<19:ニューヒロインのユウウツ(2)>
本橋香乃・・・演劇部員の高校1年生。
吉崎蘭・・・演劇部の部長。
石丸大剛・・・演劇部の副部長。
小原弥生・・・演劇部のOB。
雁岡妙子・・・演劇部員の高校3年生。
武田清美・・・演劇部員の高校3年生。
手場寛子・・・演劇部員の高校3年生。
「あれっ、おかしいな」
1年生の本橋香乃が、演劇部の部室でカバンをゴソゴソと探っている。
「何をグズグズしてるの」
高圧的な声がして、3年生部員の雁岡妙子と武田清美が入ってきた。
「今日は講堂での練習日だって、分かってるはずでしょ。みんな、とっくに集まってるわよ」
清美が厳しい口調で言う。
演劇部は、学園祭での芝居を講堂で上演する。
そのため、本番に向けて、講堂を使った練習日が設けられている。
毎日のように使えるわけではなく、その日数は限られているので、講堂での練習日は貴重だ。
「すみません、台本が見つからなくて。ちゃんと持って来たはずなんですけど」
香乃はペコペコと頭を下げる。
「言い訳なんか聞きたくないわ。台本を忘れるなんて、気持ちが弛んでいるんじゃないの。それに、そんな理由で、他の部員を待たせるつもりなの?」
「1年生なんだから、上級生より早く来るぐらいの心構えが無いと困るわね。ヒロイン役に抜擢されたからって、最後に登場してもいいぐらい、貴方の位が上がったわけじゃないのよ」
妙子も冷徹に告げる。
「位が上がったなんて、そんなことは」
香乃は顔を引きつらせて否定する。
「自覚していなくても、どこかで驕りが出てしまっているのよ。勘違いしないでね、私達は、貴方のためを思って注意しているんだから」
そう口にしたものの、香乃のことを思って注意しているというのは、真っ赤な嘘である。
香乃がヒロインに決まってから、この2人は嫁を嫌悪する姑の如く、ネチネチとしたイジメを繰り返している。
「何をやってるの?」
鋭い声が聞こえて振り向くと、ドアの傍に部長の蘭が立っていた。
「彼女がみんなを待たせているから、注意していたのよ」
妙子が顎をしゃくって香乃を示す。
「アンタ達だって、ここにいたら同じことよ。後は任せて、先に講堂へ行ってて」
蘭は、妙子と清美に告げた。
2人が教室を去った後、蘭は険しい顔付きで香乃を見た。
「すみません、台本が見つからなくて」
何か言われる前に、香乃は弁明した。
「どうせセリフは全て覚えてるんでしょ」
「はい、一応」
「だったら、今回は台本無しで練習してちょうだい。後で探しても見つからなかったら、新しい台本を渡すわ」
「すみません」
「みんなに迷惑を掛けた借りは、舞台で返してもらうわよ。これまでは良くやってるけど、まだまだ物足りない。貴方は、もっと出来るはずよ」
蘭は厳しい口調で言う。
抜擢した時に彼女が確信した通り、香乃は無難にヒロイン役をこなしていた。
最初にセリフを喋らせた時は、目を閉じなければ役に入り込めなかったが、2日目からは普通の状態でもイメージを広げて芝居に集中できるようになった。
しかし蘭は、もっと上のレベルを要求していた。
「学生演劇だからって、この程度でいいだろうと思ったら終わり。学生であろうと、お客様に見せるのは商業演劇と一緒。舞台に上がるからには、プロと同じような気構えで取り組んで」
「そんな、プロでやっていくつもりなんて、全く無いんですけど」
「気構えの問題を説いてるのよ。それと、さっきの2人が陰湿なことをやっているのは知ってるけど、やめさせようなんてしないわよ。そういうことも含めて打ち勝たないと、この先、貴方は女優としてやっていけないわ」
「は、はい……」
香乃はそう返事をしたが、この先も役者を続けるつもりなど全く無かった。
学園祭の公演が終わったら、また裏方に戻してもらおうと考えている。
ただし、だからと言って、今回のヒロイン役をおざなりに済ませようとは思っていない。
指名されたからには、自分がちゃんとやらないと芝居が台無しになるという責任感が彼女の中にはあった。
「話は終わりよ。さあ、早く講堂に行って。みんなが待ってるわ」
蘭に急かされ、香乃は部室を出て講堂へと走った。
香乃が講堂の前に行くと、OBの小原弥生が笑顔で手を振った。
「ああ、香乃ちゃん、来たわね」
「す、すみません、遅れて」
香乃は立ち止まり、肩で息を整える。
「大丈夫、そんなに走って?」
「ええ、みんなを待たせているので」
「大丈夫よ、蘭が個人練習の指示を出してあるから。全体練習は、弥生が戻ってから始めることになってるの」
「そうなんですか」
「あの子、普段は厳しいけど、そういう気配りも出来るのよ」
弥生は穏やかに微笑する。
「香乃ちゃんには、特に厳しいみたいね。大変でしょう」
「私の芝居が下手だから、厳しくされても仕方がありません」
「謙虚なのねえ」
弥生は感心する。
「腹立たしく思ったり、憎しみを覚えたりしても仕方が無いぐらい、厳しい叱責なのに」
弥生がそう感じるぐらい、蘭は練習中、香乃に対して厳しかった。
他の部員の倍、いや三倍ぐらいの厳しさで指導していた。
「でも、厳しくするのは、貴方が下手だからじゃないわよ。下手だと思ったら、最初から抜擢しない。女優としての才能があると見込んでいるから、厳しくするの。あの子は、そういう子なのよ」
「私に才能が?そんなの、嘘ですよ」
香乃は目を丸くする。
「嘘じゃないわよ。貴方の才能は、蘭だけじゃなくて私も感じるわ」
弥生はニッコリと笑う。
それからハッと気付いて、
「ああ、ごめんなさい、余計な話で引き止めてしまって。早くみんなの所へ行きたいのよね。さあ、行って」
「あっ、はい」
香乃は軽く会釈して、講堂へと入っていった。
見送った弥生が振り向くと、蘭がゆっくりと歩いて来た。
「香乃ちゃんなら、今、講堂に入っていったわよ」
「ええ、見えてました」
「どう、彼女の上達ぶりは。私は久しぶりに見るから、ワクワクしているんだけど」
「先輩もきっと驚くと思いますよ。今まで経験が無い分、吸収力が凄いんです。一日ごとに、どんどん伸びていくのが分かります」
「元は役者志望だった蘭としては、実は、ちょっと羨ましかったりするんじゃないの」
弥生は悪戯っぽい笑みで尋ねる。
「そうですね、少しは」
蘭は素直に認めた。
弥生の言った通り、蘭は入部当初、役者を志望していた。
しかし、幾ら練習しても芝居から硬さが抜けず、自ら裏方に回ることを決めた。
その時に演出をやってみるよう勧めたのが弥生だ。
「役者としての才能が無いと自覚して、演出に転向しましたけど、羨ましさはありますね。まだ荒削りですけど、香乃は人を惹き付けるものを持っています」
「へえ、珍しいわね、貴方がそこまで部員を高く評価するなんて」
「ただし、重大な欠陥はありますけど」
「欠陥?」
「ええ。それを何とかしないと、厳しいでしょう」
「それって何?」
「いずれ分かると思いますよ。さあ、全体練習を始めるので、弥生先輩も来てください」
「ええっ、教えてくれないの。意地悪」
弥生が頬を膨らませる。
「拗ねないで下さいよ、さあ、行きますよ」
蘭は言い終えると、さっさと講堂へ向かった。




