Ⅱ
今日の二本目です。
「ここです!」
里は、イーサと出会った場所から三十分ほど歩いたところに見つかった。
並んでいる木々の建物。広大な畑で仕事に勤しむ人――人間の姿を保っている人狼達がいる。一見する限り、人間の生活と何も変わらない光景が里にはあった。
人狼達はまだ俺達の存在に気付いていない。だからか、イーサは駆け足で近くにいる青年へと近付いていく。
彼女と似た、貫頭衣を纏っている青年だった。腰には皮製のベルト。一心不乱にクワを振り下ろし、畑を耕している。
「ただ今戻りました、スキュロス様!」
「ああ、お帰りイーサ。危ない人達には会わなかったかい?」
「会いました」
「何っ!?」
スキュロスと呼ばれた青年は、温厚そうな顔つきを瞬時に切り替えた。犬歯を剥き出しにした、獰猛な獣の面貌へと。
「くそっ、人間どもめ……! 姫様を攫うだけでなく、我らの領地に忍び込み、こんな幼い子供まで襲うとは……!」
「に、人間さんだって悪い人ばっかりじゃありません! お姉ちゃんを助けてくれたのだってあの人間さんです!」
「……イーサ、何を言ってるんだ? 彼らは我らの王が抱いた理想を、自分の都合で捻じ曲げた連中だぞ? 僕らと手を取り合うなんて、そんなことあり得ない」
「で、でも! あの人達はわたしを助けてくれました!」
必死の形相で、イーサは俺達のことを指差した。
俺もミドリも、動かずその場で頭を下げるだけ。彼らが人間を好意的に思っていないのは、さっきの会話で十分把握できている。刺激をしないよう、今は最低限の動きに留めよう。
まあ、無駄だったようだが。
「人間、貴様らはまた……!」
スキュロスが吠える。
それは既に人のものでは無かった。狼の、野性の獣が放つ声。里にあった穏やかな空気も、一瞬で塗り替えられていく。
イーサの姉に比べれば小型の狼だった。とはいえ身体の作りは人間の近く、怪物であることに違いはない。
「ミドリ、またで悪いけど頼む」
「もう足が棒になりそうだよ……」
それでも、彼女はイーサの姉を引き受けてくれた。……早く起きてくれればいいんだが、その気配は一向に無い。
『死ねっ、ニンゲン!!』
爆発音すら伴って、人狼の姿と化したスキュロスが突っ込んでくる。
ケラウノスを抜くことは出来ない。真後ろにミドリがいるし、何よりここは人狼達の生活圏だ。加減したところで、大きな爪痕を残す可能性は高い。
とはいえ、スキュロスはその辺りを気にしていないようだが。
『オオオォォォオオオ!!』
多くの人狼が驚愕する中、俺の前には禍々しい牙が見えている。どうやら食い殺すつもりらしい。
見慣れた光景だ。
怯える理由は、一つもない。
『ガッ!?』
くぐもった声が響く中、スキュロスの攻撃は止まっていた。
否、止められていた。噛みつこうとした直前、俺が口の中へ手を突っ込んだからだ。
絶句しているのは後ろにいるミドリの他、スキュロスやイーサも含まれる。喰い殺そうとしている相手に、自分から腕を突っ込むやつがあるか、と言わんばかりだ。
それでも痛みは感じない。
以前与えられた女神も加護。滅却魔術とやらを無効化した神の守りが、人狼の攻撃を受け切っている。獲物を抑えるための両手も、肩に触れているだけで加護を貫通するには至らなかった。
『グ、ギ……』
顎にかかる力は強くなっているが、突っ込んだ俺の腕には掠り傷一つつかない。
「……魔力の濃度が低いと思えば、案の定か。イーサのお姉さんはだったら、また違った結果だろうにな」
『き、貴様……!』
スキュロスは攻撃手段を切り替える。
左右の爪。断頭台の刃にも見えるソレで、こちらを三枚下ろしにしようと振りかぶる。
付き合ったっていいが、俺も遊びに来たわけじゃない。さっさと無力化するとしよう。
『っ!』
紙一重で懐に潜った、次の瞬間。
すれ違う間に、スキュロスは膝をついた。
『な、ん……』
「魔力酔いだ。……あんま得意じゃないんだけど、アンタぐらいの相手になら通用するらしいな」
『ぐ……』
そのまま、巨体がうつ伏せに倒れていく。
あとは静寂が流れるだけだ。人狼の間から怒りの声が上がることもない。寧ろ同情、罪悪感が向けられている。
「す、すみませんっ!」
茫然としていたイーサが、謝罪しながら俺達の元に駆け寄ってきた。
「お姉ちゃんを助けてくれたのに、こんな――」
「ああいや、別に気にしなくていい。怪我もしてないし」
「でも……」
イーサは少しばかり涙目になっている。さっき知り合ったばっかりだって言うのに、随分と真面目な子のようだ。
……こういう空気になった時、どうやって誤魔化せばいいのか俺には分からない。子供のあやし方だって同じだ。
しかし変わってくれる者がいるわけでもなく。力になってくれそうなミドリは、可愛いなあ、と呑気に微笑んでいる。
「じゃ、じゃあさ、里の代表者に会わせてくれないか? 一つ聞きたいことがあって」
「お、長に、ですか? いまは代理の方しかいませんけど……」
「ならその人でもいい。ちょっと、封印系の魔術について聞きたくさて」
「封印系の……?」
覚えがあるらしく、イーサは充血した目を広げていた。
同時に里の人々も騒ぎ始める。高齢そうな住人の中には、膝をついて頭を下げる者までいる始末だ。
そちらへの心当たりがあるとすれば、一つだけ。
「あの、もしかしてユウ様ですか? 千年前に魔王を討った英雄の……」
「えっと……まあ、そういうことになってるみたいだけど」
いいのかなあ、と思いつつ、俺はイーサの問いに正直な返答を出した。
途端、彼女や他の人狼達が一斉に頭を下げる。平身低頭、と言っても構わないぐらいだ。直前の出来事と、彼らが本来持っている価値観が、その姿勢を作り上げているんだろう。
イーサに告げた言葉をもう一度繰り返したくなる。ついでに、止めてくれ、とも。
確かに千年前でも、人々に歓迎されることは何度かあった。が、あくまでも対等な付き合い方であって、こんな風に仰々しく扱われた経験はほとんどない。
ましてや魔物からだなんて。彼らの放っているオーラに、こっちが気圧されそうになってしまう。
「申し訳ありません! 我ら一族の恩人ともあろうお方に、このような――」
「ああいや、普通に接してくれ。こういうのはあんまり慣れてない」
「ですが……」
「じゃあ、俺の命令ってことで普通に接してくれ。……こんな風に扱われたんじゃ、落ち着いて話も聞けやしない」
「す、すみません」
しまった、最後のは怒ってるように聞えたか。
でもまあ、堅苦しかった空気は徐々に弛緩しつつある。望みの形には、どうにか落ち着いてくれそうだ。
反面、強制しているようで後ろめたさがある。彼らがこちらを敬っている以上、どんな言い方をしても強制にはなるだろうけど。
「ではユウ様、代理の族長の元へご案内します。ついて来てください」
「ああ」
またもやイーサの姉を背負ってから、俺は小さな案内人の後ろを歩いていく。
隣りに並んだミドリは、どこか嬉しそうだった。頬を緩め、ニヤケ顔が俺のことを見上げている。
「どうした?」
「いやー、嬉しくてさ。大好きな人には評価されて欲しいし、活躍して欲しいからね。……何か問題抱えてそうだし、力になってあげよ?」
「だな」
喋りながら振り向いた先には、未だに倒れたままのスキュロスが。
彼を起こそうとする人狼はおらず、逆に蔑むような視線を向けている。こちらに向けている信仰を、そのまま裏返しにしたような鋭い目だ。
「……ま、同情し過ぎるのもよくないし」
敗者の背中から目を逸らして、族長代理がいるらしい家へと向かう。
その途中、頭を下げてくる人狼は途切れなかった。逐一構うわけにもいかず、俺はくすぐったい気持ちで眺めるしかない。
本当、今更だが。
千年前に行った行為が、どういうものか目の当たりにした気分だった。




