<22:あの人に勝ちたい(3)>
加藤大輔・・・陸上部員の高校2年生。
加藤大介・・・陸上部員の高校3年生。
上野正秀・・・陸上部のキャプテン。
森保・・・陸上部員の高校3年生。
安藤弘堅・・・加藤大輔の親友。
「よーし、今日は以上だ」
上野キャプテンの号令で、陸上部の練習は終了した。
1年生は道具の片付けに取り掛かり、2年生と3年生は着替えるために部室へと向かう。
大輔も額の汗を拭いながら、グラウンドを去ろうとした。
すると加藤先輩が後ろから、
「ダイ、ちょっと」
と声を掛けてきた。
「前も言ったけど、お前、長距離に転向する気は無いのか」
「また、その話ですか」
大輔は、うんざりした態度を示す。
1学期の後半から、加藤は長距離への転向を持ち掛けるようになった。
最初は軽い調子だったが、2学期に入ってからは、かなり本気モードに変わっている。
しかし大輔には、転向する気など全く無い。
だから誘われる度に断っているのだが、忘れた頃に、また加藤が話を持ち掛けてくるのだ。
「そんな顔するなよ」
加藤は笑う。
「今日の練習を見ていたけど、やっぱり、お前は長距離の方が合ってると思うんだよな」
「俺は200メートルに懸けてるんですよ。中学でも短距離だったし、まだ限界は感じてないですよ。事実、記録は少しずつ伸びてますし」
「確かに頑張ってる。けど、長距離の方が、もっと伸びるんじゃないかな。たぶん、お前は赤筋の方が優秀だと思うんだよ」
筋肉には赤筋と白筋があり、長距離に向いているのは赤筋、短距離に向いているのが白筋だ。
もちろんトレーニングによって鍛えることも出来るが、人間は生まれ付き、赤筋と白筋の割合によって、長距離向きか短距離向きかが決まっているのだ。
そのことは、大輔も知っている。だが、加藤の主張には賛同しかねた。
「調べたわけでもないのに、どうして俺の筋肉のことまで分かるんですか」
「そりゃあ、ちゃんと調べたわけじゃないけど。ただ、何となく長距離向きの筋肉に見えるんだよ」
「適当な憶測だけで、俺の進路を決めないで下さいよ。大体、どうして俺を長距離に転向させたがるんですか?他の奴らには、そういうこと、何も言わないくせに」
「そうだなあ、やっぱり同じ名前を持つ身としては、特別扱いしてしまうんだろうな」
加藤は屈託の無い笑顔を浮かべた。
その態度に、大輔は反発心を抱いた。
(この人は、どうしていつも、こんなに爽やかでいられるんだ)
「俺、長距離には行きませんよ」
大輔はキッパリと言い切った。
実は本人の中でも、長距離の方が向いているのかもしれないという気持ちが、全く無いわけではなかった。
加藤から執拗に勧められたことで、そういう気持ちが芽生え始めたのだ。
しかし、先輩に勧められて、ハイそうですかと受け入れることは出来なかった。
「ここで転向したら、逃げたと思われます」
「逃げたなんて、誰も思わないさ」
「誰も思わなくても、俺のプライドが許しません」
「何がどうなったら、長距離への転向が逃げたことになるんだ?」
加藤は苦笑いで尋ねる。
「カトウダイスケという名前が、長距離への転向を許さないんですよ」
大輔は真顔で答えた。
「劣化版と呼ばれたままで終わるなんて、耐えられないんです。だから先輩に勝つまでは、200メートルを投げ出すわけにはいきません」
「ダイがこだわっているのは、そんな小さいことなのか」
「先輩にとっては些細なことでも、俺にとっては重大な問題なんですよ」
「そう突っ掛かるなよ」
加藤は大輔をなだめ、それから優しく説くように話し始めた。
「なあ、ダイ。お前は俺に勝つことを目指しているけど、俺なんか、大した奴じゃないぞ」
「謙遜にも程があるでしょう、市の記録まで持ってる人が」
「そりゃあ、市の大会ではトップクラスだけど、県レベルだと、せいぜい5番目か6番目だ。全国レベルだと、もう話にならない」
「それでも市のトップなら、充分に凄いじゃないですか」
責めるように大輔が言うと、加藤は首を横に振った。
「お前だったら、長距離で全国レベルになれる素質があると俺は感じてるんだ」
「はあっ?」
大輔は口をあんぐりと開けた。
加藤がそこまで自分を評価してくれているとは、予想していなかった。
「全国レベルだなんて、からかってるんですか」
照れ臭くなった大輔は、それを隠すために荒っぽい口調で告げる。
「いや、本気で、そう思ってる。もちろん、今すぐじゃないぞ。これから精進して、そうだな、大学生になった頃には、全国に名が轟く選手になれるかもしれない」
加藤は自信に満ちた表情で、大輔を見つめた。
「先輩が言ってるだけじゃ、何の説得力もありませんよ。そんなギャンブルみたいな話に乗れっていうんですか」
大輔は、高く評価された嬉しさも感じつつ、しかし反発する態度を取った。
「素質を見抜く目には自信があるんだけどな。パッと見て、こいつは速そうだと思った奴は必ず速いし」
加藤は頭を掻く。
「そうか、やっぱり200で行くか」
「ええ、行きますよ、とことんまで」
「とことんって、いつまでなんだ」
「先輩に勝つまでですよ」
「そこか、ゴールは」
加藤はフッと笑みを漏らす。
「だけど、もしも俺が卒業するまでに勝てなかったら、どうするつもりだ」
「大した自信ですね。それまで負けるはずがないと思ってるんですか」
「いや、そうじゃないけど、もしもの話だ」
「その時は、大学生になっても追い掛けますよ」
大輔は意地になった。
「同じ大学に入れるかどうかは分かりませんけど、違う大学になったとしても、タイムで先輩を越えるまで続けますよ」
「残念だけど、それは無理だな」
加藤は、静かに告げる。
「俺、陸上は高校で終わりだから」
「えっ」
初めて聞く話に、大輔は小さく驚く。
「終わりって?」
「さっきも言ったように、せいぜい市の大会レベルだからな。このまま続けても、全国レベルになれる素質も無いことは自分でも分かってる。だから大学に入ったら、学業に専念するつもりなんだ」
「高校で終わり……」
大輔は動揺した。だが、それを表には出さず、キッと鋭い目付きで加藤を見据えた。
「だったら次の記録会で、必ず勝ちますよ」
勇ましい後輩の姿を見て、加藤は嬉しそうに笑った。
「ああ、期待してる」
加藤はポンポンと大輔の肩を叩き、部室へと歩いていった。




