<17:恋愛熱血少女(3)>
戸川春菜・・・高校3年生。
柱谷秀彦・・・戸川春菜の担任教師。
能登奈緒美・・・戸川春菜の親友でクラスメイト。生徒会副会長。
夕方、教師の柱谷は仕事を終え、駐輪場へ向かった。
彼は家から高校まで、自転車で通勤している。
独身の彼はアパートで一人暮らしをしており、高校からは自転車で15分程度の距離にある。
それより近い場所に住んでいる同僚教師が車で通勤しているのに、柱谷は自転車だ。
車を使わない理由を、柱谷は同僚に「健康のため」と説明している。
それも理由の一つではあるが、そもそも彼は車を所持していない。
「あれっ、おかしいな」
柱谷は上着のポケットを探りながら、そう呟く。
その様子を、春菜が校舎の陰から覗き見ていた。
(ふふっ、困ってる、困ってる)
春菜が悪戯っぽく微笑する。
柱谷はズボンのポケットに手を突っ込み、次にアタッシェ・ケースを開けてゴソゴソとやり始めた。
(そろそろ、いいかな)
春菜はタイミングを見計らって、柱谷に近付いた。
「先生、どうかしたんですか」
「おお、戸川か。どうしたんだ、こんな時間まで。お前は部活も無いはずだろ」
「ええ、ちょっと」
部活動は無いが、別の用事があるから残っていたのだ。
それは彼女にとって、ものすごく大切な用事だ。
「それより先生、何か探し物ですか」
「ああ、自転車の鍵が見つからなくて」
「だったら、私も探すのを手伝いますよ」
「いや、いいよ。お前は早く帰れ。もう遅いから、気を付けてな」
「でも先生が困っているのに、放っておいて帰るなんて」
「探すと言っても、その辺りに落ちているわけでもないんだから。俺のポケットかカバンか、そこに無ければ職員室だろう。だから、助けは要らない」
(それだと困るのよ)
せっかく遅くまで残っていたのに、それを無意味にするつもりなど、春菜には無かった。
「先生、カバンの中は、ちゃんと探したんですか」
「ああ、探した。しょうがない、職員室に戻ってみるかな」
「その前に、ちょっとカバンを貸してください。他人が探したら、思いがけず見つかる場合だってありますよ」
春菜は半ば強引に、柱谷のカバンを奪い取った。
「おいおい、何をするんだ」
「私が探すんです」
「だから、カバンの中は探したと言ってるじゃないか」
「念のためですよ。先生が見落としているかもしれませんからね」
「お前なあ、他人のカバンを漁るなんて、趣味が良くないぞ」
そう言いながらも、柱谷は怒ったりせず、春菜にアタッシェ・ケースを委ねた。
(ふふっ、こういう所が優しいのよね、先生は)
春菜は改めて柱谷の魅力を感じつつ、アタッシェ・ケースの中を調べる。
教科書や学校関係の書類の他に、教育について書かれた本や新聞などが入っている。
そんな中に、意外な物を見つけた。手のひらサイズの、ミッキーマウスのヌイグルミだ。
「先生、これって?」
「あっ、しまった」
ヌイグルミを見せると、柱谷は顔をしかめた。
「先生、ミッキーマウスが好きなんですか」
「ミッキーだけじゃなくて、ディズニーが好きなんだよ」
気まずそうに、柱谷が告げる。
「でも、使ってる筆記用具とか、ディズニー・グッズは一つも無いですね」
「隠してるんだよ、柄に合わないから。それだけは、お守り代わりとしてカバンに入れてるんだ。お前だって、似合わないと思っただろ」
「いえ、全然。私もディズニー、好きですから。ディズニーが好きな人に、悪い人はいませんよね」
春菜は微笑む。柱谷のプライベートを知ることが出来て、彼女の心は弾んだ。
「なあ戸川、ここでお前とディズニーについて話している場合じゃないんだ。鍵を探す気が無いのなら、カバンを返してくれ」
「ちゃんと探してますよ」
春菜が慌てて言う。
そうだ、浮かれている場合ではないのだ。
彼女には、遂行せねばならない作戦がある。
春菜は右手をアタッシェ・ケースから抜き、今度は左手を軽く握った状態で入れた。
実は、その手の中に、彼女は自転車の鍵を隠し持っていた。
昼間、春菜は奈緒美と一緒に職員室を訪れた。
そして、奈緒美に柱谷と話をしてもらい、そっちに目が行っている隙に、こっそりと鍵を盗み出したのだ。
事前の調査で、鍵のありかは分かっていた。
「あっ、これって、自転車の鍵じゃないんですか」
白々しく言いながら、春菜は鍵を差し出した。
「あっ、それだ。どこにあった?」
「隅っこに隠れてましたよ」
「おかしいな、ちゃんと探したつもりだったのに」
「私、こういうのは得意なんですよ」
「サンキュー、手伝ってもらって済まなかったな」
そう言って柱谷が鍵を受け取ろうとすると、春菜はスッと手を引っ込めた。
「おい、小学生みたいな悪戯はやめろよ」
「先生、私が鍵を見つけたんですから、何かお礼をしてくれてもいいんじゃないですか」
春菜は含んだような微笑を浮かべる。
「お礼?飯でもおごれっていうのか。教師の給料は安いんだぞ」
「違いますよ。その自転車で、駅まで送ってください」
それが春菜の狙いだった。
「駅まで?どうしてだ?」
「私、電車通学ですから」
「いや、そういうことじゃなくて。俺が駅まで送るのか」
柱谷は困惑する。
「ええ、鍵を見つけたお礼として」
「鍵を見つけてもらったのは助かったが、だからって駅まで送るのは違うだろ」
「何が違うんですか」
「教師が生徒を駅まで送るのは、どうかと思うぞ。しかも、女子生徒だし」
「さっき先生は、遅いから気を付けろと言ったじゃないですか。だったら女子生徒を一人で駅まで行かせるよりは、送ってくれた方が安全ですよ」
「そう言われると、そうかもしれんが。だが、遅いと言っても、まだ明るいし」
「送ってくれないなら、この鍵、返しませんよ」
「無茶を言うなよ」
「無茶じゃありませんよ。あーあ、こんな遅い時間に一人で駅まで歩いて、変質者にでも襲われたらどうしよう。そうなったら、先生のことを恨むかもしれないなあ。先生も責任を感じるだろうなあ」
春菜は、芝居がかった態度で言う。
「ええい、分かった」
諦めたように、柱谷がハアッと息を吐いた。
「送っていってやるよ」
「本当ですか」
春菜の顔が、パッと晴れやかになる。
「ああ、男に二言は無い。だから鍵を渡せ」
「はい」
柱谷はアタッシェ・ケースを前のカゴに入れ、自転車を駐輪場から出した。
「その代わり、もし他の生徒や先生に知られて、このことを後で訊かれたら、足をくじいたから送ってもらったと説明するんだぞ」
「どうして、そんな嘘をつくんですか?」
「そりゃあ、男性教師が女子生徒と二人乗りってのは、どう考えてもマズいだろう」
「男女の関係だと思われるからですか」
「そういうことだ。何も無くても、そういう風に怪しまれてしまうからな」
「だったら、何かある関係になっちゃいましょうか」
春菜は冗談めかして言い、柱谷の脇腹辺りをツンツンと突く。
「勘弁してくれよ、俺はまだ教師を続けたいからな」
「ちぇっ、つまんないの」
「ほら、いいから乗れ」
柱谷が自転車に跨った。
「今回だけ、特別だぞ。今後は、何か手伝っても、こんなことは無いからな」
「はーい」
春菜は浮かれた様子で言い、後部座席に乗った。
それから柱谷の腰に両手を回し、ギュッと抱き付いた。
「おい、そんなにくっつくな」
「でも、しっかりしがみ付かないと、振り落とされたら大変ですから」
「そりゃそうだが、しかしなあ」
「さあ、早く行ってください。出発進行」
元気良く春菜が声を発した。
「うーむ」
困ったように唸ってから、柱谷は自転車を漕ぎ始めた。
その後ろで、春菜は至福の時を体感していた。




