柱谷は部室のドアを開け、
「あいつら、散らかしやがって。整理しないとダメだな」
と愚痴った。
「ありがとう戸川、もういいぞ」
柱谷が手を出し、ギターケースを渡すよう促す。
「はーい。それじゃあ先生、また後で」
春菜はギターケースを渡し、部室に入って行く柱谷の背中を眺めた。
それから、ウキウキした気分で、教室へ向かった。
途中で奈緒美に出会い、勢い良く肩を叩く。
「よっ、奈緒美」
「何よ、朝っぱらからニヤニヤして」
「へへっ、ちょっとね」
「そういう顔をするってことは、メラ谷のことでしょ」
「うん、まあね」
「自転車作戦が成功してから、完全に浮かれモードね」
「いいじゃない。恋する乙女はハッピーなのよ」
「だったら、ちょっと親戚筋から小耳に挟んだ話があるんだけど、そんな乙女には言わない方がいいのかなあ」
奈緒美は、意味ありげに漏らす。
「何かあるの?」
「例の花屋の店員と、アンタの愛しいメラ谷、どうも結婚に向けて話が進んでるらしいんだよね」
「えっ」
春菜の顔色が変わる。
「嘘でしょ、そんなの」
「あくまでも噂だから、そりゃあ本当かどうかは知らないけどね」
「だって先生、付き合っている相手はいないって」
「だから、本当かどうかは知らないって。ただ、メラ谷も28歳だからねえ。結婚を考えても不思議ではない年よね」
「先生が結婚?そんなの、有り得ないわ」
言うや否や、春菜はダッと駆け出した。
「ちょっと、どこへ行くの」
奈緒美の呼び掛けを無視して、春菜は軽音の部室へ向かった。
春菜がガラッと乱暴にドアを開けると、柱谷は部屋を整理していた。
「どうした、戸川」
驚いた様子で、柱谷が視線を向ける。
「先生、私に嘘をついたんですか」
春菜は悲しそうな目で、キッと睨む。
「いきなり、何のことだ?」
「前に、恋人はいないって言ったのに」
「はあっ?」
「確かに言いましたよ」
春菜はツカツカと歩み寄る。
「ああ、そう言ったかな。それが、どうかしたのか」
「なのに先生、花屋の女の人と結婚するんですか」
「お前、その話、どうして知ってるんだ」
柱谷が狼狽する。
「やっぱり、本当なんですね」
「いや、それは違うぞ。誤解がある」
「何が誤解なんですか」
春菜が詰め寄る。
「とりあえず、落ち着け」
柱谷は春菜をなだめながら、困った表情を浮かべた。
「その人とは、両親同士が親しくて、結婚させようと勝手に画策しているだけだ。彼女にも俺にも、結婚する気は全く無い」
「本当ですか」
まだ疑いの目で見る春菜。
「こんなことで嘘を言っても仕方が無いだろう」
「そうか、良かったあ」
春菜は、安堵の溜め息を漏らした。
「戸川、どこからそんな話を聞いたんだ」
「へへっ、それは秘密です」
「どうであれ、信用性の低い情報源みたいだな。全く、どうして、こんなことをお前に釈明しなきゃならないんだ」
柱谷は、渋い顔をする。
「先生が結婚するって聞いたから、心配になったんです」
「仮に結婚するとしても、別に構わないじゃないか。お前に心配される意味が分からないぞ」
(それは先生のことが好きだから)
そう言いたいところだが、それは心の中に留めて、春菜は別のセリフを選んだ。
「だって、先生が変な女の人と一緒になったら、嫌じゃないですか」
「変な女の人って。それだと、まるで由香里さんが変な人みたいじゃないか。あの人は、ちゃんとした女性だぞ」
「ユカリさんって言うんですか、その人」
春菜は、ピクッと頬を引きつらせた。
「下の名前で呼ぶんですね」
「そんなに引っ掛かるようなことか?」
「私のことは、苗字で呼ぶじゃないですか」
「そう言われれば、そうだが。でも由香里さんのことは昔から知ってるからな。それに、生徒は苗字で呼ぶのが普通じゃないのか」
「ユカリさんって、美人らしいですね」
「それも、さっきの情報提供者からのネタなのか」
柱谷は苦笑する。
「だが、その情報は正しいな。確かに、綺麗な人だよ。それに外見だけじゃなく、内面も素晴らしい」
「へえ、随分と誉めるんですね」
春菜はトゲのある言い方をする。
「やっぱり先生、その人に気があるんじゃないですか」
「それは無いよ。あったとしても、向こうが相手にしてくれるはずもないし」
「じゃあ向こうが好意を寄せたら、先生は受け入れるんですね」
「いや、そういうわけでは」
柱谷は、言葉に詰まった。その態度を目にした春菜は、頬をヒクヒクさせた。
「いやらしい」
吐き捨てるように呟く春菜。
「おいおい、そんな言い方は無いだろう。俺だって男なんだぞ、美人には弱い」
「あっ、開き直った」
「世の中の真理を言っただけだ」
「やっぱり親同士が勝手に結婚話を進めているっていうのは嘘で、本人同士でも交際が進んでいるんじゃないですか」
「ぶり返すなよ、それは無いって」
「もしかしたら、ミッキーのヌイグルミも先生の趣味じゃなくて、その人の趣味なんじゃ」
「馬鹿を言うな、俺はずっとディズニーのファンだ。部屋はディズニーのグッズで一杯だし、ディズニーランドには50回以上行ってるんだぞ」
柱谷は真剣な顔で怒鳴る。
一瞬、妙な沈黙の時間があった。
それから春菜は、クスッと笑った。
そんなことを熱く訴える柱谷を見て、嫉妬の炎はすっかり鎮火した。
「可愛いですね、先生」
「か、可愛いって、教師に向かって言う言葉か」
柱谷は恥ずかしそうに、こめかみの辺りをポリポリと掻いた。
「もう、いいです。そのユカリさんとのことは、許してあげます」
春菜はスカートをヒラリと翻し、音楽準備室を出ようとする。
「いや、許すとか許さないとかいう問題じゃないだろう。大体、どうしてお前がそんなことでいちいち……」
「先生、そろそろ1時間目の準備があるんで、行きますね」
柱谷の言葉を遮り、春菜が言った。
「おい、まだ話は終わってないぞ」
「だったら、また昼休みにでも。先生も早くしないと、授業に遅れますよ」
そう告げると、春菜は教室へ向かって駆け出した。
春菜が教室に戻ると、すぐに奈緒美が話し掛けてきた。
「どこへ行ってたの」
「先生の所」
「もしかして、直接、確かめに行ったの?」
奈緒美は驚く。
「まあね」
「アンタ、そういう時の行動力だけはすごいわね。それで、どうだったの」
「結婚話は、親同士が勝手に進めようとしているだけだって」
「ふうん、そうなの。それじゃあアンタとしては、ホッと一安心ってとこね」
しかし春菜は、
「そうでもないかな。モタモタしてたら、取られちゃうかもしれない。だから、こっちも次のステップに移るべきかも」
と口にする。
「次のステップ?」
「うん」
春菜は含んだように微笑した。




